古事記 受容・研究史

古事記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 07:53 UTC 版)

受容・研究史

本居宣長による『古事記傳』

朝廷では平安時代、『日本書紀』について大学寮の学者が公卿に解説する日本紀講筵(日本紀講、講書)が行われ、『古事記』は参考文献として使われた。古語を伝える書として重視されることもあれば、矢田部公望のように編年体でないことで低く評価したうえで『先代旧事本紀』の方がより古い史書であると主張する講師もいた[20]

鎌倉時代には、朝廷でも披見できる人が少ない秘本扱いで、特に中巻は近衛家伝来の書を収めた鴨院御文庫にしかないと言われていた。そうした中、弘長3年(1263年)に右近衛大将藤原通雅が「不慮」に中巻を手に入れた。神祇官卜部兼文卜部兼方の父)は文永5年(1268年)に通雅から、文永10年(1273年)には鷹司兼平から中巻を借りて書写した。弘安4年(1281年)には藤原氏一条家が卜部家から借りた『古事記』を書写して自家伝来本と校合し、翌年さらに伊勢神宮祭主大中臣定世が一条家から借りて書写した。孫の大中臣親忠が伊勢神宮外宮禰宜度会家行伊勢神道の大成者)に貸して写本が2部つくられた。これが、伊勢神宮と密接な関わりがあった真福寺に伝わる『古事記』最古の写本の元になったと推測される。度会家行は自著『類聚神祇本源』に『古事記』を引用した[21]

室町時代後期の神道家の吉田兼倶も、『日本書紀』を最上としつつも『先代旧事本紀』と『古事記』を「三部の本書」と呼んで重視した[22]

寛永版本 古事記、初版(國學院大學古事記学センター蔵)

江戸時代初期の寛永21年(1644年)に京都印刷による刊本『古事記』(いわゆる「寛永古事記」)が出版され、研究が盛んになった。出口延佳が『鼇頭(ごうとう)古事記』を貞享4年(1687年)に刊行したほか、『大日本史』につながる修史事業を始めた徳川光圀水戸藩主)にも影響を与えた[23]

江戸時代に隆盛する国学でも重視され、荷田春満は『古事記箚記(さっき)』、賀茂真淵は『古事記頭書(とうしょ)』を著した。そして京都遊学中に寛永版古事記を入手した本居宣長は、賀茂真淵との「松坂の一夜」でも『古事記』の重要性を説かれて本格的な研究に取り組み、全44巻の註釈書『古事記傳』を寛政10年(1798年)に完成させた[24]。これは『古事記』研究の古典であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。

第二次世界大戦後は、倉野憲司武田祐吉西郷信綱西宮一民神野志隆光らによる研究や注釈書が発表された。特に倉野憲司による岩波文庫版は、初版(1963年(昭和38年))刊行以来、重版の通算は約100万部に達している。20世紀後半になり、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフトしている。成立論の代表としては津田左右吉石母田正があり、作品論の代表としては、吉井巌・西郷信綱・神野志隆光がいる。

偽書説

『古事記』には、近世江戸時代)以降、偽書の疑いを持つ者があった。賀茂真淵(宣長宛書翰)や沼田順義、中沢見明、筏勲、松本雅明、大和岩雄、大島隼人、三浦佑之宝賀寿男らは、『古事記』成立が公の史書に記載がないことや、序文の不自然さなどへ疑問を提示し、偽書説を唱えている[25]

偽書説には主に二通りあり、序文のみが偽書とする説と、本文も偽書とする説に分かれる。以下に概要を記す。

  • 序文偽書説では『古事記』の序文(上表文)において語られる『古事記』の成立事情を証する外部の有力な証拠がないことなどから序文の正当性に疑義を指摘する。また稗田阿礼の実在性が非常に低いことや、編纂の勅命が出された年号の記載がないこと、官位の記載や成立までの記載が杜撰なことから偽書の可能性を指摘している。なお「偽書」とは著者や執筆時期などの来歴を偽った書物のことであるから、その意味では序文が偽作であれば古事記は「偽書」ということになる。もちろん、その場合も本文の正当性は別の問題である。
  • 本文偽書説では、『古事記』には『日本書紀』より新しい神話の内容や、延喜式に見えない神社が含まれているとして、より時代の下る平安時代初期ころ、または鎌倉時代の成立とみなす。この説には後世に序文・本文の全部を創作したとする説と、『日本書紀』同様の古い史料に途中途中「加筆」し続けたものとする説がある。また『新撰姓氏録』でも『古事記』本文に登場する系譜伝承が引用されていないなど、その成立に不審な点が多々ある。

このうち、本文偽書説のうち全部を創作したとする説は上代文学界・歴史学界には受け入れられていない。上代特殊仮名遣の中でも、『万葉集』『日本書紀』では既に消失している2種類の「モ」の表記上の区別が、『古事記』には残存するからである。[注釈 5] なお序文には上代特殊仮名遣は一切使われていない。

序文偽書説の論拠に、稗田阿礼の実在性が低く、太安萬侶のようなの記載がないことが国史として不自然であること、官位のない低級身分の人間[注釈 6]を舎人として登用したとは考えられないこと、編纂の勅令が下された年の記載がないこと、『古事記』以外の史書(『続日本紀』『弘仁私記』『日本紀竟宴和歌』など)では「太安麻呂」と書かれているのに、『古事記』序文のみ「太安萬侶」と異なる表記になっていることがあった。ところが、1979年昭和54年)1月に奈良市此瀬(このせ)町より太安万侶の墓誌銘が出土し、そこに

左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳[注釈 7]

とあったことが判明し、漢字表記の異同という論拠に関しては否定されることとなった。しかし、偽書説においては太安萬侶の表記の異同が問題ではなく、安萬侶自身が『古事記』編纂に関与したことが何ら証明されていないことが問題とされる[26]

その後、平城京跡から出土した、太安万侶の墓誌銘を含む木簡の解析により、『古事記』成立当時には、既に『古事記』で使用される書き言葉は一般的に使用されていたと判明した。それにより序文中の「然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。」は序文の作成者が当時の日本語の使用状況を知らずに想像で書いたのではないかと指摘されている[誰?]

また、『古事記』が編纂された時期の正史とされている『続日本紀』は、元々は全30巻で編纂されていたものが途中で全20巻に変更された結果、原稿から相当の記述が削除もしくは圧縮された後の姿が現在の『続日本紀』になったと考えられている。この際に『古事記』に関する記述も元の原稿には記載されていたものの、全20巻にする過程で完成記事も含めて削られてしまったことも十分考えられる。これは『日本書紀』に関しても同様で、こちらには完成した事実を示す記述があるもののの、本来ならば記述されるべき舎人親王が『日本書紀』の編纂責任者となった経緯を示す記事や完成時に天皇に出された筈の上表文、完成後に行われた筈の編纂関係者への褒賞に関する記事が載せられておらず、不完全な記述に留まっている[27]。つまり、『続日本紀』編纂における分量圧縮の過程で『古事記』に関する記事が省略された可能性がある以上、史書への記述の有無によって偽書説の根拠にはなりがたいことを示している。

外国語訳

『古事記』の最初の英語完訳は、1882年(明治15年)に初版された英国人のバジル・ホール・チェンバレンによる「KO-JI-KI or “Records of Ancient Matters”」である[28]。日本に関心を持っていたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、この英訳本をアメリカの出版社から渡され、日本行きの決意を固くした[29]

サブカルチャーでの受容

『古事記』はサブカルチャーでも受容され、漫画化・ライトノベル化などもされている。

  • 『古典コミックス古事記』1990年、主婦と生活社、監修・樋口清之国学院大学名誉教授、解説・小松和彦大阪大学助教授、脚本・鈴木亨、作画・登龍太
  • 『マンガ日本の古典(1)古事記』1999年、中公文庫、作画・石ノ森章太郎
  • 『まんがで読む古事記』全3巻、2009年 - 2011年、青林堂、作画・久松文雄
  • 『まんがで読破Remix 古事記/日本書紀』2014年、イースト・プレス
  • 『愛と涙と勇気の神様ものがたり まんが古事記』2015年、講談社、監修・戸矢学、作画・ふわこういちろう
  • ラノベ古事記 日本の神様とはじまりの物語』2017年、KADOKAWA、小野寺優
  • 『神訳 古事記』2017年、光文社、荒川祐二
  • 『マンガで読み解く真説・古事記』2021年、講談社、著・関裕二、作画・近藤たかし

注釈

  1. ^ 「高天原(たかまがはら)」は、『古事記』のほかでは、神道において唱される「祝詞」でも多用される。
  2. ^ 『古事記』『日本書紀』『万葉集』に祭神の記載がある神社は、伊勢神宮住吉神社出雲大社大神神社などに限られている。10世紀に編まれた『延喜式神名帳』においても、一部は社名や鎮座地などから主祭神を類推できるが、多くは地名社のみで祭神は不明である。詳細は祭神を参照。
  3. ^ 本来、仮名遣とは現代仮名遣いの「お」と「を」のように同音のものを異なる文字で書き分けることであるが、上代の文献に見られる万葉仮名の特殊な使い分けの場合は音韻の違いを表しているので特殊仮名遣と呼んでいる。通説によれば、上代日本語は、キヒミ・ケヘメ・コソトノモヨロの13音節とこれらの濁音節がそれぞれ甲乙の二類に書き分けられている。ただし、「モ」の書き分けは記紀のみにみられるものである。
  4. ^ もともと『古事記』を所蔵していたのは真福寺岐阜県羽島市)であったが、徳川家康の命により、真福寺の一院である「宝生院」が名古屋城下に移転させられた際に、写本も同時に移転となった。これが現在の大須観音である。詳細は当該項目を参照。
  5. ^ 1997年、ハワイ大学のジョン・ベントリーが修士論文 で日本書紀β群においてもモ甲乙とホ甲乙が区別されていることを指摘し(Mo and Po in Old Japanese (2005))、マーク・ヒデオ・ミヤケもこれを支持(Old Japanese: a phonetic reconstruction (2003, p. 258)。近年ではアレクサンダー・ボビンもこれを認めている(A Descriptive and Comparative Grammar of Western Old Japanese (2005))。国内でも2005年に犬飼隆がこれを支持する研究成果を成書で発表した(上代文字言語の研究, p. 121–156)。
  6. ^ 畿内の大族の氏姓を記録した『新撰姓氏録』に稗田氏についての記録はない。
  7. ^ 太字引用者
  8. ^ 注記:白文。荒山慶一入力。
  9. ^ 白文、『訂正古訓古事記』が底本で誤り多し、(FireFoxを推奨). 岡島昭浩入力。

出典

  1. ^ a b c 「解説」(古事記・角川 2002, pp. 275–284)
  2. ^ a b 「一 古事記」(キーン古代1 2013, pp. 58–106)
  3. ^ 山口佳紀神野志隆光校訂・訳 『日本の古典をよむ(1) 古事記』 小学館2007年(平成19年)、3頁。ISBN 978-4-09-362171-7
  4. ^ 奈良・田原本町の歴史知って 「古事記と太安万侶」出版”. 産経ニュース (2014年11月12日). 2021年2月6日閲覧。
  5. ^ 日本の神話(1):大和王権が語る“歴史の起源””. nippon.com (2019年6月25日). 2021年2月7日閲覧。
  6. ^ 『日本書紀の誕生: 編纂と受容の歴史』(八木書店) - 編集:遠藤 慶太,河内 春人,関根 淳,細井 浩志 - 河内 春人による本文抜粋”. ALL REVIEWS (2020年11月18日). 2021年1月3日閲覧。
  7. ^ 斎藤英喜 2012, pp. 16–23.
  8. ^ 「第一章 神話と叙事詩の時代 四 日本紀、祝詞、風土記」(西郷信綱 2005, pp. 47–58)
  9. ^ 「第一章 古代 三 万葉の世紀」(小西甚一 1993, pp. 32–44)
  10. ^ 「序 日本文学のジャンル」(キーン古代1 2013, pp. 11–12)
  11. ^ 「第一章 古代 二 古代国家の成立とその文藝」(小西甚一 1993, pp. 26–32)
  12. ^ 関根淳 2020, pp. 14–16.
  13. ^ 笹川尚紀「帝紀・旧辞成立論序説」『史林』第83巻3号、2000年(笹川尚紀 2016
  14. ^ 山田孝雄 1935, p. 18.
  15. ^ 関根淳 2020, pp. 187.
  16. ^ a b 関根淳 2020, pp. 189–190.
  17. ^ a b 関根淳 2020, p. 191.
  18. ^ 関根淳 2020, pp. 194–195.
  19. ^ 青木周平 1988, pp. 14–19.
  20. ^ 斎藤英喜 2012, pp. 36–44現代において、『先代旧事本紀』は平安時代初期の成立とみる説が有力
  21. ^ 斎藤英喜 2012, pp. 58–77.
  22. ^ 斎藤英喜 2012, pp. 87–91.
  23. ^ 斎藤英喜 2012, pp. 94–106.
  24. ^ 斎藤英喜 2012, pp. 107–108.
  25. ^ 鈴木祥造 1967.
  26. ^ 宝賀寿男「稗田阿禮の実在性と古事記序文」『古樹紀之房間』、2015年。
  27. ^ 荊木美行「"日本書紀"とはなにか」『日本書紀の成立と史料性』燃焼社、2022年、67-68・73頁。(原論文:『古典と歴史』第10号、2021年)
  28. ^ 高橋憲子 2013.
  29. ^ 三成清香 2013.
  30. ^ 【古代天皇誌】仁賢天皇 後継の兄は石上広高宮で即位産経WEST(2013年7月2日)2019年10月22日閲覧
  31. ^ 万葉神事語辞典「しきしま 磯城島 Shikishima」國學院大學デジタルミュージアム(2019年10月22日閲覧)
  32. ^ 校訂古事記(本居豊頼, 井上頼国, 上田万年校訂 : 荒山慶一入力)
  33. ^ 古事記本文(日本文学等テキストファイル/岡島昭浩入力所収)
  34. ^ 『現代語訳 古事記』:旧字新仮名 - 青空文庫
  35. ^ 梵舜筆『古事記』上巻
  36. ^ 梵舜筆『古事記』中巻
  37. ^ 梵舜筆『古事記』下巻
  38. ^ 本居宣長訓『古訓古事記』3巻
  39. ^ 荷田春満訓点『古事記』上巻
  40. ^ 荷田春満訓点『古事記』中巻
  41. ^ 荷田春満訓点『古事記』下巻
  42. ^ 『古事記』巻上
  43. ^ 『古事記』巻中
  44. ^ 『古事記』巻下
  45. ^ 幸田成友校訂『古事記』






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