りげんだいし 【理源大師】
理源大師
聖宝
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聖宝(しょうぼう、天長9年2月15日(832年3月21日) - 延喜9年7月6日(909年7月25日))は、平安時代前期の真言宗の僧。醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖。また、後に当山派修験道の祖とされる。俗名は恒蔭王(つねかげおう)。光仁天皇の玄孫で、兵部大丞・葛声王(かどなおう)の子[1]。諡号は理源大師。
- ^ 「醍醐報恩院血脈」(『続群書類従』巻第844所収)
- ^ 『古今和歌集』巻十「物名」所収。春を主題に、最初の字を「は」、末尾を「る」とし、さらに「眺め」を掛詞にせよ、という難しい注文に応えた技巧的な歌である。
- ^ 聖宝理源大師とその教え 醍醐寺
- ^ 当時は醍醐山も笠取山と呼ばれた。元来、「笠取」はかなり広い領域をさしていた。現在、醍醐山東方のやや離れた場所にも「笠取山」がある。
- ^ 初代座主真雅の没後、欠員となっていた。宇多天皇が聖宝任命について諮問する真然への勅書が伝わることから、聖宝を選んだのは天皇自身であったと考えられる。
- ^ 前年7月、東大寺別当の道義は、かねてより東大寺と土地領有問題で争いがあった佐伯氏の氏寺佐伯院を、強引に解体し東大寺内に移築していた。佐伯氏は、荒廃が著しかった佐伯院の原状回復を断念し、佐伯氏に連なる真雅の門弟である聖宝に付属した。
- ^ 『聖宝僧正伝』、『古今著聞集』、『東大寺要録』、『元亨釈書』
- ^ 『宇治拾遺物語』巻十二
- ^ a b 『醍醐寺雑記』、『密宗血脈鈔』所引『真俗雑事記』
- ^ 当時まだ存在せず、延喜年間に観賢によって創建された。コスモス寺として知られる奈良の般若寺とは別。
- ^ 『醍醐寺縁起』、栄海『真言伝』。なお『元亨釈書』では、大蛇退治ではなく榛や葛を切り払って修行のルートを開拓し、修験再興の祖になったとされる。
- ^ 『東大寺要録』、『尊師御一期日記』、『元亨釈書』
- ^ a b 『醍醐寺縁起』
- ^ 『醍醐寺雑事記』。なお、遍照は当時笠取山の近くの花山寺(後の元慶寺)に住していた。
- ^ 『東大寺要録』
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