義安寺とは? わかりやすく解説

義安寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/24 21:15 UTC 版)

義安寺

山門
所在地 愛媛県松山市道後姫塚114
位置 北緯33度50分55.81秒 東経132度47分23.34秒 / 北緯33.8488361度 東経132.7898167度 / 33.8488361; 132.7898167座標: 北緯33度50分55.81秒 東経132度47分23.34秒 / 北緯33.8488361度 東経132.7898167度 / 33.8488361; 132.7898167
山号 護国山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 伝・天文8年(1539年
開基 伝・河野彦四郎義安
正式名 護国山義安禅寺
護國山義安禪寺
別称 お六部さま
札所等 四国八十八箇所番外
法人番号 9500005000192
義安寺
義安寺所在地
テンプレートを表示

義安寺(ぎあんじ)は、愛媛県松山市道後にある曹洞宗の寺院。通称お六部(ろくぶ)さま。四国八十八箇所番外札所。

概要

寺伝によれば、天文8年(1539年)に河野景通の子・河野彦四郎義安が建立したといわれる。河野氏の本拠であった湯築城の東約100mに位置する河野氏ゆかりの寺院である。寺院名は建立者に由来する。

天正13年(1585年)河野氏当主の河野通直豊臣秀吉四国征伐の際に、小早川隆景の説得により降伏した。これにより伊予国は小早川隆景の支配下となった。この時、一族、譜代の家臣が当寺に集結し井戸の水を飲み交わして二君に仕えないことを約し自刃して果てたと伝わる。この話は宝永7年(1710年)に編纂された『南膽部州大日本南海道予陽郡郷俚諺集(略称・予陽郡郷俚諺集)』に記されている。この井戸は「誓いの泉」と呼ばれ境内にある。

当寺の周辺はの名所であった。かつてこの周辺で見られた大振りの蛍は「義安寺蛍」と呼ばれ、自刃した武士達の魂が飛んでいるのだと伝えられていた。

また言い伝えでは、六十六部廻国行者が当寺で非業の死を遂げ、以来、行者を祀っており「お六部さま」と呼ばれるようになった。八のつく日は当寺の縁日となっている。

ギャラリー


脚注

参考文献

  • 宮崎建樹/著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会/刊 2010年(第9版)
  • 同 解説編 2007年(第7版)
  • 現地説明板 松山市・松山市教育委員会/設置

関連項目

外部リンク


義安寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:42 UTC 版)

石手寺」の記事における「義安寺」の解説

遍路にゆかりある河野家の霊を祀る

※この「義安寺」の解説は、「石手寺」の解説の一部です。
「義安寺」を含む「石手寺」の記事については、「石手寺」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「義安寺」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「義安寺」の関連用語

義安寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



義安寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの義安寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの石手寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS