判決内容の論点
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「大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟」の記事における「判決内容の論点」の解説
第1陣地裁判決ならびに第2陣地裁判決も、石綿疾患の一つである石綿肺の医学的・疫学的知見が1959年にはほぼ集積されたとし、1960年のじん肺法制定時に、石綿工場において粉じんへのばく露を防止・低減するための局所排気装置の設置を義務付けなかったのは違法とした。1955年に「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」の制定を受け、1955年9月から1957年3月にかけて、対象事業所数1万2981事業所、対象労働者数33万9450人(うち炭鉱労働者数14万4247人)に及ぶ国内外を通じて最大規模のけい肺健康診断が実施された。昭和34年にはその結果として、有所見者数が約3万8738人にのぼった。 また、1954年以降の泉南地域の石綿工場を対象とした検診が医学者によってなされるなどの経過を踏まえ、労働省の委託研究によって1956年から1959年にかけて石綿肺等のじん肺に関する調査(「石綿肺の診断基準に関する研究」)がなされた。1956年及び57年の研究において北海道、東京、大阪、奈良において石綿疾患についての検診を実施し、戦前の保険院の調査と同様に石綿の粉じんにばく露した量によって疾病に罹患する確率が高まることが確認された。これにより、先述した戦前の保険院による調査で得られた疫学的な知見が全国的に普遍性のあるものとなった。 これらの経過の中で労働省は1958年に「労働環境における職業病予防に関する技術指針」を発出して、石綿等を扱う作業時における粉じん濃度を抑制することをねらった。そして、1960年にはじん肺法が成立する運びとなった。第1陣及び第2陣地裁の判決はこれらの経過から、1959年までには医学的かつ疫学的な知見が集積した。あわせて石綿疾患の重篤性を考慮すると、労働者の健康や生命を守るために1960年のじん肺法の成立までに局所排気装置の設置を基本とした石綿粉じんの抑制を使用者に義務付けず、1971年施行の旧特定化学物質等障害予防規則(以下、旧特化則)で定めるまで義務付けをしなかったのは違法であるとした。 さらに第1陣地裁判決においては、旧特化則は作業場内における半年に1回の定期的な石綿粉じんの測定と記録の保存を義務付けるものであったが、測定結果の報告を義務付けなかったことは労働安全行政への活用と現場の実効性を担保する意味において不十分であるとして違法とした。すなわち、1960年からの違法は1971年に終了するわけだが、その時点から新たな違法が発生したとの判断であった。なお、ここで指摘された1971年以降の違法については石綿の利用が終わるまで義務付けられなかったので、違法の終期がないものと解釈できる。 第2陣大阪高裁判決では、「石綿肺の診断基準に関する研究」の報告がなされた1958年3月31日頃には石綿肺に関する医学的知見が確立されたとした。さらに、対策の要とも言える局所排気装置の技術的基盤も1957年には確立していたとして、「労働環境における職業病予防に関する技術指針」の発出までに局所排気装置の設置を義務付けることは可能であったとした。したがって、国の違法は1958年から発生していたとした。また、1974年3月31日に日本産業衛生協会(現・日本産業衛生学会)が従来の許容濃度 を大幅に見直す形で勧告値を出したことに照らして、遅くとも1974年9月30日までに同勧告値に見合った改正をすべきであったが、それが1988年9月1日までなされなかったことは違法であるとした。さらに、1972年9月30日に制定された「鉛中毒予防規則及び有機溶剤中毒予防規則」において当該業務に従事する労働者にはマスクなどの呼吸用保護具の使用を義務付けているにも関わらず、石綿粉じん作業には同様の義務付けをおこなわず、1995年4月1日まで義務付けなかったのは違法とした。加えて、その補助手段として1972年の時点で特化則を改正して、使用者に石綿関連疾患に対応した特別安全教育の実施を義務付けるべきでありながら1995年4月1日まで義務付けなかったのは違法とした。
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