判決宣告
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「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「判決宣告」の解説
2001年7月9日に判決公判が開かれ、名古屋地裁刑事第2部(石山容示裁判長)は被告人KMを求刑通り死刑に、KA・HM両被告人を無期懲役にそれぞれ処する判決を言い渡した。永山則夫連続射殺事件の上告審判決(1983年〈昭和58年〉)以降における少年事件における死刑判決は第一審では1989年・名古屋アベック殺人事件判決と1994年・市川一家4人殺害事件判決に続き3件目だった。 名古屋地裁は判決理由で「被告人3人は全3事件で被害者への殺意を有していたことが認められる。特に長良川事件では被告人KMに強固な殺意があった」と認定したが、木曽川事件については「被害者Bを暴行後に殺すつもりで河川敷雑木林に放置したが、放置と死亡の因果関係が立証されておらず殺人罪の成立は認められない」として傷害致死罪を適用した。その上で「本事件は欲望・感情のまま傷害・強盗を犯した未成熟な少年により形成された集団が短絡的・場当たり的に起こした事件ではあるが、わずか11日間に4人を殺害した例を見ない凶悪事件だ」と指摘した一方、「3被告人の役割に軽重はない」とする検察官の主張を退け「被告人KMが中心的な立場で集団の推進力になり、犯行を主導した」と認定した。そして量刑理由において、被告人KMを「4人殺害全ての実行行為者で反社会性は顕著。KMがいなければ事件は起きなかった。事件当時は少年で、(現在は)反省の兆しが表れるようになったことなど情状を最大限に考慮しても極刑はやむを得ない」と断罪した一方、KA・HM両被告人については「被告人KMとの共謀共同正犯であるが、KMに追従的な立場。暴行・矯正可能性などの程度はKMと異なる」として死刑選択を回避し、無期懲役刑を選択した。 『中日新聞』はこの判決を「少年法の理念を尊重しながらも罪の重大性に対し、毅然とした態度を示した判決」と評したほか、板倉宏・日本大学教授(刑法)は「犯行時の役割、矯正可能性など様々な事情について厳密に判断した妥当な結論。特に実質的な主犯格のKMは死刑もやむを得ない。少年の凶悪事件には厳しい目が向けられており、今後同様の少年犯罪における量刑を考慮する上で重要な先例になるだろう」と評した。一方で沢登俊雄・國學院大學名誉教授(刑事法学)は「本事件のような集団心理下における犯行は共謀・殺意の有無など認定が難しい面がある。主犯格とされたKMも『永山基準』に照らして死刑が妥当か否か、法理論的に若干疑問がある」と、3人の犯罪心理鑑定を行った加藤幸雄・日本福祉大学副学長(非行臨床心理学)も「矯正可能性をKMには認めなかった一方、KA・HMには認めた点などで論拠が弱い。なぜ『殺人の必然性がない事件でここまで至ったか』を、少年の発達・集団性の問題・動機面などについてより丁寧に真相解明する必要があった」とそれぞれ評した。 また検察官の求刑・被害者遺族の希望とは異なり「3被告人全員死刑」ではなかったため、被害者遺族からは判決後に「なんだ、これは」「凶悪犯罪の歯止めになるような判決が欲しかった」「墓前にどう報告すればいいのか」などと不満・憤りの声が口にされた。一方、死刑判決を受けた被告人KMの支援者(キリスト教信者)は傍聴席で泣き崩れ、閉廷後に「死刑ではなく、生きて悔い改め続けることが本当の償いだ」と発言した。土本武司・帝京大学教授(元最高検察庁検事)は判決後、『週刊新潮』記者の取材に対し「裁判官は『被告人3人は少年』という点に引きずられ、全員を死刑にすることを躊躇した。3人の中で最年長だったKMだけが死刑に処されたのはそのためだろう」と指摘した。
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