展示絵画
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以下の一覧は順に原画の題名と作者、所有者、サイズである。 睡蓮・朝 - モネ フランス-パリ - オランジュリー美術館 - 200cm x 1275cm(ほぼ原寸) 鳥獣人物戯画 - 伝・鳥羽僧正 京都高山寺 - 甲巻60cm x 2262cm、乙巻60cm x 2400cm(縦横原寸の2倍) 最後の審判 - ミケランジェロ バチカン - システィナ礼拝堂 - 1430cm x 1309cm(ほぼ原寸)。1990年当時の状態を再現。 最後の晩餐 - レオナルド・ダ・ヴィンチ イタリア - ミラノ - サンタ・マリア・デル・グラツィエ修道院 - 432cm x 886cm(ほぼ原寸) 清明上河図 - 清院本 台湾 - 台北国立故宮博物院 - 35cm x 1200cm(ほぼ原寸) ラ・グランド・ジャット島の日曜日 - スーラ アメリカ - シカゴ美術館 - 205cm x 305cm (ほぼ原寸大) テラスにて - ルノアール アメリカ - シカゴ美術館 - 100cm x 81cm(縦横原寸の2倍) 糸杉と星の道 - ゴッホ オランダ - クレラー・ミュラー美術館 - 92cm x 73cm(縦横原寸の約2倍)
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展示絵画
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当代一流の画家らが、史実に基づく明治天皇と皇后(昭憲皇太后)の遺徳を描いた絵画を年代順に展示。縦約2.7m×横約2.1~2.5mの日本画 (40点)・洋画 (40点)、併せて80点が常設展示されている。日本史の教科書にも載っているおなじみの絵画が何点もある。整理番号が振ってあり、1番から40番が日本画、41番から80番までが洋画である。 絵画は、次の表に示すように、当時の華族のほか、国の機関、地方公共団体、民間企業などから奉納された作品である。奉納者は画題と縁故のあるものが多く、例を挙げれば、5番《大政奉還》の奉納者は大政奉還をした江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の孫であり、横浜市が奉納した21番《岩倉大使欧米派遣》には、横浜港で乗船する岩倉使節団が描かれている。 支持体には日本画も含めて特製キャンバスが推奨されたが、実際にはキャンバスか和紙の選択制だった。そのため、高橋秋華《御降誕》、山本森之助《中国西国巡幸長崎御入港》、小山栄達《習志野之原演習行幸》、近藤樵仙《皇后宮田植御覧》、近藤樵仙《西南役熊本籠城》の5点は、日本画でありながらキャンバスに描かれている。一方、寺崎武男《軍人勅諭下賜》、和田三造《大葬》の2点は、洋画にも関わらず和紙を用いている。壁画に使われているそれまでにない巨大な和紙は、この障壁画のために特別に作られ「神宮紙」と呼ばれる。これは、同時期の早稲田大学図書館壁画《明暗》のために作られた更に巨大な「岡大紙」と共に、戦後の日本画で主流となる雲肌麻紙の直接の源流となった。 明治天皇を題材にした絵画の制作は、近代化以降進められていた国史編纂事業と密接に絡んでおり、画題の選定にあたった絵画館委員会のスタッフは、金子賢太郎議長以下、国史編纂事業にかかわっていたメンバーが多く起用された。そのため、画題の選定にあたっては、 天皇・皇后の個人にまつわる出来事より、明治期の国事にまつわる出来事を重視する。 天皇と特定の元勲・功臣との関係性よりも、より広範な国民との関係性を重視する。 画題の種類(宮中、内政、外交など)、地域に偏りが生じないようにする。 という方針がたてられた。大正7年1月、暫定的な「第一成案」(85題)が成立する。 第一成案成立後、各画題の考証調査が行われた。参考史料の研究が維新史料編纂会の協力の下行われたほか、画題に選ばれた現地の調査も数次にわたって綿密に行われ、通常は立ち入り不可であるところの皇居、御用邸内での取材も許可された。これらの取材をもとに、二世五姓田芳柳が画題考証図(「第二成案」、80題)を制作、大正10年8月に完成した。 その後、各画題の担当画家および奉納者の選定が行われたが、国民美術協会など画家の側から、洋画・日本画の別や、五姓田が考証図で構成等を事実上先に決めていることへの反感、奉納者の画家との人脈が優先されることへの反発などの意見が出され、選定が難航する。これを受け、揮毫者選定を行うための「壁画調成委員会」が設けられ、川合玉堂、横山大観ら画家がメンバーに加わり、担当画家の選定が行われた。担当画家が決まった後も、下絵の段階で構図を巡って担当画家、奉賛会、調成委員会、奉納者らの間で意見の相違が発生し、最終的に五姓田の考証図とことなる構成になる作品もあった。。 これらの経緯により絵画制作は長引き、大正15年(1926年)に外苑奉献、絵画館が落成した時点で、中身の絵画は80点中5点しか完成していなかった。最終的に80点がそろったのは、昭和11年(1936年)のことである。 また、五姓田による画題考証図は、その後修正を加え、更に「伏見桃山陵」が加えられて81点が『明治天皇紀附図』として『明治天皇紀』に加えられた。 日本画 番号画題(日本画)画家奉納者壁画の舞台完成年1 御降誕 高橋秋華 侯爵 中山輔親 嘉永5年9月22日(1852年11月3日)京都・中山邸 昭和5年(1930年) 2 御深曾木 北野恒富 男爵 鴻池善右衛門 万延元年閏3月16日(1860年5月6日)京都・京都御所 昭和9年(1934年) 3 立親王宣下 橋本永邦 三菱合資会社 万延元年9月28日(1860年11月10日)京都・京都御所 昭和6年(1931年) 4 践祚 川崎小虎 侯爵 池田宣政 慶応3年1月9日(1867年2月13日)京都・京都御所 昭和5年(1930年) 5 大政奉還 邨田丹陵 公爵 徳川慶光 慶応3年10月13日(1867年11月8日)京都・二条城 昭和10年(1935年) 6 王政復古 島田墨仙 侯爵 松平康荘 慶応3年12月9日(1868年1月3日)京都・京都御所 昭和6年(1931年) 7 伏見鳥羽戦 松林桂月 公爵 毛利元昭 明治元年(慶応4年)1月5日(1868年1月29日)京都・淀小橋際千両松 昭和8年(1933年) 8 御元服 伊東紅雲 公爵 近衛文麿 明治元年(慶応4年)1月15日(1868年2月8日)京都・京都御所 昭和3年(1928年) 9 二条城太政宮代行幸 小堀鞆音 男爵 三井八郎右衛門 明治元年(慶応4年)2月3日(1868年2月25日)京都・二条城 昭和8年(1933年) 10 大総督熾仁親王京都進発 高取稚成 侯爵 蜂須賀正韶 明治元年(慶応4年)2月15日(1868年3月8日)京都・京都御所 昭和6年(1931年) 11 各国公使召見 広島晃甫 侯爵 伊達宗彰 明治元年(慶応4年)2月30日(1868年3月23日)京都・京都御所 昭和5年(1930年) 12 五箇條御誓文 乾南陽 侯爵 山内豊景 明治元年(慶応4年)3月14日(1868年4月6日)京都・京都御所 昭和3年(1928年) 13 江戸開城談判 結城素明 侯爵 西郷吉之助・伯爵 勝精 明治元年(慶応4年)3月14日(1868年4月6日)江戸・薩摩藩蔵屋敷 昭和10年(1935年) 14 大阪行幸諸藩軍艦御覧 岡田三郎助 侯爵 鍋島直映 明治元年(慶応4年)3月26日(1868年4月16日)大阪・大阪湾 昭和11年(1936年) 15 即位礼 猪飼嘯谷 京都市 明治元年(慶応4年)8月27日(1868年10月12日)京都・京都御所 昭和9年(1934年) 16 農民収穫御覧 森村宜稲 侯爵 徳川義親 明治元年9月27日(1868年11月11日)尾張・熱田八丁畷 昭和5年(1930年) 17 東京御着輦 小堀鞆音 東京市 明治元年10月13日(1868年11月26日)東京・東京城 昭和9年(1934年) 18 皇后冊立 菅楯彦 大阪市 明治元年12月28日(1869年2月9日)京都・京都御所 昭和10年(1935年) 19 神宮親謁 松岡映丘 侯爵 池田仲博 明治2年3月12日(1868年4月23日)伊勢・皇大神宮 昭和11年(1936年) 20 廃藩置県 小堀鞆音 伯爵 酒井忠正 明治4年7月14日(1871年8月29日)東京・皇居 昭和6年(1931年) 21 岩倉大使欧米派遣 山口蓬春 横浜市 明治4年11月12日(1871年12月23日)神奈川・横浜港 昭和9年(1934年) 22 大嘗祭 前田青邨 伯爵 亀井茲常 明治4年11月17日(1871年12月28日)東京・皇居 昭和8年(1933年) 23 中国西国巡幸長崎御入港 山本森之助 長崎市 明治5年6月14日(1872年7月19日)長崎・長崎港 昭和3年(1928年) 24 中国西国巡幸鹿児島着御 山内多門 鹿児島市 明治5年6月22日(1872年7月27日)鹿児島・島津氏旧邸 昭和5年(1930年) 25 京浜鉄道開業式行幸 小村大雲 鉄道省 明治5年9月12日(1872年10月14日)東京・新橋駅 昭和3年(1928年) 26 琉球藩設置 山田真山 首里市 明治6年(1873年)沖縄・那覇港 昭和10年(1935年) 27 習志野之原演習行幸 小山栄達 侯爵 西郷従徳 明治6年(1873年)千葉・習志野原 昭和4年(1929年) 28 富岡製糸場行啓 荒井寛方 大日本蚕糸会 明治6年(1873年)群馬・富岡 昭和8年(1933年) 29 御練兵 町田曲江 十五銀行 明治7年(1874年)東京・赤坂仮皇居 昭和3年(1928年) 30 侍講進講 堂本印象 台湾銀行 明治7年(1874年)東京・赤坂仮皇居 昭和9年(1934年) 31 徳川邸行幸 木村武山 侯爵 徳川圀順 明治8年(1875年)東京・徳川昭武邸 昭和5年(1930年) 32 皇后宮田植御覧 近藤樵仙 公爵 一条実孝 明治8年(1875年)東京・赤坂仮皇居 昭和2年(1927年) 33 地方官会議臨御 磯田長秋 侯爵 木戸幸一 明治8年(1875年)東京・東本願寺書院 昭和3年(1928年) 34 女子師範学校行啓 矢沢弦月 桜蔭会 明治8年(1875年)東京・お茶の水 昭和9年(1934年) 35 奥羽巡幸馬匹御覧 根上富治 日本勧業銀行 明治9年(1876年)岩手・盛岡八幡宮 昭和9年(1934年) 36 畝傍陵親謁 吉田秋光 男爵 住友吉左衛門 明治10年(1877年)奈良・畝傍山東北陵 昭和7年(1932年) 37 西南役熊本籠城 近藤樵仙 侯爵 細川護立 明治10年(1877年)熊本・花岡山 大正15年(1926年) 38 内国勧業博覧会行幸啓 結城素明 侯爵 大久保利和 明治10年(1877年)東京・上野恩賜公園 昭和11年(1936年) 39 能楽御覧 木島桜谷 男爵 藤田平太郎 明治11年(1878年)東京・青山御所 昭和9年(1934年) 40 初雁の御歌 鏑木清方 明治神宮奉賛会 明治11年(1878年)東京・赤坂仮皇居 昭和7年(1932年) 洋画 番号画題(洋画)画家奉納者壁画の舞台完成年41 グラント将軍と御対話 大久保作次郎 子爵 渋沢栄一 明治12年(1879年)東京・浜離宮 昭和5年(1930年) 42 北海道巡幸屯田兵御覧 高村真夫 北海道庁 明治14年(1881年)北海道・山鼻村 昭和3年(1928年) 43 山形秋田巡幸鉱山御覧 五味清吉 男爵 古河虎之助 明治14年(1881年)秋田・院内鉱山 大正15年(1926年) 44 兌換制度御治定 松岡寿 日本銀行 明治14年(1881年)東京・赤坂仮皇居 昭和3年(1928年) 45 軍人勅諭下賜 寺崎武男 公爵 山縣伊三郎 明治15年(1882年)東京・赤坂仮皇居 大正15年(1926年) 46 条約改正会議 上野広一 侯爵 井上勝之助 明治15年(1882年)東京・外務省 昭和6年(1931年) 47 岩倉邸行幸 北蓮蔵 商業会議所連合会 明治16年(1883年)東京・岩倉邸 昭和2年(1927年) 48 華族女学校行啓 跡見泰 常磐会 明治18年(1885年)東京・四谷尾張町 昭和2年(1927年) 49 東京慈恵医院行啓 満谷国四郎 東京慈恵会 明治20年(1887年)東京・東京慈恵医院 昭和2年(1927年) 50 枢密院憲法会議 五姓田芳柳 (2代目) 公爵 伊藤博邦 明治21年(1888年)東京・赤坂仮皇居 大正15年(1926年) 51 憲法発布式 和田英作 公爵 島津忠重 明治22年(1889年)東京・皇居正殿 昭和11年(1936年) 52 憲法発布観兵式行幸啓 片多徳郎 日本興業銀行 明治22年(1889年)東京・桜田門 昭和3年(1928年) 53 歌御会始 山下新太郎 宮内省 明治23年(1890年)東京・皇居 昭和2年(1927年) 54 陸海軍大演習御統監 長原孝太郎 名古屋市 明治23年(1890年)愛知・雁宿山 昭和6年(1931年) 55 教育勅語下賜 安宅安五郎 茗渓会 明治23年(1890年)東京・皇居 昭和2年(1927年) 56 帝国議会開院式臨御 小杉未醒 貴族院・衆議院 明治23年(1890年)東京・貴族院 昭和3年(1928年) 57 大婚二十五年祝典 長谷川昇 華族会館 明治27年(1894年)東京・皇居 昭和2年(1927年) 58 日清役平壌戦 金山平三 神戸市 明治27年(1894年)平壌 昭和8年(1933年) 59 日清役黄海海戦 太田喜二郎 大阪商船株式会社 明治27年(1894年)黄海 昭和2年(1927年) 60 広島大本営軍務親裁 南薫造 侯爵 浅野長勲 明治27-28年(1894-95年)広島・第5師団司令部 昭和3年(1928年) 61 広島予備病院行啓 石井柏亭 日本医学会・日本医師会 明治28年(1895年)広島・陸軍予備病院 昭和4年(1929年) 62 下関講和談判 永地秀太 下関市 明治28年(1895年)下関・春帆楼 昭和4年(1929年) 63 台湾鎮定 石川寅治 台湾総督府 明治28年(1895年)台北城 昭和3年(1928年) 64 靖国神社行幸 清水良雄 第一銀行 明治28年(1895年)東京・靖国神社 昭和4年(1929年) 65 振天府 川村清雄 公爵 徳川家達 明治30年(1897年)東京・皇居 昭和6年(1931年) 66 日英同盟 山本鼎 朝鮮銀行 明治35年(1902年)東京・貴族院 昭和7年(1932年) 67 赤十字社総会行啓 湯浅一郎 日本赤十字社 明治35年(1902年)東京・上野恩賜公園 昭和4年(1929年) 68 対露宣戦布告御前会議 吉田苞 公爵 松方巌 明治37年(1904年)東京・皇居 昭和9年(1934年) 69 日露役旅順開城 荒井陸男 関東庁 明治38年(1905年)旅順口水師営 昭和3年(1928年) 70 日露役奉天戦 鹿子木孟郎 南満州鉄道株式会社 明治38年(1905年)奉天城 大正15年(1926年) 71 日露役日本海海戦 中村不折 日本郵船株式会社 明治38年(1905年)日本海 昭和3年(1928年) 72 ポーツマス講和談判 白滝幾之助 横浜正金銀行 明治38年(1905年)アメリカ・ポーツマス海軍工廠 昭和6年(1931年) 73 凱旋観艦式 東城鉦太郎 海軍省 明治38年(1905年)神奈川・横浜沖 昭和4年(1929年) 74 凱旋観兵式 小林万吾 陸軍省 明治39年(1906年)東京・青山練兵場 昭和6年(1931年) 75 樺太国境画定 安田稔 日本石油株式会社 明治39-40年(1906-07年)樺太日露国境 昭和7年(1932年) 76 観菊会 中沢弘光 侯爵 徳川頼貞 明治42年(1909年)東京・赤坂御苑 昭和6年(1931年) 77 日韓合邦 辻永 朝鮮各道 明治43年(1910年)京城南大門 昭和2年(1927年) 78 東京帝国大学行幸 藤島武二 侯爵 前田利為 明治45年(1912年)東京・東京帝国大学 昭和11年(1936年) 79 不豫 田辺至 東京府 明治45年(1912年)東京・二重橋外 昭和2年(1927年) 80 大葬 和田三造 明治神宮奉賛会 大正元年(1912年)京都・伏見桃山 昭和8年(1933年) ギャラリー 展示風景 大政奉還 徳川邸行幸 憲法発布観兵式行幸啓 日露役日本海海戦 東京帝国大学行幸
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