年寄名跡 年寄名跡の概要

年寄名跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/02 03:47 UTC 版)

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概要

力士が引退後も協会に残り、かつ運営に携わるには、年寄名跡を取得する必要がある。名跡の名称は創設者の四股名中同一に由来しており、既に名跡を取得している年寄はその名で活動する。

年寄名跡は、江戸相撲の勧進元の一人であった雷権太夫らが組織した株仲間がその原型とされている。江戸幕府の認可を得て勧進相撲の公許興行が行われた1684年(貞享元年)当時、名跡の数は15名前後だったとみられているが、相撲興行が軌道に乗るにつれて、名跡の数が増えてゆくこととなった。 その後1691年(元禄4年)には20人、1780年代(天明から寛政年間)にかけて36名、1830年代から1840年代(天保から弘化年間)にかけて54名、1905年(明治38年)には88名、東京と大阪の相撲協会が合併した1927年(昭和2年)には、大阪の頭取(年寄)17名を加え、105名に増員された。

年寄名跡所有者は、常に協会から比較的高額かつ安定した収入を得ることができ、刑事事件を起こすなどのよほどのことがない限り「失業」の心配もない上に、年寄は現役関取よりも立場が上である[1]。選手寿命が短い(30歳代で引退)相撲界においては、年金的な要素も持っている。

年寄襲名条件は、基本的に現役時代の実績が必要な傾向にあるが、昭和の中頃までは、養子縁組や職務能力等の要素を有していれば、実績・最高位が他の力士より劣っていても年寄襲名の際に有利に立てる傾向にあった。例として、1961年1月1日付で年寄65歳停年制が施行されて以降、昭和の内に停年を迎えた年寄43人の内25人が三役以上未経験者であり、その内最高位・平幕2ケタ台が6人、最高位・十両が4人であった。ところがそれ以降は現役時代の実績を重視する傾向が顕在化した。平成に入って初めて年寄として停年退職した大田山(元前頭20枚目、停年時点で年寄・錦戸)から停年制導入以降104番目に年寄として停年退職(退職後に再雇用された者を含む)となる玉ノ富士にいたる61人の中で最高位が平幕以下の年寄は21人であり、停年退職を迎えた年寄の比率として三役以上の経験者が増えた[2]。特に1998年に名跡取得要件の変更により、三役未経験の力士の要件到達が格段と難しくなった。

名跡は勝手に創設することは出来ないため、年寄となるためにはすでにある名跡の中から1枠を確保する必要がある。名跡の譲渡の有無は当事者間の交渉に委ねられているため、名跡の所有者と襲名の希望者との間で閉鎖的な市場が形成されており、名跡の所有権や襲名権が金銭で売買される慣行が生まれた。協会が財団法人になって以降もこのような慣行が続いていたため問題視されるようになり、協会側も名跡を執行部で一括して管理するべく対策を行っているが、慣習を一掃するには至っていない。

1998年には貸株の実態の公開と今後の貸株の禁止を打ち出したが、数年で有名無実化し、なし崩し的に貸株が再解禁となり、改革の一環として創設された準年寄も廃止された。また、2014年の公益財団法人移行に合わせて、名跡は協会管理とされ、全年寄が協会に名跡証書を提出し、借株および金銭授受は禁止された。しかし、その後も借株の年寄は存在する。

年寄名跡は一門内でやり取りするのが常識的な方法であり、一門外へ株を売却することは理事選での票数の減少を意味するため好ましくなく、一門制度を軽んじる行為として取得する側も批判される。過去には阿武松押尾川から、光法賢一宮城野から、両者とも門外の株を襲名したという理由で、前者は押尾川部屋から、後者は立浪一門から破門された。『相撲』2013年11月号は、1961年1月1日より施行された年寄の65歳停年退職制度の影響で、後継者探しに苦労する親方衆が増えた結果として、一門外まで奔走して後継者を求めるようになり、このことから停年制が名跡が所属していた一門外へ流出する原因となったと解釈すべきであるという内容の主張をしており、近年になって一門制度の実質が弱まっている点との関連が指摘される。

また、年寄名跡を一人で複数所有することは禁止されている。そのため、借株の貸主は必然的に、現役力士と退職した元年寄になる。

襲名条件

日本国籍を有することと、現役時の成績が要件として求められる。現行の規定では、部屋の継承などについて複数の基準が設けられている。

現行の条件

  1. 相撲部屋を新設して師匠になるための条件。以下の条件のいずれかを満たすことが必要(2006年9月28日より適用)。
    1. 横綱もしくは大関経験者
    2. 三役関脇小結)通算25場所以上
    3. 幕内通算60場所以上(番付制限なし)
  2. 一般的な襲名の条件。新規部屋の師匠としての独立は認められない。以下の条件のいずれかを満たすことが必要(1998年5月1日より適用。後に変則的な特例を採用)。
    1. 最高位が小結以上[3]
    2. 幕内在位通算20場所以上[3]
    3. 十両以上(関取)在位を通算30場所以上[3]
    2013年12月20日に「関取在位通算28場所以上なら、名跡の前保有者と師匠、保証人の親方の願書があれば、理事会でその是非を決定する」という規定を同年11月17日の理事会で追加していたことが相撲協会から発表され、関取在位期間については事実上2場所短縮された[4]。この規定により名跡を襲名したのは2013年12月の11代君ヶ濱寶千山幸観)、2019年3月の13代秀ノ山天鎧鵬貴由輝)である。
  3. 既存の相撲部屋継承者として承認された場合には、次のいずれかの条件に緩和される。
    1. 幕内在位通算12場所以上
    2. 十両以上(関取)在位を通算20場所以上、番付制限なし
    この条件で名跡を取得した者は、2017年9月時点で11代宮城野金親和憲)と21代春日山濱錦竜郎)の2名である。なお、この資格者が後に師匠の座から退いても、引き続き相撲協会に年寄として残ることは可能である。

襲名権を持つ現役力士

  • 2019年5月場所番付発表時点
  • 太字が襲名条件を満たしている資格
四股名 資格 所有名跡 備考
横綱
大関
関脇
小結
三役
在位
幕内
在位
関取
在位
新規部屋創設資格者
白鵬翔 横綱 - モンゴル国籍
鶴竜力三郎 横綱 モンゴル国籍
豪栄道豪太郎 大関 -
高安晃 大関 -
貴景勝光信 大関 -
琴奨菊和弘 最高位
大関
秀ノ山
照ノ富士春雄 最高位
大関
モンゴル国籍
栃ノ心剛史 最高位
大関
ジョージア国籍
栃煌山雄一郎 - 最高位
関脇
25 73 - 清見潟
安美錦竜児 15 97 安治川
嘉風雅継 8 78 中村
豊ノ島大樹 13 69 -
一般的な襲名権者
妙義龍泰成 - 最高位
関脇
13 43 - -
碧山亘右 5 45 ブルガリア国籍
逸ノ城駿 10 29 モンゴル国籍
隠岐の海歩 6 54 君ヶ濱
琴勇輝一巖 2 27 -
勢翔太 3 41 春日山
魁聖一郎 4 47 -
宝富士大輔 3 45 -
玉鷲一朗 12 59 モンゴル国籍
正代直也 2 21 -
御嶽海久司 15 22 -
臥牙丸勝 最高位
小結
1 36 ジョージア国籍
松鳳山裕也 5 43 -
千代鳳祐樹 1 19 佐ノ山
常幸龍貴之 1 15 -
千代大龍秀政 2 38 -
阿武咲奎也 2 12 -
遠藤聖大 1 34 北陣
北勝富士大輝 1 18 -
豊響隆太 - - 52 -
佐田の海貴士 27 -
蒼国来栄吉 25 中国籍
千代の国憲輝 25 -
徳勝龍誠 23 -
荒鷲毅 21 モンゴル国籍
旭秀鵬滉規 20 モンゴル国籍
大栄翔勇人 20 -
誉富士歓之 10 38 -
千代丸一樹 18 35 -
富士東和佳 17 35 -
東龍強 4 35 モンゴル国籍
旭日松広太 4 34 -
千代ノ皇王代仁 2 33 -
青狼武士 3 33 モンゴル国籍
明瀬山光彦 1 32 -
保証書を伴う有資格者
輝大士 - - - 19 28
英乃海拓也 6 28
磋牙司洋之 6 28
既存部屋の継承資格者
錦木徹也 - - - 18 25
大翔丸翔伍 18 24
千代翔馬富士雄 17 21 モンゴル国籍
石浦将勝 13 26
舛乃山大晴 13 25
徳真鵬元久 - 27
北磻磨聖也 1 25
旭大星託也 3 24
鏡桜秀興 7 21 モンゴル国籍
芳東洋 3 21
剣翔桃太郎 - 21
琴恵光充憲 4 20

襲名手続

従来は力士の引退に際して理事会が開かれ直接年寄襲名の承認を得ていたが、2014年1月30日をもって日本相撲協会が公益法人に正式移行した以降は新設された年寄資格審査委員会で過半数の承認を経て、理事会で最終承認を得るという形式をとるようになった。この手続き形式で年寄襲名を果たした初の例が琴欧洲(大関3年)である。[5]

過去の条件

明確に制度化される以前

1900年代初頭までは関取未経験者が年寄を襲名するケースも少数ながら存在した。これらが認められなくなった時代に入っても「師匠の実子または養子に限って関取1場所経験」という実子・養子力士に関する例外規定が運用され続けたが、この「実子・養子規定」については慣習的な拘束力に依存しているため、施行・廃止の時期に関して不明瞭な点がある。現在でも有効であるという説も存在している。

明確に制度化されて以降
  • 1929年(昭和4年)5月 幕内1場所以上又は十両(以上)出場176日(本場所11日、年4場所)
  • 1936年(昭和11年)5月 幕内1場所以上又は十両(以上)出場110日(本場所11日、年2場所)
  • 1939年(昭和14年)5月 幕内1場所以上又は十両(以上)8場所全勤(本場所15日、年2場所)
  • 1950年(昭和25年)10月 幕内1場所以上又は十両(以上)8場所連続全勤(本場所15日、年3場所)
  • 1957年(昭和32年)12月 幕内1場所全勤以上、十両(以上)連続20場所在位、十両(以上)通算25場所在位のいずれか(本場所15日、年6場所)



  1. ^ 昭和前半ぐらいまでは、幹部クラスの親方以外は、現役関取よりも立場が下であったと言われている。
    『大相撲ジャーナル』2017年6月号68頁
  2. ^ 『相撲』2013年11月号75頁
  3. ^ a b c 日刊スポーツ 2017年3月4日
  4. ^ 元幕内宝千山が引退=大相撲時事通信社、2013年12月20日)
  5. ^ 琴欧洲引退 白鵬に敗れ「終わりが来た」 nikkansports.com 2014年3月21日9時52分 紙面から
  6. ^ その後錦島の株は同じ時津風部屋豊ノ島大樹を経て高砂部屋朝赤龍太郎に譲られた
  7. ^ 関与認定19力士全員が引退届提出も「納得はしていない」…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月6日
  8. ^ 相撲協会を解雇されているため所有者の名義は本名の山村和行
  9. ^ 『相撲』2015年6月号136ページ
  10. ^ 名跡の変更ではなく、表記の変更である。




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