展示絵画とは? わかりやすく解説

展示絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/13 05:14 UTC 版)

京都府立陶板名画の庭」の記事における「展示絵画」の解説

以下の一覧は順に原画題名作者所有者サイズである。 睡蓮・朝 - モネ フランス-パリ - オランジュリー美術館 - 200cm x 1275cm(ほぼ原寸鳥獣人物戯画 - 伝・鳥羽僧正 京都高山寺 - 甲巻60cm x 2262cm、乙巻60cm x 2400cm(縦横原寸の2倍) 最後の審判 - ミケランジェロ バチカン - システィナ礼拝堂 - 1430cm x 1309cm(ほぼ原寸)。1990年当時の状態を再現最後の晩餐 - レオナルド・ダ・ヴィンチ イタリア - ミラノ - サンタ・マリア・デル・グラツィエ修道院 - 432cm x 886cm(ほぼ原寸清明上河図 - 清院本 台湾 - 台北国立故宮博物院 - 35cm x 1200cm(ほぼ原寸) ラ・グランド・ジャット島の日曜日 - スーラ アメリカ - シカゴ美術館 - 205cm x 305cm (ほぼ原寸大テラスにて - ルノアール アメリカ - シカゴ美術館 - 100cm x 81cm(縦横原寸の2倍) 糸杉と星の道 - ゴッホ オランダ - クレラー・ミュラー美術館 - 92cm x 73cm(縦横原寸の約2倍)

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展示絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:08 UTC 版)

聖徳記念絵画館」の記事における「展示絵画」の解説

当代一流画家らが、史実に基づく明治天皇皇后昭憲皇太后)の遺徳描いた絵画年代順に展示。縦約2.7m×横約2.1~2.5mの日本画 (40点)・洋画 (40点)、併せて80点が常設展示されている。日本史教科書にも載っているおなじみ絵画が何点もある。整理番号振ってあり、1番から40番日本画41番から80番までが洋画である。 絵画は、次の表に示すように、当時華族のほか、国の機関地方公共団体民間企業などから奉納され作品である。奉納者は画題縁故のあるものが多く、例を挙げれば5番大政奉還》の奉納者は大政奉還をした江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の孫であり、横浜市奉納した21番岩倉大使欧米派遣》には、横浜港乗船する岩倉使節団描かれている。 支持体には日本画含めて特製キャンバス推奨されたが、実際にキャンバス和紙選択制だった。そのため、高橋秋華御降誕》、山本之助《中国西国巡幸長崎御入港》、小山栄達習志野之原演習行幸》、近藤樵仙皇后宮田植御覧》、近藤樵仙西南役熊本籠城》の5点は、日本画ありながらキャンバス描かれている。一方寺崎武男軍人勅諭下賜》、和田三造大葬》の2点は、洋画にも関わらず和紙用いている。壁画使われているそれまでにない巨大な和紙は、この障壁画のために特別に作られ神宮紙」と呼ばれる。これは、同時期の早稲田大学図書館壁画明暗》のために作られた更に巨大な岡大紙」と共に戦後の日本画で主流となる雲肌麻紙直接源流となった明治天皇題材にした絵画の制作は、近代化以降進められていた国史編纂事業と密接に絡んでおり、画題選定あたった絵画館委員会スタッフは、金子賢太郎議長以下、国史編纂事業かかわっていたメンバー多く起用された。そのため、画題選定にあたっては、 天皇・皇后個人まつわる出来事より、明治期国事まつわる出来事重視する天皇特定の元勲功臣との関係性よりも、より広範な国民との関係性重視する画題種類宮中内政外交など)、地域偏り生じないようにする。 という方針たてられた。大正7年1月暫定的な第一成案」(85題)が成立する第一成案成立後、各画題考証調査が行われた。参考史料研究維新史料編纂会協力下行われたほか、画題選ばれ現地調査数次わたって綿密に行われ通常立ち入り不可であるところの皇居御用邸内での取材許可された。これらの取材をもとに、二世五姓田芳柳画題考証図(「第二成案」、80題)を制作大正10年8月完成したその後、各画題担当画家および奉納者の選定が行われたが、国民美術協会など画家側から洋画日本画の別や、五姓田考証図で構成等事実上先に決めていることへの反感奉納者の画家との人脈優先されることへの反発などの意見出され選定難航する。これを受け、揮毫選定を行うための「壁画調成委員会」が設けられ川合玉堂横山大観画家メンバー加わり担当画家選定が行われた。担当画家決まった後も、下絵段階構図巡って担当画家奉賛会、調成委員会奉納者らの間で意見の相違発生し最終的に五姓田考証図とことなる構成になる作品もあった。。 これらの経緯により絵画制作長引き大正15年1926年)に外苑奉献絵画館落成した時点で、中身絵画80点中5点しか完成していなかった。最終的に80点がそろったのは、昭和11年1936年)のことである。 また、五姓田による画題考証図は、その後修正加え、更に「伏見桃山陵」が加えられ81点が『明治天皇紀附図』として『明治天皇紀』に加えられた。 日本画 番号画題日本画画家奉納壁画舞台完成年1 御降誕 高橋秋華 侯爵 中山輔親 嘉永5年9月22日1852年11月3日京都中山昭和5年1930年) 2 御深曾木 北野恒富 男爵 鴻池善右衛門 万延元年3月16日1860年5月6日京都京都御所 昭和9年1934年) 3 立親宣下 橋本永邦 三菱合資会社 万延元年9月28日1860年11月10日京都京都御所 昭和6年1931年) 4 践祚 川崎小虎 侯爵 池田宣政 慶応3年1月9日1867年2月13日京都京都御所 昭和5年1930年) 5 大政奉還 邨田丹陵 公爵 徳川慶光 慶応3年10月13日1867年11月8日京都二条城 昭和10年1935年) 6 王政復古 島田墨仙 侯爵 松平康荘 慶応3年12月9日1868年1月3日京都京都御所 昭和6年1931年) 7 伏見鳥羽松林桂月 公爵 毛利元昭 明治元年(慶応4年)1月5日1868年1月29日京都淀小橋千両 昭和8年1933年) 8 御元服 伊東紅 公爵 近衛文麿 明治元年(慶応4年)1月15日1868年2月8日京都京都御所 昭和3年1928年) 9 二条城太政宮代行幸 小堀鞆音 男爵 三井八郎右衛門 明治元年(慶応4年)2月3日1868年2月25日京都二条城 昭和8年1933年10総督熾仁親王京都進発 高取稚成 侯爵 蜂須賀正韶 明治元年(慶応4年)2月15日1868年3月8日京都京都御所 昭和6年1931年11 各国公使召見 広島晃甫 侯爵 伊達宗彰 明治元年(慶応4年)2月30日1868年3月23日京都京都御所 昭和5年1930年12 五箇御誓文 乾南陽 侯爵 山内豊景 明治元年(慶応4年)3月14日1868年4月6日京都京都御所 昭和3年1928年13 江戸開城談判 結城素明 侯爵 西郷吉之助伯爵 勝精 明治元年(慶応4年)3月14日1868年4月6日江戸薩摩藩蔵屋敷 昭和10年1935年14 大阪行幸諸藩軍艦御覧 岡田三郎助 侯爵 鍋島直映 明治元年(慶応4年)3月26日1868年4月16日大阪大阪湾 昭和11年1936年15 即位礼 猪飼嘯谷 京都市 明治元年(慶応4年)8月27日1868年10月12日京都京都御所 昭和9年1934年16 農民収穫御覧 森村宜稲 侯爵 徳川義親 明治元年9月27日1868年11月11日尾張熱田八丁畷 昭和5年1930年17 東京御着小堀鞆音 東京市 明治元年10月13日1868年11月26日東京東京城 昭和9年1934年18 皇后冊立 菅楯彦 大阪市 明治元年12月28日1869年2月9日京都京都御所 昭和10年1935年19 神宮親謁 松岡映丘 侯爵 池田仲博 明治2年3月12日1868年4月23日伊勢・皇大神宮 昭和11年1936年20 廃藩置県 小堀鞆音 伯爵 酒井忠正 明治4年7月14日1871年8月29日東京皇居 昭和6年1931年21 岩倉大使欧米派遣 山口蓬春 横浜市 明治4年11月12日1871年12月23日神奈川横浜港 昭和9年1934年22 大嘗祭 前田青邨 伯爵 亀井茲常 明治4年11月17日1871年12月28日東京皇居 昭和8年1933年23 中国西国巡幸長崎御入港 山本助 長崎市 明治5年6月14日1872年7月19日長崎長崎港 昭和3年1928年24 中国西国巡幸鹿児島着御 山内多門 鹿児島市 明治5年6月22日1872年7月27日鹿児島島津氏旧邸 昭和5年1930年25 京浜鉄道開業式行幸 小村大雲 鉄道省 明治5年9月12日1872年10月14日東京新橋駅 昭和3年1928年26 琉球藩設置 山田真山 首里明治6年1873年沖縄那覇港 昭和10年1935年27 習志野之原演習行幸 小山栄達 侯爵 西郷従徳 明治6年1873年千葉習志野原 昭和4年1929年28 富岡製糸場行啓 荒井寛方 大日本蚕糸明治6年1873年群馬富岡 昭和8年1933年29練兵 町曲江 十五銀行 明治7年1874年東京赤坂皇居 昭和3年1928年30 侍講進講 堂本印象 台湾銀行 明治7年1874年東京赤坂皇居 昭和9年1934年31 徳川邸行幸 木武山 侯爵 徳川圀順 明治8年1875年東京徳川昭武昭和5年1930年32 皇后宮田植御覧 近藤樵仙 公爵 一条実孝 明治8年1875年東京赤坂皇居 昭和2年1927年33 地方官会議臨御 磯田長秋 侯爵 木戸幸一 明治8年1875年東京東本願寺書院 昭和3年1928年34 女子師範学校行啓 矢沢弦月 桜蔭会 明治8年1875年東京お茶の水 昭和9年1934年35 奥羽巡幸馬匹御覧 根上富治 日本勧業銀行 明治9年1876年岩手盛岡八幡宮 昭和9年1934年36 畝傍親謁 吉田秋光 男爵 住友吉左衛門 明治10年1877年奈良畝傍山東北昭和7年1932年37 西南役熊本籠城 近藤樵仙 侯爵 細川護立 明治10年1877年熊本花岡山 大正15年1926年38 内国勧業博覧会行幸啓 結城素明 侯爵 大久保利和 明治10年1877年東京上野恩賜公園 昭和11年1936年39 能楽御覧 木島桜谷 男爵 藤田平太郎 明治11年1878年東京青山御所 昭和9年1934年40 初雁御歌 鏑木清方 明治神宮奉賛会 明治11年1878年東京赤坂皇居 昭和7年1932年洋画 番号画題洋画画家奉納壁画舞台完成年41 グラント将軍御対大久保作次郎 子爵 渋沢栄一 明治12年1879年東京浜離宮 昭和5年1930年42 北海道巡幸屯田兵御覧 高村真夫 北海道庁 明治14年1881年北海道山鼻村 昭和3年1928年43 山形秋田巡幸鉱山御覧 五味清吉 男爵 古河虎之助 明治14年1881年秋田院内鉱山 大正15年1926年44 兌換制度御治定 松岡寿 日本銀行 明治14年1881年東京赤坂皇居 昭和3年1928年45 軍人勅諭下賜 寺崎武男 公爵 山縣伊三郎 明治15年1882年東京赤坂皇居 大正15年1926年46 条約改正会議 上野広一 侯爵 井上勝之助 明治15年1882年東京外務省 昭和6年1931年47 岩倉邸行北蓮蔵 商業会議所連合会 明治16年1883年東京岩倉昭和2年1927年48 華族女学校行啓 跡見泰 常磐会 明治18年1885年東京四谷尾張町 昭和2年1927年49 東京慈恵医院行啓 満谷国四郎 東京慈恵会 明治20年1887年東京東京慈恵医院 昭和2年1927年50 枢密院憲法会議 五姓田芳柳 (2代目) 公爵 伊藤博邦 明治21年1888年東京赤坂皇居 大正15年1926年51 憲法発布和田英作 公爵 島津忠重 明治22年1889年東京皇居正殿 昭和11年1936年52 憲法発布観兵式行幸啓 片多徳郎 日本興業銀行 明治22年1889年東京桜田門 昭和3年1928年53 歌御会始 山下新太郎 宮内省 明治23年1890年東京皇居 昭和2年1927年54 陸海軍演習御統長原孝太郎 名古屋市 明治23年1890年愛知・雁宿山 昭和6年1931年55 教育勅語下賜 安宅安五郎 茗渓会 明治23年1890年東京皇居 昭和2年1927年56 帝国議会開院式臨御 小杉未醒 貴族院衆議院 明治23年1890年東京貴族院 昭和3年1928年57 大婚二十年祝長谷川昇 華族会館 明治27年1894年東京皇居 昭和2年1927年58 日清平壌金山平三 神戸市 明治27年1894年平壌 昭和8年1933年59 日清黄海海戦 太田喜二郎 大阪商船株式会社 明治27年1894年黄海 昭和2年1927年60 広島大本営軍務親裁 南薫造 侯爵 浅野長勲 明治27-28年(1894-95年)広島第5師団司令部 昭和3年1928年61 広島予備病院行石井柏亭 日本医学会日本医師会 明治28年1895年広島陸軍予備病院 昭和4年1929年62 下関講和談判 永地秀太 下関市 明治28年1895年下関春帆楼 昭和4年1929年63 台湾鎮定 石川寅治 台湾総督府 明治28年1895年台北城 昭和3年1928年64 靖国神社行幸 清水良雄 第一銀行 明治28年1895年東京靖国神社 昭和4年1929年65 振天府 川村清雄 公爵 徳川家達 明治30年1897年東京皇居 昭和6年1931年66 日英同盟 山本鼎 朝鮮銀行 明治35年1902年東京貴族院 昭和7年1932年67 赤十字社総会行啓 湯浅一郎 日本赤十字社 明治35年1902年東京上野恩賜公園 昭和4年1929年68 対露宣戦布告御前会議 吉田苞 公爵 松方巌 明治37年1904年東京皇居 昭和9年1934年69 日露旅順開城 荒井陸男 関東庁 明治38年1905年旅順口水師営 昭和3年1928年70 日露奉天鹿子木孟郎 南満州鉄道株式会社 明治38年1905年奉天城 大15年1926年71 日露役日本海海戦 中村不折 日本郵船株式会社 明治38年1905年日本海 昭和3年1928年72 ポーツマス講和談判 白滝幾之助 横浜正金銀行 明治38年1905年)アメリカ・ポーツマス海軍工廠 昭和6年1931年73 凱旋観艦式 東城鉦太郎 海軍省 明治38年1905年神奈川横浜昭和4年1929年74 凱旋観兵式 小林万吾 陸軍省 明治39年1906年東京青山練兵場 昭和6年1931年75 樺太国画定 安田日本石油株式会社 明治39-40年(1906-07年)樺太日露国境 昭和7年1932年76 観菊会 中沢弘光 侯爵 徳川頼貞 明治42年1909年東京赤坂御苑 昭和6年1931年77 日韓合邦 辻永 朝鮮道 明43年1910年京城南大門 昭和2年1927年78 東京帝国大学行幸 藤島武二 侯爵 前田利為 明治45年1912年東京東京帝国大学 昭和11年1936年79 不豫 田辺至 東京府 明治45年1912年東京・二昭和2年1927年80 大葬 和田三造 明治神宮奉賛会 大正元年1912年京都伏見桃山 昭和8年1933年ギャラリー 展示風景 大政奉還 徳川邸行憲法発布観兵式行幸啓 日露役日本海海戦 東京帝国大学行幸

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