控訴棄却判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 10:14 UTC 版)
「川崎老人ホーム連続殺人事件」の記事における「控訴棄却判決」の解説
2022年(令和4年)3月9日に控訴審判決公判が開かれ、東京高裁(細田啓介裁判長)は被告人Iの自白の信用性を認めて原判決を支持し、弁護側の控訴を棄却する判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として、同月18日付で上告した。
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控訴棄却判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:42 UTC 版)
「北九州市病院長殺害事件」の記事における「控訴棄却判決」の解説
1984年3月14日に福岡高裁第2刑事部(緒方誠哉裁判長)で控訴審判決公判が開かれ、原判決(両被告人をいずれも死刑とした第一審判決)を支持し、両被告人の控訴をいずれも棄却する判決が言い渡された。 開廷は13時40分で、判決理由の朗読は約1時間におよび、14時35分に主文が言い渡された。判決理由の概略は以下の通りである。 被告人S側の控訴趣意(事実誤認に関する点)に対する判断 犯行の罪質や犯情に照らせば、奪った金額に20万円の差があったとしても、責任の軽重に差異は生じず、たとえこの点が誤認だったとしても判決に影響を及ぼすものではない。Aが自らYに差し出した20万円も、最終的に暴行・脅迫によって奪われたものである。 事件当時、「ピラニア」は営業不振ではなく、残っていた仕入代金(約67万円)も通常の流動債務に過ぎず、Yが経済的に困窮していたとは言えない。どちらが先に死体損壊・遺棄を伴う強盗殺人の計画を最初に言い出したとしても、2人はそれ以前から歯科医師からの恐喝を目論んで準備しており、それに代わる計画として本件に積極的に加担しているため、刑責の軽重は、その後の犯行遂行状況を考察して判断するのが相当だ。 原判決の「2人で馬乗りになってAを絞め殺した」という認定は信用できる。その点に関するYの供述は、Y自身にも不利益な事実を認めるものであり、供述内容も具体的・詳細・合理的である。一方、Yの「2度目に首を絞めていたら、エルザビル出入口に駐車していたS所有の車を移動させるようアナウンスがあったので、いったん離れて階下に降り、車を駐車場に移動して戻ってみたら、Aは既に動かなくなっていた」という供述や、Sの主張はいずれも信用し難い。 被告人Y側の控訴趣意(事実誤認に関する点)に対する判断 現場検証の調書から、YはAが斬りつけられた当時、Aのほぼ左横(あるいは直横からごくわずか前)にいたことが明らかで、その立ち位置とAの切り傷の形は、Sの「YがAを斬りつけた」という供述と符合する。Yの供述はそれ以外にも不合理な点を有しており、信用できない。Yが洋酒棚から取り出した20万円は、Yがカウンターから出る前に取り出されたか、Sの主張するようにあいくちでAを斬りつけた後、その手当をする段階で取り出されたかのどちらかと思われるが、いずれにせよ、「Yはカウンターの中にいたから、あいくちで斬りつけてはいない」と結論づけることはできない。 YはAに切り傷を与えていたことから、「暴力団と関係のあるAを帰せば報復されるかもしれない」と恐れ、殺害に走ったといえる。 量刑不当に関する点 罪質などに関して 両被告人は完全犯罪を目論み、被害者Aをおびき出した上で大金を奪って殺害し、死体を解体して遺棄するなどの綿密な計画を練り上げ、周到な準備を整えた上で犯行におよんだ。2人とも、事件当時は特に金に困っていたわけではなかったのに、働かず遊興にふける安楽な生活を送りたいがために犯行を思い立っており、その動機は身勝手かつ極めて悪質で、酌量の余地はない。特に悪質な点は、Aから金を奪った後、犯跡を隠蔽して完全犯罪を実現するためにAを殺害することを最初から謀議・計画していた点で、到底天人ともに許すことのできない非道なものである。あいくちでAを負傷させ、長時間にわたって放置して衰弱させた挙句、命乞いにも耳を貸さず、2人がかりで冷酷に殺害した行為も執拗かつ残忍である。死体を解体して遺棄した行為(死体遺棄罪)も、法定刑自体は重いものではないが、本件ではもともとこのように死体を解体することを予め計画して殺害行為が行われていることから、強盗殺人と一体として評価されるべき性質のものであり、それは殺害計画の強固さと残虐さを物語るものである。 また、2人は事件後に徹底した罪証隠滅工作を行い、互いに絶対自白しないことを誓いあった上で、さらなる犯罪計画を立てたり、遺族から「(当時未発見だった)頭部の存在場所を教える」と称して金を巻き上げることまで相談していた。そこには人間性の片鱗も見い出せず、倫理観の欠如と犯罪性向の根深さが伺われる。逮捕後も頑強に否認を続け、自白後も互いに自己の刑責を軽くしようと「犯行を主導したのは自分ではない」と相反する供述をしているが、その供述内容には不自然・不合理な部分が多く含まれ、どちらか一方だけが真実を語っているとは到底認められない。犯人が自己の犯した罪の責任を軽くしたいと願うことはやむを得ないとはいえ、その供述内容を見る限り、真摯に自己の犯した行為の罪深さを自覚し反省しているとは言い難い。 一方、Aには2人やその関係者から恨みを買うような事情や、殺されても仕方がないような落ち度があったわけではなく、長年北九州市内で大病院を経営し、地域社会の医療に貢献してきたにもかかわらず、身勝手な欲望の犠牲にされた。その結果は極めて重大で、被告人らに極刑を望む遺族の心情は痛ましく、察するに余りある。病院も廃業を余儀なくされたが、それによる遺族の大きな経済的損失や、転院を余儀なくされた入院患者、失職した医師・看護婦ら従業員が受けた損害も大きい。 本事件は猟奇的な強盗殺人・死体遺棄事件で、被害者が大病院を経営していただけあって、地域住民に与えた不安は大きい。完全犯罪を狙って敢行されたものであるため、もしその狙い通り死体が発見されなければ、捜査はさらに難航し、2人への嫌疑が濃かったとしても決め手を欠き、処罰されずに終わった可能性もあった。もしそのような事態になれば、これを真似て類似の犯罪が起きていた可能性があり、善良な資産家がいつこのような犯罪に巻き込まれていてもおかしくなかった。そのような観点からも、本事件がもたらした深刻な社会的影響は軽視できない。 両被告人の責任の軽重 Sは本事件前から、新北九州信用金庫への恐喝未遂事件を起こしたり、Yとともに歯科医師を恐喝することを考えたりしており、事件前は日常の生活態度が乱れていた一方、Yは真面目に「ピラニア」を経営していたものの、そのようなSと親しくなるうちに心の緩みが生じたことが窺える。凶器はいずれもSの所有物だったことや、当初はSの知り合いの船頭がいる鹿児島方面で死体を投棄する計画がされていたことなどを考えれば、どちらかといえばSに主導的側面があったと認められる。 しかし、YもSが歯科医師恐喝計画を立てていることを知り、積極的に加担した上、その計画を中止したSに対し、その実行を迫っている。それに代わる大金奪取の計画が本件だが、どちらが最初にAの名前を挙げたかまでは断定し難いものの、Yは単にSに追従して行動していたとは言えず、むしろ「奪った金額の半分は自分の取り分」と考え、犯行計画を共同で練り上げた上で、実行行為も共同で実行していた。知人関係にあったAの弱点を知り、Aを誘い出せる立場にあったのはYで、Aに傷害を負わせ、かつ首を絞め、死亡の直接の原因を作ったのもYである。 一方、Sは大金奪取の目的を果たせず、それを断念した際、Yに「ここでやめれば2、3年ですむと思うがどうか」と持ちかけたが、殺害行為を中止してAを帰すことを真摯に考えていたとは言い難く、Yが予定通り殺害する意思であることを知ってからは、躊躇なく2人で殺害行為におよんだ。もし2人のいずれかが、真摯にAの生命を助けるつもりでその後の計画の実行を阻止しようとしていれば、殺害行為の実行はできなかったと考えられる。 以上の点から、本件犯行は2人が一体となって、相互にその手足となって助けあい、計画に基づいて犯行を実行したのであって、そのどちらか一方が欠けても実行することはできなかったものと考えられ、その責任に軽重をつけることはできない。Yが犯行に走った契機は、Sと親交を結んだことによるものが大きいが、「Sの影響と、Yの他から影響を受けやすい性格的欠陥だけが原因」と考えるのは相当ではない。本事件が強盗殺人の中でも最も凶悪な事案(当初から被害者を殺害することが予定されていた事案)であることや、Yは当時27歳で、事柄の善悪の判断が十分できる年齢であったことなどを考えれば、Yの価値観の中に、利己的な欲望のために他人の生命を奪うことをも肯定するものがあり、犯罪性向が根深く存在していたというほかない。 結論 近年、強盗殺人など死刑の適用が問題とされる事案では、殺害された被害者が1人だった場合、死刑の適用が従前より少なくなっていることは確かだが、だからといって「被害者が1人なら絶対に死刑を適用してはならない」というものではない。人の人格改善の可能性を判断材料とすることは極めて困難で、犯行の罪質や、動機・態様などの量刑事情を捨象してまで、「犯人の人格の改善可能性があるなら、死刑を適用してはならない」と考えるのもまた相当ではない。1983年7月の最高裁判決(いわゆる「永山判決」)で示されたように、様々な情状を考慮した上で、罪責が誠に重大であり、罪刑の均衡・一般予防それぞれの見地から、極刑がやむを得ないと認められる場合には、その適用も許されると言わなければならない。2人の罪責は誠に重大で、2人にとって有利な事情(年齢・経歴・境遇や犯罪後の情状など)を十分考慮しても、2人を死刑に処した原判決の量刑は誠にやむを得ず、重すぎて不当とは言い難い。 被告人Yは「死刑は重すぎる」として3月15日付で最高裁判所へ上告し、被告人Sも翌16日に上告した。
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控訴棄却判決
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「藤沢市母娘ら5人殺害事件」の記事における「控訴棄却判決」の解説
2000年(平成12年)1月24日に控訴審判決公判が開かれ、東京高裁第11刑事部(荒木友雄裁判長)は第一審・死刑判決を支持して被告人F・弁護人側の控訴を棄却する判決を言い渡した。 東京高裁 (2000) は「起訴後、被告人Fの言動には異常な点が見られるが、これは拘禁の影響によるものと認められる」と判断した。その一方で、事件当時の刑事責任能力に関しては弁護人側の心神喪失・心神耗弱とする主張を退け「犯行経緯・動機は十分に了解可能で、犯行時の意識も清明だった」と指摘し、「完全犯罪を意図して周到・緻密な準備の上で行われた高度な計画性に基づく犯行で、死刑になり得ることも十分に理解していた」として完全責任能力を認めた。また「脅迫罪で別件逮捕したことによる取り調べ・自白強要など違法な訴訟手続きが行われた」とする弁護人側の控訴趣意書主張に関しては「本件殺人のみならず別件の取り調べも行われている。そもそも別件・脅迫事件は本件・殺人事件と原因・動機が関連しているため違法とは言えない」と判断して退けた。そして「量刑不当」と主張した弁護人側の控訴趣意書論旨については、「被告人Fは公判で否認から自白に転じ、いったんは控訴を取り下げるなど精神的成長・改善矯正の兆しが認められなくはないが、5人の人命を奪った罪の重さを鑑みれば死刑を選択した第一審の量刑はやむを得ず、弁護人側の『重すぎて不当』という主張は当てはまらない」として退けた。 被告人Fは判決後、接見室で弁護人・岡崎敬弁護士と接見した際には「控訴審はこれで終わりか?」と質問し、判決の結論を「第一審と同じ死刑だ」と教えられると指で丸を作り「わかった」という様子を見せていた。Fの弁護人は判決を不服として、同年2月4日付で最高裁判所へ上告した。
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控訴棄却判決
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「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「控訴棄却判決」の解説
1993年4月30日の控訴審判決公判で、大阪高裁(村上保之助裁判長)は原判決を支持し、廣田の控訴を棄却する判決を宣告した。日本では同年3月末、約3年4か月ぶりに死刑執行が行われていたが、それ以降では初めての死刑判決宣告となった。廣田は開廷直後、控訴棄却の主文を言い渡されると、大声で「(判決理由は)聞きたくないので退廷します」と吐き捨て、開廷からわずか2分で退廷した。 判決理由の要旨は以下の通りである。 自白の信用性について 弁護人は控訴趣意書で「廣田は大阪府警による大阪拘置所での取り調べで、殴る蹴るなどの暴行や、自慰行為の強要、タバコの火や熱した金属片を手などに押し付けられるといった拷問によって自白を強要された」と主張したが、大阪高裁 (1993) は廣田が「拷問を受けた」と主張している時期にかなり頻繁に弁護人と接見していたにも拘らず、「自慰行為を強要された」「タバコの火や熱したトタン様の金属片を皮膚に押し付けられた」と訴えたのは起訴から約3年後であることや、ガラスで手の指を切って治療を受けた際にもそのような火傷が発見されていないことなどから、「自慰行為の強要」「タバコの火などを押し付けられた」などの拷問の事実を否定。「殴る蹴るなどの暴行を受けた」などの暴行についても、原判決の「当時取り調べに当たった警察官2人の供述を信用すべき」とした判断を追認した。 事実誤認の主張について 大阪高裁 (1993) はまず、両事件の被害者の遺体から摘出された2個の弾丸と、京都府警本部で保管されていたAの拳銃の試射弾丸の線状痕について、同一拳銃によって発砲されたとする鑑定結果(原判決が採用)の信用性を追認し、大阪事件は京都事件で奪われた拳銃による犯行とであると認定した。その上で、目撃者が存在する大阪事件について検討し、Cや「甲」の従業員、「あんどれー」の店員、事件後に立ち寄った曾根崎の特殊浴場やピンクサロンの従業員らによる目撃証言の信用性を認め、それらの証言や、「あんどれー」に残されたかき氷の容器に付着していた廣田の指紋、廣田の取り調べ中の自白(犯行前後の行動に関する部分)といった間接証拠の数々から、大阪事件は廣田の犯行と認定した。そして、京都事件についても事件直後、廣田に酷似した男が乗ったタクシーにAと同じ血液型の血痕が付着していたことや、その男がタクシーを降りた地点の近辺にある「西陣大映」で男が飲んだ「リアルゴールド」の空き瓶に廣田の指紋が付着していたこと、事件前に千本通の金物店で包丁を購入した男は廣田と酷似しており、その購入された包丁が凶器となりうるものであったことなどの事情から、京都事件も廣田の犯行と結論づけた。 法令適用の誤りの主張について 死刑制度を合憲と判断した1948年3月12日の最高裁大法廷判決を引用し、死刑制度を違憲とする弁護人の論旨を退けた。 量刑不当の主張について 動機については所論で指摘されたように「必ずしも十分に解明されていない」としたものの、廣田の事件前の行動や一連の犯行状況から、京都事件の動機に奪った拳銃による現金強盗の意図があった可能性を指摘した上で、仮出獄時に家族から暖かく迎えられたにも拘らず、わずか5日後に一連の犯行におよんだことから、犯行経緯・動機に酌量の余地はないと指摘。犯行態様についても、事前に凶器を用意するなど計画的である点や、京都事件では執拗にAを滅多突きにした上で拳銃を奪ってとどめを刺したことや、大阪事件でも至近距離からBの胸を狙撃していることを挙げ、「原判決のいうとおり、強固な確定殺意に基づくもので人命を著く軽視した冷酷、非情で残虐な犯行といわねばならない。」と判示した。 その上で、2人の生命が奪われた結果の重大性や、仮出獄からわずか5日後に犯行におよび、逮捕後も自白に虚実を取り混ぜ、凶器の在り処については最後まで明かさなかったことや、公判でも不合理な弁解を繰り返し、反省・悔悟の情が見られないことから、「原判決のいうとおり、もはや被告人に対して矯正教育の効果は期待できない」と指摘、被害者遺族らの被害感情の峻烈さ、地域住民を不安に陥れたことを挙げた一方、「特に被告人のために有利に斟酌すべき事情は、これといって見当たらない。」と断じた。 そして、「両事件の罪質、動機、犯行態様、結果の重大性、各被害者の遺族の被害感情、社会的影響、被告人の前科及び犯行後の態度等の諸情状を併せ考えると、両事件の罪責は極めて重大であって、罪刑の均衡及び一般予防の見地から両事件について極刑をもって臨むのはやむをえないと認められ、原判決が両事件につき死刑を選択したことは是認できる。」と結論づけた。 廣田は判決を不服として、5月10日までに最高裁へ上告した。
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