絵画制作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 03:07 UTC 版)
30歳代に入所していた岡山県内の救護施設では、部屋の中でじっとしていたことが多く、絵画を描いていたとの記録は残されていない。最後に生活していた知的障害者施設に入所後、本格的に絵を描き出したとみられている。 居住する施設の調理場で使用した段ボールを拾い集め、施設の職員から貰った色鉛筆を使って夜中に隠れるようにして絵を描き出した。最初はたんすの中に隠していた絵画作品はやがてたんすにはしまいきれなくなり、ベッドの下にも置くようになったが、ベッドの下もいっぱいになると絵画作品はベッドの上にまで進出して、ベッドの上にわずかに残された場所に小幡は眠るようになった。 やがて作品は枕元からうず高く積みあがり、寝室が薄暗くなってしまった。作品が注目される以前、施設の定期清掃時には絵画作品は全て処分されてしまっていたが、それにめげることなく絵画制作を続行し、いつのまにか部屋が薄暗くなるまで作品が積み上がる状況が再現された。 生前施設内の個室で生活しており、そこで自らの段ボール絵画に囲まれながら制作を続けていた。昼間は施設内で軽作業に従事し、夕食後、午前0時頃まで作品制作を行い、いったん眠ったあと、早くも午前3時頃には起きだして絵画制作を朝食時まで続けるというハードな生活を続けていて、施設の職員も小幡の健康を案じていた。 作品の特徴としては、まずこれまでも述べたように段ボールに描かれているということが挙げられる。施設という閉ざされた環境の中で手に入れることができる紙が段ボールであったことが原因である。持ち運びの際に画面が傷むのを防ぐため、段ボールの端を丸く切り取り、その上で絵画を描き始めた。 作品は色鉛筆、特にお気に入りの色である赤を極めて多用する。ちなみに服など身の回りの品の多くも赤であった。 専門の美術教育を受けることなく独自の表現法を編み出すアウトサイダーアーティストらしく、絵画表現も独創性に溢れている。絵画のモチーフの多くは本人の人生とは無縁であった結婚式や一家団欒の姿である。立体感に欠け、平面的な画面構成が特徴的であり、人物像の顔立ちや性器などもあたかも肌の一部のように表現されている。それでいて描く人物像は堂々とした独特の雰囲気を放っており、こうした小幡の絵画の特徴について、スイス、ローザンヌにある国際的に著名なアウトサイダーアート専門の美術館のアール・ブリュット・コレクション館長であるリュシエンヌ・ペリーは、こけしとの類似性に注目している。 また、富士山、神社、それから瀬戸内海の小島出身者らしく魚や蟹などがよく登場する。こうした絵画作品についてリュシエンヌ・ペリーは、記憶の中の思い出や民間伝承から受け継いだ要素を利用しながらも、「自分だけの、息をのむような詩情に溢れた飛躍を手にした」。と絶賛している。
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