稗田阿礼とは? わかりやすく解説

ひえだ‐の‐あれ【稗田阿礼】

読み方:ひえだのあれ

天武天皇舎人(とねり)。天武天皇の命で帝紀先代旧辞(きゅうじ)とを誦習し、和銅4年711元明天皇の命で太安万侶(おおのやすまろ)がこれを撰録して古事記編まれた。生没年未詳


ひえだのあれ 【稗田阿礼】

日本七世紀官人天武天皇舎人近習)。記憶力優れ二八歳の時、天皇から帝皇日継(帝紀)と先代旧辞本辞)の誦習命じられた。だが、この事業天皇崩御後顧みられず、七一一和銅四)年太安万侶に詔してこれを筆録させ、翌年『古事記』三巻成った男性説女性説とがある。大和郡山市売田神社に祭る。(生没年不詳

稗田阿礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 03:35 UTC 版)

稗田 阿礼 (ひえだ の あれ、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての官人。『古事記』の編纂者の1人として知られる。


注釈

  1. ^ 真福寺本には「阿礼」と表記。
  2. ^ ただし安萬侶の官職抜きの表現は、これまでも問題にされてきた。姓の軽重は当該氏にとって重要な問題であったため、これを書き落とすことも考え難い。この辺までの同様な指摘は先に藪田嘉一郎も行っている。
  3. ^ ただし誤りともいえない。

出典

  1. ^ 西郷信綱『古事記注釈 第一巻』平凡社、1975年、51頁。 
  2. ^ a b c 中野謙一「稗田阿礼は何をしたのか : 修史事業における『古事記』の位置づけ」『愛知淑徳大学論集. 文学部・文学研究科篇』第37号、愛知淑徳大学文学部、2012年3月、1-12頁、CRID 1050001202566405248hdl:10638/5085ISSN 1349-5496NAID 120005038644 
  3. ^ 梅原猛『記紀覚書--稗田阿礼=藤原不比等の可能性-上-』岩波書店、1980年5月、50-61頁。 
  4. ^ 宝賀寿男、「稗田阿禮の実在性と古事記序文」『古樹紀之房間』、2015年。


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