年寄・間垣へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:42 UTC 版)
2021年9月29日、白鵬及び12代宮城野から引退届が日本相撲協会へ提出され、これを受けた9月30日の協会定例理事会に於いて白鵬の引退と年寄・間垣の襲名が承認されて正式に発表された。だが、その際に協会側は白鵬の現役時の不行跡を重く見て「相撲界のしきたりを逸脱しないこと」「先輩年寄(親方)の指導をよく聞くこと」などといった行動誓約書を提出させるという異例の措置を執った。引退の正式決定により結果的に最後となった45回目の優勝を全勝で決めた同年7月場所千秋楽の結びの一番(対照ノ富士春雄戦)が現役最後の取組となった。そのため引退の意向を示した際には「協会から猛批判された『らしさ全開』の勝利が現役最後の取組となった」とスポーツニッポンの記事で評された。なお11月場所の番付編成会議は9月29日であり、白鵬の正式な引退発表はその後の9月30日であったため、11月場所の番付には横綱として四股名が残ることになるものと見込まれていたが、11月場所の番付では白鵬の四股名は外され、その影響で同場所の番付に載った幕内力士の人数は定員よりも1人少ない41人となった。 10月1日に両国国技館で行われた引退会見では「ホッとした気持ち、迷いはなかった」とコメントし、7月場所10日目の白星で場所の二桁白星を達成したのを機に、膝の限界を理由として部屋関係者に引退の意向を示したと明かした。自身の引退後に1人横綱となる照ノ富士を指して「後を託せる」と評した。思い出の取組として2004年11月場所11日目の朝青龍からの金星を奪った1番、2010年11月場所2日目に稀勢の里に連勝記録を63で止められた1番を挙げている。 11月場所初日に自身初の親方としての本場所勤務となり、勤務後に「(初日前日の)土曜に何も考えずにいったのは初めてだった。全てが新鮮で、花道立ったときに不思議と手汗をかいていました。力士の体を見ていてほれぼれした。いいなと思いました」と振り返った。中日の自身初のNHK大相撲中継の解説では「この会場でしたからね。覚えてます。『勝ってしまった』と。ものすごくうれしいんですけど、申し訳ない気持ちで…。でも稽古つけてもらいましたし、勝って恩返しができた」と朝青龍から金星を獲得した当時の心境を明かした。対戦成績で21勝2敗と圧倒している髙安に関してこの日の放送で「一番強いと思う。重さもあり身体も強い。組んでよし、離れてよし。何で負けるのかな?」と絶賛。 12月3日、協会は間垣が幕内優勝の最多回数(45回)、横綱在位の最長期間(84場所)、幕内通算勝利の最多回数(1093勝)、大相撲通算勝利の最多回数(1187勝)、幕内全勝優勝の最多回数(16度)でギネス世界記録の認定を受けたことを発表した。5つのギネス認定を受けた間垣は、協会を通して「この度、ギネス世界記録の5枚の盾をいただきました。みなさまの応援のおかげであります。最後の最後に、うれしいご褒美をいただきました。今後も親方として精いっぱい頑張ります。ギネス世界記録をもらえるような弟子を育てていきたいと思います」とコメントした。10日、協会は2022年1月場所で2年ぶりに相撲博物館を開館し、間垣親方の特別展「69代横綱白鵬翔」を開催することを発表した。 『週刊文春』2022年2月3日号は、間垣が部屋創設のために2021年7月に閉店した浅草の老舗料亭「瓢庵(ひさごあん)」の土地と建物(報道当時の相場で、合計4億円)の購入を決めたと報じた。この報道を紹介した『FRIDAY DIGITAL』によると、予算面の都合で銀座への部屋創設を諦め、土地の広さ・建物の大きさなどの物件の条件が合わないということで日本橋での創設も断念したという。同記事のスポーツ紙担当記者の証言によると「日本の伝統文化が、色濃く残る地域で部屋を作りたかったそうです。元横綱として、日本を象徴するイメージの部屋にしたいと。海外から来る旅行客も、念頭に置いているみたいです。ガラスばりにして、誰でも稽古を見学できるようにしたいとか。母国モンゴルの人々に、胸をはって紹介したいのでしょう」とのこと。
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