周辺の番外霊場とは? わかりやすく解説

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 14:50 UTC 版)

弥谷寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

内の座標示した地図 - OSM内の座標出力 - KML 表示 天霧八王山奥之院 弥谷寺前身八王蓮華院八国寺(行基開山)の旧跡とされる。宥沢法印拠れば八国寺は、三院六坊(一説によると十二坊)を備へ東院西院中尊院および弥之坊・谷之坊・独鈷坊・龍華坊・安養坊海印坊・納涼坊ありと記される所在地香川県仲多度郡多度津町大字奥白方地図 虚空蔵寺 弘法大師虚空蔵求聞持法修行したところで、その霊跡をあがめ建立されたとされている。本尊虚空蔵菩薩坐像、右脇仏・弘法大師、左脇仏・十一面観音菩薩立像所在地香川県仲多度郡多度津町奥白方地図 八丁目大師堂 弥谷寺への車道途中にあり、弘法大師祀っている。 所在地香川県三豊市三野町大見70地図 天霧八王山奥之院 虚空蔵寺 八丁目大師堂

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周辺の番外霊場

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切幡寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

犬墓大師堂 青年僧空海四国山野修行途中愛犬連れ当地に至る。その時遭遇する愛犬守られ難を避けるが愛犬毒牙倒れる。空海はその死を弔うため当地葬り草庵を建て阿弥陀如来祀った人々空海の徳を称えるため犬墓名付けた大師堂には石の大師像が祀られ地蔵堂の左には戌墓と刻まれた34cm×40cmの台座に36cm~40cmの楕円形の自然石置かれ、さらに、是より六十三丁(約7km)で切幡寺丁石がある。所在地徳島県阿波市市場町犬墓地図

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:39 UTC 版)

井戸寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

法谷寺峯の薬師呼ばれ空海入山して三密相応霊地として真言密教をひらいたと云われる。その奥の院タタリ谷常厳寺には聖徳太子墓所という伝承がある。 蔵珠院平安時代聖宝理源大師開基螺旋状のスロープ井戸の底まで降りられる珍しい「まいまい井戸」がある。とくしま市民遺産選定された。

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周辺の番外霊場

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延光寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

月山神社 古来金剛福寺打ち終えた遍路修行者番外月山詣でてから延光寺向かったと云われ、番外なれど、篠山観世音寺とともに遍路参詣すべきところと伝えられていた。 住所高知県幡多郡大月町月ヶ丘1443 詳しく月山神社参照

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:39 UTC 版)

鶴林寺 (徳島県勝浦町)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

水呑大師みずのみだいし) 当寺の1.27km手前にあり、弘法大師を突くと噴き出たという伝説の所で、ここまでコンクリート舗装され、ここから上が阿波遍路道鶴林寺道の史跡指定部分になる。

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 15:23 UTC 版)

観自在寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

松尾大師(麓の堂) 予土県境松尾峠に祀られていた霊験あらたか大師像は愛媛県側へ4.5km麓の一本松町県道299号脇(南宇和郡愛南町一本松地図)に平成21年3月26日宮崎尽力により下ろされ新しい堂に祀られた。 高野山 仏眼院ぶつがんいん) 高野山から貧者の一灯を分伝され明治35年創建安産祈願霊験あり。所在地愛媛県南宇和郡愛南町城辺甲1896地図 篠山神社観世音寺奥の院跡) 観世音寺は、篠山標高1065m)の中腹にあり、空海開基にて、用明天皇勅願所と伝わる。その山頂近く天狗堂、その上山頂三所権現があり此所に納めていた。往時札所の数とせずといえども往詣する霊境なりと四国遍礼霊場記に書かれているように新客遍路は必ず参拝したようだが、神仏分離により廃寺となり、本尊十一面観音立像、脇持不動明王像正木の白翁山歓喜光寺篠山権現前)の権現堂安置された。今は山頂篠山神社一棟中腹には石垣だけが残り観自在寺にはその遥拝所としての祠がある。所在地愛媛県南宇和郡愛南町正木 地図 歓喜光寺曹洞宗)の所在地愛媛県南宇和郡愛南町正木1468 地図 明治期篠山観世音寺廃寺になった後は観自在寺打ったあと歓喜光寺打ち戻るのが一般的であった。なお、歓喜光寺県道から一本中に入った村道から入ったところにあり、その権現堂本堂大師堂の間にある元篠山大権現刻まれ石柱門から奥にある約50mの石段上がった鬱蒼とした裏山中にある。 清水大観音岳標高783m)から西に延び尾根標高460mあたりの峠にある。灘道のうち集落から坂を登る大師石像祀る水大師があり、さらに上がった峠付近越えると小さな祠がある。それが清水大師で、遍路がのどの渇き倒れそうになったとき大師現れシキミ根本掘れ告げた掘ってみると清水湧き出したという伝説がある。 満願寺 行基薬師如来本尊として開基、さらに空海中興した。その後地元僧侶により現在の臨済宗妙心寺派になった大師草創古刹である。以前40番観自在寺から次へ遍路道は3ルート(灘道、中道篠山道)あり、いずれも満願寺交わってから龍光寺至っていた。真念時代には寺は荒れていたようで、真念が「道指南」を出版したのは満願寺再興費用捻出目的であった述べている。 詳しく満願寺 (宇和島市)参照

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周辺の番外霊場

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南光坊」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

高野山今治別院 南光坊南側隣接していて、明治13年3月高野山から大師像を勧請し高野山出張所として開創大正11年8月今治別院昇格した山門正面奥に大きな遍照殿があり、また、弘法大師巡錫伊予21霊場5番札所不動堂や、四国33観音霊場15番札所観音像や、日切地蔵尊堂が境内にある。所在地愛媛県今治市別宮町2丁目4−14地図

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:09 UTC 版)

本山寺 (三豊市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

内の座標示した地図 - OSM内の座標出力 - KML 表示 枯れ木地蔵堂 空海頼まれ本山寺建立用材運んでいた深山天狗が1本の木材落とした後の世発見されたその木で地蔵菩薩刻んで安置したと云われている。地図 興隆寺遺跡の石塔群 鎌倉後期から室町末期の、約200年もの期間をかけて造立された石塔群。崖の上段には五輪塔宝塔など70基、下段には磨崖仏中心に五輪塔30残されている。香川県指定史跡1976年昭和51年6月29日指定される住所香川県三豊市豊中町下高野延寿寺から石仏辿って谷沿いの道を登る砥石観音 本山寺建立のため徳島井ノ内伐採され木材財田村整えていたが斧の刃がこぼれて難航していた。そのとき巡錫中の僧が砥石大工たちに与えた。その砥石研く作業順調に進んだその後砥石光を放ち村人たち近づく光の中に観音菩薩の姿があった。そこで、観音菩薩化身として祀った住所香川県三豊市財田町財田上 地図 不動の滝 空海修行の折、この岩に不動明王像刻んだと云われる落差約50mの滝住所香川県三豊市豊中町岡本3567 不動の滝カントリーパーク内 地生目神社 1838年天保7年日向生目村八幡宮から勧請されたのが始まりで。境内から少し下ったところに洗い井戸がある。所在地香川県三豊市豊中町笠田笠岡地図 枯れ木地蔵 興隆寺遺跡の石塔群 砥石観音不動の滝 生目神社

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周辺の番外霊場

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神恵院」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

生木地蔵尊 天保7年1837年森安利左衛門病弱な娘のために大楠(高さ30m、幹回り10m、樹齢推定1200年)に五尺地蔵尊彫り上げた。 住所観音寺市大野原町大野原1208大野原ICより約2km) 地図

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周辺の番外霊場

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八栗寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

洲崎寺 真念の墓がある。空海当地修法をされ霊験も有由なれど源平の戦い焦土となり元禄12年50西方復興される。 詳しく洲崎寺参照 六萬寺 行基聖武天皇勅命建立したのが始まりで、その後檀家万戸威信称して六萬寺改号、そして、空海当寺千手観音像を刻み八栗の獄に安置したと云われている。 詳しく六萬寺 (高松市)参照

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周辺の番外霊場

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曼荼羅寺 (善通寺市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

七仏寺 空海が七体の薬師如来石仏刻んで祀ったと云われる七仏薬師堂がある。納経曼荼羅寺受け付けている。住所: 香川県善通寺市吉原町三井之江 詳しく七仏寺参照

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 04:32 UTC 版)

三角寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

三度栗大師 弘法大師通りかかった時、子供たち一つ貰ったお礼に年に三回実を与えようと云って去ったそれ以来この辺りのは年に三度実をつけるようになったその後宗祇法師が「秋雨に 谷の柴栗 そぼぬれて わが袖ぬらす 宇摩関守」と詠んだ三栗山地院、本尊地蔵菩薩立像、左脇仏弘法大師。 場所:四国中央市土居町木ノ川集会所前(遍路道沿い)

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 15:41 UTC 版)

恩山寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

弘法大師水 水求めた旅僧対し、この井戸水には塩がさしていると嘘をついて断ったところ、本当に塩が混じって飲めなくなってしまい、数年後に再び通りかかった旅僧塩辛い困っている助け求めた旅僧土地衝く清水噴き出したという伝説があり、この旅僧空海だったことからこの名がある住所徳島県小松島市日開野町加々ませ31地図 釈迦庵おむつき堂 空海襁褓(むつき・オムツのこと)を納めたといわれる「おむつき堂」があった霊跡である。恩山寺出てすぐの弦巻坂を上がって弦張坂を下った竹林中にあり、現在はその堂は無く山門大師堂があり、ほかに四国最古と云われる仏足石小松島市指定有形文化財1987年6月1日指定)がある。 住所徳島県小松島市田野町中須恩山寺より立江寺方向遍路道を約0.7km)地図

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 21:58 UTC 版)

竹林寺 (高知市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

吸江寺(ぎゅうこうじ) 五台山の麓にあり、竹林寺庭園造ったと云われる夢窓疎石の庵の跡である吸江庵跡(県指定史跡)で、夢窓2年間で去ったあとも多く著名な門弟輩出し土佐中世禅寺文化中心となった真念や寂本の遍路本にも、当寺記述があり、また、四国遍礼名所図会1800年調査研究)には「及郷寺」として記述されている。 詳しく吸江寺参照 高野寺 明治16年1883年高野山出張所として開創された。四国三十三観音霊場13番札所詳しく高野寺 (高知市)参照

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:58 UTC 版)

青龍寺 (土佐市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

花山神社かざんじんじゃ) 花山院廟とも呼ばれ花山法皇崩御された地と伝えられ明治初期廃寺となるまでは春日山阿弥陀寺千光院という寺であったと言われている。かつては花山法皇位牌祀られていた。本殿の裏山には陵墓とされる不入がある。しかし、花山法皇高知崩御し史実はない。住所高知県須崎市浦ノ内出見(いずみ)846番 地仏坂不動尊(ほとけざかふどうそん遍路道仏坂峠から斜面200m下ったところにあり、光明峯寺真言宗泉涌寺派)の境内にある。空海巡錫中、紫雲とともに諸仏降臨するのを感得そこにあった大岩触れると不動明王浮かび上がったとされる霊場である。岩不動とも呼ばれ実際に火焔んの形が自然に浮き出た岩がお堂祀られている。 なお、納経行われていない。住所高知県須崎市神田983-2 地図

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:32 UTC 版)

霊山寺 (鳴門市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

十輪寺 - 東林院霊山寺中間にあり、空海学僧集めて密教教義について論議行ったことから「談義所」とも呼ばれ白雉2年651年)に智光律師によって開創された。地蔵菩薩本尊の寺である。住所徳島県鳴門市大麻町萩原字アコメン15

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:39 UTC 版)

金剛福寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

香山寺こうざんじ香山寺山にある市民の森一角にあり、空海開山伝えられている。本尊十一面観音で、当寺金剛福寺)を弘安年間(1279~1288)に中興した南仏上人木造坐像像高82cm鎌倉時代高知県指定有形文化財 昭和57年5月6日指定)が祀られていたが四万十市立郷資料館移されている。往時七堂伽藍大寺であった衰退し明治4年廃寺になるも、昭和30年代地区人々により現在の堂が建てられた。現在は当寺管理している。住所高知県四万十市坂本 地図 真念庵 空海地蔵菩薩祀ったところと伝えられ四国遍路大衆化し庶民のものとした功労者である真念遍路のために善根宿建てた所と云われている。真念自身著書に「これより足摺へ7里、ただし、篠山駆けるときはこの庵に荷物を置き足摺より戻る、月さん(月山霊場)へ駆けるときは荷物持ち行く。初遍路篠山へかへると云い伝う。」とある。 詳しく真念庵参照

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 18:36 UTC 版)

屋島寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

高野山讃岐別院 明治16年時の高野山管長により弘法大師像を讃岐勧請、その像を祀るため大正5年より着手し大正8年10月21日開院その後高松空襲焼失する昭和37年本堂復興となる。宿泊可能。駐車場12バス1台。納経可。 所在地香川県高松市築地町7−1地図

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:42 UTC 版)

石手寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

義安寺 遍路にゆかりある河野家の霊を祀る宝厳寺 空海逗留記録があり、一遍上人生誕地と云われている。 蓮華寺 本尊薬師如来行基開基伝えられる山頂には1500年以上昔の霊所遺跡があり古くから尊信集め霊地であった

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:26 UTC 版)

浄瑠璃寺 (松山市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

網掛石 三坂峠より遍路道浄瑠璃寺方向へ4.3km下ったところに表面網の目の溝が刻まれ大岩があり傍ら大師堂がある。その昔三坂の道を塞ぐように2つ大きな石があり通行妨げ困っていた。通りかかった空海村人のために取り除こうと、村人たちに作らせた編んだ網をかぶせオウク天秤棒)でその2つの石を運び始めたが、あまりの重さに網が食い込みとうとうオウク折れて石は飛び一つの石は三坂川底もう一つ現在地に、そして、オウク飛んで行ったところは大久保呼ばれるようになったとの伝承がある。 住所愛媛県松山市九谷 地図

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 19:26 UTC 版)

長尾寺」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

長福寺 弘法大師極楽寺再興の折、上野山山上にあった庵である峰寺極楽寺塔頭として現在地へ移転させ極楽寺東院として開基した。往時再興され極楽寺とともに東讃僧徒学問所談義所歴代朝廷勅願所として栄えた本尊は伝弘法大師作・千手観音重文木造薬師如来坐像一木造り素地、144.5cm、藤原時代作、明治34.3.27指定)がある。さぬき三十三観音霊場第四札所地図 霊芝寺 弘法大師開創天正の戦乱で衰退本尊十一面観音が残る。本堂および中腹廟所松平家祀っていて、庶民頂上近く奥の院大師堂参拝するさぬき三十三観音霊場第十札所地図 與田寺 行基創建、後に弘法大師逗留し伽藍の整備をするとともに大窪寺造営拠点とする。13世紀後期ころには「弘法大師再来」と云われた増吽により中興される。四国八十八ケ所の総奥之院呼ばれている。地図 釈王寺 行基草創、後に弘法大師堂宇建立天正の陣焼失する重文本尊聖観音立像など多数仏像が残る。さぬき三十三観音霊場第五札所地図 田の口薬師月光山青宝院薬師坊東照寺、又、瑠璃山薬王密院とも号す) 行基開基本尊は、弘法大師弘仁12年立ち寄り三国讃岐漢・天竺)の土で作ったと云われる塑像乾漆薬師如来背面空海の名と手印刻まれているとされていて、日本薬師空海弟子実慧大徳名付け再興する)と称され毎日本堂内で参拝できるが本尊絶対秘仏住職でも引き継ぎのときのみ見られる)で、江戸時代初期作と云われる前立ち仏が拝観できる。また、本堂地下真っ暗い戒壇めぐりになっていて中央には大日如来釈迦如来阿閦如来が、その先には閻魔大王祀られていて上に上がる干支十二仏が祀られている。所在地香川県東かがわ市白鳥352地図 東海寺 行基開基し、弘法大師逗留源義経四国上陸したとき最初に宿営した寺と云わる。地図 長福寺本堂 霊芝寺奥之院大師堂 與田寺山上大師堂 釈王寺本堂 田の口薬師本堂 東海寺本堂大師堂

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 04:10 UTC 版)

薬王寺 (徳島県美波町)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

内の座標示した地図 - OSM内の座標出力 - KML 表示 小松大師 国道55号脇の坂を約20m上がるとある。大阪難波石工大師石像彫り上げ納品待っていると、夢枕大師現れ阿波小松へ送るように警告を受け、当地届けられたものと云われている。 所在地徳島県海部郡牟岐町辺川地図 草鞋大師 八坂トンネル西側口の道を海方向に約50m行くと右側にある。台座草鞋供養刻まれ難所である当地を無事通過できるように祈願している。大師石像平成22年造り替えられ受難遭い顔が削られた古い石像は、牟岐町満徳寺新四国曼荼羅霊場85番)の境内移されている。 所在地徳島県海部郡牟岐町内妻白木125地図 野江の浪切不動尊 海部川支流母川にかかる不動橋を渡る目の前にあり、むした境内厳粛な趣がある弘法大師不動で崖から大きな岩が落ちそうなのを見て、その前の地面二本の箸を立てて帰った。後にその箸がをふき大木となり大岩支えたといわれる。その奥に祀られ不動尊参りに来た心の悪い人が通ると二本木に挟まって通れなくなるといわれている 所在地徳島県海部郡海陽町野江地図 古目大師 清水豊かな古くからの大師堂であるが由緒不明である。 所在地徳島県海部郡海陽町宍喰浦地図 小松大師 草鞋大師以前石像 野江の浪切不動尊 古目大師

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周辺の番外霊場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:16 UTC 版)

法輪寺 (阿波市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説

小豆大師堂あずきあらいだいしどう空海水不足苦し農民哀れみ小豆洗った加持して清水湧出させたと云われる霊跡である。別の逸話として、寒い冬の夜当地野宿しようとした空海小豆粥を炊こうとした無く根元突き清水湧出させた。その泉が傍らにあり、周辺の家ではその日にあたる12月24日夜に小豆粥炊くという風習残っていたと云われている。 住所徳島県阿波市土成町水田(9番と10番との間の遍路道脇にある)

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