網掛石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:26 UTC 版)
「浄瑠璃寺 (松山市)」の記事における「網掛石」の解説
三坂峠より遍路道を浄瑠璃寺方向へ4.3km下ったところに、表面に網の目の溝が刻まれた大岩があり傍らに大師堂がある。その昔、三坂の道を塞ぐように2つの大きな石があり通行を妨げ困っていた。通りかかった空海は村人のために取り除こうと、村人たちに作らせた葛で編んだ網をかぶせオウク(天秤棒)でその2つの石を運び始めたが、あまりの重さに網が食い込みとうとうオウクが折れて石は飛び、一つの石は三坂の川底へもう一つは現在地に、そして、オウクが飛んで行ったところは大久保と呼ばれるようになったとの伝承がある。
※この「網掛石」の解説は、「浄瑠璃寺 (松山市)」の解説の一部です。
「網掛石」を含む「浄瑠璃寺 (松山市)」の記事については、「浄瑠璃寺 (松山市)」の概要を参照ください。
- 網掛石のページへのリンク