周辺の番外霊場と関連仏堂とは? わかりやすく解説

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周辺の番外霊場と関連仏堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:40 UTC 版)

大寶寺」の記事における「周辺の番外霊場と関連仏堂」の解説

於久大師堂(おくまだいしどう):番外霊場大寶寺境外仏堂であり、本尊弘法大師伝承によれば平安時代初期空海がこの地を巡錫中、山中歩いて疲れたため休もう一軒民家訪ねた。その家には”くま”という名の老女(娘であるともいわれる)が住んでおり、空海手厚くもてなした。さらに織っていた布を切り取り空海の汗を拭うために差し出した感銘受けた空海は「何か願いはないか」と問うと、”くま”は「ここは山の中ゆえ何もありません。この地が後の世まで栄えるようになるのが望みです。」と答えた。これ以後、この地は栄えるようになり、地名老女の名から”久万(くま)”と呼ばれるようになったという。”くま”は地元崇敬され、後世、ここに大師堂築かれた。所在地愛媛県上浮穴郡久万高原町久万560-4地図権現堂みささぎごんげんどう):当寺参道脇の丘に立ち、後白河法皇の妹宮の遺体祀る。脳、頭の病に霊験がある。建物朽ちかけていて宝篋印塔全ての宝物大寶寺移されている。地図 久万四国高野山大師堂元禄時代山之内仰西やまのうちこうさい)が、水田を引くため岩山刳り抜き用水路(仰西渠、長さ57m・幅2.2m・深さ1.5m、愛媛県史跡昭和25年10月10日指定)を造った。その顕彰のために開かれた堂と云われている。地図 鴇田峠(ひわだとうげ):空海巡錫中に降り続いたが、この峠あたりでやっと天候良くなり「よい日和だ」と云ったことから。地図 だんじり岩:上記の峠の西側で、空海があまりの空腹感じ自身修行足りなさを腹立って、じだんだだんじり)を踏んだとの霊跡。 節内の座標示した地図 - OSM内の座標出力 - KML 表示

※この「周辺の番外霊場と関連仏堂」の解説は、「大寶寺」の解説の一部です。
「周辺の番外霊場と関連仏堂」を含む「大寶寺」の記事については、「大寶寺」の概要を参照ください。

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