季弘大叔とは? わかりやすく解説

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季弘大叔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 15:30 UTC 版)

季弘 大叔(きこう だいしゅく、1421年9月21日応永28年8月25日[1] - 1487年8月25日長享元年8月7日[1])は、室町時代中期の臨済宗である。別号は蔗軒、蔗庵、竹谷など[1]

経歴・人物

備前の生まれ[1]。幼くして備前願心寺で出家し[1]、1433年(永享5年)東福寺の竹庵大縁の門人となる[1]1467年応仁元年)に大和華厳宗及び法相宗の講義を学んだ[2]。のち、仲以篤・月泉祥洵・雲章一慶・勝剛長柔らと交わる[1]。1474年(文明6年)東福寺の塔主となり[1]、1483年(文明15年)和泉にある海会寺の住職となった[1]。その後再度京都に戻り、1480年(文明12年)東福寺の第174世住職となった[2]。翌年病により再度海会寺に戻った[2]。晩年は当時の臨済宗の僧侶らと多く交流し[2]、禅僧の生活などを講義した。

五山文学僧らと親しく交わる一方で、篤い観音信仰と浄土思想の持ち主だった[1]

主な著作物

  • 『蔗軒日録』
  • 『蔗庵遺稿』

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、123頁。 
  2. ^ a b c d 季弘大叔(きこう・だいしゅく)とは?”. 朝日日本歴史人物事典,デジタル版. コトバンク. 2023年2月6日閲覧。

参考文献




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