2006年死刑確定囚(20人)
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「日本における死刑囚の一覧 (2000-2009)」の記事における「2006年死刑確定囚(20人)」の解説
事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤) 2006年2月1日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1988年8月 - 1989年6月 1962年(昭和37年)8月21日生まれ。警察庁広域重要指定117号事件。1997年4月14日に東京地裁(田尾健二郎裁判長)で死刑判決、2001年6月28日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた。最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)にて2006年1月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2006年2月1日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した。再審請求準備中の2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(45歳没)。死刑確定 - 執行までの期間は2年4か月だった。 右翼幹部ら2人殺害事件 (T) 2006年2月14日 1992年2月9日1994年4月28日 1963年(昭和38年)7月13日生まれ(旧姓K)。2020年9月27日時点で大阪拘置所に収監中(現在58歳)。1992年に右翼団体に所属する自動車販売業の男に客を仲介したのに手数料を支払わないのに腹を立て仲間2人と共謀し殺害。1994年に同じ右翼団体に所属する金券販売業の男を架空取引を持ちかけて現金を奪い殺害し琵琶湖に遺棄した。2000年3月16日に大阪地裁(古川博裁判長)で無期懲役判決を受けたが、2001年12月25日に大阪高裁(池田真一裁判長)で一審破棄・死刑判決。2006年2月14日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。 愛知・静岡2女性殺害事件 (M) 2006年3月2日 1996年8月31日1997年9月4日 1944年(昭和19年)1月31日生まれ(旧姓T)。2020年9月27日時点で名古屋拘置所に収監中(現在77歳)。静岡県で同居していた女性を覚醒剤の大量注射により殺害し、遺体を山林に埋め女性の銀行口座から1000万円を引き出した。愛知県でスナック経営者を借金を踏み倒すために別の男と共謀し尾張旭市の森林公園に連れ出した上で銃殺し、遺体を駐車場脇に遺棄した。静岡の事件は否認したが、2000年7月19日に名古屋地裁(山本哲一裁判長)で死刑判決を受け、2002年2月28日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2006年3月2日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。 古美術商ら2人殺害事件 (Y) 2006年3月27日 1994年4月5日1995年3月30日 1949年(昭和24年)11月16日生まれ。2020年9月27日時点で名古屋拘置所に収監中(現在72歳)。Yは共犯の男Nと共謀し、以下の犯罪を犯した。男Xと共謀し、1994年1月27日、愛知県東海市の運送会社事務所に侵入、現金約614万8,567円や金庫1個(時価約3万円相当)などを盗んだ(窃盗罪)。 男Xほか2人と共謀し、1994年3月29日、岐阜県加茂郡八百津町の古物商男性(1995年6月時点で80歳)宅に侵入。男性の妻(事件当時73歳)をガムテープで縛り付けるなどして、男性の長男が所有していた現金100万円、印鑑1個、耐火金庫1台(物品時価合計約12万円相当)などを奪った(強盗罪)。 1. 事件および2. 事件の共犯者である男X(43歳没)が、Y・N両名に対し傲慢な態度や強圧的な言動を取り、「自分が捕まったら弁護士や保釈金の世話をしろ。そうしないと、お前たちのことも全部バラすぞ」などと脅すようになったことから、Xの殺害を決意。1994年4月4日、三重県四日市市のY宅(マンションの部屋)で、Xに睡眠導入剤入りの缶コーヒーを飲ませ、翌5日未明、YがアイスピックでAの後頸部を突き刺した。Xはそれに驚いて飛び起きたが、YはNとともにビニール紐でAの首を絞めて殺害(死因は窒息死)。死体を布団袋で包み、ロープで縛るなどした上で、4月6日、死体を丸山ダム(岐阜県加茂郡八百津町)に架かる「旅足橋」から、旅足川に投げ捨てた(殺人罪・死体遺棄罪)。 1995年3月29日夜、Nの知人である古美術商(当時50歳)をY宅に誘い込み、翌日(3月30日)未明、Yが古美術商の後頸部をアイスピックで突き刺したり、Nが古美術商の左側頭部をスパナで殴打したりした。最終的に、2人でビニール紐を用い、古美術商を絞殺して現金約430万円を奪った。そして、古美術商の死体をブリキ製の衣装箱に詰め込み、紐で縛るなどした上で、コンクリートブロックを取り付け、3. 事件と同様に旅足川に投げ捨てた(強盗殺人罪・死体遺棄罪)。 1997年3月28日、津地裁四日市支部(柄多貞介裁判長)で共犯の男Nとともに死刑判決を受けたが、1997年9月25日に名古屋高裁刑事第1部(土川孝二裁判長)は「利害の反する2人の被告人に1人の弁護人をつけたことは訴訟手続き上の不備だ」として第一審判決を破棄し、審理を津地裁(本庁)に差し戻す判決を言い渡した。その後の差戻審では、1999年6月23日に津地裁(柴田秀樹裁判長)が「Nが主導的な役割を果たしており、Yは積極的ではなかった」として、被告人Nを死刑、被告人Yを無期懲役とする判決を言い渡したが、検察官が量刑不当を理由に控訴。同年8月11日、三重刑務所から名古屋拘置所に移送された。名古屋高裁(小島裕史裁判長)は2001年6月14日、「2人の間に主従関係は認められない」として原判決を破棄し、N・Y両被告人をともに死刑とする第2次控訴審判決を言い渡した。なお共犯Nは上告中の2002年7月2日、収監先の名古屋拘置所で病死したため(63歳没)、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)が公訴棄却の決定を出している。2006年2月24日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け、同年3月27日付で死刑が確定。翌日(3月28日)から死刑確定者として、名古屋拘置所に収監されている。死刑確定後、吸い取り紙への書き込みや、封筒を半分に切断して切手を保管していたことなどに対し、拘置所から廃棄指導や懲罰などを受けたことを刑事収容施設法違反として、計60万円の損害賠償を訴えていたが、名古屋地裁(民事第5部)(齋藤清文裁判官)は2015年10月30日に請求棄却の判決を言い渡した。原告(死刑囚Y)が控訴したところ、名古屋高裁民事第4部(藤山雅行裁判長)は2017年5月25日、「拘置所側の対応は違法」として原判決を取り消し、被告(国)に対し8万円の支払いを命じる判決を言い渡したが、被告が上告受理を申し立てたところ、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は2019年3月18日に「拘置所側の対応は違法ではない」として原判決を破棄し、第一審判決に対する原告の控訴を棄却する判決を言い渡したため、原告敗訴が確定した。 神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y) 2006年4月4日 2004年7月22日 1940年4月2日生まれ。神戸地裁(笹野明義裁判長)における審理で期日間整理手続が適用され、4回目の公判となる2006年3月20日に開かれた判決公判で死刑判決。弁護人が控訴したが、翌日(2006年3月21日)に本人が取り下げ、2006年4月4日付で死刑が確定。死刑確定から約2年5か月後の2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。 鶴見事件(高橋和利) 2006年3月28日 1988年6月20日 1934年(昭和9年)4月28日生まれ。横浜市鶴見区下野谷町で、金融不動産業を営む男性(当時65歳)と内縁の妻(当時60歳)が、首や顎をバールやドライバーで強打されるなどして殺害され、現金1,200万円が奪われた事件。犯人として電気工事業の高橋が逮捕・起訴された。高橋は金を奪ったことは認めたが、殺害については否認。殺害時のアリバイを主張し再審請求していた。1995年9月7日に横浜地裁(上田誠治裁判長)で死刑判決を受け、2002年10月30日に東京高裁(中西武夫裁判長)で「高橋の自白には虚偽が含まれているとしても、自白以外の証拠から犯人と断定できる」として、控訴棄却判決を受けた。2006年3月28日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。死刑確定後の2011年5月、実名で手記『「鶴見事件」抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた』(インパクト出版会)を出版したほか、2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)に手記を寄せている。2017年8月25日、日本弁護士連合会(日弁連)が再審支援を決定。2021年10月8日、誤嚥性肺炎により東京拘置所で病死(87歳没)。同年12月24日、髙橋の妻が第3次再審請求している。 豊中市2人殺害事件 (N) 2006年6月13日 1998年2月19日 1948年(昭和23年)1月13日生まれ。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件。2001年11月20日に大阪地裁(氷室真裁判長)で死刑判決、2003年10月27日に大阪高裁(浜井一夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2006年6月13日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定したが、2014年5月15日に大阪拘置所内で病死(66歳没)。 川崎中国人6人殺傷事件 (C) 2006年6月27日 1999年5月25日 1968年(昭和43年)4月20日生まれ。中国・福建省出身の犯罪集団による犯行。裕福として目を付けていた中国人男女グループが実際は金が全くない事に激怒し、そのグループ6人を襲撃し、うち3人を殺害。主犯の中国人Cとその親類7人(全員中国人)が逮捕された。事実誤認および強盗殺人の殺意の不在を主張したが、2001年9月17日に横浜地裁川崎支部(羽渕清司裁判長)で死刑判決を、2003年3月20日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2006年6月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定。2009年7月28日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)。戦後初の在日中国人に対する死刑執行。 ドラム缶女性焼殺事件 (K) 2006年7月6日(正式な死刑確定日) 2000年4月4日 1964年(昭和39年)3月23日生まれ。下記Sの共犯で、加害者のうち4人に死刑が求刑されK・S両被告人の死刑、2人の無期懲役が確定。2002年2月21日に名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で死刑判決、2003年3月12日に名古屋高裁(川原誠裁判長)で控訴棄却判決。2006年6月9日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け、2006年7月6日付で死刑判決が確定。再審請求したが棄却され、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。 ドラム缶女性焼殺事件 (S) 2006年7月6日(正式な死刑確定日) 2000年4月4日 1969年10月17日生まれ(旧姓N)。上記Kの共犯(裁判経緯はKと同一)。再審請求したが後に取り下げ、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(39歳没)。 市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H) 2006年9月1日 1994年12月19日 1948年(昭和23年)2月10日生まれ。殺人前科あり。放火と殺意を否認したが、2000年2月17日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決、2002年7月4日に東京高裁(安弘文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2006年9月1日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。死刑確定から約1年11か月後の2008年9月11日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)。 堺夫婦殺害事件 (E) 2006年9月7日 1997年10月30日 1942年(昭和17年)7月21日生まれ。2020年9月27日時点で大阪拘置所に収監中(現在79歳)。知り合いの資産家夫婦から資産を奪うことを計画し、知人3人と共謀して言葉巧みに土地建物処理の委任状を書かせた後に夫婦を殺害。被害者2人の遺体を長野市内の休耕田に運び重機で埋める作業を始めたが、休耕田の所有者に通報され駆けつけてきた警官によって緊急逮捕された。2001年3月22日に大阪地裁堺支部(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を、2003年1月20日に大阪高裁(那須彰裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2006年9月7日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。共犯者は逃亡中。 オウム真理教事件(麻原彰晃) 2006年9月15日 1989年2月 - 1995年3月 1955年(昭和30年)3月2日生まれ・本名:松本智津夫。オウム真理教の元教祖で、坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件など麻原が主導した一連の事件で29人が死亡した(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)。2004年2月27日に第一審・東京地裁(小川正持裁判長)で死刑判決を受け弁護団が控訴したが、弁護団は「麻原には訴訟能力がなく控訴趣意書が作成できない」などとして東京高裁からの再三の催促を無視して控訴趣意書を期日通りに提出しなかった。これを受け、東京高裁(須田贒裁判長)は2006年3月27日付で控訴趣意書が期限内に提出されなかったことを理由に控訴棄却を決定した。弁護団は東京高裁の別の部(白木勇裁判長)へ異議を申し立てたがこれも同年5月31日付決定で棄却され、それに対する最高裁への特別抗告も同年9月15日付で最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)が出した決定により棄却されたことで死刑が確定した。第一審で死刑判決を受けた被告人の控訴審が手続き上の理由で打ち切られ、確定した事例は最高裁に統計が残っている1966年以降で初めてだった。第四次再審請求中の2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。 飯塚事件(久間三千年) 2006年10月8日 1992年2月20日 1938年(昭和13年)1月9日生まれ。一貫して無実を主張したが、1999年9月29日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決。2001年10月10日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決を、2006年9月8日に最高裁(滝井繁雄裁判長)で上告棄却判決を受け、同年10月8日付で死刑が確定。死刑確定から約2年後の2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行(70歳没)。死後、2009年10月に家族が再審請求。 宮崎2女性殺害事件 (I) 2006年10月8日 1996年8月29日1997年6月13日 女性死刑囚。1958年(昭和33年)5月23日生まれ。2020年9月27日時点で福岡拘置所に収監中(現在64歳)。父親の経営する工務店の経営悪化から、何とかしたいと思った家事手伝いの女性が、金銭目当てに女性2人を殺害した。一部無罪を主張したが、2001年6月20日に宮崎地裁(小松平内裁判長)で死刑判決を受けた。2003年3月27日に福岡高裁宮崎支部(岩垂正起裁判長)で控訴棄却判決を、2006年9月21日に最高裁第二小法廷(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け、同年10月8日付で死刑が確定。死刑確定後、「事件当時は心神喪失状態だった」として再審請求を行ったが、2018年には宮崎地裁によって棄却され、即時抗告も2019年に福岡高裁宮崎支部によって棄却された。 奈良小1女児殺害事件(小林薫) 2006年10月11日 2004年11月17日 1968年(昭和43年)11月30日生まれ。1990年(平成2年)1月5日に強制わいせつ・窃盗の罪で懲役2年(執行猶予4年)の有罪判決が確定。1991年(平成3年)2月15日には業務上過失傷害罪で罰金12万円の判決が、さらに1992年(平成4年)1月4日には強制わいせつ致傷罪で懲役3年の刑が確定し、1995年(平成7年)11月9日に仮出獄している。2006年9月26日に奈良地裁(奥田哲也裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2006年10月10日付で取り下げ、控訴期限が切れた2006年10月11日0時に死刑確定。弁護人は2007年6月16日に控訴取り下げ無効の申し立てをしたが2008年4月に棄却された。「恩赦不相当」の判断がなされてから2週間後の2013年2月21日に大阪拘置所で死刑執行(44歳没)。 栃木・妻と知人殺害事件 (N) 2006年10月12日 1988年11月1989年11月 1966年(昭和41年)9月11日生まれ。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在55歳)。無実を主張したが、2001年12月18日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決を受けた。2003年9月10日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却、2006年10月12日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定。 医師ら生き埋め殺人事件(高橋義博) 2006年10月26日 1992年7月23日 - 24日 1949年(昭和24年)9月16日生まれ。広島県出身で、廣州貿易株式会社代表取締役、「冬虫夏草研究会」会長を務めていた。元会社役員の男らと共謀し、神奈川県川崎市の男性医師(当時37歳ないし36歳 / 東京都立広尾病院の医師)と知人男性(32歳)の2人を車で拉致。現金約79万円などを奪い、2人を監禁先のマンション(世田谷区)で拳銃を突き付けるなどした上で、睡眠薬で眠らせ、栃木県塩谷郡藤原町(現:日光市)の山林に掘ってあった穴に生き埋めにして殺害した。事件は約4年後に発覚。発覚前の1994年12月には「冬虫夏草研究会会長」の肩書で『奇跡を呼ぶ冬虫夏草』(KKベストセラーズ)を出版しており、死刑確定後の2008年には福島瑞穂(参議院議員)が実施したアンケートで同書の著者であることを明かしている。実行犯3人(無期懲役が確定)のうち2人とともに「殺人は計画的なものではない」と主張していたが、2000年8月29日に横浜地裁(矢村宏裁判長)で死刑判決を受けた。2003年4月15日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却、2006年10月26日に最高裁(島田仁郎裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定。死刑確定後も「殺人は無罪」として再審請求していたが、2021年2月3日に急性冠症候群のため東京拘置所で病死(71歳没)。 名古屋・福岡連続殺人事件 (P) 2006年11月24日 1995年1月12日1995年1月28日 1946年(昭和21年)12月7日生まれ。元内縁の妻Aが結婚したことを逆恨みし、Aが経営する名古屋市内の居酒屋でAの首を刃物で刺して殺害したほか、福岡市に逃亡中には乗車したタクシー運転手Bを包丁で刺殺して現金数千円などを奪った。公判では「名古屋事件は知人の犯行で、福岡事件は薬物の影響により心神喪失状態だった」などと主張したが、1999年6月14日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決。2003年3月28日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決・2006年11月24日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定。再審請求中の2009年1月4日に肺炎のため収監先・福岡拘置所で獄死(62歳没)。 いわき市母娘強盗殺人事件 (T) 2006年12月20日 2004年3月18日 第一審・福島地裁いわき支部(村山浩昭裁判長)では2006年3月22日に無期懲役判決を受けたが、2006年12月5日に控訴審・仙台高裁(田中亮一裁判長)で一審破棄・死刑判決。2006年12月20日に自ら上告を取り下げ死刑確定。死刑確定から約1年10か月後の2008年10月28日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(55歳没)。
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