義実の安房入国伝説とは? わかりやすく解説

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義実の安房入国伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:29 UTC 版)

里見義実」の記事における「義実の安房入国伝説」の解説

義実が鎌倉公方(後の古河公方)・足利成氏に従っていたとされているが、その安房入国経緯については様々な説がある。 結城合戦後の文安年間少数家臣守られ安房国入国して安西氏頼りその後神余氏下克上した山下定兼を討伐して人望集めて丸氏・東条常政を屈服させ、やがて驕慢になった安西氏追放して安房平定した。その後足利成氏招かれ仕えた旧来の通説)。 足利成氏仕官後、安房国鎌倉府領の代官をしていたが、享徳の乱で成氏と上杉氏対立すると、義実が同国守護であった上杉氏とこれに従う国人所領及び彼らの管理にあった国衙領接収した享徳の乱で、舅とされる武田信長とともに房総半島の上国人討伐する過程安房国割拠した。 そのいずれが正しいかは不明であるが、安房里見氏享徳の乱の際の関東管領上杉憲忠殺害関与した事、朝夷郡(朝平郡)の白浜現在の南房総市)を根拠として国内反対派抑えて安房国内の中心部であった稲村進出したと見るのが今日通説である。 また、義実を架空の人物として義実の孫(あるいは子か)である義通の代に里見氏安房平定したとする説もあるが、関東地方室町体制根底から覆した享徳の乱乗じて里見氏従来強固な支配体制築いていた守護上杉氏支配から切り離され安房国進出あるいは平定が行われたと考えるのが現実的な見方であり、義実が安房入国して後継者である義通との2代がかりで安房一国支配した考える方が妥当であると考えられている。 数少ない実在想定させる史料とされているものに、『関東禅林詩文抄録』に所収されている季弘大叔の「奉寄 房州太守湯川公」(長享元年正月27日付)があり、同文章に登場する房州太守湯川公」が、時期的に里見義実相当する可能性が高いとされている。 義実の安房入国伝説を基にして、江戸時代曲亭馬琴滝沢馬琴)によって書かれたのが、『南総里見八犬伝』である。

※この「義実の安房入国伝説」の解説は、「里見義実」の解説の一部です。
「義実の安房入国伝説」を含む「里見義実」の記事については、「里見義実」の概要を参照ください。

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