展示複合施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:43 UTC 版)
「ミーニンとポジャルスキー広場」の記事における「展示複合施設」の解説
この施設はボルシャヤポクロフスカヤ通りとアレクシーフスカヤ通りの間にある。 ロシア帝政時代、クレムリの壁沿いに設置され取り壊された木造屋台の代わりに、公営店舗の新しい建物がここに建てられた。建物のファサードはイワン・エフィモフによって設計された。1836年にこの事業が承認され、建物は1841年に建てられた。1850年代、現地の歴史家Nikolai Khramtsovskyは次のように記した。 「公営の屋敷が広場に建てられ、アレクシーフスカヤ通りだと3階建て、ポクロフスカヤ通りでは2階建てである。その1階と2階は店舗で占められ、その上部が居住区画である。アーチつきの2階には画廊がある。居住区画には、民事裁判所、建設委員会、ウエズドとゼムスキーの裁判所、工芸職人委員会がある。」[要出典] 1904-1905年に正面入り口がポルチコの形に設計され、トルストイ、プーシキン、ドストエフスキーの小さなブロンズ胸像も設置された。1974年、1階に展示ホールが常設された。
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