来歴/活動履歴とは? わかりやすく解説

来歴/活動履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:36 UTC 版)

ルナ・H・ミタニ」の記事における「来歴/活動履歴」の解説

1963年 - 12月22日日本北海道釧路市生まれる。幼少の頃より絵を描くのが大好きな子供であった1979年 - 1980年17歳になる頃、自らを取り巻く環境変化出来事自分生き方改め見つめ直すことになる。そして、自らの考え後悔しない生き方模索探求した。このことがすでに工学/理系進学決めていたルナ進路その後生き方を180度変えることとなった。そしてそれまで趣味であった絵画、絵を描いて行く事こそが、本当に自分求めるもの、すべき事という答え行き着きそれを天職定め歩み始める。 1981年 - 日本北海道紋別市道都大学美術学部デザイン学科入学在学中オレゴン州立大学OSU)に短期留学をする。その後一時帰国するが直ぐに渡欧一時休学と言う形を取り大学を去るが、その後戻る事はなかった。 1982年1984年 - 渡欧。自ら真のルネサンス目指しイタリアに渡る。その後、オランダ・アムステルダムに2年定住この間、ヌーマーク・オブ・ファイン・アートにてファイン・アート学びながら、ヨーロッパ33か国の歴訪各国の広い分野様々な人々交流を持つ、ユニークな人間模様知り見解広める。そして修行の為あらゆる手法画法試みた。そして、頻繁に美術館足を運びあらゆる物から得るべきモノ吸収するための日々を送る。ルナ・H・ミタニ基盤はここにあるとされるまた、渡米後も現在に至る恒例行事として世界中回りスケッチ旅行続けている)。 1984年 - コマーシャル・アートを学ぶため渡米同年12月17日Hollywood Boulevardハリウッド大通り)/(現在のHollywood Bl. + Highland Ave./ドルビー・シアターの場所)で自らの存在確認アピールのため、「めざめ」(Awakening)と題してパフォーマンス・アートダンス)を展開。さらに同年、6912 Hollywood Boulevardハリウッド中心チャイニーズ・シアター目の前に位置するビルであり、現在ABC-ch7の人気番組ジミー・キンメル・ライブ!』が毎晩放映されている事で知られるビルでもある)に " Luna Studio " をオープンした1985年 - 渡米初の契約個展ハリウッド中心にあるRebel Gallery開催また、この頃にはすでに奇抜な風貌独特なファッション男性ありながら"妖艶"という言葉似合容姿、髪は腰迄伸びる長髪また、意表を突くアプローチ発言アート活動をする異色画家として知られるうになる1986年 - この年皮切りにハリウッド、ウエストロサンゼルス(West Los Angeles)、ダウンタウンメルローズMelrose Ave., Holywood)、サンタモニカベニスビーチビバリーヒルズスタジオシティStudio CityLos Angeles)、ウエスト・ウッドWestwoodLos Angeles)と、ロサンゼルス各地個展開いた。なお、この頃からミュージックエンターテイメント業界において活動が始まる。同年、モナ・ラビンズ・マスクコンテストにて最優秀賞受賞する1987年 - ジョージ・ベンソンザ・プラターズジョン・コルトレーンディジー・ガレスピー, サド・ジョーンズザ・ヤードバーズアメリカ代表するジャズミュージシャンのCDジャケット数多く制作し話題となる、(ITI Records/Allegiance Recordsリリース)、同年The World's Greatest Jazz Masters』のジャケット制作にはベニー・グッドマン描いている、(Design Records リリース)。また、同年秋、ロサンゼルス月刊雑誌『The Lady』(ザ・レディ: 出版社パイオニアプロモーションイエスト)の表紙を飾る。同年ウエストハリウッドClub: a whiskeyRoxy の前)に " Studio Hot Lips " をオープンした1988年 - ハリウッド・アート・センター (Hollywood Art Center) を卒業また、同年Japan America Artist Society にて最優秀賞受賞。ノーマン・ロイの「midnight moodsCD制作リチャード・ホールの「7th StreetCD制作、ベェネツアの「Memories of EuropeCD制作スティーブ&ジェフ・ハモンドの「Dry MartiniCD制作、T.C.R.A.の「Always」(Cool Jazz Recordsリリースミュージック・テープ/CDジャケット制作スイングの「JAZZ COLLECTION-1」CD制作、ハンク・ロックマンの「Hiding in my heart」(Design Recordsリリース)のミュージック・テープ/CDジャケット制作1989年 - シンガポール航空19891990年度アジア経由航路カタログ/パンフレット画、全て手掛けるまた、映画カラーパープル』のウイラードE・ピューLPレコード「I depend on you」をリリースしプロジェクト関連すべて (CDTapePoster) の制作手掛ける同年CDThe Greatest Trumpeters / Vantage Jazz Collection Vol.3』 のジャケット制作にはバック・クレイトン描いている(Cool Jazz Recordsリリース)。また、マイケル・ジャクソン影武者異名を持つデイズィー・マイメスのCDTape12" record制作トパーズCDTape12" single制作手掛けるまた、エコ[要曖昧さ回避]の先駆けであるソーラーエネルギーUtility Network, Inc.ロゴ制作するU.S. Navy/Port Hueneme, GreenRoof Los Angelesでも使用されている)。 1989年1991年 - さらに、この年アメリカ初の日本語英語バイリンガル不動産雑誌UTB Ch18-2 (以前はKDOC-CH-18) / Pioneer Promotion West 出版の基、限定36巻とし3年間に渡り出版されることが決定、その全巻表紙制作。この時代アメリカでは不動産ブーム多く日本人バイヤー増加を辿る中の日本語英語バイリンガル不動産雑誌の出版時世応じたアイテムとし話題となり、更に表紙写真ではなくということでも注目集めた1990年 - チェット・ベイカーの「Albert's Houseミュージック・テープ/CD制作、コール・ジョンソンの「Rainbow Visionsミュージック・テープ/CD制作ジャック・リーの「What now」のミュージック・テープ/CDジャケット制作Par Recordsリリース)、同年CDThe World's Greatest Jazz Masters / Vol.2』 のCDジャケット制作にはルイ・アームストロング描いている、(Design Records リリース)。また、アフリカレーベル/Emimi Records からブーミィ・アデェシナの12" レコードミュージック・テープCDリリースされることとなったプロジェクトアメリカで制作となり、そのすべての制作手掛けるアメリカでこの頃アメリカでCD公に紹介されたのは1983年)からレコードからCD本格的に移り変わって行き12" レコードリリース激減時代(しかし、アフリカではまだレコードミュージック・テープ主流)。また、ハリウッド象徴一つであるルーズベルト・ホテルの隣にクラブ・センクチュアリー(Sanctuary)がオープンしたゲストにはTrip Triger、MX Machine、D.J.には Mike Stewart迎え大掛かりなイベントであったこの際クラブロゴ始め全ての商品デザイン含め内装デザインや壁の絵、宣伝関連全て手掛けた同年Rock Review Weeklyにて2週にわたり紹介された。 1991年 - ダン・モリテ(Par Recordsリリースミュージック・テープ/CDジャケット制作、ハイランド・プロジェクト(Spindletop Recordsリリース)のCDジャケット制作また、ウイリー・マローンの12" レコード制作、ロビンソン・ファミリーの12" レコード制作Kon Kord Recordsリリース)、レオの「Ex loverミュージック・テープ/CDジャケット制作、ロバート・フアンカーの「I'm falling」(Emimi Recordsリリースミュージック・テープ/CDジャケット制作また、日本においてはゴルフダイジェスト社の 『ゴルフダイジェスト秋・冬増刊号出版され、その表紙手掛けた通常ゴルフ雑誌表紙といえばゴルファー写真/絵が多い中、描いた作品ゴルフクラブセット女性の足、トランク積んだ車というイメージ意表を突く一冊で話題となったまた、シュガー出版/造形社から今、ホットアーティスト作品紹介した画集show」が出版、数点の作品掲載されている。 1992年 - Spritzer 主催アルバカーキーのバルーン・フェステバルのポスターPOP 制作Par Recordsよりリリースされた、クルセイダーズウェイン・ヘンダーソンポスター&ミュージック・テープ/CDジャケット制作、プランキーの「One world one music」(J.P.B. Recordsリリースミュージック・テープ/CDジャケット制作、ジョーカー・キャスティの「Break downミュージック・テープ/CDジャケット制作、ザ・リップスの「Shot me」(Mharton Recordsリリース)のCD制作また、ハリウッド大手エンターテーメント会社/ニューマン・ウォルカーアソシェイトの依頼ライチャス・ブラザーズ/The Righteous Brothers広告画を制作また、映画制作会社Filmor International, Inc.から10号サイズ515サイズ1枚の画依頼を受け制作する、これはハリウッドから日本にて時の人”への贈呈目的であり、そのリストには浪越徳治郎北野武アニマル・レスリーがある。15号の画は翌年皇太子結婚祝い贈呈の為制作された。同年末、" Studio Hot Lips " を Studio CityLaurel Cyn. + the South of Ventura)に移転する同年代々木アニメーション学院の特別最高顧問抜擢就任就任時、学院主催/数人映画監督プロデューサー協賛ルナH.ミタニ・アート展が開催された(また、その後同学院が音楽科設けるがその際人材確保のため、人脈アドバイス一躍支う)。 1993年 - IT大手Cal Abco、および姉妹会社 Reval、Legend新製品すべてのパッケージ制作CDジャケット制作として、オスカー・スノーの「Just the way you are」(Sanctum Recordsリリース)のCD制作また、同年異名 "100万人の声" を持つ男のルー・デービス/I'm in love with the girl next doorCDジャケット制作年末にはcoby-Publisherにて、ペン画ポストカード50点)が出版販売開始から一か月で略完売した1994年 - コンコードレコードVolume-1CD製作や第二弾、ルー・デービス/Hard to live without youCDジャケット制作シンクタンクの「Nice breeze after 7」(Speciality Recordsリリース)のCD制作また、ジャズ・ギターリスト/リチャード・スミスのカリフォルニア・カタリナ島ジャズ・コンサートポスターをはじめ、すべての商品原画制作日本においては銀座原宿個展開催同時に初となるリミッテド・エデッション/版画リリースされた。また、この個展それまで作品原画の7割が絵画趣味とする政治家実業家絵画コレクターの手渡ったとされるまた、多くのマスメデァを始め日刊ゲンダイ日刊スポーツ毎日新聞等でも取り上げられアメリカでの活躍紹介したTVでは『王様のブランチ』TBS)で紹介された。また、この年アルファレコードより本格派と言われるミュージシャンCD企画立ち上げられ佐藤博ベスト吉田美奈子ベストリリースされ、このCDジャケット制作手掛ける同年東芝EMIからプリンス のジャズ・バージョンの第2弾としてグラミー賞受賞のボブ・ベルデンスのプリンス・プロジェクトが立ち上げられリリースとなった、このCDジャケット制作手掛ける1995年 - アメリカ・アパレル大手Gramicci(グラミチィ:サンタナ愛用していることで知られる)のカタログ画, 数百点すべてを手掛ける同年アメリカ三大電話会社一つスプリント・ネクステル主催による、各国文化交流目的とし「アメリカン・ドリーム/夢を掴んだ人達」と題して特別講演会が行われ、その講演者一人また、第3弾となるルー・デービス/You are my honey pooCDジャケット制作。サウスサイド・プレイヤーズのCDジャケット制作また、日本においてはこの頃から日本のテレビ番組TBS)にも度々作品効果的に使用されるうになる1996年 - JMG の「The Story Teller」(Zoom/springhill Recordsリリース)のミュージック[要曖昧さ回避]・テープ/CDジャケット制作また、1990年代入りインドのコンピューター・ハード会社アメリカ進出が目立つ中、著しく成長遂げたのがQPS(カナラ・テクノジー)、このQPSの初めての新製品/CD-Drive のパッケージ画も制作している。また、DVD制作/デザイン・アドバイザーとして、Wanner Bros(ワーナー・ブラザースリリースのDVD/アーノルド・シュワルツエッガー主演Eraserイレイザー制作雑誌 " Voga " で人物紹介作品掲載される同年末、元WBA世界ヘビー級チャンピオンマイク・タイソンが復活託しRevenge復讐)と謳いテーマソング制作収録はラスティー・ジャクソンのCD「Those Daisy Dukes」(Kon Kord Recordsリリース)このプロジェクト手掛ける日本においては3回目となる日本での個展を再び銀座にて開催。(TBS)の東芝日曜劇場新春スペシャル番組"わからない"の中でストーリー一部としてメインカットを飾った此の時の作品1994年リチャード・スミスプロジェクト描いたwhite guitar使用された。 1997年 - 4回目となる日本での個展北海道札幌パークホテルにて開催同時に札幌人気アミューズメントLA Racing Pole Position壁画70メートル制作Refロゴポスター数点含む)を手掛け多くメディア取材訪れたその後街頭ポスター次々盗まれると言う事件起き更に話題となった関係者人気バロメーター喜んだと言うエピソードもある。同年、元WBA世界ライトフライ級チャンピオン(元プロボクサー渡嘉敷勝男が、渡嘉敷ジム/Tokashiki Gym開設ジムロゴ製作を手掛る。また、日新製鉄印刷可能と言う新素材発表するが、この際モデルアートとして使用されるその後モデルアートサンプル作品日新製鉄/ギャラリー展示されている。さらにNHK連続テレビ番組でも効果的に作品使用される。ビショップ・ラリー・ハドソン、Valerie、グレッグ・ベーコンのCDジャケット制作スティングリミテッド・エディション制作1998年 - TDC interactive publishing教材出版社大手)が " A Survey of Western " (多数Award受賞)と題して学習教材DVDシリーズリリースDon Quixoteドンキホーテ) のジャケット制作パンフレット制作手掛ける。KDOC-18/UTB (TV) 制作アメリカ / ロスアンゼルス成功収め、最も影響力のある人物ドキュメンタリー紹介するテレビ番組『ヒューマン・ギャラリー』にて紹介される同年雑誌 " Lighthouse " でも紹介されるまた、雑誌 " Voga " にて「最も影響力のある人物たちベスト20」として再び取材を受ける。また、同年アメリカ人気アウトロー雑誌 "ミッドナイト・グラフィティ"(Midnight Graffiti) の表紙手掛けるまた、" Studio Hot Lips " を Sherman Oaks移転する1999年 - 前アメリカ大統領ビル・クリントンからアメリカの音楽への功績称えられ感謝状送られた(クリントン大統領は自らもサキソフォン趣味と言うほど音楽、特にジャズ愛しその理解があることで知られる人物)。それまで音楽業界へ功績誉れ受けた出来事である。2月9日特別な理由もなく突然トレードマークとされていた長髪を切り関係者始め周り驚かせる(髪の長さは4フィート=約120cmあった)。 2000年 - アメリカでの初となるリミッテド・エデッション/版画リリースされ(C.T.C. Publisher)、リリース2週間完売する美術雑誌 "Art Business News"、"Art World News"、"Decor"、"Art Trend"で紹介されるコマーシャル・アートの域のみならず美術界にも浸透また、音楽雑誌 "BRE" や England / 英国音楽雑誌 "in the basement" や "Voices"、フィンランド音楽雑誌 "Soul Express" でもCD制作通して画家/クリエーティブ・ディレクターとして紹介されるセレナーデCDジャケット制作日本においてはブルース・リー関連書籍格闘ボディ作り方』が福昌堂出版社)から出版され、その表紙制作手掛けた2001年 - クィーン・イザベラ(Kon Kord Recordsリリース)のCDジャケット制作日本においては日本衛星放送株式会社WOWOWSound EZ で、2か月間に渡り数十点の絵が放映された。 2002年 - Finis Tasby / フィニス・タスビー(ジョン・リー・フッカー John Lee Hooker愛弟子で有名/Kon Kord Records)がA Tributo to J. L. Hooker題してCDリリースコーラスに J. F. Hooker愛娘 / Zakiya Hooker 参加プロジェクトジャケットJohn Lee Hookerフェイス掲載された。このCDジャケット制作手掛ける2003年〜2004年 - ボビー・ウォーレンの CD制作Make me yours」(Kon Kord Recordsリリース)、そして再び100万人の声/ルー・デイヴィスの第4弾Heaven has sent me your love」(Kon Kord RecordsリリースCD制作スウェーデン出身女性R&Bシンガー/パティ・ステアリング の「Bettin' on you」のCDジャケット制作、スピリアル・バンド「without my man」のCDジャケット製作、M. スパイヴィの CD & DVDジャケット制作2004年 - スマトラ沖地震インド洋大地震の際、某NGO団体通し版画3種/150点を寄付また、日本においては福昌堂出版社)がコミュニケーション癒やし主旨とした新雑誌 " FEALY " を創刊表紙制作表紙仕上げ手塚治「火の鳥」とのコラボレーション話題となった[要出典]。また、記事としても特集として全13ページのカラーグラビアで紹介された。これを切っ掛けアート以外の一面多くエピソードなど紹介されている。また、他の一面として鰐皮製品アンティークコレクターである事も大きく取り上げられ鰐皮製品好き/アンティークコレクターとしても知られるうになる2005年 - 「ハリケーン・カトリーナ捧げる」と題してラブ & ハピネス」をチャック・ストロングがティームレコードからリリース、このプロジェクト手掛けたまた、NGO団体通しエデッション(ペン画)5種/250点を寄付。その他ブルースのボビー・ウォーレンがコンコードレコードからの第2弾「I Slipped up」の制作。そして、この年日本のインスパイヤーエンターティメントと契約同年12月、元南こうせつプロデューサー協力、元ジャズフェスティバル・マウント富士プロデューサーB'z の元プロデューサー主催の基、日本において5回目となる個展渋谷T's にて「Grace Passage Tour 第一章」と題して開催今まで異なるのは版画中心とした展示会40点以上の版画展示した。この個展/展示会インターネットにて宣伝をした事もあり、全国から来客があった事も今までとは一味違う展示会であった同年末、2005年週刊朝日最終号のカラーグラビアで彼の記事掲載され多く反響得た同年末には、Michael Browncan u feel me(Kon Kord Records)のCDカバー制作2006年 - 再びボビー・ウォーレン第三弾Pioneers & Legends」の制作参加、この作品CDカバーにはタイトル相応しくアレサ・フランクリンレイ・チャールズ、[ザ・クラフターズ]、[ザ・インプレッションズ]とアメリカ音楽界人間国宝が共にジャケット飾っている。また、日本からは北海道札幌雑誌 " Wing Sapporo " で異例2号渡りカラーグラビアで紹介される。そして秋に入りブルースのレジンド/ザ・カーターブラザーズのCDSinging the blues」を制作また、現在経済成長著し中国、その中国大連にて、日本人著名な世界名画絵画コレクターが大展示会開催、その展示され画家一人2007年 - ブルースのレジンド/カグラー・ホラルド「Shadows are blue」、ゴスペルのレジンド/パターソン・ツインズ「Take me higher」のCDジャケット制作また、この年アメリカ人でも限られた数の人のみが経験するJury Duty陪審員12人に選ばれ責務を果たすという経験をし、改めアメリカ移民の国であり非常にプラクティカル人間が多いことを実感したという。同時に自らの発言の影響力、自分が非常に柔軟性ある思考持ち主であること、から真のアーティストであることを再確認したという。この経験が、その後の作品影響することになる。同年日本において雑誌 " Insight "(インサイト) で「感性を磨くとは?」と題して特別インタビュー記事掲載紹介されるまた、この頃から画家本人関係者認識しないエデッションのコピーカレンダー市場出回るうになる2008年 - ペンシルベニア州人気R&Bシンガー/ラスティー・ジャクソンのCD/「It must be love」(Kon Kord Recordsリリース)、ミシシッピーのゴスペル・バンド/クリスタル・クレー・アンド・ザ・スターズ・オブ・フェィスの「Come see about me」(Kon Kord Recordsリリース)、等のアルバム制作プロジェクト手掛けるロスアンゼルスエンシノとターザナにて個展開催2009年 - R&B/ブルースシンガー/ロバート・ヤングブラッドのCD/「Change gonna come」をリリース、このCDジャケット制作。またこの中には大統領バラック・オバマ捧げる「A CHANGE IS GONNA COME」も収録されている(Kon Kord Recordsリリース)。ロスアンゼルスのシャーマンオークスにて個展開催2010年 - 「Neosurreal Artists」がLLC Publising より出版され紹介されるまた、コンコードレコード会社FMステーション/チャンネルにて放送開始、この番組制作に当り全てのクリエイティブ・ディレクション/アート手掛ける同年秋に個展シャガールルナ」をSherman Oaks にて開催2011年 -「Japanese American Artists」がLLC Publising より出版され紹介されるまた、ザ・パターソン・ツインのEstus Pattersonの初ソロ・アルバム「The lord's been good to me」をリリースその後BMA MUSIC AWARDSにて1st place award受賞する直後アルバム「The lord's been good to mePart IIリリース、この両CDジャケット手掛けるまた、ラステー・ジャクソンの「Baby Can I Get Some?」のCDジャケットKon Kord Recordsリリースとしては第3弾となる)も手掛けるまた、Japanese American Artists」がLLC Publising より出版される。さらに書籍Luna H. Mitani」がAlphascript Publising より出版される2012年 - 年明けブロ・エスタス・パターソンのCD/「Jesus love you more than a 1000 ways」をリリースまた、同年秋には再び、ブロ・エスタス・パターソンのCD「Lying on me」がリリースされジャケット手掛ける2013年 - R&B/ブルース本格派女性シンガー/ジョンニッタのCD/「Do you believe」がリリースされ、このCDジャケット制作手掛ける往年のR&Bシンガー、サミー・ヴィイのCDCome and get your love」がリリースされ、そのジャケット手掛けるまた、この年12月22日50歳のバースデー迎えるに当たり、アメリカ3大テレビ局のABCーTVToday's Birthdayにて、それを祝うニュース放送された。

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