保存状態と来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 04:09 UTC 版)
「女性の肖像 (ファン・デル・ウェイデンの絵画)」の記事における「保存状態と来歴」の解説
ファン・デル・ウェイデンがこの作品に題名をつけたという形跡はなく、描かれているモデルに関する記録も残っていない。女性が着用するドレスのスタイルから、この作品がファン・デル・ウェイデンの最晩年のものであると考えられている。『女性の肖像』の制作年が1460年ごろとされているのは、このスタイルのドレスがもっとも流行した時期と、ファン・デル・ウェイデンのキャリア時期における明確な作風の変化によっている。しかしながらさらに遅い、ファン・デル・ウェイデンが死去する1464年直前だったという説もある。 『女性の肖像』は垂直な木目の一枚のオーク板に描かれた板絵で、左右両端は板のままで何も描かれてはいない。オーク板はジェッソ(下塗りに用いる地塗り剤 (en:Gesso))で下処理されており、その上に油彩による単色で女性が描かれている。さらに油彩顔料が重ね塗りされ、繊細で透明感のある色階調をもたらしている。赤外線リフレクトグラムによる分析で、ファン・デル・ウェイデンがこの作品には下絵せずに直接油彩を始めていることや素描の痕跡が認められないことが判明している。そのほかに、当初は描かれている女性がより細身であり、明赤色の帯がよりウェストに絞り込まれて、全体的により丸みを帯びた外観だったことが分かっている。このことは『女性の肖像』のX線写真からも見ることができる。『女性の肖像』の保存状態は比較的良好で、過去にも何度か洗浄されており、2010年現在で直近の洗浄が実施されたのは1980年のことである。ヴェール、髪飾り、袖部分にはわずかな顔料の剥落が見られ、耳部分には擦り傷がみられる。 『女性の肖像』の来歴ははっきりとしておらず、この作品に言及したと思われる初期の記録も全面的に信頼の置けるものではない。ドイツのデッサウ近郊に居城を構えていたアンハルト公国の、アンハルト=デッサウ公レオポルト3世(1817年没)と思われる王子が19世紀に『女性の肖像』を所有していたという記録があり、そしてその死後、レオポルト3世の孫で公位を継承したレオポルト4世(1871年没)が相続した可能性がある。その後、1902年にブルッヘで開催された「初期フランドル派絵画展」に出陳するためにアンハルト公爵家から貸し出された。その後も引き続きアンハルト公爵家が所有していたが、1926年に画商のデュヴィーン兄弟 (en:Duveen Brothers) に売却され、同じ年にアンドリュー・メロンがデュヴィーン兄弟から購入した。その翌年からロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに貸与され、600年間にわたるフランドル、ベルギー絵画コレクションの一部として展示されていた。1932年にメロンは『女性の肖像』を自身が創設した教育・慈善基金に寄贈するという遺言を残したが、1937年に自身の寄付によってワシントンD.C.に新設されるナショナル・ギャラリーに、所有するほかの美術コレクションとともに寄贈し、それ以来ナショナル・ギャラリーの常設展示絵画となっている。
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