棋風とは? わかりやすく解説

き‐ふう【棋風】

読み方:きふう

碁の打ち方将棋指し方あらわれる、人それぞれの個性


棋風

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棋風(きふう)は、将棋囲碁などのボードゲームにおける着手の特徴[1][2]。また、囲碁に関しては「碁風」と表記されることもある[3]


  1. ^ デジタル大辞泉. “棋風(キフウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年6月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 「文春オンライン」編集部. “将棋の解説でよく耳にする「棋風」「受け将棋」って何のこと? | 観る将棋、読む将棋”. 文春オンライン. 2023年6月1日閲覧。
  3. ^ 日本囲碁連盟 | 囲碁用語「力碁」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
  4. ^ 「ニコニコ生放送」主催、『「将棋倶楽部24モバイル将棋道場」開設記念【羽生善治名人】特別指導対局』の放送終盤における、視聴者からの質問メールへの回答(2011年2月26日)
  5. ^ 代表著作『羽生の頭脳』は、全巻居飛車の戦法定跡書
  6. ^ a b c d e f 賢, 金子 (2016年1月20日). “囲碁の厚み派と実利派について”. スマイル囲碁クラブ. 2023年5月15日閲覧。
  7. ^ 日本国語大辞典,デジタル大辞泉, 精選版. “力碁(ちからご)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年12月14日閲覧。
  8. ^ a b 許、攻めもシノギも充実|『棋道web』|日本棋院囲碁ニュース”. 『棋道web』|日本棋院囲碁ニュース (2023年9月21日). 2023年12月14日閲覧。
  9. ^ a b c d スミレの碁―林漢傑八段が語る「仲邑菫二段のここがすごい」「つるりん式観る碁のすすめ~こぼれ話」”. 日本棋院. 2023年12月14日閲覧。
  10. ^ 日本囲碁連盟 | 囲碁用語「中の碁」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
  11. ^ 日本囲碁連盟 | 囲碁用語「渋い」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
  12. ^ 日本囲碁連盟 | 囲碁用語「逃げ碁」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
  13. ^ 日本囲碁連盟 | 囲碁用語「黒の碁」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
  14. ^ 日本囲碁連盟 | 囲碁用語「白の碁」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
  15. ^ 日本囲碁連盟 | 囲碁用語「新布石」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
  16. ^ a b 大一番「自分を信じて」 天元・碁聖に輝くホープ 名人戦に挑む 一力遼(いちりき・りょう)さん(囲碁棋士):東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年9月5日閲覧。
  17. ^ 囲碁UP・TO・DATE:異名は「ハンマー」 囲碁・上野女流立葵杯21歳 “盤外”にも注目”. 毎日新聞. 2023年12月14日閲覧。
  18. ^ a b 藤澤一就『大局観が劇的に良くなる! 囲碁・上達のための棋譜並べ』マイナビ出版、2020年、7頁。 
  19. ^ ガルリ・カスパロフ『決定力を鍛える』NHK出版、2007年。 


「棋風」の続きの解説一覧

棋風

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3月のライオン」の記事における「棋風」の解説

居飛車振飛車も指すオールラウンダー悪手盤面感覚的に気持ち悪い」と表現する描写があり、島田からは「宗谷雰囲気似ている」と評される野火止からは、得意な型を持たず相手戦法乗る傾向があると評される

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木村嘉孝 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、軽快指し方をする棋風。向かい飛車三間飛車四間飛車中飛車のどれも指した居飛車対振り飛車将棋好み相手振り飛車場合自分居飛車にすることもあった。 攻めが切れそうになった場合など、自分勝ち目がないと見切ると、潔く早々に投了している棋譜が多い。

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藤井猛」の記事における「棋風」の解説

序盤特徴があり、独創的な将棋知られている。後述のように升田幸三賞2度受賞しているが、特別賞以外の升田幸三賞2度受賞している人物藤井猛佐藤康光青野照市の3人のみである(2021年11月現在)。 終盤大胆に大駒を切り、露骨に相手玉に喰らい付く棋風から「ガジガジ流」というニックネームついている勝負に辛いと評されることもあり、一時丸山忠久森内俊之併せて激辛三兄弟」と称されていた。 羽生世代中でも丸山忠久同様遅れて奨励会入会したため、何とか同世代追いつこうと振り飛車特に四間飛車特化することで勉強範囲少なくした。ただし、奨励会時代中飛車中心に指しており、四間飛車定跡本格的に研究しはじめたのは、四段昇段後である。 居飛車も全く勉強していないわけではなく四段プロ入り決まった三段時に棋書を買いあさり短期間ではあるが勉強している、このとき学んだ知識感覚革新的な四間飛車である「藤井システム」に影響している。自玉の囲い省略して序盤から攻撃的な布陣敷き居飛車穴熊左美濃を横では無く縦に攻略するのは居飛車感覚であった対ゴキゲン中飛車戦法▲5八金右超急戦考案者。第12期1999年度竜王戦七番勝負挑戦者となった鈴木大介の得意戦法ゴキゲン中飛車であったため、その対策として編み出しシリーズ披露した

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金井恒太」の記事における「棋風」の解説

居飛車党である。プロデビュー時のインタビュー日本将棋連盟公式サイト)で、「得意戦法角換わり腰掛け銀」と答えた矢倉横歩取りなども多く指す。 目標棋士郷田真隆挙げ、棋風も強く影響受けている。

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花村元司」の記事における「棋風」の解説

元真剣師らしく実戦派の棋士知られ当時大人しい定跡通りの手を指す棋風が多い中にあって、あえて定跡外した難解な力将棋持ち込むことで高い勝率挙げた。また終盤の力があり、花村は「終盤入り口で2:8の差なら五分、3:7なら俺の勝ち」と豪語していた。こうした棋風から「妖刀使い」の異名持ち、「花村流」はプロ棋士恐れられた。一方でハッタリ将棋」と揶揄する向き存在したが、それこそ自身勝負観の表れであるとしてむしろ本人はその言葉歓迎していたという。

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真部一男」の記事における「棋風」の解説

元々居飛車党であったが、1980年代後半から振り飛車党転向した直線的な斬り合いよりは、手順尽くした攻防特徴があり、長手数将棋になると勝っているケースが多い。

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牧野光則」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、攻め将棋。序中盤から時間使い終盤では一分将棋になってからも力を発揮する糸谷哲郎とは親交があり、「糸谷流右玉戦法」は、元々牧野考案し糸谷工夫加えたのである

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千田翔太」の記事における「棋風」の解説

四段昇段の際のインタビューによると、居飛車党力戦を得意としているという。 2手目△3二金など、意表突いた戦法試みことがある

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富岡英作」の記事における「棋風」の解説

がっちり駒組みをしてから盤全体で戦う棋風である。 居飛車党であり、矢倉一辺倒と言ってもよいほどの矢倉党である。相手拒否しない限りは、とにかく矢倉にする。 また、相手振り飛車場合は、左美濃、あるいは、師匠譲り穴熊といった堅い囲い好んで用いる。 角換わり腰掛け銀先後同形結論付ける富岡流を考案し2009年実戦初め用いた

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佐々木勇気」の記事における「棋風」の解説

デビュー当時の得意戦法矢倉囲いであった横歩取り6八玉型の「横歩取り勇気流」と呼ばれる戦法創案し2017年度升田幸三賞受賞した。「横歩取り勇気流」は、大内延介から愛蔵将棋盤2015年譲り受けたのを契機に、その盤に向かい合って研究重ね自分将棋について深く考えることが増えた中で生まれた本人は、プロデビュー時に、「どんなに悪くても(=不利な局面になっても)最後まで諦めないで指すタイプ簡単に折れないのが長所そういうところを棋譜などで感じ取ってもらえたら嬉しい」と語っている。

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中座真」の記事における「棋風」の解説

勝敗よりも陣形手筋醜美にこだわる面がある。得意戦法横歩取りについても「3つのG」と名付けた銀の位置変えた陣形パターン用意している。 実際に増田康宏四段との順位戦で、相手居玉悪形咎める手筋を「わかっていたが、飛車追い方がダサい思い、指さなかった」と感想述べている。 叡王戦での豊島将之七段との対局でも、敵陣飛車打ち込む手を「ダサい手で指せない」として指さず、「俗手」「平凡手」「素人のような手」を嫌う傾向が強い。

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森下卓」の記事における「棋風」の解説

研究熱心な居飛車党である。しかし、向かい飛車などの振り飛車時折用いる。 矢倉戦法一つである森下システム考案した。これにより、のちに2005年度将棋大賞升田幸三賞特別賞受賞基本的に受け将棋であり、先に相手攻めさせてからのカウンターを得意とする棋風である。 「駒得裏切らない」という発言知られる

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田辺一郎」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車どちらも指し、主に矢倉中飛車四間飛車採用した若手時代は、いったん戦いになると止まらない斬り合い将棋多かった

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脇謙二」の記事における「棋風」の解説

かつては居飛車党棋士横歩取り△3三桂戦法矢倉戦を得意とし、相居飛車相矢倉後手△6四角に▲4六角とぶつける脇システム考案した2010年頃から突如振り飛車多用する棋風に転じ周囲驚かせた。相手振り飛車党場合も、相振飛車にすることが多い。 棋風は激し攻め将棋で、対局時も闘志態度であらわす棋士一人対局中扇子拳骨自分の頭を叩き気合を入れる事がある

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郷田真隆」の記事における「棋風」の解説

生粋居飛車党」。稀に陽動振り飛車採用することもある(第67名人戦七番勝負第6局など)。妥協せずまた、踏み込みのよい直線的な攻め合いをする剛直な指し回しであり、「格調高い本筋の棋風」と評される後手番のとき、2手目後手番の初手)で角道開ける△3四歩よりも飛車先の歩を伸ばす△8四歩と指すことが多い。また、△3四歩と指すにしても後手番一手損角換わりではなく横歩取り」などの戦形に誘導する。これに関し本人は、「後手番一手損角換わりは嫌い」と発言している。しかし、2012年3月2日A級順位戦最終局の対羽生戦において、一手損角換わりを初採用し周囲驚かせた(結果郷田負け)。 序盤から長考することが多いが、持ち時間少な早指し将棋残り時間の無い秒読み戦いにも強い。これに関しては、加藤一二三との類似性がある。郷田自身は「加藤先生ご自身おっしゃっていますが、『長考して当たり前の手を指す』というところも似ていますね。自分で言うのもなんだけど、長考派というのは手がよく見えるんですよ。いい手が見えなくて困っているというわけではなく、見えすぎて選択肢が多いから時間使っているんです。読まなくても良さそうな手を拾い上げて、どの手ベスト考えているのですね」と語っている。

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大石直嗣」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車ともに指しこなすオールラウンドプレイヤーで、後手番ではダイレクト向かい飛車を得意戦法としている。プロデビュー時は、居飛車党角換わりを得意戦法としていると回答していた。

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堀口一史座」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であり、対振り飛車では自玉を固め将棋多く相居飛車では矢倉相掛かり横歩取り角換わりなどを一通り指しこなす。 長考派である一方早指し戦にも強い。

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森安秀光」の記事における「棋風」の解説

第7期棋王戦第3局前夜祭席上で、立会人解説担当原田泰夫より「七転八起流、『だるま流』はいかがか」との別名を呈示される森安本人も「だるま流はいいですね」と気に入り転んでもすぐに起き上がる粘り強い棋風を示すこの別名は森安代名詞となった

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真田圭一」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であり、矢倉角換わり将棋が多い。時々、振り飛車も指す。

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村山慈明」の記事における「棋風」の解説

居飛車党序盤戦の深い研究知られ、同じ名字村山聖存命新鋭の頃に「終盤村山聞け」と呼ばれたことにあやかり、「序盤村山聞け」(あるいは「終盤は聖に聞け序盤は慈明に聞け」とも)と呼ばれる電王戦での二つ名漢字違いの「序盤村山に訊け」であった

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本田奎」の記事における「棋風」の解説

先手番では相掛かりを得意としており、高い勝率記録している。

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福崎文吾」の記事における「棋風」の解説

振り飛車穴熊を得意とし、相手意表をつく手順相手幻惑し、「妖刀」の異名を持つ。 第23期十段リーグ谷川浩司を得意の振り飛車穴熊破ったとき、当時若くして名人であった谷川をもってして「感覚破壊された」と言わしめたことがある坂田三吉将棋全局並べた数少ない棋士一人である。

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行方尚史」の記事における「棋風」の解説

居飛車党粘り強い棋風である。

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和田はな」の記事における「棋風」の解説

得意戦法中飛車

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小高佐季子」の記事における「棋風」の解説

得意戦法中飛車

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斎藤慎太郎」の記事における「棋風」の解説

居飛車党でじっくりした将棋を好むと自身公言している通り持ち時間長い棋戦才能発揮する傾向がある。電王戦での二つ名は「超光速の詰士」。

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北尾まどか」の記事における「棋風」の解説

得意戦法居飛車穴熊玉頭位取り

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塚田泰明」の記事における「棋風」の解説

攻め100%」「昇天流」といわれる豪快な攻めの棋風で知られる。その攻めは「塚田攻めれば道理引っ込む」と評されたほどである。 相がかり先手番の超急戦戦法である「塚田スペシャル」を開発し、この戦法公式戦22連勝するなど活躍した。しかし、その後この戦法には有力な対抗策現れ、今では使われることは少なくなっている。電王戦での二つ名は「攻め十割昇天流」。

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丸田祐三」の記事における「棋風」の解説

歩の使い方巧みであり、「小太刀名手」と呼ばれた。 「丸田流ひねり飛車(9七角ひねり飛車)」を創案した。河口俊彦は「不朽の定跡」と評している。 加藤一二三は、丸田棋理明るく作戦巧者だ評している。また、早投げの棋風であった評している。 先崎学は、順位戦B級1組在籍中丸田将棋について、負けるときはあっさり投げるが、勝ち目残っている時は粘り強く指して最後は勝ちをものにしていた、(棋士から見て上品な粘り方をするのが特徴だった、と評している。 同じく先崎は、丸田将棋は「ひねり飛車」「歩の使い手」「棋理明るい」といった形容がされるが、と前置きした上で先崎丸田対局し時の印象として、駒がぶつかった瞬間思いもかけぬ手を指され一気形勢丸田に傾いたことを述べ中盤における柔軟な発想丸田特徴挙げている。 1961年(昭和36年)度の名人戦大山康晴名人に挑戦して1勝4敗で敗退)の第4局丸田勝利)について、記録係務めた河口俊彦は、序盤中盤・終盤完璧な指し回しであり、丸田強さ瞠目した、と評している。

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中田功」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、特に三間飛車好んで指す。居飛車穴熊対し三間飛車からの速攻目指す中田功XP創始者である。

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宮田利男」の記事における「棋風」の解説

生粋居飛車党であり、相居飛車先手番では矢倉目指し相居飛車後手番では相手からの誘導追随して矢倉角換わり相掛かりを指す。また、相手振り飛車で来たら、玉頭位取りから銀立矢倉として、相手玉頭攻めかかる。こういった棋風は、デビュー以来一貫している。

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榊菜吟」の記事における「棋風」の解説

得意戦法振り飛車

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星田雅弘」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、角換わり腰掛け銀を得意とする

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石田和雄」の記事における「棋風」の解説

筋の良い居飛車党とされる相居飛車では矢倉を指すことが非常に多く次いで角換わり後手番での相掛かり多かった対局中昼休み対局相手席を外している間など、相手の席に座って局面検討する癖があった。対局相手によっては「自分の席なのに戻るに戻れない」としてうろたえる場合もあり、一種盤外戦術でもあった。

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棋風

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矢内理絵子」の記事における「棋風」の解説

手厚い指し方を好む生粋居飛車党

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棋風

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西健伸」の記事における「棋風」の解説

自分が打つ碁を「合気道みたいな碁」と表現する相手の力を生かして厚みを築くが、戦いは挑まない。「石を殺しにはいかず、小さところに固めさせて、広く打つような」と解説

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棋風

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酒井佑規」の記事における「棋風」の解説

鶴山淳志評「棋風はザ・戦いの碁。ごちゃごちゃした乱戦が得意。難し読み合いでも突っ込んでいく勇気あります。」 林漢傑評「彼は混沌に強い。いわば混沌流。石が絡み合ってわけが分からないような局面輝き放ちます。」。

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原田泰夫」の記事における「棋風」の解説

前項通り40代になって居飛車党から振り飛車党転じたが(原田自身は「縦から横への変化」と棋風転換表現している)、晩年相居飛車対抗型相振飛車すべて指すオールラウンド・プレイヤーであった。 「玉損の攻めといわれるほど攻撃的な棋風で知られおだやかな人柄と全く相違しているため驚かれたという。1952年、「AB級対抗勝抜戦」(共同通信)で10連勝し、新潟出身であることから「原田謙信流」と呼ばれた詰将棋作家として知られており、実戦向けの作品を得意とした。 最長手数勝負のついた局)の記録がある(1969年2月3日 B級1組順位戦・対芹沢博文 相振飛車 389手)。

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淡路仁茂」の記事における「棋風」の解説

受けにおいて粘り強い棋風を持ち不倒流と呼ばれるまた、対局の手数が多いことから、三枚目の男という異名がついた。当時棋譜記録する用紙には一枚80手までしか記入できなかったため、160手を超える3枚目の記録用紙書くことになる。その回数非常に多いことからついたネーミングである。 さらに、六段時代1981年には王位戦予選中田章道339手の将棋指し先手淡路勝利した。この対局入玉含まない対局としては2020年現在公式戦最長手数である。後に『将棋世界』の付録にて、この将棋とりあげた際に、自ら「長手数美学」と題をつけた。こちらも淡路良く表すキャッチフレーズとして用いられるようになった後手番一手損角換わり戦法産みの親であり、2006年升田幸三賞受賞したまた、現代矢倉基礎的な変化をまとめた功績もある。

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佐々木大地 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、相掛かり・横歩取りを得意とする。力強い攻め将棋

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佐々木海法」の記事における「棋風」の解説

得意戦法三間飛車

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加藤圭」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党先手番・後手番、どちらでも中飛車で戦う。

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小阪昇」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、中飛車四間飛車三間飛車向かい飛車相振り飛車いずれも指す。先手番では時折居飛車も指す。後手番では中飛車三間飛車が多い。 金や銀を前線繰り出す厚い攻め特徴がある棋風である。

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小林健二 (将棋棋士)」の記事における「棋風」の解説

若手時代には矢倉を得意とするオールラウンダーだったが、1989年ごろから振り飛車党転向四間飛車好んで指すようになり、1991年にはその戦法順位戦A級への復帰果たしている。 インターネット将棋にも積極的に参加しており、実名による登録が原則であった近代将棋でもよく対局行なっていた。 振り飛車転向の頃にはオーソドックス四間飛車指しスーパー四間飛車」の名で有名となり、著書出版するとともにNHK教育テレビの「将棋の時間」でも講座担当この頃デビューした杉本昌隆と共に藤井システム登場以前四間飛車定跡発展大きく貢献したその後立石流知られるうになると、特に立石流四間飛車四間飛車穴熊を指すようになった相振り飛車での左玉も得意としていた。 その後は再びオールラウンダー戻っている。

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佐藤康光」の記事における「棋風」の解説

若手時代既存定跡形を多く指していたが、2005年前後からは創造的で新基軸序盤作戦を選ぶことが多くなっている。 ゴキゲン中飛車相手にしての序盤新手である9手目▲9六歩は、多く棋士達によって採用されている(ゴキゲン中飛車参照)。 若手時代から「緻密流」と称される読み深さ知られ、「1秒間1億と3手読む」と形容されるほどである。 非常に独特な駒組から腕力相手ねじ伏せる剛腕ぶりから、インターネット上では「丸太」と表現されることもある。 後述のように升田幸三賞2度受賞している。特別賞ではない升田幸三賞2度受賞しているのは、佐藤康光青野照市藤井猛千田翔太の4人のみである(2022年4月現在)。

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上村亘」の記事における「棋風」の解説

本人によると、居飛車党であるという。横歩取り採用することが多い。 終盤巧者として知られ詰将棋解答選手権によく参加し2015年度チャンピオン戦では入賞している。

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木村朱里」の記事における「棋風」の解説

得意戦法四間飛車

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門倉啓太」の記事における「棋風」の解説

得意戦法振り飛車先手番では初手▲7八飛戦法を得意としている。実戦での採用のほか、「猫だまし戦法初手革命 7八飛車戦法)」として「将棋世界2013年10月号解説している。 またプロ棋士として同じ振り飛車党である藤井猛尊敬しており、藤井升田幸三賞受賞した戦法である角交換四間飛車積極的に採用している。

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中村修 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車どちらも指す。 他の棋士とは異なった新感覚の棋風で頭角現しタイトル挑戦奪取し、「不思議流」と呼ばれたまた、独特の守りの手印象的であり「受ける青春」とも呼ばれている。 王将保持時はひねり飛車指していて、塚田スペシャル先駆者でもあった。

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青嶋未来」の記事における「棋風」の解説

振り飛車穴熊を得意としているが、角換わり横歩取り右玉など居飛車将棋指しこなしており、相手にとっては的が絞りにくい棋風。abema企画郷田戦では相掛かり後手持って勝つなどほぼすべての戦型を高いレベル指しこなすことができるオールラウンダー

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増田康宏」の記事における「棋風」の解説

かつては矢倉戦法を得意としていたが、2017年将棋情報局インタビューで、左の桂馬活用難しいことを理由銀冠穴熊雁木多用するとともに、「矢倉終わった」と発言したことがある。ただしその後矢倉研究実戦での採用続けており、「終わった言い過ぎでした」とも発言している。

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藤井奈々 (女流棋士)」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党糸谷哲郎は、藤井2018年6月6日女流2級昇級決めた一局を「終盤はさすがの切れ味でした」と評した。なお、藤井詰将棋創作趣味としており、中学生時に詰将棋パラダイススマホアプリ自作詰将棋初め投稿したところ、一発採用され経験を持つ。

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先崎学」の記事における「棋風」の解説

棋風は「無頼流」。データには頼らず局面対す感覚重視するタイプ

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伊藤博文 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

目立つ特徴はない。本人相手により、さらに場合によっては対局臨んで戦法決めことがある答えている。 アマチュアへの丁寧な指導知られ関西以外の地方にも気軽に指導出向く

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畠山鎮」の記事における「棋風」の解説

居飛車党である。名前に反してマモル攻める”と言われるほどの、攻め将棋である。逆に兄の成幸は守る(受ける)傾向があり軟体受けで知られる

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小林裕士」の記事における「棋風」の解説

勢いのある攻めを好む居飛車党であり、NHK杯戦・銀河戦など早指し棋戦実力発揮する。しかし、2006年第25回朝日オープン将棋選手権予選観戦記によると、関西先輩である谷川浩司はその勢い感覚任せた指し口裏目に出かねない苦言呈していた。

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中井広恵」の記事における「棋風」の解説

攻守バランスのとれた本格的な居飛車党で、得意戦法矢倉

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千葉幸生」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、序盤研究家として知られ若手横山泰明佐藤和俊藤倉勇樹中村亮介との共著で、「新・振り飛車党宣言!」という著書著している(千葉2・3巻の著者)。 2007年度以降矢倉戦法など居飛車採用する将棋増えており、2007年度先手番の矢倉で6戦全勝している。

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松本佳介」の記事における「棋風」の解説

大駒捌きを得意とする居飛車党であり、威嚇するように強手連続する1996年12月12日第10期竜王戦5組ランキング1回戦で、当時棋聖位保持していた三浦弘行勝った際も、相居玉のまま大駒交換繰り返しながら相手陣を崩す戦法試みた

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伊奈祐介」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であり、相手居飛車の場合相掛かり矢倉を指すことが多い。 終盤粘り見せ場合多く、自玉が詰みになった状態まで指し続けた事がある

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増田裕司」の記事における「棋風」の解説

基本的に居飛車党であり、相矢倉角換わりといった本格的な居飛車戦法を指すことが多いが、中飛車四間飛車といった振り飛車戦法も指す。 序盤定跡棋理こだわらない棋風であり、先手番で自分から角交換にいく角換わり指したり、陽動居飛車飛車振って相手飛車先の歩を突いた後、また飛車定位置戻し相居飛車にする)や角頭歩戦法も得意。 勝負どころ局面になると一手一手駒音高くなるという、気合い重視型の棋士でもある。また、上座座った格上後輩棋士揉めて、対局開始遅れたことがあるなど将棋対局限って厳しい面をみせる。

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安用寺孝功」の記事における「棋風」の解説

振り飛車戦法採用することが多く飛車を振る場所が多彩な棋風である。三間飛車相振り飛車のほかに、初手▲5六歩からの中飛車角道止めない四間飛車など、あまりオーソドックスではない指し方をすることがある

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北浜健介」の記事における「棋風」の解説

ゴキゲン中飛車を得意とする切れ味の鋭い振り飛車党で、激し攻め合い将棋を選ぶことが多い。

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岡崎洋 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

居飛車党ではあるが、年に数回ゴキゲン中飛車などの振り飛車も指す。 テンポのよい攻め身上で、自分の方から仕掛けることが多い。

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平藤眞吾」の記事における「棋風」の解説

何でも指す、オールラウンドプレーヤーである。居飛車戦法振り飛車戦法も、多種多彩である。

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窪田義行」の記事における「棋風」の解説

独特の感覚をもった振り飛車党で、窪田といわれる四間飛車を得意とする自身ではその感覚を「タテ振り飛車」と喩えている。さばきを身上とする振り飛車党が多い中、窪田の棋風の特徴として金銀前に出て行く点が挙げられ力戦長手数泥仕合本領発揮するB級2組への昇級決めた67期(2008年度順位戦C級1組では180手を超える対局が実に4局を数え、3勝1敗であった6回戦日浦市郎戦(200手)、10回戦の上野裕和戦186手)、11回戦の北島忠雄戦(261手)はいずれ入玉確定による勝利。 対山崎隆之戦では無理攻めであり成立しないと言われ玉頭銀戦法で見事勝利を収めた早見えであり、持ち時間が短い早指し戦でその力を発揮する。 駒を並べ作法伊藤流独特な棋風とユニークな人柄が「窪田ワールド」と呼ばれている。また著書変幻自在!! 窪田3三角戦法」(毎日コミュニケーションズ)の帯には「いきなりタダ捨て2五桂 妖しさ満点 窪田ワールド!!」」と表記されている。2011年京急将棋祭りでは「窪田ワールド体感しよう」と称したイベント開催された。

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畠山成幸」の記事における「棋風」の解説

デビュー当時から居飛車党で、角換わりを得意とする矢倉採用も多い。しかし、2000年前後から振り飛車を指すことが多くなり、一時期四間飛車であった2008年頃からは、後手番一手損角換わりなどの居飛車指している。

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田中沙紀」の記事における「棋風」の解説

居飛車党英春流菊水矢倉)を得意とする

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木下浩一」の記事における「棋風」の解説

居飛車矢倉相掛かり角換わり玉頭位取り、そして、振り飛車四間飛車三間飛車向かい飛車中飛車相振り飛車のどれも指すオールラウンドプレーヤーである。

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藤原直哉 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、矢倉相掛かり系の将棋が多い。全軍躍動の手厚い攻めの棋風である。たまに、振り飛車も指す。

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中川大輔 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

居飛車党個性的な力強い棋風で知られ棋界流行戦法流されず独自の将棋を貫く傾向が強い。 得意戦法一つ角換わり、特に右玉戦法師匠米長も得意とした戦法である。横歩取り8五飛登場する以前は、横歩取り戦法スペシャリストとも呼ばれた横歩取り模様後手番で△8五歩保留して△4二玉と指し先手飛車先交換後に△2三歩と打つ中川流2三歩戦法考案従来の2三歩戦法先手に横歩を取られた後に飛車交換され不利だ結論出ていたが、この形では▲3二飛車に対して△同玉と取れるのが骨子である)。右四間飛車戦法も、独自の研究加え得意戦法としている(下記著書」の項を参照)。

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高田尚平」の記事における「棋風」の解説

対振り飛車位取り左玉戦法、3手目7八金戦法などの高田と言われる独特の序盤戦術で知られる

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野田敬三」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、相掛かりひねり飛車採用することが多かった。これはプロ棋士の中では珍しい棋風である。プロデビュー以来しばらくは、玉を堅く囲い合う前に戦い始めることが多かった

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石川陽生」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党である。 三間飛車美濃囲いにすることが多い。また、相手振り飛車場合自分振って相振り飛車にする。

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安西勝一」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党であるが、居飛車指しこなす。特に振り飛車を得意とする女流棋士に対しては、相振り飛車採用が多い。

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有森浩三」の記事における「棋風」の解説

得意戦法振り飛車矢倉など。振り飛車党力戦派で、独特の大局観と受けが強烈な異能棋士である。

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礒谷真帆」の記事における「棋風」の解説

居飛車党アマチュア時代振り飛車指していたときもあり、様々な戦型指しこなせるオールラウンダー目指したいと話している。

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岩佐美帆子」の記事における「棋風」の解説

得意戦法は、師匠豊島将之の得意戦法でもある角換わりで、豊島は、正統派攻守バランス取れていると評した岩佐豊島棋譜中心に並べて勉強している。

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谷川浩司」の記事における「棋風」の解説

他の棋士思いつきにくい手順でたちまち敵の玉を寄せることから、「光速の寄せ」、「光速流」というキャッチフレーズ付いている。森内俊之は、「終盤スピード感覚将棋持ち込んだ元祖とも言える存在であり、寄せ概念変えた評している。 しかし、2009年には「光速の寄せなくなっちゃったんで」と谷川本人冗談めかして言ったように、必ずしも「光速」にこだわらない棋風へと変化しつつある。他に、有力な指し手2つ上見えた場合、駒が前に進む手を優先して選ぶことから、「谷川前進流」とも言われる谷川色紙などに揮毫するときに、好んで書く言葉として、「光速」、「前進」、「飛翔」、「危所遊」(松尾芭蕉の「名人危所に遊ぶ」より)などがある。これらは、谷川自身将棋観・特徴表している。ちなみに谷川達筆であるが、一目谷川書いたとわかる独特の字を書く。 谷川振り飛車も指すが、基本的に居飛車党である。プロデビューたばかり四段時代振り飛車党であったが、その後居飛車党鞍替えした。 昭和平成境目前後の頃には先手番の角換わりを最も得意とし、他の居飛車党棋士達から恐れられた。 相矢倉後手番が少しだけ不利だということが‘定説化’した頃(2000年頃)からは、後手番では矢倉を指すことがかなり少なくなり、たとえば四間飛車多用したその後横歩取り8五飛相振り飛車ゴキゲン中飛車など、流行戦法取り入れて指し方多様化するちなみに谷川の「光速の寄せ」を信用したがために、対局相手が自ら転ぶケース時たま生じている。一例として谷川永世名人資格獲得した55期名人戦第1局最終盤を挙げる羽生72手目に△6五飛と指して谷川の馬と金両取りをかけた。馬は羽生の玉に迫っている駒で、金は谷川の玉を守っている駒であった。それに対して谷川はほとんど時間使わず羽生玉の近くに▲4一銀と打った。しかし、この手詰めろではなかった。ところが、羽生谷川信用してその手詰めろだと錯覚したため、金を取って必至かければ勝ちになるところを自陣攻めている馬の方を取ってしまい、結果谷川逆転勝利となったデビュー直後にはハメ手として古くから知られている横歩取り4五角戦法再発見して連採、森安秀光東和男36手で倒しブーム巻き起こしたことがある

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棋風

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川又咲紀」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党

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土佐浩司」の記事における「棋風」の解説

現役時代、特に若手時代早見え早指し作戦巧者呼ばれていた。 才気あふれる着手多く天才型の棋士と言われていた。凧金腰掛金(歩越し金)など持ち駒でない金を攻めに使う、反対に自陣三段目以内)に引き戻しと金敵陣に居る竜の縦利き守りに使う、桂馬を横に並べる(中将棋「麒麟」のような利き前方幾つも作れる)、等の独創的魅惑的な技も多用していた。 十段リーグ入り遂げた時期には先手なら居飛車後手番なら振り飛車(特に角道止めるノーマル向かい飛車を得意とした)が多かったが、以降相居飛車対抗型どちらもこなす正統派居飛車党転じた現役晩年二手向かい飛車およびダイレクト向かい飛車先手中飛車角交換四間飛車2手目△3二飛戦法などの現代振り飛車相振飛車も指すようになり、再びオールラウンド・プレイヤー戻った飛車振り場所と玉の囲う位置を、先後手の双方で1筋から9筋まですべて対局実践した右玉袖飛車一間飛車(左一間飛車)や阪田流向かい飛車など のような古典的な戦法から、相掛かり角換わりでの居玉まで戦法選択多岐にわたった順位戦では毎回異な戦法採用する趣向魅せるなど「異能棋士」(「将棋講座テキスト2014年NHK杯観戦記」ほか)ぶりを発揮していた。観戦記者とのインタビューでは「意識して色々な戦法を指すようにしており、対戦相手によっても指し方変えている」と答えていた。 序盤重視し位取り金銀上部進めるなどの厚みを活かした攻め将棋。序中盤優位に立ちそのまま寄せ切るのが勝ちパターンだった。 勝負淡泊な面があり、相手から一度王手かけられていなかったに関わらず投了してしまう対局多かった現役最後門倉戦(上述)も、王手を全くかけられておらず詰めろでもない状態で投了した反対に相手一度王手をかけず、攻め全て受けつぶして勝ったこともあり、先手金銀穴熊四間飛車勝った1981年2月12日王位リーグ(対脇謙二)の棋譜などは40年以上経った現在でも「穴熊姿焼き」の成功例として取り上げられているとされる

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近藤誠也」の記事における「棋風」の解説

四段昇段インタビューにおいて、得意戦法矢倉目標とする棋士には谷川浩司挙げている。

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渡辺正和 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

居飛車党。腰の据わった受け将棋で、特に角換わり横歩取り得意にしている。

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宮坂幸雄」の記事における「棋風」の解説

矢倉あるいは矢倉模様将棋が多い居飛車党当初攻守バランス取れたタイプであったが、その後駒組み完了する前からの斬り合いや、駒損いとわない踏み込みの棋風に変遷していった。 山田道美関根茂富沢幹雄研究会行い将棋界研究会元祖一人とされる

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高野智史」の記事における「棋風」の解説

角換わりが得意。非常に粘り強い棋風といわれている。

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井出隼平」の記事における「棋風」の解説

兄弟子櫛田陽一仕込まれた角筋を止める四間飛車を得意とする。その一方田丸からのアドバイス上述)を受けて以降行方尚史居飛車を、窪田義行には振り飛車それぞれ教わり将棋の幅を広げた

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阿部光瑠」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車どちらも指すオールラウンドプレーヤーである。プロ入り決めた際のインタビューでは、得意戦法居飛車回答している。電王戦での二つ名は「十八歳の光速棋士」。

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小林覚」の記事における「棋風」の解説

厚みを重視した柔軟な棋風とも言われるが、本人読み基調とする碁と言い、特に趙との七番勝負以後は鋭い踏み込みのある碁となる。

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佐藤健伍 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

得意戦法相掛かり向かい飛車

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出口若武」の記事における「棋風」の解説

元々は振り飛車一本だったが、20歳の頃に居飛車切り替えるなど棋風改造取り組んでいる。

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佐藤健伍」の記事における「棋風」の解説

得意戦法相掛かり向かい飛車

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宮宗紫野」の記事における「棋風」の解説

得意戦法四間飛車休場から復帰した2012年度以降居飛車多く指している。

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所司和晴」の記事における「棋風」の解説

格別これといった特徴はなく、柔軟な指しまわしで大抵の戦法囲いにも対応する平手から駒落ちまで様々な定跡を研究しており、著作が多いことから「定跡伝道師」と呼ばれている。特に「東大将棋ブックスシリーズが有名。 詰将棋に対して懐疑的であり、「宗看・看寿の詰将棋さえ解けば最低でもプロ四段になれる」という米長邦雄永世棋聖持論を、全面否定したことがある

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渡辺弥生」の記事における「棋風」の解説

居飛車振飛車両方指すオールラウンドプレーヤー。ただし本人は「振り飛車でしか勝てない居飛車党」と自称している。

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依田有司」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、四間飛車三間飛車多く、特に、飛車の上に銀を繰り出す攻撃的な棋風である。

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西川慶二」の記事における「棋風」の解説

正統派居飛車党である。

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石田直裕」の記事における「棋風」の解説

居飛車党近年矢倉採用が多い。角交換振り飛車破りが得意で、自身角道止めた四間飛車を指す。外連味のない真っ直ぐな将棋といわれる

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長沼洋」の記事における「棋風」の解説

駒取り坊主」と呼ばれるなど、駒得こまどく)を目指す実利重視した受けの棋風である。 かつては矢倉多く指す居飛車党であったが、その後中飛車なども指すオールラウンダーとなっている。 NHK杯戦で羽生勝ったときはゴキゲン中飛車戦い終盤でも駒取り励んで羽生攻め切らすことに成功した

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桐山清澄」の記事における「棋風」の解説

攻めの棋風であるが、銀を巧みに用いる事からニックネームは「いぶし銀」。風貌から「カラス天狗」ともいわれる代表する得意戦法挙げにくいので、川口篤河口俊彦六段当時)は「桐山将棋を語るのはなかなか難しい。」と述べている。

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高田明浩」の記事における「棋風」の解説

居飛車力戦を得意とする兄弟子にあたる糸谷哲郎将棋小さい頃から憧れていたと発言している。直感大事にする早指し派である。

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竹内雄悟」の記事における「棋風」の解説

変則的な将棋特徴で、初手に5筋の歩を突いたり(ただし、竹内場合ここから先手中飛車にしない事もある)、割り打ち両取りリスクの多い飛車角の並ぶ5六飛・6六角中飛車や、飛車玉の近い居玉四間飛車地下鉄飛車といった力戦を得意としている。また、受けと粘りにも定評があり、穴熊玉が入玉する終盤など定跡とらわれない力技見せる。

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橋本崇載」の記事における「棋風」の解説

居飛車主戦場しながら振り飛車も指す。受け将棋で得意戦法横歩取り2012年現在流行の戦形を研究することは無く、自らの指さない戦形についての知識はほとんど持ち合わせていないと言う将棋記者語ったによれば「僕には自分世界があるので。」とのことである。

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堀彩乃」の記事における「棋風」の解説

居飛車党大山康晴棋譜をよく並べており、受け将棋の棋風である。

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武宮正樹」の記事における「棋風」の解説

先番では三連星愛用し、地よりも中央での展開を重視した独特の感覚から作られる大模様作戦宇宙流と呼ばれファンも多い。一方、白番二連星から柔軟に展開される模様こだわらない流水のごとくしなやかな碁は自然流と呼ばれる韓国李昌鎬は武宮を「宇宙流は布石の第2革命と呼ぶべきであり、彼は世界の碁を一人変えてしまった」と評している。また中国江鋳久も「アマチュア強くなる秘訣は、武宮先生の碁を並べること」と述べるなど、独創的なそのスタイル世界で極めて高く評価されている。

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李昌鎬」の記事における「棋風」の解説

序盤から中盤にかけて手厚く打ちヨセ勝負持ち込む堅実なスタイルヨセに関しては「神算」と呼ばれるほど正確無比また、無表情かつ寡黙な性格でも知られ、「石仏」というニックネームもある。

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甲斐智美」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党

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西尾明」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であり、角換わり横歩取り矢倉を指すことが多いが、時折中飛車相振り飛車採用する攻守バランス取れた棋風である。

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鈴木輝彦」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、矢倉相掛かり角換わり対振り飛車急戦を指す。ただし、自陣整備完了する前に仕掛けることが度々あり、その場合は力戦調の将棋となる。 一方で矢倉中飛車使い手としても知られ本人も『将棋世界誌上連載で「『矢倉中飛車』の講座とくれば、現棋界私しかいないと胸張って言う事ができる」と述べるほど。本人によれば奨励会時代からずっと指し続けているが、一時戦績低迷したため、将棋知らないはずの妻から「矢倉チュウ飛車だけは止めてと言われたこともあるという。

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伊藤真吾」の記事における「棋風」の解説

生粋振り飛車党。特に中飛車使い手として知られ2014年には囲碁・将棋チャンネルで「伊藤真吾中級講座」と題した中飛車講座番組担当している。2017年末頃から、振り飛車から雁木などの居飛車戦法多く採用し、ほぼ居飛車党鞍替えしつつある

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伊藤能」の記事における「棋風」の解説

居飛車党受け将棋相手の得意戦法注文受けて立つ若手に強いと言われ2013年には佐藤天彦七段(当時)を破っている。

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石川優太」の記事における「棋風」の解説

得意戦法三間飛車。「2018年頃から連投」、「何度も指すと相手手の内がばれるが、それでもいいと思うくらい面白戦型」、「山本博志参考にしている」などと語っている。

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ロベルト・ヒュプナー」の記事における「棋風」の解説

チェス盤においてはヒュプナーエンドゲーム技術効率的無慈悲であるといわれてきた。ビル・ハーツトンは、「しかし彼の完全主義で、やや悲観的なアプローチが、チャンピオンになれなかった理由だ」と述べている。ヒュプナー成功への道は、タイミングの悪いトラブル棄権妨げられることがあった。ヒュプナー1971年挑戦者決定戦マッチではチグラン・ペトロシアンとの対戦対局環境についてのトラブル棄権しているし、1980年ヴィクトール・コルチノイとの挑戦者決定戦マッチも同様であった。特にヒュプナーに運がなかったのは1983年挑戦者決定戦準々決勝でのワシリー・スミスロフとの対戦である。スミスロフは早指しによるプレーオフ拒否した当時早指しプレーオフ選択制で、これはヒュプナー十八番であった)。代わりにタイブレークルーレット行なうこととなり、スミスロフが勝者となった

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高橋道雄」の記事における「棋風」の解説

相矢倉が得意で、全ての駒を働かせる将棋を好む重厚沈着な棋風であり、文字通り本格派居飛車党である。 地味で無口イメージのため、名前の略称「たかみち」にかけて「地道高道(じみちたかみち)」「地道流(じみちりゅう)」などと呼ばれる高橋自身ブログで「たかみっち」と自称している。 囲い発達貢献をしている[要出典]。特に居飛車振り飛車対抗形において、居飛車金銀4囲い飛角3枚攻め戦型一般化影響与えている[要出典]。金銀4による守りで飛角3枚による、切れる寸前の細い攻めを繋ぐ技術特徴がある。 3度目のA級復帰決めた2008年度B級1組順位戦では、後手番で横歩取り8五飛4度用い結果は3勝1敗であった

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小倉久史」の記事における「棋風」の解説

振り飛車を得意とし、特に積極的に攻める「下町流」と命名した三間飛車多く採用する

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熊坂学」の記事における「棋風」の解説

子供の頃からずっと居飛車党」であると本人意識している。飛車を振る場合も「自分場合泥臭い振り飛車」だと言う雁木陽動振り飛車といった力戦型にすることも多い。 終盤に関して手ごわい定評があり、特に裸玉に近い状態になってからの粘りを得意としている。 対局開始前の駒の並べ方について、プロ一般的な大橋流/伊藤流のどちらとも異なる独自の並べ方(一部では「熊坂流」とも称される)を採用している。

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三枚堂達也」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、角換わりを得意戦法としている。序盤から果敢に仕掛ける、鋭い攻め将棋桂馬活用定評がある 。

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西田拓也」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党攻め将棋。得意戦法振り飛車穴熊。いきなり1手目7八飛戦法で、相手意表を突くこともある。

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稲葉陽」の記事における「棋風」の解説

基本的には、角換わり横歩取りなどを多く指す居飛車党である。どちらかと言えば受け将棋であり、カウンター鋭さには定評がある。電王戦での二つ名は「泰然自若冒険家」。

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黒沢怜生」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党持久戦が得意で、2015年度竜王戦での青野照市戦、島本亮のような長時間長手数将棋も多い。

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富沢幹雄」の記事における「棋風」の解説

矢倉角換わり相掛かりが多い居飛車党で、時折中飛車指した対振り飛車で、「富沢キック」とよばれるポンポン桂戦法知られるまた、のちにゴキゲン中飛車呼ばれる戦法最初に指したのも富沢と言われる駒損いとわない攻めを、中盤戦から見せることが度々あった。 初手に▲1六歩と突いてから後手番の相掛かりのようにする指し方見られた。

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内山あや」の記事における「棋風」の解説

得意戦法横歩取り

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大島綾華」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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山口英夫 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

5筋の歩を突かない「英ちゃん流中飛車」の創案者。弟弟子近藤正和ゴキゲン中飛車創案したこととあわせて、原田門下中飛車戦法への貢献大きい。

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菊地常夫」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車どちらも指し四間飛車矢倉三間飛車が多い。 攻守バランス取れているが、どちらかと言えば受け将棋である。

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木下晃」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、相居飛車戦では矢倉相掛かり将棋多かった踏み込んで斬り合うことを好む棋風だった。 非常に早見えする将棋であり、感想戦等で詰むかどうか瞬時読み切って対局者驚かせることもあった。

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賀集正三」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車ともに指すが、矢倉将棋が多い。 中盤から終盤まで押し押されつの攻防特徴的な棋風である。

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北村昌男」の記事における「棋風」の解説

矢倉など居飛車の主要戦法一通り指しこなし、正統派指し方をする棋風。一方で攻めっ気の強い棋風で知られ、「攻め十五段」などと謳われた幅広い戦法持ち相振り飛車筋違い角指した詰将棋愛好し詰将棋作家として知られる初心者向けの短手数問題作問を得意としているほか、雑誌書籍など詰め手筋の研究分析などもよく行っていた。また、現役引退してからも将棋雑誌新聞などにもよく問題出題している。作風としては難解複雑さ好まず明解作品売りとしている。

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棋風

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佐藤庄平」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、相掛かり系や矢倉が多い。相手振り飛車で来ると、持久戦ではなく急戦の形で対抗する攻めの棋風であり、特に、銀を敵陣前に繰り出し飛車縦に使い激しい歩の突き合いをするという、破壊力のある縦の攻め特徴がある。

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高崎一生」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党であり、四間飛車を指すことが多い(小学生将棋名人戦決勝も、四間飛車戦った)。 相手振り飛車で来た場合は、相振り飛車にする。

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神谷広志」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車ともに指しまた、それぞれ色々な戦法を指すオールラウンドプレーヤーであり、力戦調の将棋が多い。 強気の棋風であり、ギリギリ変化にも躊躇なく飛び込んでいく「見切り」「玉さばき」が持ち味

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伊藤沙恵」の記事における「棋風」の解説

受けを重視する棋風で、「攻め将棋」が多い女流棋士の中では異色である。流行左右されず、自分ならではの「型」で戦う。 2017年度の第28女流王位戦五番勝負伊藤里見香奈女流王位挑戦)でインターネット中継解説務め、同じ時期第89期棋聖戦1次予選伊藤女流棋士枠出場)と対局し大平武洋は、伊藤の棋風を下記のように評した。 「接近戦強く混戦で力を発揮する印象」 — 大平武洋渡辺弥生は、形にとらわれずに、相手攻め駒を金銀攻める、受けが強い棋風、と評する

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山口恵梨子」の記事における「棋風」の解説

得意戦法中飛車激し攻め将棋の棋風から「攻め大和撫子」の異名を持つ。

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森雞二」の記事における「棋風」の解説

終盤において強さ発揮し、「終盤魔術師」と呼ばれる

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小林光一」の記事における「棋風」の解説

足早に地を稼ぎヨセ勝負持ち込む実利派。 全盛時代多用した小林流布石好成績挙げ世界で流行布石となった。味や含み残さず早々部分部分の形を決めて打つ「決め打ち」は有名。

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宮沢吾朗」の記事における「棋風」の解説

石の形や筋がよく、鋭い着眼猛攻仕かける剛腕家。アマチュアから高い人気得ており、心酔するファンも多い。ニックネームは「無冠の帝王」。 ビックタイトルにこそ恵まれなかったものの、新人王戦2回、3大リーグそれぞれ在籍するなど、8090年代にかけて一線級の棋士として活躍した。 師である木谷宮沢初め見た際、「久しぶりに尾のハネ上がったつかまえたと言ったという。打碁集日本棋院2005年)の解説には「先生常識世の常識常識人でありたいのなら、この先生の碁に深入りしてならない。」とまで書かれた。

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木村一基」の記事における「棋風」の解説

居飛車党である。横歩取り8五飛戦法などの激し将棋指しこなすが、受けが得意であり、守り粘りの棋風である。相手攻め駒を逆に責めて攻撃跳ね返す強靱受け潰し見せる。守備駒として強力な竜馬自陣引き付けることも好む。時に、玉を守り参加させる顔面受け」を見せるなど、他のプロ棋士驚かせることがある。 なお、柴田ヨクサル作の漫画ハチワンダイバー」の登場人物である中静そよ異名アキバ受け師」をもじって、「千駄ヶ谷受け師」と呼ばれることがあるまた、勝負あきらめないという特徴があり、人によっては不利を認めて投了してしまうところ、木村場合はっきりするまで指し続け場合が多い。木村曰く相手が誰であっても信用しないとのことである。実際羽生善治木村から1手詰みの頓死食らったことがある2001年竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局)。その非常に粘っこい棋風を、先崎学は「『木村の玉を詰ますのは疲れる』ということばが業界にはあるくらい」「血液中にナットウキナーゼ入っているんじゃないかという疑惑がある木村君」と表現している(ただ実際に納豆は苦手だという)。 粘り強さの裏付け一つ体力があり、同い年行方尚史木村について「彼は順位戦後でも『欲しくなるタフな男」と語っている。

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田中寅彦」の記事における「棋風」の解説

全盛期独創的な序盤戦術により作戦勝ち収めることが多く、「序盤エジソン」の異名を持つ。居飛車穴熊の「囲い固さ重視」、飛車先不突矢倉戦法での「展開のスピード重視」という思想は、その後序盤戦術の基礎となったさらにはそれまで素人将棋」とされていたウソ矢倉を、後手番での矢倉斬新な組み方「無理矢理矢倉」としてプロの間で通用する戦法にするなど、将棋序盤戦術の発展与えた影響大きい。それ以外にも、藤井システム対策串カツ囲い発案など、積極的に序盤戦術を開拓していった。 「居飛車穴熊」を現代戦法として再編体系づけてプロ棋士の間に大流行させて本格的な対振り飛車攻略として定着させた。「居飛車穴熊戦法元祖」と呼んでよい(※)。 (※)なお「元祖」という呼び方に関してアマチュア強豪大木和博から訴えられたが、「二人とも元祖創始者呼ばれるにふさわしい」というのが裁判所結論である(一審から最高裁まで、結論一貫してそうであった「居飛車穴熊戦法」訴訟参照。)結論としては、田中寅彦は「居飛車穴熊戦法元祖」と呼ばれるのにふさわしい。(また同様に大木元祖呼ばれるのにふさわしい。ちなみに世の中さまざまなことで「元祖」と呼ばれた名乗るのにふさわしい人が2〜3人いるという状態はさほど珍しくない)。(実際居飛車穴熊自体は、史実では、1968年第27期名人戦第2局先手番の升田幸三居飛車穴熊コンセプト後手番の大山康晴四間飛車相手実践していた。 20世紀将棋序盤戦術に革新性もたらし現代将棋発展貢献した羽生善治若手棋士だった時代に、日経新聞の「19歳挑戦」という記事に「田中寅彦八段当時)の序盤は実に巧みで、私にはない感覚といつも感服させられる。(中略序盤研究急務思っている。」と述べていた。研究将棋対す熱意真摯な取り組みといった面で、羽生世代与えた影響少なくない終盤に関しては、さほど強くはなかった。羽生世代が(田中らが編み出した序盤戦術に学び、それを研究した結果序盤終盤両方強くなり隆盛して以降さすがに戦績が振るわなくなった。(とはいえ後輩から「学ぶに値する先輩」とみなされ研究され後輩育ち、やがて乗り越えられてゆくことは、先輩としての功績であり名誉である。)

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李世ドル」の記事における「棋風」の解説

定石超える独創性が強い戦闘的なスタイル。「韓国棋界魔王」と呼ばれている。

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高見泰地」の記事における「棋風」の解説

本人によると、矢倉囲い及び居飛車穴熊を得意とする

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丸山忠久」の記事における「棋風」の解説

居飛車党。序中盤リードして逃げ切る戦い方接近戦を得意とする優勢になってからも勝ちを急がず相手の手を殺す方針を貫く手堅い棋風は、「激辛流」あるいは「友達無く戦い方と言われる角換わり横歩取りを得意としている。1997年度NHK杯における兄弟子米長邦雄との対局では、後手番の米長丸山角換わり避け角換わりのような出だしありながら角道止めて交換拒否し丸山飛車先の歩交換を許す、現代プロ棋士の目からすれば奇異な作戦採用した米長は局後の感想戦で「(丸山に)角換わりを指させたら、谷川羽生でもかなわないだろうから(角換わり将棋にしなかった)」と語っている。第24期(2011年度)および第25期(2012年度)竜王戦七番勝負では、先手ならば角換わり後手ならば一手損角換わり全局戦ったゴキゲン中飛車戦法に対して早々と角交換する指し方は「丸山ワクチン」と呼ばれる。これは丸山千里開発した薬剤の名前に因んでいる。 最近[いつ?]、丸山後手番で、一手損角換わり途中、3手目先手から角道止められ場合振り飛車採用することが多くなった。

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神崎健二」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であり、矢倉相掛かり系の採用率が比較的高い。後手番一手損角換わり戦法流行後は、同戦法多用している。乱戦や一直線攻め好み相手攻め受けず攻め返す棋風である。大駒や自玉を守る金・銀といった大事な駒に「取り」がかかっている局面であっても、それを見捨てて攻めの手を指すことが非常に多い

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米長邦雄」の記事における「棋風」の解説

厚みを重視し劣勢になる自陣に駒を打ち付け複雑にして逆転を狙う棋風から、「泥沼流」と呼ばれる本人性格見た目から「さわやか流」と呼ばれていたこともあり、米長本人後者の方が好きだったと言う(ただし、棋風との関連不明)。 弟弟子である丸山忠久は、米長将棋特徴について米長先生の棋風は『さわやか流』、『泥沼流』などと評され清濁併せ呑むというのが一般的なイメージかも知れません。しかし、私は清から濁、濁から清への転換見事さこそが米長将棋本質だと考えています」と述べた上で、「清なら清、濁なら濁がずっと続くわけではなく鮮やかに切り替わるのです。その変わり身速さは、おそらく誰も真似できないでしょう。これが米長将棋最大魅力だと思っています」と、局面対す柔軟性の高さを評価している。 居飛車本格派ながら、定跡研究などによる序盤構想よりも中~終盤攻防ねじ伏せる勝利多く、特に将棋終盤戦術の向上に貢献した。その独特の感覚は「米長玉」などに表れており、現代将棋終盤基本パターン自分の玉を‘Z’(ゼット絶対詰まない形)にして攻めまくる」に、大きな影響与えている。四冠王になるなど絶頂期にあったときには自著逆転テクニック』の中で序盤研究否定的な見解示し詰将棋鍛え抜いた読みの力をベース劣勢になっても相手ミスを招く勝負ならびに終盤力が将棋における勝負本質であるとの見解示していた。 若手時代から「序盤下手」と揶揄されることが多かった谷川と共に序盤の二下手」と呼ばれたこともある)一方で羽生善治米長序盤を「序盤から息を抜けず緊張感強いられる序盤巧者」と評している。ただ、定跡挑戦するチャレンジ精神は相当あり、対山田戦では「▲3七対△1三銀矢倉千日手」という常識挑戦した結果負けた)。また、対中原戦では総矢倉(これも常識では千日手)で▲6八銀左という新手指して勝っている。 また、同じ振り飛車党に対して大山に対して位取りメインにした持久戦を、森安に対して鷺宮定跡急戦)を採用するなど、相手によって戦法変えることを明言していた。 四冠王になる前には、「角頭歩戦法」や「新鬼殺し戦法」といった奇抜とも言える序盤戦術を開拓していた。「角頭歩戦法」はタイトル戦1975年昭和50年)の王将戦第1局)の舞台で使用し大きなインパクト与えた。しかし「角頭歩」についてはすぐ相手側の「回避策」が出てしまったが、それに影響受けた戦法立石流」の源泉となった。また「新鬼殺し戦法」は初心者向けのハメ手戒められていた鬼殺し立派な一戦術として確立させている。また2011年平成23年12月21日行われたコンピュータ将棋ボンクラーズ」とのエキシビジョンマッチ敗北したものの、ボンクラーズ初手▲7六歩に対し2手目に△6二玉(本人は「新米長玉」と呼称している)という珍しい手を繰り出した四冠王となった頃に「米長流急戦矢倉」の開発対振り飛車における「玉頭位取り」や「鷺宮定跡」の整備といった功績がある。 「矢倉将棋純文学」という有名な表現米長言葉である。これは米長によれば(矢倉は)高尚である、と言った意味での発言ではなく、角が上下にギザギザネチネチと動きネチネチ押した引いたりし、相手出方見てネチネチと手を変えと言ったそのネチネチさを指して純文学」と表現したとのことである。

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井上慶太」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であるが、振り飛車党のような軽快捌き重んじる軽い棋風である。 B級2組迎えた1995年度順位戦は9勝1敗で1期抜け遂げたが、当期における唯一の黒星1995年12月22日の7回戦・対藤井猛戦)は、井上居飛車穴熊組もうとしたところ、「藤井システム」の前に47手で惨敗した一局である(対居飛車穴熊藤井システム1号局)。当時井上居飛車穴熊天下一品と言われていたが、それゆえ藤井標的にされてしまった。 プロ棋士としては珍しく終盤まで居玉のまま勝利した経験を持つ。(2017年1月27日第43期棋王戦予選・対星野良生戦・手数99手)

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山口稀良莉」の記事における「棋風」の解説

得意戦法三間飛車攻め将棋

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石田芳夫」の記事における「棋風」の解説

地に辛い棋風で、三々多用し両三々も得意戦法とした。ヨセが強いという評価加えて序盤構想意欲的である。大斜定石研究家として知られ中国流布石対抗する白番の有力な手法としても活用した置碁名手としても知られ1972年から2年間『棋道誌上アマチュアとの2子から5子局指導碁シリーズ打ち23勝1敗という結果だった。1983年から『レッツ碁』誌上ではプロプロ置碁対局行い、九子置かせて57負けなどの記録残っている。また、2013年3月21日囲碁ソフトcrazy stone」との四子局敗退し、「人間なら打ってくる場所に打たない冷静さ柔軟さ感じた天才かも」と述べた

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八代弥」の記事における「棋風」の解説

本人によると、居飛車党矢倉戦法を好むという。横歩取りも指す。 順位戦に星が集まらない棋士1人として知られるプロ入り同期斎藤慎太郎プロ入り10年間、2022年3月末までの成績比較すると、単純な勝率では八代が.654(439局-287勝)、斎藤が.661(422局-279勝)と高い水準拮抗しながら順位戦に限れば昇級経験の無い八代に対して斎藤2度名人挑戦獲得対照的な結果となっている。その間竜王戦では1組まで昇級しており、必ずしも長時間棋戦を苦手としているわけではない

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高梨悠介」の記事における「棋風」の解説

正確な打ち回しで他のプレイヤーからはまるでコンピューターのようだと言われており。基本的にオセロプログラム使って後で分析してみてもほぼ最善手した打っていない。本人曰く、無理、強引な手はほとんど打たず、そこの調和師匠の中島哲也八段似ている本人成功の秘訣としては「継続は大事ですが、愚直に同じことを続けていても成功続かない思ってます。 私が趣味続けているオセロ5度世界チャンピオンになれたのは、常に高み目指し変わり続けることが出来たからだと思います。 そしてそれはオセロ限らず私生活仕事にも同じことが言えるはずです。 様々な場面で決断選択、対応を求められることがありますが、恐れずに常に新しいことに挑戦し時には失敗バネしながら変わり続けることで成長をしていきたいです。」と心掛けている。

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津村常吉」の記事における「棋風」の解説

相掛かり角換わり陽動振り飛車など、居飛車系の将棋が多い。 攻め気が強い棋風で、攻め続けば快勝するが、受けに回ると脆い面がある

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加藤結李愛」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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山口仁子梨」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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頼本奈菜」の記事における「棋風」の解説

得意戦法四間飛車

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水町みゆ」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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加瀬純一」の記事における「棋風」の解説

生粋振り飛車党

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深浦康市」の記事における「棋風」の解説

若手時代から、手厚さ強靭な受けを特徴とする安定した将棋を指す棋風であり、長年棋界指折り通算勝率(約7割)を維持した。その一方数々大舞台深浦戦っている羽生善治は、深浦将棋を「アグレッシブ」、「積極的」と評している。 基本的に居飛車党であり、矢倉角換わりを指すことが多い。2006年以降振り飛車戦法も指す、いわゆるオールラウンドプレーヤーになっており、また、積極的な攻め合わさった幅の広い棋風となってきている。2007年から羽生とのタイトル戦でもその傾向見られる序盤研究家として側面もあり、序盤作戦指針となる『これが最前線だ!』『最前線物語』最前線物語2』の三部作著している。

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西山朋佳」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党ゴキゲン中飛車三間飛車が得意戦法で、軽いさばき、力強い攻め特徴とする。 序中盤不利になっても、終盤力で逆転勝ちする「怪力」で知られる観戦記者津野章二は、女性とはとても思えない豪快な将棋を指す、と評する鈴木大介によると、「強かった頃の鈴木大介似ている」と将棋界評されている。 女流棋戦では持ち時間をほとんど使わない傾向であったが、2017年度行われた第11期マイナビ女子オープン本戦西山本戦シード)では、持ち時間きっちり使う傾向変化したまた、主にネット将棋実戦重ねることで腕を磨いていた西山は、初タイトル「女王」獲得する前年2017年から男性棋士研究会を行うようになり、練習対局の後の感想戦男性棋士から様々な指摘を受けることで、将棋観が変わったという。

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藤森哲也」の記事における「棋風」の解説

迷った攻める」、師匠ゆずりの攻めの棋風。居飛車党で、本人によると矢倉囲い急戦好んでいるという。三段リーグ時代から「米長流急戦矢倉」を改良し、左銀を中央繰り出していく「藤森急戦矢倉」を採用している。 なお、「将棋放浪記」では振り飛車採用する対局もかなり見られ、「振り飛車党目指すことも考えている」という。

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有野芳人」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車ともに多様な戦形を指すが、矢倉採用率が高い。 いわゆる‘足を止めてパンチ応酬’の将棋が多い棋風である。

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山口絵美菜」の記事における「棋風」の解説

得意戦法四間飛車穴熊

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斎藤明日斗」の記事における「棋風」の解説

四段昇段時に、得意戦法横歩取り系だと回答しているが、近年相掛かりを指すことが多い。

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関屋喜代作」の記事における「棋風」の解説

四間飛車党であるが、矢倉角換わり三間飛車多く指す。 四間飛車では、序盤角道止めた4段目の歩を早々に5段目に突き、角交換持ち込むとともに飛車先軽くする将棋が多い。 相手の玉が寄るか寄らないかのぎりぎり攻め勝負をする棋風。

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藤倉勇樹」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党棋士で、四間飛車駆使したトーチカ対居飛車穴熊相振り飛車などの戦形を得意とする

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伊藤匠」の記事における「棋風」の解説

得意戦法相掛かり

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棋風

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有吉道夫」の記事における「棋風」の解説

自玉を堅く囲った後、一転して猛烈に攻める棋風で、「火の玉流」と言われる矢倉戦の先手番で右の銀を▲4六から使う戦法は「有吉流」と言われる対振り飛車では玉頭位取り戦法好み著書出している。

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大山康晴」の記事における「棋風」の解説

史上最強棋士誰か聞かれれば、「大山康晴」と私は答えることにしている。実績において大山を破る者があるとすれば羽生善治だろうが、それでもまだ今後活躍次第と言っていだろう。 — 米長邦雄2012年没)の遺稿より、 米長邦雄は、大山の、終盤での強靭な粘り最善手ではない、敢えて相手悪手疑問手を誘うよう手を指す逆転術を「終盤二度ある」「二枚腰」と評した[要ページ番号]。 同じく米長邦雄は、大山将棋神髄は受けにあり、守りの要となる金の使い方巧みさでは並ぶ者がない、と評している。 大山1992年死去した後、藤井猛大山棋譜徹底的に研究して藤井システム創案し、それを駆使して1998年度初タイトルとなる竜王獲得した際に、藤井将棋大山将棋酷似していると感じた米長邦雄は、「嫌な者」(大山)が生き返ってきたかのようだ、という趣旨発言をしたという(河口俊彦による)。 羽生善治は、大山の棋風について「読んでいないのに急所に手が行く」「最善手追求しない」と評している[要ページ番号]。大山との実戦では「まあこんなところだろう」という感じで手が伸びてくるのがピッタリ当たり、まさに名人芸という指しまわしであった評している[要ページ番号]。 若い頃大山は、その当時主流であった矢倉腰掛銀などの居飛車多かったが、突如振り飛車党転向、特に美濃囲いでの四間飛車ツノ銀中飛車好んで指した。この転向について、勝又清和は「ファン喜ばれる将棋指そう考えたため」と説明しているが、大山場合多忙の中、兄弟子大野源一から序盤ある程度決まっている(序盤研究省略できる)振り飛車勧められためとも言われている。 しかしその一方で相振り飛車極端に嫌っていて、相手飛車振った場合は必ず居飛車指していた(大山公式戦相振り飛車指した棋譜は1局し残っていない)。 鈴木大介は、大山相振り飛車嫌っていた理由として、当時相振り飛車一般的に使われていた金無双の右銀の使い方苦心していたためではないか話している。その根拠として、大山最後に指した相振り飛車対局では、大山二枚金の形にはしたものの右銀は2八に上げずに3九に置いたまま戦い最終的に終盤取られしまうまで3九から動かすことは無かった相手の手番のときには相手盤上のどこを見て考えているか視線方向観察していた。

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伊田篤史」の記事における「棋風」の解説

厚く戦う」ことを基本とした本格派

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村川大介」の記事における「棋風」の解説

力戦型で乱戦を得意とする王座獲得後は、細かい勝負にも強くなった。

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井山裕太」の記事における「棋風」の解説

従来の型・定石囚われず、「打ちたい所に打つ」を信条にした独創的なスタイル構想力優れ予想外一手から大胆な変化選び解説者驚かせることもしばしば見られる形勢良し悪しかかわらず、常に「最強手」を模索しており、優勢局面において手堅い手よりも厳しい手を選ぶことが多い。大の長考派として知られ勝負所踏めば序盤から持ち時間惜しげもなく使う(30歳過ぎた頃からは、持ち時間を残す打ち方見られるようになった)。 低段者時代は地に辛くて攻めの強い碁を打っていたが、タイトル戦で争うようになってからは手厚い碁も打つようになった囲碁界第一人者となってからは、どんな碁も打ちこなす万能タイプ評されるが、中でも石が複雑に混み合う中盤戦読み判断力において特筆すべきものがある。 2019年頃からは地に辛いスタイル顕著になり、AI定石ダイレクト三々」を好んで採用しているが、逆に布石を敷くケース減少している。序盤徹底して実利稼ぎ相手模様シノギ勝負持ち込むという展開が増えている。

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梶一郎」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、相掛かり変則的な矢倉の形の将棋が多い。横歩取り3三角戦法内藤國雄以前指している。時折振り飛車指し升田幸三相手中飛車戦って勝った一局もある。

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一力遼」の記事における「棋風」の解説

早見え早打ち天才肌優れた大局観柔軟な発想持ち序盤から意欲的に勝負を仕かけていく力戦型。早碁強く日本勢総じて苦戦している国際棋戦で、1人気を吐いている。

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河野臨」の記事における「棋風」の解説

ヨセに強い冷静な棋風であったが、タイトル獲得前後から戦闘力も身につけ、2007年には韓国李世ドルねじり合いの末に撃破した三村智保は、形勢悪くなっても無理な手は選ばず常に本手対応し正確なヨミ計算地合詰めていく棋士であると評している。

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松下舞琳」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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島朗」の記事における「棋風」の解説

基本的に居飛車党であるが、著書には振り飛車編を詳細に解説した大著「島ノート」がある。講談社出版将棋書籍として珍しいものだが、これは週刊現代塚田泰明交互連載していた「ハイパー実戦塾」の振り飛車部分大幅に加筆修正したもので、将棋界でも画期的な名著とされている。特に、島が考案し紹介した鬼殺し向かい飛車戦法」はネット将棋一時期大流行し現在では4手3三角戦法一変化として残っている。また、島がインターネット用いて読者質問答えたことも先例のないことであった。この本は元来もっと大部にする予定だったものの、「辞書になってしまう」という理由現在のページ数に抑えている。 独特の美意識持った人物あり、かつては形勢不利になるとあっさり投了してしまうことから「早投げ代表格」とも呼ばれた。しかし「自分投了図将棋ソフト調べさせたら、何局も『優勢』と形勢判断された」ことから、2019年現在は「これから早く投了しないようにします」と語っている。 従来将棋の駒は盤の枠内真ん中に置くものとされていた。それに対し島は駒を枠内の手前の線にピッタリ置く。駒音も静かであり、後に多く若手棋士が島のスタイル追随していった。中村修NHK杯解説で、「島さんの功績功罪」と述べていた。 第61回NHK杯1回戦18局で女流棋士甲斐智美対局女流棋士との公式戦初手となった結果甲斐ゴキゲン中飛車対し、島が4筋の位を取る珍しい作戦にでて快勝した流行型を指しこなしつつも、矢倉中飛車などの古くからある作戦に独自の工夫加えていく島らしい戦型選択であった

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杉本昌隆」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党棋士として知られ、特に四間飛車中飛車を得意とする板谷一門は、「振り飛車よくない」、「若いうちは居飛車でいきなさい」という考え方一門であった杉本奨励会入った当初居飛車党であったが、2年6級のままであったことと、自分武器体力だと知ったことから、振り飛車党転じた杉本振り飛車奨励会時代から定評があり、先に四段上がった村山聖は「全振り飛車党の中で唯一の本格正統派」「メチャクチャ格調が高い」と評していた。また、共に第七三段リーグ戦った藤井猛は、当時三段リーグにおいて振り飛車党苦戦強いられていた状況踏まえ居飛車指せるようになっていた方がよいのでは、と迷っていたところ、杉本振り飛車中心に指しこなしてプロになったのを見て勇気づけられ」、翌期振り飛車一本臨み15勝3敗の好成績残してプロ入り果たした小林健二と共に藤井システム以前の非常にシステム化された振り飛車定跡整備した功績がある。

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都成竜馬」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党中飛車を得意とする。ただし、優勝した新人王戦では一手損角換わり相掛かり等の居飛車指している。 新手メーカーとして知られ公式戦振り飛車をもってミレニアム囲い最初に指した棋士とされるまた、対ゴキゲン中飛車超急戦における都成新手奨励会時代発見した。 『都成流』と呼ばれる後手番の新戦法編み出しており、同じ関西所属糸谷哲郎西遊棋イベント紹介している。

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村中秀史」の記事における「棋風」の解説

高柳門下特有とされる本格派居飛車党だが、後手番の際はゴキゲン中飛車などの角換わり振り飛車用いることも多い。

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加藤一二三」の記事における「棋風」の解説

半世紀にわたる棋士人生を通して居飛車党貫き数々定跡発展貢献してきた。また、棒銀代表として良い思った戦型ひたすら採用し続け傾向にあり、勝率が高い流行り戦法があっても自身棋理重視し採用しないことが多かった

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豊島将之」の記事における「棋風」の解説

居飛車対振り飛車矢倉角換わり横歩取り相掛かりなど)、振り飛車三間飛車向かい飛車中飛車など)、相振り飛車いずれも指しこなし、また攻め合い将棋持久戦も指すという、序盤中盤終盤と隙のない典型的なオールラウンドプレーヤーであり、「豊島強いよね。序盤中盤終盤、隙がないと思うよ」と同じ棋士佐藤紳哉からも評価されている。将棋電王戦での二つ名は「若き天才オールラウンダー」。 将棋電王戦出場機にコンピュータソフトでの序盤研究力を入れており、序盤時間使わず終盤戦時間を残す戦いが多い。力戦形も得意としていて、最速の勝ちを目指すよりも抜群大局観押し切る将棋真骨頂である。

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野原未蘭」の記事における「棋風」の解説

英春流を指す。鈴木英春考案した独創的な戦法であり、直接指導受けてにつけた指導を受ける前は角交換四間飛車を得意としていた。

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堀口弘治」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であり、矢倉多く角換わり横歩取りも指す。

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武富礼衣」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、得意戦法居飛車穴熊

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宮本広志」の記事における「棋風」の解説

振り飛車を得意とする力戦乱戦多く、序中盤不利になっても終盤逆転する剛腕見せる。相手振り飛車党場合相振飛車にするのも厭わない

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藤井聡太」の記事における「棋風」の解説

居飛車党長考派で持ち時間長い順位戦二日タイトル戦で特に勝率が高いが、限られた時間中でも幼少期より詰将棋で培われた正確な終盤力には定評がある。序盤の深い研究中盤形勢判断能力終盤切れ味一気攻め丁寧な受けの技術備わっており弱点がなく、かたよった棋風がなく満遍なく強いと評されている。また、2021年対談で「(対局中考え上で読み形勢判断以外のものは基本的にいらない」と言及しており、勝負大きな影響与えるとされてきた「経験」や「勝負勘」といった要素依存しない考え明かしている。

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香川愛生」の記事における「棋風」の解説

得意戦法振り飛車相手振り飛車で来た場合は、自分振って相振り飛車にすることが多い。

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曺薫鉉」の記事における「棋風」の解説

軽快で足の速いスタイルで、「ツバメ流」「囲碁帝王」と評された。

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沼春雄」の記事における「棋風」の解説

基本的に居飛車党で、相手居飛車ならば矢倉相手振り飛車ならば相手穴熊であるか否かによらず急戦形を指す。時折四間飛車向かい飛車などの振り飛車も指す。 渋い将棋よりは攻め合い将棋が多い棋風で、終盤で危うい受けを見せところに特徴がある。

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飯野愛」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、特に三間飛車を得意とする

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高群佐知子」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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古森悠太」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、攻め将棋囲いより早い仕掛け優先し端歩受けないことがある形勢悪くなってから、開き直って勝負するタイプ。 得意戦法角交換振り飛車浦野真彦は「古森奨励会では、殆ど振り飛車しか指した事がない」と発言している。 長時間棋戦得手とする。自らも「長考は得意」と宣言し、「時間単位大長考も、僅かな時間経過感じる」という。

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鈴木越雄」の記事における「棋風」の解説

中央重視する棋風で知られ一手目を5の9(辺の星の斜め上)に打つなど意表を突く布石作戦を採ることがままあった。自ら自分の碁を「素人碁」と称し、「自分だけの碁を創りたいものだ」と語っていた。中でも1956年当時全盛呉清源に先で対し小目肩ツキという思い切った打ち方で8目勝ちを収めた碁は有名である。 1956年11月13・14日 呉九段新進戦(鈴木先番高目の2連打から、黒5小目肩ツキするという思い切った中央布石。 以下黒29まで大模様構築、呉に完勝した

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高田丈資」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党積極的な指し方をし、攻め・受け、ともに力強い棋風である。 相手振り飛車で来た場合相振り飛車にすることもあったが、居飛車にすることの方が多かった

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植木善大」の記事における「棋風」の解説

手広く構え隙を突く狙いの碁を打つ。本格派穏やかな棋風。黒番では中国流で打つ。

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椎橋金司」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、中飛車四間飛車三間飛車向かい飛車のどれも多く指した大山康晴などの振り飛車党相手にする場合には、居飛車で戦うこともあった。 振り飛車ではあるが、攻っ気の強い棋風である。

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酒井順吉」の記事における「棋風」の解説

プロ入り後、当初矢倉党で、その後ひねり飛車多く指す時代があった。現役最後数年間は、主に四間飛車を指す振り飛車党となった

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笠井友貴」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、得意戦法角換わり攻めの棋風。

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二見敬三」の記事における「棋風」の解説

ほぼ居飛車党であり、時折り、定跡とらわれない力戦調の将棋見られる攻めの棋風で、攻めが筋に入ると強い。しかし、攻め切れずに受けに回ると脆くまた、相手大駒攻めている間に自分の玉を攻められてしまうパターンもある。

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千葉涼子」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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長谷川優貴」の記事における「棋風」の解説

昔は、相振り飛車が苦手だったので、相手振り飛車なら居飛車にしていた。今は相振り飛車でも構わない先手では中飛車後手では四間飛車良く指すが、後手中飛車勉強中。棋風は攻め将棋。受けには少々恐れがあるとのこと

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井道千尋」の記事における「棋風」の解説

攻めっ気たっぷりの棋風。 またアマチュア時代には石川県在住アマチュア強豪鈴木英春指導受けており、鈴木オリジナル戦法として有名なかまいたち戦法」を得意にしていた。

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伊奈川愛菓」の記事における「棋風」の解説

得意戦法横歩取り

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瀬戸博晴」の記事における「棋風」の解説

プロ入り後、再び穴熊多用し相手居飛車党である場合は必ずと言っていいほど振り飛車穴熊戦法用いた。また居飛車穴熊についても田中寅彦と共に先駆者として知られる

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中村亮介」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、特に四間飛車を得意とする。「新・振り飛車党宣言!」という共著もあり、大和証券杯ネット将棋エキシビション対局では新鋭振り飛車一人として小林健二対戦した

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山本博志」の記事における「棋風」の解説

得意戦法ノーマル三間飛車プロ入り時には「しばらくは三間飛車頑張ってみて活躍したい」との抱負述べている。上述三段リーグ藤井聡太戦では三間飛車穴熊対策戦法トマホーク用いて勝利している。『三間飛車新時代』でもトマホークの章を執筆している。 先手番ではしばしば、初手7八飛戦法採用している。

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及川拓馬」の記事における「棋風」の解説

本人は「得意戦法は特にない」とのこと詰将棋作家として著名であり、『将棋世界2017年4月号から「詰将棋サロン」の選考執筆担当

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阪口悟」の記事における「棋風」の解説

得意戦法中飛車強気な攻めバランス良い受けを持ち味とする。

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金沢孝史」の記事における「棋風」の解説

矢倉囲い採用率が高い居飛車党であるが、大駒捌きよりも小駒効率的に使った攻め棒銀など)を活かして勝利することが多い。終盤の受けに大駒性質活用するのも特長である。その一方で攻め難い局面持ち込まれると序中盤段階早々投了することも多い。 将棋奇襲戦法のひとつである「金沢流」の考案者として知られる現役最後対局は、居玉で戦う趣向定跡に拘らない金沢らしさを最終局まで見せた

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石本さくら」の記事における「棋風」の解説

オールラウンダー居飛車振り飛車双方指しこなす)を目標としている。 2018年2月時点では、さばきを重視する振り飛車党相振り飛車も得意である。

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鎌田美礼」の記事における「棋風」の解説

得意戦法居飛車

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野月浩貴」の記事における「棋風」の解説

居飛車党棋士で、相掛かり後述横歩取りなど激しく攻め合う戦法を好む。 ただし、持ち時間の短いテレビ棋戦などで後手となった場合は、飛車を振ることもある。 横歩取り8五飛産みの親中座真育ての親野月浩貴といわれ、まだ同戦法流行していない頃、この戦法を連採して高勝率収めた優勝した早指し新鋭戦1998年度)の対・飯塚祐紀戦では、対局前のインタビューで「秘策考えてきた」と語った。その「秘策」とは、初手▲1六歩と突いて先手番で無理矢理横歩取り8五飛形にするというものであった

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村田顕弘」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車両方戦型指しこなすオールラウンダータイプの棋士

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林まゆみ」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、矢倉相掛かり系の将棋多く鈍重な手を指さない棋風。たまに振り飛車指した

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真田彩子」の記事における「棋風」の解説

振り飛車居飛車も指す。特に四間飛車矢倉が多い。 四間飛車を指すときの囲いとしては、美濃囲い穴熊囲い採用する

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浦野真彦」の記事における「棋風」の解説

特定の得意戦法持たない攻め将棋

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井田明宏」の記事における「棋風」の解説

得意戦法雁木三段の頃から始めた。「最初上手く指しこなせなかったが、現在は一番自信のある戦法雁木とは病める時も健やかなる時も共に生きていきたい!笑」と言うほどの愛情持っている

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佐々木慎」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党棋士で、中飛車四間飛車三間飛車など振り飛車全般差しこなし、最新形に明るい「振り飛車オールラウンダー」。対抗形場合居飛車を持つ事もある。久保利明将棋世界インタビュー内で、同じ振り飛車党期待している後輩佐々木慎の名を挙げている。手厚い受けが得意で着実な棋風でありつつ、独特でユニークな理論にも定評がある。

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脇田菜々子」の記事における「棋風」の解説

居飛車党

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山本真也」の記事における「棋風」の解説

対石田流を得意としており、先手三間飛車対し後手が6筋を攻める「山本石田封じ」と呼ばれる定跡開発した序盤重視派の棋士である。 初手☗6八玉、☗7八金、☗3八銀、☗9六歩などの変化球見せことがある後手のときも、2手目☖1四歩、☖3二金などがある。

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和田あき」の記事における「棋風」の解説

居飛車党矢倉を得意とする

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杉本和陽」の記事における「棋風」の解説

振り飛車主戦場としつつ、相手振り飛車党場合居飛車にする。本人曰く対抗形党」。得意戦法ゴキゲン中飛車攻め将棋終盤巧者長時間長手数対局が得意で、「粘り強い」と評される事が多い。

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上野裕和」の記事における「棋風」の解説

序盤巧者として知られ相居飛車対抗形相振飛車すべて指しこなす。序盤の本や記事多く書いている。

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清野静男」の記事における「棋風」の解説

相居飛車対抗型相振飛車すべて指すオールラウンド・プレイヤー。特に飛車先の歩を突いてから、飛車を振る独特の振飛車見せた終盤巧者として有名で、華麗な寄せ定評があった。また、詰将棋得意だった清野が得意とした玉飛接近元祖右玉端歩突き越しからの端攻め一間飛車・九間飛車)や単純棒銀、角香飛を集中して美濃囲い攻め岐阜戦法飛車と金交換する横歩取り変化現代将棋でも指されている。縦歩取りガッチャン銀などで魅せる型破り序盤展開でも話題になったという(「将棋世界1977年、「新人王戦観戦記、「王将戦大盤解説など)。 弟子土佐浩司がいる。天王山よばれる5五の位取りと玉を含め自陣上段にのばし厚みで勝負する棋風や、多彩かつ才気あふれる戦法選択土佐にも受け継がれている。

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梅津美琴」の記事における「棋風」の解説

得意戦法振り飛車

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金高清吉」の記事における「棋風」の解説

珍形、変形手損等は気にしない棋風で、「悪力の金高」の異名があった。

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室岡克彦」の記事における「棋風」の解説

持駒 なし ▲持駒 歩 図は△4七歩まで室岡新手△4七歩 △持駒 銀香歩 ▲持駒 香歩2 図は▲3三角まで室岡新手▲3三角 振り飛車党棋士であり、特に四間飛車の「藤井システム」を指すことが多い。 後手藤井システムに対して先手居飛車持久戦ではなく4筋からの急戦で来た場合飛車と金焦点に△4七歩(32手目)と打ち捨てる手を室岡開発。これは「室岡新手」と呼ばれ藤井システム新たな命を吹き込んだ室岡新手は、たとえば、2006年名人戦七番勝負第4局谷川浩司指しており、藤井システム本家である藤井猛採用している。 対ゴキゲン中飛車#▲5八金右超急戦で、図の▲3三角室岡最初に指した手で公式戦1号局は2002年2月21日銀河戦室岡克彦六段-△勝浦修九段戦1号局は持ち時間の短い棋戦だったということもあり全く注目されなかったが、2006年名人戦森内俊之名人指したことで一躍注目を浴びることになった。▲3三角からは△4四銀▲同角成△同歩▲6六香△7二銀▲8二銀と進むのが定跡化されている手順で、多く実戦研究重ねて終盤まで定跡化が進んでいる。室岡流▲3三角に対して1号局は△8九馬と桂馬取った。▲6三桂成からの馬の巣抜き避けて自然な指し手だが、▲4三桂成△7二玉▲5二成香同金右▲5五香進んで61手で先手快勝。▲4三桂成に△5六飛は▲5七香で飛車捕獲し先手良い。▲3三角には次に▲6三桂成と王手成り捨てて9九の馬を巣抜く狙いがあるので、後手はこの筋を避けるために△4四銀打って角筋を遮断するが、▲同角成とあっさり交換してしまうのが狙い一手先手駒損になり損をしているようだが、△5四銀と受けに投入される手を消していたり、△4四歩と突かせたことで将来▲1三竜と引いた手が、後手玉頭まで直通するなどプラスになる要素大きいと見ている。

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黒田尭之」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車指しこなすオールラウンダー2020年2月順位戦C級2組井出隼平戦で右銀急戦採用して快勝したことをきっかけ出版依頼舞い込み同年12月に初の著書黒田尭之の新研究 よみがえる右銀急戦』を出版している。

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長岡裕也」の記事における「棋風」の解説

プロデビュー当時振り飛車党で、特に三間飛車四間飛車好んで指していた。特に三間飛車については、「後手番での石田流成立させる」というコンセプト基づいた2手目△3二飛戦法2007年12月11日竜王戦6組佐藤天彦相手公式戦初め採用し後述棋書出した程である。しかし、奨励会時代居飛車党だった。現在では横歩取り角換わりなどの最新形を好んで指す居飛車党である。 序盤戦術精通しており、羽生善治一目置く程。著作多数後述)。

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渡部愛」の記事における「棋風」の解説

本格派居飛車党攻め将棋

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福地啓介」の記事における「棋風」の解説

幻惑力に優れており、一見すると悪い手に見えるが後々10手ほど進めると、気づいたら相手負け局面になっている相手ミス誘導する図形認識力全局面を「写真」のように記憶し、普通のプレイヤー検討する際、1手目から進めるが、福地途中盤面からでも全ての石の配置完璧に記憶できている。 集中力福地は一旦考え始めると、一手20分もかける場合もある。 高梨悠介曰く福地は「未知怪物」と述べた

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飯島栄治」の記事における「棋風」の解説

銀河戦2007年)第10手 △3一角まで△飯島栄治 持駒:なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 金 王 金 角 香 一 飛 銀 銀 二 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 三 歩四 五 歩 歩歩 歩 歩 歩 歩 歩七 角 銀 飛 玉 八 香 金 金 香 九 ▲鈴木大介 持駒:なし 居飛車党で、相居飛車戦では、相矢倉横歩取り角換わり相掛かりといった主要戦法一通り指す。特に、先手番での相掛かり6八玉型を得意とする振り飛車相手場合は、穴熊後述引き角戦法といった手堅い駒組みをすることが多い。 攻めの棋風で、いわゆる‘足を止めてパンチ応酬’や、自分大駒早めに見切るなどの華々しい指し手が、しばしば見られる

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船江恒平」の記事における「棋風」の解説

デビュー時インタビューで、「居飛車党」、「斬り込むのが好き。激し戦い見てほしい」、「詰みがある局面では詰まし、最短の勝ちを狙う」と語っている。電王戦での二つ名は「詰将棋若大将」。

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青木清」の記事における「棋風」の解説

居飛車党であるが、相居飛車においてはひねり飛車陽動振り飛車といったやや変則的な戦法多用する横歩取りレパートリー一つ

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松浦隆一」の記事における「棋風」の解説

振り飛車も指すが、基本的に居飛車党で、矢倉将棋が多い。玉を深く囲う前に戦うことが多い棋風である。

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松尾歩」の記事における「棋風」の解説

居飛車党だが後手番を持つと振り飛車採用することもある。 序盤研究家として知られ居飛車穴熊横歩取り先手番で、それぞれ松尾流」と呼ばれる戦型考案し、他の棋士にも広く使用されている。羽生善治森下卓らと合同定期研究会主催したこともある。

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山崎隆之」の記事における「棋風」の解説

基本的に居飛車党である。棋士デビュー直後矢倉好んで指していたが勝ちにはあまり恵まれずその後角換わり相掛かりと得意戦法変えていく。 早指しで力を発揮し前述NHK杯の他、早指し新鋭戦叡王戦JTプロ公式戦等、早指し棋戦優勝が多い。また、将棋フォーカス」で行われた1分切れ負けの特別対局では、深浦康市敗れるまで7連勝している。本人によれば一番好きな持ち時間は2時間とのこと工夫凝らした独創的な序盤戦術で、相掛かり先手の▲6八銀からの指し方など、「山崎流」と呼ばれる指し方がある。中終盤でも、低段時代から独特の感覚持ち、他の棋士とは違う読み筋披露することが多々ある本人によれば定跡追い求めていくことは余り好きではなく新し将棋を好む。2013年インタビューでは、独創的な棋風となった要因として、かつて関東ではトップ棋士奨励会員研究会を行う様な研究会花盛り時代に、山崎所属していた関西棋界が「研究暗黒の時代」、「研究会など恥ずかしい」と言った風潮あったような状態であったことを挙げている。そのため特に山崎意識をした訳ではないが、「互いに悪路を行く様な将棋」を指す様になったと語っている。 2013年現在は「自由度の高い」相掛かり、特に引き飛車棒銀好んで指すが、二筋からの攻めにはこだわらないさまざまな所で戦い起こす駆け引きが楽しいとのことである。なお、後手番では2013年現在一手損角換わりを得意とする2013年佐藤康光評したによれば、「山崎将棋独創信念感じる。彼くらい人まねをしない人も珍しい。よほど感性豊かなのでしょうとのことである(『 NHK杯伝説名勝負 次の一手』 p.184より引用)。第1期電王戦での二つ名は「独創叡智」および「独創プロ棋士」。

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山根ことみ」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、四間飛車を得意とする

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日浦市郎」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、矢倉将棋が多い。いったん開戦する攻め合い止まらない棋風である。その一方で、序中盤攻め見込めなくなる、形勢大差になるなど不利な局面になると、早々見切り付け短手数投了する傾向もある。

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松下力」の記事における「棋風」の解説

相掛かり将棋が多い居飛車党であったが、1970年前後からは中飛車三間飛車などの振り飛車多用するようになった早くから穴熊戦法研究して実戦応用しており、加藤治郎名誉九段に「穴熊戦法中興の祖」と評された。 自陣整備攻め、受けのいずれにおいても手厚い指し回しの棋風で、攻め切れて負けることはほとんどない

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横山泰明」の記事における「棋風」の解説

藤井システムゴキゲン中飛車対居飛車穴熊を得意とする振り飛車党だったが、2013年頃からは、横歩取り角換わりなど相居飛車将棋多く指している。

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三浦弘行」の記事における「棋風」の解説

右四間飛車横歩取り3三桂戦法相横歩取りなど、他のプロはあまり指さない戦法も時々採用する1999年度前期NHK将棋講座で、右四間飛車講座講師務めた飛車先の歩(先手なら2筋、後手は8筋)を、最後まで突かずに勝利した事がある研究家として知られ子供時代から親交のある行方尚史評する所、広い局面より、狭くて深い局面いわゆる局地戦」で強さ発揮するという。羽生から棋聖位奪った際は相掛かり序盤飛車を2八まで引いた引き飛車)。それまで飛車位置を2六(浮き飛車)とするのが一般的であったが、三浦採用したことによってプロ間で引き飛車見直された。 革新的な振り飛車戦法である藤井システムによって、対す居飛車側が穴熊堅く囲うのが困難となった。そこで、三浦穴熊代わる新し堅い囲い創案し実戦でも好成績を残す(ミレニアム囲いトーチカ三浦囲いなどと呼ばれる)。これにより2000年度将棋大賞升田幸三賞受賞自分先手番のときでも千日手になることを嫌わない、珍しい棋士である。 将棋ソフト不正使用疑惑騒動出場停止処分を受ける前の最後対局となった順位戦の対渡辺戦において角換わりの4五桂跳ね急戦採用し途中で何度も押し売りして強引に飛車交換持ち込んでいく作戦竜王戦1局でも採用されたことから話題となった。 以下の図はすでに銀損の三浦がさらに自陣捨ててまで飛車交換持ち込もうとする局面である。 2016年10月3日 A級順位戦58手 △5二角まで(この次の一手が▲8五桂)△渡辺 持駒:銀三浦 持駒:歩4

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久保利明」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党であり、藤井猛鈴木大介と共に振り飛車御三家令和なり振り飛車総裁とも)と呼ばれるまた、対抗型を自らの土俵としていることもあり、振り飛車党相手には居飛車側を持って戦うことも多い(いわゆる大山康晴の棋風タイプである。かつては相振り飛車指していたが、勝率があまりよくなかったため、40代になってから居飛車対抗型を指すようになった)。 「捌いてさばいて)勝つ」で、駒の軽い捌きを常に重視する棋風であり、「捌きアーティスト」「カルサバ流」「カルサバ日本一」などの異名を持つ。大野源一振り飛車学んだ居飛車穴熊に対して後手居玉三間飛車から△9五歩や7三歩早くに指す藤井システム調の指し方のほか、一連の先手ゴキゲン中飛車新・石田流超急戦といった角交換振り飛車、また石田流本組み棒金退治の▲7九銀型など、独特の戦術久保システムとも称され、そして早石田らせた棋士一人でもある。特に対棒金見せる、桂馬跳ねタイミング遅らせることで飛車自由な動き確保する戦術久保流と呼ばれ定跡化している。 また、今泉健司考案した2手目△3二飛」を発展させるなど、三間飛車へのこだわりが強い。第66期2016年度王将戦七番勝負第2局では、1手目7八飛戦法採用し話題となったメンタル面では、タイトル取った頃から「楽しむ」、「将棋通じて真剣勝負を楽しむ」をモットーとしている。以前は勝たねばならない完璧に指さねばならない自分追い込んでいたが、プレッシャー強く感じたり、負けた自分許せなくなったと言う。「楽しむ」を実践してからは自然体対局臨めるようになり、変に肩に力が入りすぎることもなくなった。 「カルサバ流」と呼ばれる一方で形勢不利になってからの「粘り」にも定評があり、タイトル戦での活躍原動力となっている。久保は「粘っているのは形勢が悪いからで、ほめられものじゃない」と説明しながらも、泥臭く、強い人でも狂わされる将棋好みであると述べている。

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二上達也」の記事における「棋風」の解説

棋風は居飛車攻め将棋相掛かりガッチャン戦法二上定跡として有名である。守りが薄い状態で攻め込むため、展開の早い勝負になりやすく、終盤の力で勝負した木村14名人二上スピード早い将棋評価した塚田は、自身師匠である花田長太郎塚田足して2で割った棋風と語った大山によれば振り飛車嫌っていたとされるが、自身では対大山経験積んだため振り飛車相手が苦にならなくなったという。 上の世代棋士対局中つぶやいたり、歌を歌う等、相手惑わせることを日常的に行ったが、二上盤上での勝負こだわり盤外戦を行わなかった。二上だけでなく戦後棋士はそうした行為をしない傾向があった。

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小野修一」の記事における「棋風」の解説

矢倉角換わり横歩取りなどを指すことが多い居飛車党

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佐藤天彦」の記事における「棋風」の解説

デビューから居飛車党で、2014年ごろからは先手番では角換わり後手番では横歩取り主力戦法とし、特に後手番の横歩取りでは非常に高い勝率誇った終盤での粘り強い受けの手を得意とし、トップ棋士相手何度も逆転勝ち収めた名人位獲得したあとは矢倉相掛かり、さらに力戦積極的に指すようになり戦法の幅を広げた第75期名人戦七番勝負第二局(2017年4月20-21日)では、最後まで居玉戦い稲葉陽72手で勝利した2020年王将戦挑戦者決定リーグ藤井聡太戦で中飛車採用して以降は、公式戦振り飛車多用するようになっている対局中は、相手離席時に体を前や横に倒したり脇息に体を投げ出すなど独特の仕草見せ事がある

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棋風

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中田宏樹」の記事における「棋風」の解説

生粋居飛車党で、矢倉を指すことが多い。後手番では、相手出方によって、角換わり相掛かり横歩取り8五飛なども指す。対振り飛車には急戦居飛車穴熊

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棋風

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中尾敏之」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、得意戦法矢倉。受けの棋風で、劣勢になってからの終盤粘り定評がある。

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棋風

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大内延介」の記事における「棋風」の解説

振飛車穴熊駆使して怒濤流」と呼ばれた邪道視されていた穴熊プロ戦法昇華させ、「穴熊総裁」との呼び名がある(なお、副総裁呼ばれたのは西村一義)。

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棋風

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下平幸男」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、指し方序盤から様々である。 終盤入口から敵玉をまっしぐら攻める棋風で、勝局には鮮やかに寄せたり、あるいは、際どく余したりするなどきれいな勝ち方が多く、その中には大山康晴升田幸三から挙げた勝利もある。

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棋風

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広瀬章人」の記事における「棋風」の解説

居飛車振り飛車どちらも指しこなすオールラウンドプレイヤーである。振り飛車穴熊戦法中でも四間飛車穴熊を最も得意とし、初めタイトル戦登場した第51期王位戦では、指し直し局を含めた8局中6局で四間飛車穴熊用いた。そのため、「穴熊王子」「振り王子」の異名を持つ。2012年頃からは矢倉角換わりなど居飛車将棋増え振り飛車採用数は減っている。

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棋風

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森信雄」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党中でも振り飛車穴熊が一番好み引退決まった最後対局四間飛車だった。終盤巧者であり、詰将棋も得意である。詰め将棋作家として著名で、1985年に、自身初の詰将棋作品集水平線』を刊行。 『将棋世界』誌で「あっという間の3手詰」というコーナー担当しており、超短手数(主に5手以下)の問題集多数出版している。将棋教室カリキュラムにも必ず詰将棋を採り入れており、「こつこつ詰将棋を解くことが将棋上達につながる」というのが持論実際に門下からは数多く棋士輩出している。特に3手詰については「必ず類問2問をセットにした形で1作品として発表する」のがポリシー初め自分買った将棋の本が清野静男著作将棋入門」と答えている。当時清野詰将棋創作第一人者としても知られており、多数詰将棋研究書籍著した棋士である。

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阿久津主税」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、激し攻め将棋。得意戦法角換わり

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棋風

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近藤正和」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党で、特に中飛車好んで指す。居飛車は全く指さないわけでなく稀に見せる。また飛車先の歩を突く居飛車進行から別の筋に振りなおす変化左玉振り飛車)もある。 中飛車その最たる将棋2007年3月13日順位戦C級1組最終局の豊川孝弘との一局で、先手豊川初手2六歩に対し昇級絡んでいた後手近藤は5二飛と指し二手目にして堂々と中飛車宣言した途中から作戦負け敗れた

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棋風

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長谷部久雄」の記事における「棋風」の解説

基本的に居飛車党で、矢倉角換わり相掛かり系を指すが、四間飛車中飛車などの振り飛車指した終盤での切れ味特徴がある棋風であった

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鈴木大介 (棋士)」の記事における「棋風」の解説

振り飛車党であり、藤井猛久保利明と共に振り飛車御三家呼ばれる攻め振り飛車で、豪快な棋風と形容される。ゴキゲン中飛車戦法力戦織り交ぜた戦法豪快中飛車名づけ結果的にゴキゲン中飛車タイトル戦使われるほどの本格戦法育て上げたと言われている[誰によって?]。 好きな戦法四間飛車だが、自らの個性を出すために藤井システム指さない早石田序盤従来悪手とされていた手を見直し実戦指した。それは、初手から▲7六歩△3四歩▲7五歩△8四歩▲7八飛△8五歩▲7四歩という進行であり、7手目の▲7四歩が鈴木研究手である(詳細は、新・石田流参照)。それが高く評価され2004年度将棋大賞升田幸三賞受賞している。 相振り飛車での勝率が高い。 2010年頃からは一手損角換わり横歩取りなど、居飛車将棋も指すようになった。これについて鈴木は「ゴキゲン中飛車研究が行届きすぎてつまらなくなった」、「藤井九段矢倉実績残したのも大きい」と語った[要出典]。 駒の並べ方は、大多数占める「大橋流ではなく数少ない伊藤流」の並べ方である。

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阿部健治郎」の記事における「棋風」の解説

居飛車党で、どちらかといえば攻め将棋である。

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棋風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:15 UTC 版)

糸谷哲郎」の記事における「棋風」の解説

居飛車党早見え早指し。得意戦法角換わり

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棋風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:35 UTC 版)

菅井竜也」の記事における「棋風」の解説

元来振り飛車党で、目標にしている久保利明彷彿とさせる捌き重視する棋風であった2013年あたりから相矢倉中心として居飛車も指すようになり、2014年頃は、序盤趣向凝らした相矢倉好んで指していた。2015年に入るとノーマル四間飛車多用している。 序盤研究定評があり、「菅井流」「菅井新手」と呼ばれる数々戦法新手編み出していることでも有名で、対局相手にとっては的が絞りづらい棋風である。菅井流や菅井新手にはこれまで後手角交換振り飛車#3三金三間飛車ゴキゲン三間飛車(うっかり三間飛車)や後手4手目△3二飛、石田流▲7六飛早浮き型、対△3三角型左美濃▲7七角石田流に▲9六歩~▲9八香の手待ち先手ゴキゲン中飛車対△6四銀対抗型に▲7七銀-8八飛型、対超速3七銀のうち▲4六銀に対する△4四歩、対超速3七銀▲5八飛型対する△4二銀-3二金型~△2四歩、対超速3七銀▲4五銀に△3一銀、対ゴキゲン中飛車#▲5八金右超急戦の△5七歩、対ゴキゲン中飛車#丸山ワクチン ▲2二角成に△同飛、▲6六歩に△4四角(6六の歩取りを受けさせての△2二飛から2筋逆襲)、中飛車左穴熊左玉対三間で浮き飛車保留中飛車左穴熊対向かい飛車に2手損居飛車戻し作戦(5八に振った飛車をまた2八に振り戻す)、相振り飛車後手3四飛型三間先手右矢倉対し腰掛銀にして△4五歩~△6五歩矢倉崩し矢倉3七銀等から▲4六銀・3七桂型対する▲4六銀に△4五歩▲3七銀△5五歩横歩取り3三角+8四飛型で△2三歩持ち歩を手放すが△4二銀の活用が可能)、横歩取り3三角+8四飛型で△2三銀型から△2四飛のぶつけ狙いなど多数ある。 早見え早指し傾向があり、同時に勝敗かかわらず時間大きく余す傾向がある。

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棋風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:54 UTC 版)

高柳敏夫」の記事における「棋風」の解説

筋や定跡とは異なる、奇抜な手を使った指し回し多かったため、「異常感覚」あるいは「新感覚」の持ち主といわれた。 詰将棋名手でもあり、その独特な感覚用いた作品特徴的である。

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棋風

出典:『Wiktionary』 (2020/05/16 10:45 UTC 版)

名詞

(きふう)

  1. 将棋囲碁チェスリバーシなどのボードゲームにおける、その人着手特徴


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