棋風
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棋風(きふう)は、将棋や囲碁などのボードゲームにおける着手の特徴[1][2]。また、囲碁に関しては「碁風」と表記されることもある[3]。
- ^ デジタル大辞泉. “棋風(キフウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年6月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 「文春オンライン」編集部. “将棋の解説でよく耳にする「棋風」「受け将棋」って何のこと? | 観る将棋、読む将棋”. 文春オンライン. 2023年6月1日閲覧。
- ^ “日本囲碁連盟 | 囲碁用語「力碁」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月1日閲覧。
- ^ 「ニコニコ生放送」主催、『「将棋倶楽部24モバイル将棋道場」開設記念【羽生善治名人】特別指導対局』の放送終盤における、視聴者からの質問メールへの回答(2011年2月26日)
- ^ 代表著作『羽生の頭脳』は、全巻居飛車の戦法定跡書
- ^ a b c d e f 賢, 金子 (2016年1月20日). “囲碁の厚み派と実利派について”. スマイル囲碁クラブ. 2023年5月15日閲覧。
- ^ 日本国語大辞典,デジタル大辞泉, 精選版. “力碁(ちからご)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年12月14日閲覧。
- ^ a b “許、攻めもシノギも充実|『棋道web』|日本棋院囲碁ニュース”. 『棋道web』|日本棋院囲碁ニュース (2023年9月21日). 2023年12月14日閲覧。
- ^ a b c d “スミレの碁―林漢傑八段が語る「仲邑菫二段のここがすごい」「つるりん式観る碁のすすめ~こぼれ話」”. 日本棋院. 2023年12月14日閲覧。
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- ^ a b “大一番「自分を信じて」 天元・碁聖に輝くホープ 名人戦に挑む 一力遼(いちりき・りょう)さん(囲碁棋士):東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年9月5日閲覧。
- ^ “囲碁UP・TO・DATE:異名は「ハンマー」 囲碁・上野女流立葵杯21歳 “盤外”にも注目”. 毎日新聞. 2023年12月14日閲覧。
- ^ a b 藤澤一就『大局観が劇的に良くなる! 囲碁・上達のための棋譜並べ』マイナビ出版、2020年、7頁。
- ^ ガルリ・カスパロフ『決定力を鍛える』NHK出版、2007年。
棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:50 UTC 版)
居飛車も振飛車も指すオールラウンダー。悪手の盤面を感覚的に「気持ち悪い」と表現する描写があり、島田からは「宗谷と雰囲気が似ている」と評される。野火止からは、得意な型を持たず、相手の戦法に乗る傾向があると評される。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 03:44 UTC 版)
振り飛車党で、軽快な指し方をする棋風。向かい飛車、三間飛車、四間飛車、中飛車のどれも指した。居飛車対振り飛車の将棋を好み、相手が振り飛車の場合に自分は居飛車にすることもあった。 攻めが切れそうになった場合など、自分に勝ち目がないと見切ると、潔く早々に投了している棋譜が多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:38 UTC 版)
序盤に特徴があり、独創的な将棋で知られている。後述のように升田幸三賞を2度受賞しているが、特別賞以外の升田幸三賞を2度受賞している人物は藤井猛と佐藤康光と青野照市の3人のみである(2021年11月現在)。 終盤、大胆に大駒を切り、露骨に相手玉に喰らい付く棋風から「ガジガジ流」というニックネームがついている。 勝負に辛いと評されることもあり、一時は丸山忠久・森内俊之と併せて「激辛三兄弟」と称されていた。 羽生世代の中でも丸山忠久同様遅れて奨励会に入会したため、何とか同世代に追いつこうと振り飛車特に四間飛車に特化することで勉強範囲を少なくした。ただし、奨励会時代は中飛車を中心に指しており、四間飛車の定跡を本格的に研究しはじめたのは、四段昇段後である。 居飛車も全く勉強していないわけではなく、四段プロ入りが決まった三段時に棋書を買いあさり短期間ではあるが勉強している、このとき学んだ知識、感覚が革新的な四間飛車である「藤井システム」に影響している。自玉の囲いを省略して序盤から攻撃的な布陣を敷き、居飛車穴熊や左美濃を横では無く縦に攻略するのは居飛車の感覚であった。 対ゴキゲン中飛車戦法の▲5八金右超急戦の考案者。第12期(1999年度)竜王戦七番勝負の挑戦者となった鈴木大介の得意戦法がゴキゲン中飛車であったため、その対策として編み出し同シリーズで披露した。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:16 UTC 版)
居飛車党である。プロデビュー時のインタビュー(日本将棋連盟公式サイト)で、「得意戦法は角換わり腰掛け銀」と答えた。 矢倉、横歩取りなども多く指す。 目標の棋士に郷田真隆を挙げ、棋風も強く影響を受けている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:07 UTC 版)
元真剣師らしく実戦派の棋士と知られ、当時、大人しい定跡通りの手を指す棋風が多い中にあって、あえて定跡を外した難解な力将棋に持ち込むことで高い勝率を挙げた。また終盤の力があり、花村は「終盤の入り口で2:8の差なら五分、3:7なら俺の勝ち」と豪語していた。こうした棋風から「妖刀使い」の異名を持ち、「花村流」はプロ棋士に恐れられた。一方で「ハッタリ将棋」と揶揄する向きも存在したが、それこそが自身の勝負観の表れであるとしてむしろ本人はその言葉を歓迎していたという。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:23 UTC 版)
元々居飛車党であったが、1980年代後半から振り飛車党に転向した。直線的な斬り合いよりは、手順を尽くした攻防に特徴があり、長手数の将棋になると勝っているケースが多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:40 UTC 版)
居飛車党で、攻め将棋。序中盤から時間を使い、終盤では一分将棋になってからも力を発揮する。 糸谷哲郎とは親交があり、「糸谷流右玉戦法」は、元々牧野が考案し糸谷が工夫を加えたものである。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:07 UTC 版)
四段昇段の際のインタビューによると、居飛車党で力戦を得意としているという。 2手目△3二金など、意表を突いた戦法を試みることがある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:06 UTC 版)
がっちり駒組みをしてから盤全体で戦う棋風である。 居飛車党であり、矢倉一辺倒と言ってもよいほどの矢倉党である。相手が拒否しない限りは、とにかく矢倉にする。 また、相手が振り飛車の場合は、左美濃、あるいは、師匠譲りの穴熊といった堅い囲いを好んで用いる。 角換わり相腰掛け銀の先後同形に結論付ける富岡流を考案し、2009年に実戦で初めて用いた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:07 UTC 版)
デビュー当時の得意戦法は矢倉囲いであった。 横歩取り6八玉型の「横歩取り勇気流」と呼ばれる戦法を創案し、2017年度の升田幸三賞を受賞した。「横歩取り勇気流」は、大内延介から愛蔵の将棋盤を2015年に譲り受けたのを契機に、その盤に向かい合って研究を重ね、自分の将棋について深く考えることが増えた中で生まれた。 本人は、プロデビュー時に、「どんなに悪くても(=不利な局面になっても)最後まで諦めないで指すタイプ。簡単には折れないのが長所。そういうところを棋譜などで感じ取ってもらえたら嬉しい」と語っている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:58 UTC 版)
勝敗よりも陣形や手筋の醜美にこだわる面がある。得意戦法の横歩取りについても「3つのG」と名付けた銀の位置を変えた陣形のパターンを用意している。 実際に増田康宏四段との順位戦で、相手の居玉や悪形を咎める手筋を「わかっていたが、飛車の追い方がダサいと思い、指さなかった」と感想で述べている。 叡王戦での豊島将之七段との対局でも、敵陣に飛車を打ち込む手を「ダサい手で指せない」として指さず、「俗手」「平凡手」「素人のような手」を嫌う傾向が強い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 04:00 UTC 版)
研究熱心な居飛車党である。しかし、向かい飛車などの振り飛車も時折用いる。 矢倉戦法の一つである森下システムを考案した。これにより、のちに2005年度将棋大賞の升田幸三賞特別賞を受賞。 基本的に受け将棋であり、先に相手に攻めさせてからのカウンターを得意とする棋風である。 「駒得は裏切らない」という発言で知られる。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 03:49 UTC 版)
居飛車、振り飛車のどちらも指し、主に矢倉、中飛車、四間飛車を採用した。 若手時代は、いったん戦いになると止まらない斬り合いの将棋が多かった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:10 UTC 版)
かつては居飛車党の棋士で横歩取り△3三桂戦法や矢倉戦を得意とし、相居飛車の相矢倉で後手△6四角に▲4六角とぶつける脇システムを考案した。 2010年頃から突如、振り飛車を多用する棋風に転じ、周囲を驚かせた。相手が振り飛車党の場合も、相振飛車にすることが多い。 棋風は激しい攻め将棋で、対局時も闘志を態度であらわす棋士の一人。対局中に扇子や拳骨で自分の頭を叩き気合を入れる事がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:09 UTC 版)
「生粋の居飛車党」。稀に陽動振り飛車を採用することもある(第67期名人戦七番勝負第6局など)。妥協せず、また、踏み込みのよい直線的な攻め合いをする剛直な指し回しであり、「格調高い本筋の棋風」と評される。 後手番のとき、2手目(後手番の初手)で角道を開ける△3四歩よりも飛車先の歩を伸ばす△8四歩と指すことが多い。また、△3四歩と指すにしても「後手番一手損角換わり」ではなく「横歩取り」などの戦形に誘導する。これに関し本人は、「後手番一手損角換わりは嫌い」と発言している。しかし、2012年3月2日、A級順位戦最終局の対羽生戦において、一手損角換わりを初採用し、周囲を驚かせた(結果は郷田負け)。 序盤から長考することが多いが、持ち時間の少ない早指し将棋や残り時間の無い秒読みの戦いにも強い。これに関しては、加藤一二三との類似性がある。郷田自身は「加藤先生ご自身もおっしゃっていますが、『長考して当たり前の手を指す』というところも似ていますね。自分で言うのもなんだけど、長考派というのは手がよく見えるんですよ。いい手が見えなくて困っているというわけではなく、見えすぎて選択肢が多いから時間を使っているんです。読まなくても良さそうな手を拾い上げて、どの手がベストか考えているのですね」と語っている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:40 UTC 版)
居飛車、振り飛車ともに指しこなすオールラウンドプレイヤーで、後手番ではダイレクト向かい飛車を得意戦法としている。プロデビュー時は、居飛車党で角換わりを得意戦法としていると回答していた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:38 UTC 版)
居飛車党であり、対振り飛車では自玉を固める将棋が多く、相居飛車では矢倉、相掛かり、横歩取り、角換わりなどを一通り指しこなす。 長考派である一方、早指し戦にも強い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:32 UTC 版)
第7期棋王戦第3局前夜祭の席上で、立会人兼解説担当の原田泰夫より「七転八起流、『だるま流』はいかがか」との別名を呈示される。森安本人も「だるま流はいいですね」と気に入り、転んでもすぐに起き上がる、粘り強い棋風を示すこの別名は森安の代名詞となった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:38 UTC 版)
居飛車党であり、矢倉、角換わりの将棋が多い。時々、振り飛車も指す。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:39 UTC 版)
居飛車党。序盤戦の深い研究で知られ、同じ名字の村山聖が存命で新鋭の頃に「終盤は村山に聞け」と呼ばれたことにあやかり、「序盤は村山に聞け」(あるいは「終盤は聖に聞け、序盤は慈明に聞け」とも)と呼ばれる。電王戦での二つ名も漢字違いの「序盤は村山に訊け」であった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:41 UTC 版)
先手番では相掛かりを得意としており、高い勝率を記録している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:36 UTC 版)
振り飛車穴熊を得意とし、相手の意表をつく手順で相手を幻惑し、「妖刀」の異名を持つ。 第23期十段リーグで谷川浩司を得意の振り飛車穴熊で破ったとき、当時若くして名人であった谷川をもってして「感覚を破壊された」と言わしめたことがある。 坂田三吉の将棋を全局並べた数少ない棋士の一人である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:38 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 16:31 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:49 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:40 UTC 版)
居飛車党でじっくりした将棋を好むと自身が公言している通り、持ち時間が長い棋戦で才能を発揮する傾向がある。電王戦での二つ名は「超光速の詰士」。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:51 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:05 UTC 版)
「攻め100%」「昇天流」といわれる豪快な攻めの棋風で知られる。その攻めは「塚田が攻めれば道理が引っ込む」と評されたほどである。 相がかりの先手番の超急戦戦法である「塚田スペシャル」を開発し、この戦法で公式戦22連勝するなど活躍した。しかし、その後この戦法には有力な対抗策が現れ、今では使われることは少なくなっている。電王戦での二つ名は「攻め十割の昇天流」。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:43 UTC 版)
歩の使い方が巧みであり、「小太刀の名手」と呼ばれた。 「丸田流ひねり飛車(9七角ひねり飛車)」を創案した。河口俊彦は「不朽の定跡」と評している。 加藤一二三は、丸田は棋理に明るく、作戦巧者だと評している。また、早投げの棋風であったと評している。 先崎学は、順位戦B級1組在籍中の丸田の将棋について、負けるときはあっさり投げるが、勝ち目が残っている時は粘り強く指して最後は勝ちをものにしていた、(棋士から見て)上品な粘り方をするのが特徴だった、と評している。 同じく先崎は、丸田の将棋は「ひねり飛車」「歩の使い手」「棋理に明るい」といった形容がされるが、と前置きした上で、先崎が丸田と対局した時の印象として、駒がぶつかった瞬間に思いもかけぬ手を指され、一気に形勢が丸田に傾いたことを述べ、中盤における柔軟な発想を丸田の特徴に挙げている。 1961年(昭和36年)度の名人戦(大山康晴名人に挑戦して1勝4敗で敗退)の第4局(丸田が勝利)について、記録係を務めた河口俊彦は、序盤・中盤・終盤と完璧な指し回しであり、丸田の強さに瞠目した、と評している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:03 UTC 版)
振り飛車党で、特に三間飛車を好んで指す。居飛車穴熊に対し三間飛車からの速攻を目指す中田功XPの創始者である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:24 UTC 版)
生粋の居飛車党であり、相居飛車の先手番では矢倉を目指し、相居飛車の後手番では相手からの誘導に追随して矢倉、角換わり、相掛かりを指す。また、相手が振り飛車で来たら、玉頭位取りから銀立ち矢倉として、相手の玉頭に攻めかかる。こういった棋風は、デビュー以来一貫している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:16 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:13 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:35 UTC 版)
筋の良い居飛車党とされる。 相居飛車では矢倉を指すことが非常に多く、次いで、角換わりと後手番での相掛かりが多かった。 対局中、昼休みや対局相手が席を外している間など、相手の席に座って局面を検討する癖があった。対局相手によっては「自分の席なのに戻るに戻れない」としてうろたえる場合もあり、一種の盤外戦術でもあった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 16:13 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:19 UTC 版)
自分が打つ碁を「合気道みたいな碁」と表現する。相手の力を生かして厚みを築くが、戦いは挑まない。「石を殺しにはいかず、小さいところに固めさせて、広く打つような」と解説。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 09:53 UTC 版)
鶴山淳志評「棋風はザ・戦いの碁。ごちゃごちゃした乱戦が得意。難しい読み合いでも突っ込んでいく勇気があります。」 林漢傑評「彼は混沌に強い。いわば混沌流。石が絡み合ってわけが分からないような局面で輝きを放ちます。」。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 20:38 UTC 版)
前項の通り、40代になって居飛車党から振り飛車党に転じたが(原田自身は「縦から横への変化」と棋風転換を表現している)、晩年は相居飛車・対抗型・相振飛車すべて指すオールラウンド・プレイヤーであった。 「玉損の攻め」といわれるほど攻撃的な棋風で知られ、おだやかな人柄と全く相違しているため驚かれたという。1952年、「AB級対抗勝抜戦」(共同通信)で10連勝し、新潟出身であることから「原田謙信流」と呼ばれた。 詰将棋作家としても知られており、実戦向けの作品を得意とした。 最長手数(勝負のついた局)の記録がある(1969年2月3日 B級1組順位戦・対芹沢博文 相振飛車 389手)。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:32 UTC 版)
受けにおいて粘り強い棋風を持ち、不倒流と呼ばれる。 また、対局の手数が多いことから、三枚目の男という異名がついた。当時、棋譜を記録する用紙には一枚に80手までしか記入できなかったため、160手を超えると3枚目の記録用紙に書くことになる。その回数が非常に多いことからついたネーミングである。 さらに、六段時代の1981年には王位戦予選で中田章道と339手の将棋を指し、先手の淡路が勝利した。この対局は入玉を含まない対局としては2020年現在も公式戦の最長手数である。後に『将棋世界』の付録にて、この将棋をとりあげた際に、自ら「長手数の美学」と題をつけた。こちらも淡路を良く表すキャッチフレーズとして、用いられるようになった。 後手番一手損角換わり戦法の産みの親であり、2006年に升田幸三賞を受賞した。また、現代矢倉の基礎的な変化をまとめた功績もある。
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棋風
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「佐々木大地 (棋士)」の記事における「棋風」の解説
居飛車党で、相掛かり・横歩取りを得意とする。力強い攻め将棋。
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棋風
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棋風
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/01 15:17 UTC 版)
振り飛車党で、中飛車、四間飛車、三間飛車、向かい飛車、相振り飛車のいずれも指す。先手番では時折り居飛車も指す。後手番では中飛車や三間飛車が多い。 金や銀を前線に繰り出す厚い攻めに特徴がある棋風である。
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棋風
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「小林健二 (将棋棋士)」の記事における「棋風」の解説
若手時代には矢倉を得意とするオールラウンダーだったが、1989年ごろから振り飛車党に転向。四間飛車を好んで指すようになり、1991年にはその戦法で順位戦A級への復帰を果たしている。 インターネット将棋にも積極的に参加しており、実名による登録が原則であった近代将棋でもよく対局を行なっていた。 振り飛車転向の頃にはオーソドックスな四間飛車を指し「スーパー四間飛車」の名で有名となり、著書を出版するとともに、NHK教育テレビの「将棋の時間」でも講座を担当。この頃にデビューした杉本昌隆と共に、藤井システム登場以前の四間飛車の定跡発展に大きく貢献した。その後立石流が知られるようになると、特に立石流四間飛車と四間飛車穴熊を指すようになった。相振り飛車での左玉も得意としていた。 その後は再びオールラウンダーに戻っている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 02:04 UTC 版)
若手時代は既存の定跡形を多く指していたが、2005年前後からは創造的で新基軸な序盤作戦を選ぶことが多くなっている。 ゴキゲン中飛車を相手にしての序盤の新手である9手目▲9六歩は、多くの棋士達によって採用されている(ゴキゲン中飛車 を参照)。 若手時代から「緻密流」と称される読みの深さで知られ、「1秒間に1億と3手読む」と形容されるほどである。 非常に独特な駒組から腕力で相手をねじ伏せる剛腕ぶりから、インターネット上では「丸太」と表現されることもある。 後述のように升田幸三賞を2度受賞している。特別賞ではない升田幸三賞を2度受賞しているのは、佐藤康光と青野照市、藤井猛、千田翔太の4人のみである(2022年4月現在)。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 00:22 UTC 版)
本人によると、居飛車党であるという。横歩取りを採用することが多い。 終盤巧者として知られ、詰将棋解答選手権によく参加し、2015年度チャンピオン戦では入賞している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:29 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 04:19 UTC 版)
得意戦法は振り飛車。先手番では初手▲7八飛戦法を得意としている。実戦での採用のほか、「猫だまし戦法(初手の革命 7八飛車戦法)」として「将棋世界」2013年10月号で解説している。 またプロ棋士として同じ振り飛車党である藤井猛を尊敬しており、藤井が升田幸三賞を受賞した戦法である角交換四間飛車も積極的に採用している。
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棋風
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居飛車、振り飛車のどちらも指す。 他の棋士とは異なった新感覚の棋風で頭角を現してタイトル挑戦・奪取し、「不思議流」と呼ばれた。また、独特の守りの手が印象的であり「受ける青春」とも呼ばれている。 王将保持時はひねり飛車も指していて、塚田スペシャルの先駆者でもあった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:37 UTC 版)
振り飛車穴熊を得意としているが、角換わりや横歩取り、右玉など居飛車の将棋も指しこなしており、相手にとっては的が絞りにくい棋風。abema企画の郷田戦では相掛かりの後手を持って勝つなどほぼすべての戦型を高いレベルで指しこなすことができるオールラウンダー。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 15:02 UTC 版)
かつては矢倉戦法を得意としていたが、2017年の将棋情報局のインタビューで、左の桂馬の活用が難しいことを理由に銀冠穴熊や雁木を多用するとともに、「矢倉は終わった」と発言したことがある。ただしその後も矢倉の研究や実戦での採用は続けており、「終わったは言い過ぎでした」とも発言している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 15:19 UTC 版)
「藤井奈々 (女流棋士)」の記事における「棋風」の解説
振り飛車党。 糸谷哲郎は、藤井が2018年6月6日に女流2級昇級を決めた一局を「終盤はさすがの切れ味でした」と評した。なお、藤井は詰将棋創作を趣味としており、中学生の時に詰将棋パラダイスのスマホアプリに自作詰将棋を初めて投稿したところ、一発採用された経験を持つ。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:22 UTC 版)
棋風は「無頼流」。データには頼らず、局面に対する感覚を重視するタイプ。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:10 UTC 版)
目立つ特徴はない。本人も相手により、さらに場合によっては対局に臨んで戦法を決めることがあると答えている。 アマチュアへの丁寧な指導で知られ、関西以外の地方にも気軽に指導に出向く。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:05 UTC 版)
居飛車党である。名前に反して“マモルは攻める”と言われるほどの、攻め将棋である。逆に兄の成幸は守る(受ける)傾向があり軟体受けで知られる。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:39 UTC 版)
勢いのある攻めを好む居飛車党であり、NHK杯戦・銀河戦など早指しの棋戦で実力を発揮する。しかし、2006年の第25回朝日オープン将棋選手権予選観戦記によると、関西の先輩である谷川浩司はその勢いと感覚に任せた指し口が裏目に出かねないと苦言を呈していた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 02:22 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 07:39 UTC 版)
振り飛車党で、序盤の研究家としても知られ、若手の横山泰明・佐藤和俊・藤倉勇樹・中村亮介との共著で、「新・振り飛車党宣言!」という著書を著している(千葉は2・3巻の著者)。 2007年度以降、矢倉戦法など居飛車を採用する将棋が増えており、2007年度は先手番の矢倉で6戦全勝している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:47 UTC 版)
大駒の捌きを得意とする居飛車党であり、威嚇するように強手を連続する。1996年12月12日の第10期竜王戦5組ランキング1回戦で、当時棋聖位を保持していた三浦弘行に勝った際も、相居玉のまま大駒交換を繰り返しながら相手陣を崩す戦法を試みた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:38 UTC 版)
居飛車党であり、相手も居飛車の場合は相掛かりや矢倉を指すことが多い。 終盤は粘りを見せる場合が多く、自玉が詰みになった状態まで指し続けた事がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:41 UTC 版)
基本的には居飛車党であり、相矢倉と角換わりといった本格的な居飛車戦法を指すことが多いが、中飛車、四間飛車といった振り飛車戦法も指す。 序盤の定跡や棋理にこだわらない棋風であり、先手番で自分から角交換にいく角換わりを指したり、陽動居飛車(飛車を振って、相手が飛車先の歩を突いた後、また飛車を定位置に戻し、相居飛車にする)や角頭歩戦法も得意。 勝負どころの局面になると一手一手の駒音が高くなるという、気合い重視型の棋士でもある。また、上座に座った格上の後輩棋士と揉めて、対局開始が遅れたことがあるなど将棋の対局に限っては厳しい面をみせる。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:28 UTC 版)
振り飛車戦法を採用することが多く、飛車を振る場所が多彩な棋風である。三間飛車、相振り飛車のほかに、初手▲5六歩からの中飛車、角道を止めない四間飛車など、あまりオーソドックスではない指し方をすることがある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:55 UTC 版)
ゴキゲン中飛車を得意とする切れ味の鋭い振り飛車党で、激しい攻め合いの将棋を選ぶことが多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:58 UTC 版)
居飛車党ではあるが、年に数回はゴキゲン中飛車などの振り飛車も指す。 テンポのよい攻めが身上で、自分の方から仕掛けることが多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 15:17 UTC 版)
何でも指す、オールラウンドプレーヤーである。居飛車の戦法も振り飛車の戦法も、多種多彩である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:56 UTC 版)
独特の感覚をもった振り飛車党で、窪田流といわれる四間飛車を得意とする。自身ではその感覚を「タテの振り飛車」と喩えている。さばきを身上とする振り飛車党が多い中、窪田の棋風の特徴として金銀が前に出て行く点が挙げられ、力戦や長手数の泥仕合に本領を発揮する。B級2組への昇級を決めた第67期(2008年度)順位戦C級1組では180手を超える対局が実に4局を数え、3勝1敗であった。6回戦の日浦市郎戦(200手)、10回戦の上野裕和戦(186手)、11回戦の北島忠雄戦(261手)はいずれも入玉確定による勝利。 対山崎隆之戦では無理攻めであり成立しないと言われた玉頭銀戦法で見事勝利を収めた。 早見えであり、持ち時間が短い早指し戦でその力を発揮する。 駒を並べる作法は伊藤流。 独特な棋風とユニークな人柄が「窪田ワールド」と呼ばれている。また著書「変幻自在!! 窪田流3三角戦法」(毎日コミュニケーションズ)の帯には「いきなりタダ捨て2五桂 妖しさ満点 窪田ワールド!!」」と表記されている。2011年の京急将棋祭りでは「窪田ワールドを体感しよう」と称したイベントも開催された。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 15:53 UTC 版)
デビュー当時から居飛車党で、角換わりを得意とする。矢倉の採用も多い。しかし、2000年前後から振り飛車を指すことが多くなり、一時期、四間飛車党であった。2008年頃からは、後手番一手損角換わりなどの居飛車も指している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 06:08 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 03:46 UTC 版)
居飛車の矢倉・相掛かり・角換わり・玉頭位取り、そして、振り飛車の四間飛車・三間飛車・向かい飛車・中飛車・相振り飛車のどれも指すオールラウンドプレーヤーである。
※この「棋風」の解説は、「木下浩一」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 03:36 UTC 版)
居飛車党で、矢倉と相掛かり系の将棋が多い。全軍躍動の手厚い攻めの棋風である。たまに、振り飛車も指す。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 03:54 UTC 版)
居飛車党。個性的な力強い棋風で知られ、棋界の流行戦法に流されず独自の将棋を貫く傾向が強い。 得意戦法の一つは角換わり、特に右玉戦法。師匠の米長も得意とした戦法である。横歩取り8五飛が登場する以前は、横歩取り戦法のスペシャリストとも呼ばれた。横歩取り模様の後手番で△8五歩を保留して△4二玉と指し、先手の飛車先交換後に△2三歩と打つ中川流2三歩戦法を考案(従来の2三歩戦法は先手に横歩を取られた後に飛車金交換されて不利だと結論が出ていたが、この形では▲3二飛車成に対して△同玉と取れるのが骨子である)。右四間飛車戦法も、独自の研究を加え得意戦法としている(下記「著書」の項を参照)。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:00 UTC 版)
対振り飛車の位取りや左玉戦法、3手目7八金戦法などの高田流と言われる独特の序盤戦術で知られる。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 04:41 UTC 版)
居飛車党で、相掛かり・ひねり飛車を採用することが多かった。これはプロ棋士の中では珍しい棋風である。プロデビュー以来しばらくは、玉を堅く囲い合う前に戦いを始めることが多かった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:19 UTC 版)
振り飛車党である。 三間飛車で美濃囲いにすることが多い。また、相手が振り飛車の場合、自分も振って相振り飛車にする。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:36 UTC 版)
振り飛車党であるが、居飛車も指しこなす。特に振り飛車を得意とする女流棋士に対しては、相振り飛車の採用が多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 07:59 UTC 版)
得意戦法は振り飛車、矢倉など。振り飛車党の力戦派で、独特の大局観と受けが強烈な異能派棋士である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:48 UTC 版)
居飛車党。アマチュア時代は振り飛車を指していたときもあり、様々な戦型を指しこなせるオールラウンダーを目指したいと話している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:54 UTC 版)
得意戦法は、師匠・豊島将之の得意戦法でもある角換わりで、豊島は、正統派で攻守のバランスが取れていると評した。岩佐は豊島の棋譜を中心に並べて勉強している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 05:45 UTC 版)
他の棋士が思いつきにくい手順でたちまち敵の玉を寄せることから、「光速の寄せ」、「光速流」というキャッチフレーズが付いている。森内俊之は、「終盤にスピード感覚を将棋に持ち込んだ」元祖とも言える存在であり、寄せの概念を変えたと評している。 しかし、2009年には「光速の寄せなくなっちゃったんで」と谷川本人も冗談めかして言ったように、必ずしも「光速」にこだわらない棋風へと変化しつつある。他に、有力な指し手が2つ以上見えた場合、駒が前に進む手を優先して選ぶことから、「谷川前進流」とも言われる。 谷川が色紙などに揮毫するときに、好んで書く言葉として、「光速」、「前進」、「飛翔」、「危所遊」(松尾芭蕉の「名人危所に遊ぶ」より)などがある。これらは、谷川自身の将棋観・特徴を表している。ちなみに、谷川は達筆であるが、一目で谷川が書いたとわかる独特の字を書く。 谷川は振り飛車も指すが、基本的には居飛車党である。プロデビューしたばかりの四段時代は振り飛車党であったが、その後、居飛車党に鞍替えした。 昭和と平成の境目の前後の頃には先手番の角換わりを最も得意とし、他の居飛車党の棋士達から恐れられた。 相矢倉は後手番が少しだけ不利だということが‘定説化’した頃(2000年頃)からは、後手番では矢倉を指すことがかなり少なくなり、たとえば四間飛車を多用した。その後、横歩取り8五飛、相振り飛車、ゴキゲン中飛車など、流行の戦法を取り入れて、指し方が多様化する。 ちなみに、谷川の「光速の寄せ」を信用したがために、対局相手が自ら転ぶケースも時たま生じている。一例として谷川が永世名人の資格を獲得した第55期名人戦の第1局の最終盤を挙げる。羽生は72手目に△6五飛と指して谷川の馬と金に両取りをかけた。馬は羽生の玉に迫っている駒で、金は谷川の玉を守っている駒であった。それに対して谷川はほとんど時間を使わず、羽生玉の近くに▲4一銀と打った。しかし、この手は詰めろではなかった。ところが、羽生は谷川を信用して、その手が詰めろだと錯覚したため、金を取って必至をかければ勝ちになるところを、自陣を攻めている馬の方を取ってしまい、結果、谷川の逆転勝利となった。 デビュー直後にはハメ手として古くから知られている横歩取り4五角戦法を再発見して連採、森安秀光・東和男を36手で倒しブームを巻き起こしたことがある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:25 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 18:40 UTC 版)
現役時代、特に若手時代は早見え早指しの作戦巧者と呼ばれていた。 才気あふれる着手が多く、天才型の棋士と言われていた。凧金・腰掛金(歩越し金)など持ち駒でない金を攻めに使う、反対に自陣(三段目以内)に引き戻したと金や敵陣に居る竜の縦利きを守りに使う、桂馬を横に並べる(中将棋の「麒麟」のような利きが前方に幾つも作れる)、等の独創的で魅惑的な技も多用していた。 十段リーグ入りを遂げた時期には先手なら居飛車、後手番なら振り飛車(特に角道を止めるノーマル向かい飛車を得意とした)が多かったが、以降は相居飛車・対抗型どちらもこなす正統派の居飛車党に転じた。 現役晩年は二手損向かい飛車およびダイレクト向かい飛車、先手中飛車、角交換四間飛車、2手目△3二飛戦法などの現代振り飛車や相振飛車も指すようになり、再びオールラウンド・プレイヤーに戻った。 飛車の振り場所と玉の囲う位置を、先後手の双方で1筋から9筋まですべて対局で実践した。右玉袖飛車、一間飛車(左一間飛車)や阪田流向かい飛車など のような古典的な戦法から、相掛かりや角換わりでの居玉まで戦法選択は多岐にわたった。 順位戦では毎回異なる戦法を採用する趣向で魅せるなど「異能の棋士」(「将棋講座テキスト・2014年NHK杯観戦記」ほか)ぶりを発揮していた。観戦記者とのインタビューでは「意識して色々な戦法を指すようにしており、対戦相手によっても指し方を変えている」と答えていた。 序盤を重視し、位取りや金銀桂を上部に進めるなどの厚みを活かした攻め将棋。序中盤で優位に立ちそのまま寄せ切るのが勝ちパターンだった。 勝負に淡泊な面があり、相手から一度も王手をかけられていなかったにも関わらず投了してしまう対局も多かった。現役最後の門倉戦(上述)も、王手を全くかけられておらず詰めろでもない状態で投了した。 反対に、相手に一度も王手をかけず、攻めを全て受けつぶして勝ったこともあり、先手の金銀四枚穴熊に四間飛車で勝った1981年2月12日の王位リーグ(対脇謙二)の棋譜などは40年以上経った現在でも「穴熊の姿焼き」の成功例として取り上げられているとされる。
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棋風
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四段昇段のインタビューにおいて、得意戦法は矢倉。目標とする棋士には谷川浩司を挙げている。
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棋風
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居飛車党。腰の据わった受け将棋で、特に角換わりと横歩取りを得意にしている。
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棋風
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矢倉あるいは矢倉模様の将棋が多い居飛車党。 当初は攻守にバランスの取れたタイプであったが、その後、駒組みが完了する前からの斬り合いや、駒損をいとわない踏み込みの棋風に変遷していった。 山田道美、関根茂、富沢幹雄と研究会を行い、将棋界の研究会の元祖の一人とされる。
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棋風
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棋風
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兄弟子の櫛田陽一に仕込まれた角筋を止める四間飛車を得意とする。その一方、田丸からのアドバイス(上述)を受けて以降、行方尚史に居飛車を、窪田義行には振り飛車をそれぞれ教わり、将棋の幅を広げた。
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棋風
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居飛車、振り飛車のどちらも指すオールラウンドプレーヤーである。プロ入りを決めた際のインタビューでは、得意戦法は居飛車と回答している。電王戦での二つ名は「十八歳の光速棋士」。
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棋風
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厚みを重視した柔軟な棋風とも言われるが、本人は読みを基調とする碁と言い、特に趙との七番勝負以後は鋭い踏み込みのある碁となる。
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棋風
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棋風
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元々は振り飛車一本だったが、20歳の頃に居飛車に切り替えるなど棋風改造に取り組んでいる。
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棋風
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棋風
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得意戦法は四間飛車。休場から復帰した2012年度以降は居飛車を多く指している。
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棋風
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格別、これといった特徴はなく、柔軟な指しまわしで大抵の戦法や囲いにも対応する。 平手から駒落ちまで様々な定跡を研究しており、著作が多いことから「定跡伝道師」と呼ばれている。特に「東大将棋ブックス」シリーズが有名。 詰将棋に対しては懐疑的であり、「宗看・看寿の詰将棋さえ解けば最低でもプロ四段になれる」という米長邦雄永世棋聖の持論を、全面否定したことがある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:09 UTC 版)
居飛車と振飛車を両方指すオールラウンドプレーヤー。ただし本人は「振り飛車でしか勝てない居飛車党」と自称している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 13:58 UTC 版)
振り飛車党で、四間飛車や三間飛車が多く、特に、飛車の上に銀を繰り出す攻撃的な棋風である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 13:39 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 03:35 UTC 版)
居飛車党。近年は矢倉の採用が多い。角交換振り飛車破りが得意で、自身は角道を止めた四間飛車を指す。外連味のない真っ直ぐな将棋といわれる。
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棋風
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「駒取り坊主」と呼ばれるなど、駒得(こまどく)を目指す、実利を重視した受けの棋風である。 かつては矢倉を多く指す居飛車党であったが、その後、中飛車なども指すオールラウンダーとなっている。 NHK杯戦で羽生に勝ったときはゴキゲン中飛車で戦い、終盤でも駒取りに励んで羽生の攻めを切らすことに成功した。
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棋風
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攻めの棋風であるが、銀を巧みに用いる事からニックネームは「いぶし銀」。風貌から「カラス天狗」ともいわれる。 代表する得意戦法も挙げにくいので、川口篤(河口俊彦六段・当時)は「桐山将棋を語るのはなかなか難しい。」と述べている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 09:20 UTC 版)
居飛車力戦を得意とする。兄弟子にあたる糸谷哲郎の将棋に小さい頃から憧れていたと発言している。直感を大事にする早指し派である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 04:42 UTC 版)
変則的な将棋が特徴で、初手に5筋の歩を突いたり(ただし、竹内の場合、ここから先手中飛車にしない事もある)、割り打ち・両取りのリスクの多い飛車角の並ぶ5六飛・6六角型中飛車や、飛車玉の近い居玉四間飛車、地下鉄飛車といった力戦を得意としている。また、受けと粘りにも定評があり、穴熊玉が入玉する終盤など定跡にとらわれない力技を見せる。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 19:15 UTC 版)
居飛車を主戦場としながら、振り飛車も指す。受け将棋で得意戦法は横歩取り。 2012年現在、流行の戦形を研究することは無く、自らの指さない戦形についての知識はほとんど持ち合わせていないと言う。将棋記者に語った所によれば「僕には自分の世界があるので。」とのことである。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 17:31 UTC 版)
居飛車党。 大山康晴の棋譜をよく並べており、受け将棋の棋風である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 08:46 UTC 版)
先番では三連星を愛用し、地よりも中央での展開を重視した独特の感覚から作られる大模様作戦は宇宙流と呼ばれファンも多い。一方、白番二連星から柔軟に展開される模様にこだわらない流水のごとくしなやかな碁は自然流と呼ばれる。 韓国の李昌鎬は武宮を「宇宙流は布石の第2革命と呼ぶべきであり、彼は世界の碁を一人で変えてしまった」と評している。また中国の江鋳久も「アマチュアが強くなる秘訣は、武宮先生の碁を並べること」と述べるなど、独創的なそのスタイルは世界でも極めて高く評価されている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 08:48 UTC 版)
序盤から中盤にかけて手厚く打ち、ヨセ勝負に持ち込む堅実なスタイル。ヨセに関しては「神算」と呼ばれるほど正確無比。また、無表情かつ寡黙な性格でも知られ、「石仏」というニックネームもある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 14:57 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 20:39 UTC 版)
居飛車党であり、角換わり、横歩取り、矢倉を指すことが多いが、時折、中飛車や相振り飛車も採用する。 攻守にバランスが取れた棋風である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 09:37 UTC 版)
居飛車党で、矢倉、相掛かり、角換わり、対振り飛車急戦を指す。ただし、自陣の整備を完了する前に仕掛けることが度々あり、その場合は力戦調の将棋となる。 一方で矢倉中飛車の使い手としても知られ、本人も『将棋世界』誌上の連載で「『矢倉中飛車』の講座とくれば、現棋界で私しかいない、と胸を張って言う事ができる」と述べるほど。本人によれば奨励会時代からずっと指し続けているが、一時は戦績が低迷したため、将棋を知らないはずの妻から「矢倉チュウ飛車だけは止めて」と言われたこともあるという。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 10:29 UTC 版)
生粋の振り飛車党。特に中飛車の使い手として知られ、2014年には囲碁・将棋チャンネルで「伊藤真吾の中級講座」と題した中飛車の講座番組を担当している。2017年末頃から、振り飛車から雁木などの居飛車戦法を多く採用し、ほぼ居飛車党に鞍替えしつつある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 16:15 UTC 版)
居飛車党。受け将棋で相手の得意戦法や注文を受けて立つ。若手に強いと言われ、2013年には佐藤天彦七段(当時)を破っている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:46 UTC 版)
得意戦法は三間飛車。「2018年頃から連投」、「何度も指すと相手に手の内がばれるが、それでもいいと思うくらい面白い戦型」、「山本博志を参考にしている」などと語っている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 06:49 UTC 版)
「ロベルト・ヒュプナー」の記事における「棋風」の解説
チェス盤においては、ヒュプナーのエンドゲームの技術は効率的で無慈悲であるといわれてきた。ビル・ハーツトンは、「しかし彼の完全主義で、やや悲観的なアプローチが、チャンピオンになれなかった理由だ」と述べている。ヒュプナーの成功への道は、タイミングの悪いトラブルや棄権で妨げられることがあった。ヒュプナーは1971年の挑戦者決定戦マッチではチグラン・ペトロシアンとの対戦を対局環境についてのトラブルで棄権しているし、1980年のヴィクトール・コルチノイとの挑戦者決定戦マッチも同様であった。特にヒュプナーに運がなかったのは1983年の挑戦者決定戦準々決勝でのワシリー・スミスロフとの対戦である。スミスロフは早指しによるプレーオフを拒否した(当時は早指しプレーオフは選択制で、これはヒュプナーの十八番であった)。代わりにタイブレークをルーレットで行なうこととなり、スミスロフが勝者となった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 13:49 UTC 版)
相矢倉が得意で、全ての駒を働かせる将棋を好む重厚・沈着な棋風であり、文字通りの本格派居飛車党である。 地味で無口のイメージのため、名前の略称「たかみち」にかけて「地道高道(じみちたかみち)」「地道流(じみちりゅう)」などと呼ばれる。高橋自身もブログで「たかみっち」と自称している。 囲いの発達に貢献をしている[要出典]。特に居飛車振り飛車対抗形において、居飛車が金銀4枚で囲い飛角桂3枚で攻める戦型の一般化に影響を与えている[要出典]。金銀4枚による守りで飛角桂3枚による、切れる寸前の細い攻めを繋ぐ技術に特徴がある。 3度目のA級復帰を決めた2008年度のB級1組順位戦では、後手番で横歩取り8五飛を4度用い、結果は3勝1敗であった。
※この「棋風」の解説は、「高橋道雄」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:45 UTC 版)
振り飛車を得意とし、特に積極的に攻める「下町流」と命名した三間飛車を多く採用する。
※この「棋風」の解説は、「小倉久史」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 17:29 UTC 版)
「子供の頃からずっと居飛車党」であると本人は意識している。飛車を振る場合も「自分の場合は泥臭い振り飛車」だと言う。雁木や陽動振り飛車といった力戦型にすることも多い。 終盤に関しては手ごわいと定評があり、特に裸玉に近い状態になってからの粘りを得意としている。 対局開始前の駒の並べ方について、プロで一般的な大橋流/伊藤流のどちらとも異なる独自の並べ方(一部では「熊坂流」とも称される)を採用している。
※この「棋風」の解説は、「熊坂学」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 06:00 UTC 版)
居飛車党で、角換わりを得意戦法としている。序盤から果敢に仕掛ける、鋭い攻め将棋。 桂馬の活用に定評がある 。
※この「棋風」の解説は、「三枚堂達也」の解説の一部です。
「棋風」を含む「三枚堂達也」の記事については、「三枚堂達也」の概要を参照ください。
棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 10:03 UTC 版)
振り飛車党の攻め将棋。得意戦法は振り飛車穴熊。いきなり1手目7八飛戦法で、相手の意表を突くこともある。
※この「棋風」の解説は、「西田拓也」の解説の一部です。
「棋風」を含む「西田拓也」の記事については、「西田拓也」の概要を参照ください。
棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 10:20 UTC 版)
基本的には、角換わり、横歩取りなどを多く指す居飛車党である。どちらかと言えば受け将棋であり、カウンターの鋭さには定評がある。電王戦での二つ名は「泰然自若の冒険家」。
※この「棋風」の解説は、「稲葉陽」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 10:04 UTC 版)
振り飛車党。持久戦が得意で、2015年度竜王戦での青野照市戦、島本亮戦のような長時間、長手数の将棋も多い。
※この「棋風」の解説は、「黒沢怜生」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 16:05 UTC 版)
矢倉、角換わり、相掛かりが多い居飛車党で、時折、中飛車も指した。 対振り飛車で、「富沢キック」とよばれるポンポン桂戦法で知られる。また、のちにゴキゲン中飛車と呼ばれる戦法を最初に指したのも富沢と言われる。 駒損をいとわない攻めを、中盤戦から見せることが度々あった。 初手に▲1六歩と突いてから後手番の相掛かりのようにする指し方が見られた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 11:46 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 11:47 UTC 版)
居飛車党。
※この「棋風」の解説は、「大島綾華」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 08:37 UTC 版)
5筋の歩を突かない「英ちゃん流中飛車」の創案者。弟弟子の近藤正和がゴキゲン中飛車を創案したこととあわせて、原田門下の中飛車戦法への貢献は大きい。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:03 UTC 版)
居飛車、振り飛車のどちらも指し、四間飛車、矢倉、三間飛車が多い。 攻守のバランスが取れているが、どちらかと言えば受け将棋である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 08:39 UTC 版)
居飛車党で、相居飛車戦では矢倉や相掛かりの将棋が多かった。 踏み込んで斬り合うことを好む棋風だった。 非常に早見えする将棋であり、感想戦等で詰むかどうかを瞬時に読み切って対局者を驚かせることもあった。
※この「棋風」の解説は、「木下晃」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 08:18 UTC 版)
居飛車、振り飛車ともに指すが、矢倉の将棋が多い。 中盤から終盤まで押しつ押されつの攻防が特徴的な棋風である。
※この「棋風」の解説は、「賀集正三」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 10:29 UTC 版)
矢倉など居飛車の主要戦法を一通り指しこなし、正統派の指し方をする棋風。一方で、攻めっ気の強い棋風で知られ、「攻め十五段」などと謳われた。幅広い戦法を持ち、相振り飛車や筋違い角も指した。 詰将棋を愛好し、詰将棋作家としても知られる。初心者向けの短手数問題の作問を得意としているほか、雑誌や書籍などで詰め手筋の研究、分析などもよく行っていた。また、現役を引退してからも将棋雑誌や新聞などにもよく問題を出題している。作風としては難解、複雑さを好まず、明解な作品を売りとしている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 09:08 UTC 版)
居飛車党で、相掛かり系や矢倉が多い。相手が振り飛車で来ると、持久戦ではなく急戦の形で対抗する。 攻めの棋風であり、特に、銀を敵陣の前に繰り出し、飛車は縦に使い、激しい歩の突き合いをするという、破壊力のある縦の攻めに特徴がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 17:07 UTC 版)
振り飛車党であり、四間飛車を指すことが多い(小学生将棋名人戦の決勝も、四間飛車で戦った)。 相手も振り飛車で来た場合は、相振り飛車にする。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 08:04 UTC 版)
居飛車、振り飛車ともに指し、また、それぞれ色々な戦法を指すオールラウンドプレーヤーであり、力戦調の将棋が多い。 強気の棋風であり、ギリギリの変化にも躊躇なく飛び込んでいく「見切り」「玉さばき」が持ち味。
※この「棋風」の解説は、「神谷広志」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 06:51 UTC 版)
受けを重視する棋風で、「攻め将棋」が多い女流棋士の中では異色である。流行に左右されず、自分ならではの「型」で戦う。 2017年度の第28期女流王位戦五番勝負(伊藤が里見香奈女流王位に挑戦)でインターネット中継の解説を務め、同じ時期に第89期棋聖戦の1次予選で伊藤(女流棋士枠で出場)と対局した大平武洋は、伊藤の棋風を下記のように評した。 「接近戦に強く、混戦で力を発揮する印象」 — 大平武洋、 渡辺弥生は、形にとらわれずに、相手の攻め駒を金銀で攻める、受けが強い棋風、と評する。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:28 UTC 版)
得意戦法は中飛車。 激しい攻め将棋の棋風から「攻める大和撫子」の異名を持つ。
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棋風
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 23:28 UTC 版)
足早に地を稼ぎ、ヨセ勝負に持ち込む実利派。 全盛時代に多用した小林流布石は好成績を挙げ、世界で流行布石となった。味や含みを残さず、早々と部分部分の形を決めて打つ「決め打ち」は有名。
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棋風
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石の形や筋がよく、鋭い着眼で猛攻を仕かける剛腕家。アマチュアから高い人気を得ており、心酔するファンも多い。ニックネームは「無冠の帝王」。 ビックタイトルにこそ恵まれなかったものの、新人王戦2回、3大リーグにそれぞれ在籍するなど、80〜90年代にかけて一線級の棋士として活躍した。 師である木谷が宮沢を初めて見た際、「久しぶりに尾のハネ上がった鯛をつかまえた」と言ったという。打碁集(日本棋院、2005年)の解説には「先生の常識は世の非常識。常識人でありたいのなら、この先生の碁に深入りしてはならない。」とまで書かれた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 23:23 UTC 版)
居飛車党である。横歩取り8五飛戦法などの激しい将棋を指しこなすが、受けが得意であり、守りと粘りの棋風である。相手の攻め駒を逆に責めて攻撃を跳ね返す、強靱な受け潰しを見せる。守備駒として強力な竜馬を自陣に引き付けることも好む。時に、玉を守りに参加させる「顔面受け」を見せるなど、他のプロ棋士を驚かせることがある。 なお、柴田ヨクサル作の漫画「ハチワンダイバー」の登場人物である中静そよの異名「アキバの受け師」をもじって、「千駄ヶ谷の受け師」と呼ばれることがある。 また、勝負をあきらめないという特徴があり、人によっては不利を認めて投了してしまうところ、木村の場合ははっきりするまで指し続ける場合が多い。木村曰く「相手が誰であっても信用しない」とのことである。実際、羽生善治は木村から1手詰みの頓死を食らったことがある(2001年竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局)。その非常に粘っこい棋風を、先崎学は「『木村の玉を詰ますのは疲れる』ということばが業界にはあるくらい」「血液の中にナットウキナーゼが入っているんじゃないかという疑惑がある木村君」と表現している(ただ実際には納豆は苦手だという)。 粘り強さの裏付けの一つに体力があり、同い年の行方尚史は木村について「彼は順位戦の後でも『欲しくなる』タフな男」と語っている。
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棋風
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全盛期は独創的な序盤戦術により作戦勝ちを収めることが多く、「序盤のエジソン」の異名を持つ。居飛車穴熊の「囲いの固さ重視」、飛車先不突矢倉戦法での「展開のスピード重視」という思想は、その後の序盤戦術の基礎となった。さらにはそれまで「素人将棋」とされていたウソ矢倉を、後手番での矢倉の斬新な組み方「無理矢理矢倉」としてプロの間で通用する戦法にするなど、将棋の序盤戦術の発展に与えた影響は大きい。それ以外にも、藤井システム対策の串カツ囲いの発案など、積極的に序盤戦術を開拓していった。 「居飛車穴熊」を現代戦法として再編・体系づけてプロ棋士の間に大流行させて本格的な対振り飛車攻略として定着させた。「居飛車穴熊戦法の元祖」と呼んでよい(※)。 (※)なお「元祖」という呼び方に関して、アマチュア強豪の大木和博から訴えられたが、「二人とも元祖や創始者と呼ばれるにふさわしい」というのが裁判所の結論である(一審から最高裁まで、結論は一貫してそうであった。「居飛車穴熊戦法」訴訟参照。)結論としては、田中寅彦は「居飛車穴熊戦法の元祖」と呼ばれるのにふさわしい。(また同様に、大木も元祖と呼ばれるのにふさわしい。ちなみに世の中のさまざまなことで「元祖」と呼ばれたり名乗るのにふさわしい人が2〜3人いるという状態はさほど珍しくない)。(実際)居飛車穴熊自体は、史実では、1968年の第27期名人戦第2局で先手番の升田幸三が居飛車穴熊のコンセプトを後手番の大山康晴の四間飛車相手に実践していた。 20世紀の将棋の序盤戦術に革新性をもたらし、現代将棋の発展に貢献した。羽生善治は若手棋士だった時代に、日経新聞の「19歳の挑戦」という記事に「田中寅彦八段(当時)の序盤は実に巧みで、私にはない感覚といつも感服させられる。(中略) 序盤の研究は急務と思っている。」と述べていた。研究将棋に対する熱意や真摯な取り組みといった面で、羽生世代へ与えた影響も少なくない。 終盤に関しては、さほど強くはなかった。羽生世代が(田中らが編み出した序盤戦術に学び、それを研究した結果)序盤・終盤の両方が強くなり隆盛して以降はさすがに戦績が振るわなくなった。(とはいえ、後輩から「学ぶに値する先輩」とみなされ研究され、後輩が育ち、やがて乗り越えられてゆくことは、先輩としての功績であり名誉である。)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:20 UTC 版)
定石を超える独創性が強い戦闘的なスタイル。「韓国棋界の魔王」と呼ばれている。
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棋風
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 19:45 UTC 版)
居飛車党。序中盤でリードして逃げ切る戦い方、接近戦を得意とする。優勢になってからも勝ちを急がず、相手の手を殺す方針を貫く手堅い棋風は、「激辛流」あるいは「友達を無くす戦い方」と言われる。 角換わりや横歩取りを得意としている。1997年度のNHK杯における兄弟子・米長邦雄との対局では、後手番の米長が丸山の角換わりを避け、角換わりのような出だしでありながら角道を止めて角交換を拒否し、丸山に飛車先の歩交換を許す、現代のプロ棋士の目からすれば奇異な作戦を採用した。米長は局後の感想戦で「(丸山に)角換わりを指させたら、谷川・羽生でもかなわないだろうから(角換わりの将棋にしなかった)」と語っている。第24期(2011年度)および第25期(2012年度)竜王戦七番勝負では、先手ならば角換わり、後手ならば一手損角換わりで全局を戦った。 ゴキゲン中飛車戦法に対して早々と角交換する指し方は「丸山ワクチン」と呼ばれる。これは丸山千里が開発した薬剤の名前に因んでいる。 最近[いつ?]、丸山の後手番で、一手損角換わりの途中、3手目に先手から角道を止められた場合は振り飛車を採用することが多くなった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:43 UTC 版)
居飛車党であり、矢倉、相掛かり系の採用率が比較的高い。後手番一手損角換わり戦法の流行後は、同戦法を多用している。乱戦や一直線の攻めを好み、相手の攻めを受けずに攻め返す棋風である。大駒や自玉を守る金・銀といった大事な駒に「取り」がかかっている局面であっても、それを見捨てて攻めの手を指すことが非常に多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:38 UTC 版)
厚みを重視し、劣勢になると自陣に駒を打ち付け複雑にして逆転を狙う棋風から、「泥沼流」と呼ばれる。本人の性格や見た目から「さわやか流」と呼ばれていたこともあり、米長本人は後者の方が好きだったと言う(ただし、棋風との関連は不明)。 弟弟子である丸山忠久は、米長将棋の特徴について「米長先生の棋風は『さわやか流』、『泥沼流』などと評され、清濁併せ呑むというのが一般的なイメージかも知れません。しかし、私は清から濁、濁から清への転換の見事さこそが米長将棋の本質だと考えています」と述べた上で、「清なら清、濁なら濁がずっと続くわけではなく、鮮やかに切り替わるのです。その変わり身の速さは、おそらく誰も真似できないでしょう。これが米長将棋の最大の魅力だと思っています」と、局面に対する柔軟性の高さを評価している。 居飛車本格派ながら、定跡研究などによる序盤の構想よりも中~終盤の攻防でねじ伏せる勝利が多く、特に将棋の終盤戦術の向上に貢献した。その独特の感覚は「米長玉」などに表れており、現代将棋の終盤の基本パターン「自分の玉を‘Z’(ゼット、絶対詰まない形)にして攻めまくる」に、大きな影響を与えている。四冠王になるなど絶頂期にあったときには、自著『逆転のテクニック』の中で序盤研究に否定的な見解を示し、詰将棋で鍛え抜いた読みの力をベースに劣勢になっても相手のミスを招く勝負術ならびに終盤力が将棋における勝負の本質であるとの見解を示していた。 若手時代から「序盤下手」と揶揄されることが多かった(谷川と共に「序盤の二下手」と呼ばれたこともある)一方で、羽生善治は米長の序盤を「序盤から息を抜けず緊張感を強いられる序盤巧者」と評している。ただ、定跡に挑戦するチャレンジ精神は相当あり、対山田戦では「▲3七桂対△1三銀型矢倉は千日手」という常識に挑戦した(結果は負けた)。また、対中原戦では総矢倉(これも常識では千日手)で▲6八銀左という新手を指して勝っている。 また、同じ振り飛車党に対しても大山に対しては位取りをメインにした持久戦を、森安に対しては鷺宮定跡(急戦)を採用するなど、相手によって戦法を変えることを明言していた。 四冠王になる前には、「角頭歩戦法」や「新鬼殺し戦法」といった奇抜とも言える序盤戦術を開拓していた。「角頭歩戦法」はタイトル戦(1975年(昭和50年)の王将戦第1局)の舞台で使用し、大きなインパクトを与えた。しかし「角頭歩」についてはすぐ相手側の「回避策」が出てしまったが、それに影響を受けた戦法「立石流」の源泉となった。また「新鬼殺し戦法」は初心者向けのハメ手と戒められていた鬼殺しを立派な一戦術として確立させている。また2011年(平成23年)12月21日に行われたコンピュータ将棋「ボンクラーズ」とのエキシビジョンマッチで敗北したものの、ボンクラーズの初手▲7六歩に対し2手目に△6二玉(本人は「新米長玉」と呼称している)という珍しい手を繰り出した。 四冠王となった頃に「米長流急戦矢倉」の開発、対振り飛車における「玉頭位取り」や「鷺宮定跡」の整備といった功績がある。 「矢倉は将棋の純文学」という有名な表現は米長の言葉である。これは米長によれば(矢倉は)高尚である、と言った意味での発言ではなく、角が上下にギザギザネチネチと動き、ネチネチと押したり引いたりし、相手の出方を見てネチネチと手を変え、と言ったそのネチネチさを指して「純文学」と表現したとのことである。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:52 UTC 版)
居飛車党であるが、振り飛車党のような軽快な捌きを重んじる軽い棋風である。 B級2組で迎えた1995年度順位戦は9勝1敗で1期抜けを遂げたが、当期における唯一の黒星(1995年12月22日の7回戦・対藤井猛戦)は、井上が居飛車穴熊に組もうとしたところ、「藤井システム」の前に47手で惨敗した一局である(対居飛車穴熊の藤井システムの1号局)。当時、井上の居飛車穴熊は天下一品と言われていたが、それゆえ、藤井の標的にされてしまった。 プロ棋士としては珍しく、終盤まで居玉のまま勝利した経験を持つ。(2017年1月27日・第43期棋王戦予選・対星野良生戦・手数99手)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 21:02 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:27 UTC 版)
地に辛い棋風で、三々を多用し、両三々も得意戦法とした。ヨセが強いという評価に加えて、序盤構想も意欲的である。大斜定石の研究家としても知られ、中国流布石に対抗する白番の有力な手法としても活用した。 置碁の名手としても知られ、1972年から2年間『棋道』誌上でアマチュアとの2子から5子局の指導碁シリーズを打ち、23勝1敗という結果だった。1983年から『レッツ碁』誌上ではプロ対プロの置碁対局も行い、九子置かせて57目負けなどの記録が残っている。また、2013年3月21日の囲碁ソフト「crazy stone」との四子局に敗退し、「人間なら打ってくる場所に打たない冷静さと柔軟さを感じた。天才かも」と述べた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 02:24 UTC 版)
本人によると、居飛車党で矢倉戦法を好むという。横歩取りも指す。 順位戦に星が集まらない棋士の1人として知られる。プロ入り同期の斎藤慎太郎とプロ入り後10年間、2022年3月末までの成績を比較すると、単純な勝率では八代が.654(439局-287勝)、斎藤が.661(422局-279勝)と高い水準で拮抗しながら、順位戦に限れば昇級経験の無い八代に対して斎藤は2度の名人挑戦権を獲得と対照的な結果となっている。その間に竜王戦では1組まで昇級しており、必ずしも長時間棋戦を苦手としているわけではない。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 09:41 UTC 版)
正確な打ち回しで他のプレイヤーからはまるでコンピューターのようだと言われており。基本的にはオセロのプログラムを使って後で分析してみてもほぼ最善手した打っていない。本人曰く、無理、強引な手はほとんど打たず、そこの調和が師匠の中島哲也八段に似ている。 本人の成功の秘訣としては「継続は大事ですが、愚直に同じことを続けていても成功は続かないと思っています。 私が趣味で続けているオセロで5度世界チャンピオンになれたのは、常に高みを目指し、変わり続けることが出来たからだと思います。 そしてそれはオセロに限らず、私生活、仕事にも同じことが言えるはずです。 様々な場面で決断、選択、対応を求められることがありますが、恐れずに常に新しいことに挑戦し、時には失敗もバネにしながら、変わり続けることで成長をしていきたいです。」と心掛けている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 16:05 UTC 版)
相掛かり、角換わり、陽動振り飛車など、居飛車系の将棋が多い。 攻めっ気が強い棋風で、攻めが続けば快勝するが、受けに回ると脆い面がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 22:11 UTC 版)
居飛車党。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 22:07 UTC 版)
居飛車党。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 22:17 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 04:09 UTC 版)
居飛車党。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 14:36 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 16:49 UTC 版)
若手時代から、手厚さ、強靭な受けを特徴とする安定した将棋を指す棋風であり、長年、棋界指折りの通算勝率(約7割)を維持した。その一方、数々の大舞台で深浦と戦っている羽生善治は、深浦の将棋を「アグレッシブ」、「積極的」と評している。 基本的には居飛車党であり、矢倉、角換わりを指すことが多い。2006年頃以降は振り飛車戦法も指す、いわゆるオールラウンドプレーヤーになっており、また、積極的な攻めも合わさった幅の広い棋風となってきている。2007年からの羽生とのタイトル戦でもその傾向が見られる。 序盤の研究家としての側面もあり、序盤作戦の指針となる『これが最前線だ!』『最前線物語』『最前線物語2』の三部作を著している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 05:49 UTC 版)
振り飛車党。ゴキゲン中飛車と三間飛車が得意戦法で、軽いさばき、力強い攻めを特徴とする。 序中盤で不利になっても、終盤力で逆転勝ちする「怪力」で知られる。観戦記者の津野章二は、女性とはとても思えない豪快な将棋を指す、と評する。 鈴木大介によると、「強かった頃の鈴木大介に似ている」と将棋界で評されている。 女流棋戦では持ち時間をほとんど使わない傾向であったが、2017年度に行われた第11期マイナビ女子オープン本戦(西山は本戦シード)では、持ち時間をきっちり使う傾向に変化した。また、主にネット将棋の実戦を重ねることで腕を磨いていた西山は、初タイトル「女王」を獲得する前年の2017年から男性棋士と研究会を行うようになり、練習対局の後の感想戦で男性棋士から様々な指摘を受けることで、将棋観が変わったという。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:28 UTC 版)
「迷ったら攻める」、師匠ゆずりの攻めの棋風。居飛車党で、本人によると矢倉囲いの急戦を好んでいるという。三段リーグ時代から「米長流急戦矢倉」を改良し、左銀を中央に繰り出していく「藤森流急戦矢倉」を採用している。 なお、「将棋放浪記」では振り飛車を採用する対局もかなり見られ、「振り飛車党を目指すことも考えている」という。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 16:34 UTC 版)
居飛車、振り飛車ともに多様な戦形を指すが、矢倉の採用率が高い。 いわゆる‘足を止めてのパンチの応酬’の将棋が多い棋風である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 14:03 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 16:32 UTC 版)
四段昇段時に、得意戦法は横歩取り系だと回答しているが、近年は相掛かりを指すことが多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:28 UTC 版)
四間飛車党であるが、矢倉、角換わり、三間飛車も多く指す。 四間飛車では、序盤で角道を止めた4段目の歩を早々に5段目に突き、角交換に持ち込むとともに、飛車先を軽くする将棋が多い。 相手の玉が寄るか寄らないかのぎりぎりの攻めで勝負をする棋風。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 17:14 UTC 版)
振り飛車党の棋士で、四間飛車を駆使した対トーチカ・対居飛車穴熊・相振り飛車などの戦形を得意とする。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 21:22 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 03:18 UTC 版)
自玉を堅く囲った後、一転して猛烈に攻める棋風で、「火の玉流」と言われる。矢倉戦の先手番で右の銀を▲4六から使う戦法は「有吉流」と言われる。対振り飛車では玉頭位取り戦法を好み、著書も出している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 21:37 UTC 版)
史上最強の棋士は誰かと聞かれれば、「大山康晴」と私は答えることにしている。実績において大山を破る者があるとすれば羽生善治だろうが、それでもまだ今後の活躍次第と言っていいだろう。 — 米長邦雄(2012年没)の遺稿より、 米長邦雄は、大山の、終盤での強靭な粘り、最善手ではない、敢えて相手の悪手や疑問手を誘うよう手を指す逆転術を「終盤が二度ある」「二枚腰」と評した[要ページ番号]。 同じく米長邦雄は、大山将棋の神髄は受けにあり、守りの要となる金の使い方の巧みさでは並ぶ者がない、と評している。 大山が1992年に死去した後、藤井猛が大山の棋譜を徹底的に研究して藤井システムを創案し、それを駆使して1998年度に初タイトルとなる竜王を獲得した際に、藤井の将棋と大山の将棋が酷似していると感じた米長邦雄は、「嫌な者」(大山)が生き返ってきたかのようだ、という趣旨の発言をしたという(河口俊彦による)。 羽生善治は、大山の棋風について「読んでいないのに急所に手が行く」「最善手を追求しない」と評している[要ページ番号]。大山との実戦では「まあこんなところだろう」という感じで手が伸びてくるのがピッタリ当たり、まさに名人芸という指しまわしであったと評している[要ページ番号]。 若い頃の大山は、その当時の主流であった矢倉や腰掛銀などの居飛車が多かったが、突如振り飛車党に転向、特に美濃囲いでの四間飛車とツノ銀中飛車を好んで指した。この転向について、勝又清和は「ファンに喜ばれる将棋を指そうと考えたため」と説明しているが、大山の場合は多忙の中、兄弟子の大野源一から序盤がある程度決まっている(序盤の研究を省略できる)振り飛車を勧められたためとも言われている。 しかしその一方で相振り飛車は極端に嫌っていて、相手が飛車を振った場合は必ず居飛車で指していた(大山が公式戦で相振り飛車を指した棋譜は1局しか残っていない)。 鈴木大介は、大山が相振り飛車を嫌っていた理由として、当時の相振り飛車で一般的に使われていた金無双の右銀の使い方に苦心していたためではないかと話している。その根拠として、大山が最後に指した相振り飛車の対局では、大山は二枚金の形にはしたものの右銀は2八に上げずに3九に置いたまま戦い、最終的に終盤で取られてしまうまで3九から動かすことは無かった。 相手の手番のときには、相手が盤上のどこを見て考えているか視線の方向を観察していた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 04:38 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 08:39 UTC 版)
力戦型で乱戦を得意とする。王座獲得後は、細かい勝負にも強くなった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 12:42 UTC 版)
従来の型・定石に囚われず、「打ちたい所に打つ」を信条にした独創的なスタイル。構想力に優れ、予想外の一手から大胆な変化を選び解説者を驚かせることもしばしば見られる。 形勢の良し悪しにかかわらず、常に「最強手」を模索しており、優勢の局面において手堅い手よりも厳しい手を選ぶことが多い。大の長考派として知られ、勝負所と踏めば序盤から持ち時間を惜しげもなく使う(30歳を過ぎた頃からは、持ち時間を残す打ち方も見られるようになった)。 低段者時代は地に辛くて攻めの強い碁を打っていたが、タイトル戦で争うようになってからは手厚い碁も打つようになった。囲碁界の第一人者となってからは、どんな碁も打ちこなす万能タイプと評されるが、中でも石が複雑に混み合う中盤戦の読み、判断力において特筆すべきものがある。 2019年頃からは地に辛いスタイルが顕著になり、AI定石「ダイレクト三々」を好んで採用しているが、逆に星布石を敷くケースが減少している。序盤は徹底して実利を稼ぎ、相手模様でシノギ勝負に持ち込むという展開が増えている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 03:45 UTC 版)
居飛車党で、相掛かりや変則的な矢倉の形の将棋が多い。横歩取り3三角戦法を内藤國雄以前に指している。時折振り飛車も指し、升田幸三を相手に中飛車で戦って勝った一局もある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 05:59 UTC 版)
早見え早打ちの天才肌。優れた大局観と柔軟な発想を持ち、序盤から意欲的に勝負を仕かけていく力戦型。早碁に強く、日本勢が総じて苦戦している国際棋戦で、1人気を吐いている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 14:59 UTC 版)
ヨセに強い冷静な棋風であったが、タイトル獲得前後から戦闘力も身につけ、2007年には韓国の李世ドルをねじり合いの末に撃破した。三村智保は、形勢が悪くなっても無理な手は選ばず常に本手で対応し、正確なヨミと計算で地合を詰めていく棋士であると評している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 13:12 UTC 版)
居飛車党。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 01:26 UTC 版)
基本的に居飛車党であるが、著書には振り飛車編を詳細に解説した大著「島ノート」がある。講談社出版の将棋書籍として珍しいものだが、これは週刊現代に塚田泰明と交互連載していた「ハイパー実戦塾」の振り飛車部分を大幅に加筆修正したもので、将棋界でも画期的な名著とされている。特に、島が考案して紹介した「鬼殺し向かい飛車戦法」はネット将棋で一時期大流行し現在では4手目3三角戦法の一変化として残っている。また、島がインターネットを用いて読者の質問に答えたことも先例のないことであった。この本は元来もっと大部にする予定だったものの、「辞書になってしまう」という理由で現在のページ数に抑えている。 独特の美意識を持った人物であり、かつては形勢が不利になるとあっさり投了してしまうことから「早投げの代表格」とも呼ばれた。しかし「自分の投了図を将棋ソフトに調べさせたら、何局も『優勢』と形勢判断された」ことから、2019年現在は「これからは早く投了しないようにします」と語っている。 従来、将棋の駒は盤の枠内の真ん中に置くものとされていた。それに対し島は駒を枠内の手前の線にピッタリ置く。駒音も静かであり、後に多くの若手棋士が島のスタイルに追随していった。中村修はNHK杯の解説で、「島さんの功績・功罪」と述べていた。 第61回NHK杯1回戦第18局で女流棋士の甲斐智美と対局。女流棋士との公式戦初手合となった。結果は甲斐のゴキゲン中飛車に対し、島が4筋の位を取る珍しい作戦にでて快勝した。流行型を指しこなしつつも、矢倉中飛車などの古くからある作戦に独自の工夫を加えていく島らしい戦型選択であった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 10:09 UTC 版)
振り飛車党の棋士として知られ、特に四間飛車・中飛車を得意とする。板谷一門は、「振り飛車はよくない」、「若いうちは居飛車でいきなさい」という考え方の一門であった。杉本は奨励会に入った当初、居飛車党であったが、2年間6級のままであったことと、自分の武器は体力だと知ったことから、振り飛車党に転じた。 杉本の振り飛車は奨励会時代から定評があり、先に四段に上がった村山聖は「全振り飛車党の中で唯一の本格正統派」「メチャクチャ格調が高い」と評していた。また、共に第七回三段リーグを戦った藤井猛は、当時三段リーグにおいて振り飛車党が苦戦を強いられていた状況を踏まえ居飛車も指せるようになっていた方がよいのでは、と迷っていたところ、杉本が振り飛車を中心に指しこなしてプロになったのを見て「勇気づけられ」、翌期は振り飛車一本で臨み15勝3敗の好成績を残してプロ入りを果たした。 小林健二と共に藤井システム以前の非常にシステム化された振り飛車定跡を整備した功績がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 14:16 UTC 版)
振り飛車党で中飛車を得意とする。ただし、優勝した新人王戦では一手損角換わりや相掛かり等の居飛車も指している。 新手メーカーとして知られ、公式戦で振り飛車側をもってミレニアム囲いを最初に指した棋士とされる。また、対ゴキゲン中飛車超急戦における都成新手を奨励会時代に発見した。 『都成流』と呼ばれる後手番の新戦法を編み出しており、同じ関西所属の糸谷哲郎が西遊棋のイベントで紹介している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 00:44 UTC 版)
高柳門下特有とされる本格派の居飛車党だが、後手番の際はゴキゲン中飛車などの角換わり型振り飛車も用いることも多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 08:02 UTC 版)
半世紀にわたる棋士人生を通して居飛車党を貫き、数々の定跡の発展に貢献してきた。また、棒銀を代表として良いと思った戦型はひたすら採用し続ける傾向にあり、勝率が高い流行りの戦法があっても自身の棋理を重視し、採用しないことが多かった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:51 UTC 版)
居飛車(対振り飛車、矢倉、角換わり、横歩取り、相掛かりなど)、振り飛車(三間飛車、向かい飛車、中飛車など)、相振り飛車のいずれも指しこなし、また、攻め合いの将棋も持久戦も指すという、序盤、中盤、終盤と隙のない典型的なオールラウンドプレーヤーであり、「豊島?強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ」と同じ棋士の佐藤紳哉からも評価されている。将棋電王戦での二つ名は「若き天才オールラウンダー」。 将棋電王戦出場を機にコンピュータソフトでの序盤研究に力を入れており、序盤に時間を使わず終盤戦に時間を残す戦いが多い。力戦形も得意としていて、最速の勝ちを目指すよりも抜群の大局観で押し切る将棋が真骨頂である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 14:24 UTC 版)
英春流を指す。鈴木英春が考案した独創的な戦法であり、直接指導を受けて身につけた。指導を受ける前は角交換四間飛車を得意としていた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 18:29 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 01:24 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 17:00 UTC 版)
振り飛車を得意とする。力戦や乱戦が多く、序中盤で不利になっても終盤で逆転する剛腕を見せる。相手が振り飛車党の場合、相振飛車にするのも厭わない。
※この「棋風」の解説は、「宮本広志」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:10 UTC 版)
居飛車党。長考派で持ち時間の長い順位戦や二日制タイトル戦で特に勝率が高いが、限られた時間の中でも幼少期より詰将棋で培われた正確な終盤力には定評がある。序盤の深い研究、中盤の形勢判断能力、終盤の切れ味、一気の攻めと丁寧な受けの技術が備わっており弱点がなく、かたよった棋風がなく満遍なく強いと評されている。また、2021年の対談で「(対局中)考える上で、読みと形勢判断以外のものは基本的にいらない」と言及しており、勝負に大きな影響を与えるとされてきた「経験」や「勝負勘」といった要素に依存しない考えを明かしている。
※この「棋風」の解説は、「藤井聡太」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 17:44 UTC 版)
得意戦法は振り飛車。相手が振り飛車で来た場合は、自分も振って相振り飛車にすることが多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:14 UTC 版)
軽快で足の速いスタイルで、「ツバメ流」「囲碁帝王」と評された。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 11:57 UTC 版)
基本的には居飛車党で、相手も居飛車ならば矢倉、相手が振り飛車ならば相手が穴熊であるか否かによらず、急戦形を指す。時折四間飛車、向かい飛車などの振り飛車も指す。 渋い将棋よりは攻め合いの将棋が多い棋風で、終盤で危うい受けを見せるところにも特徴がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 16:53 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:33 UTC 版)
居飛車党。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 15:12 UTC 版)
振り飛車党で、攻め将棋。囲いより早い仕掛けを優先し、端歩も受けないことがある。形勢が悪くなってから、開き直って勝負するタイプ。 得意戦法は角交換振り飛車。浦野真彦は「古森は奨励会では、殆ど振り飛車しか指した事がない」と発言している。 長時間の棋戦を得手とする。自らも「長考は得意」と宣言し、「時間単位の大長考も、僅かな時間経過に感じる」という。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/02 07:40 UTC 版)
中央を重視する棋風で知られ、一手目を5の9(辺の星の斜め上)に打つなど意表を突く布石作戦を採ることがままあった。自ら自分の碁を「素人碁」と称し、「自分だけの碁を創りたいものだ」と語っていた。中でも1956年、当時全盛の呉清源に先で対し、小目に肩ツキという思い切った打ち方で8目勝ちを収めた碁は有名である。 1956年11月13・14日 呉九段対新進戦(鈴木先番) 高目の2連打から、黒5と小目に肩ツキするという思い切った中央布石。 以下黒29まで大模様を構築、呉に完勝した。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/25 03:42 UTC 版)
振り飛車党で積極的な指し方をし、攻め・受け、ともに力強い棋風である。 相手が振り飛車で来た場合、相振り飛車にすることもあったが、居飛車にすることの方が多かった。
※この「棋風」の解説は、「高田丈資」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 13:48 UTC 版)
手広く構え隙を突く狙いの碁を打つ。本格派で穏やかな棋風。黒番では中国流で打つ。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/26 00:40 UTC 版)
振り飛車党で、中飛車、四間飛車、三間飛車、向かい飛車のどれも多く指した。大山康晴などの振り飛車党を相手にする場合には、居飛車で戦うこともあった。 振り飛車ではあるが、攻っ気の強い棋風である。
※この「棋風」の解説は、「椎橋金司」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/26 03:35 UTC 版)
プロ入り後、当初は矢倉党で、その後ひねり飛車を多く指す時代があった。現役最後の数年間は、主に四間飛車を指す振り飛車党となった。
※この「棋風」の解説は、「酒井順吉」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 18:35 UTC 版)
※この「棋風」の解説は、「笠井友貴」の解説の一部です。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/03 05:56 UTC 版)
ほぼ居飛車党であり、時折り、定跡にとらわれない力戦調の将棋が見られる。 攻めの棋風で、攻めが筋に入ると強い。しかし、攻め切れずに受けに回ると脆く、また、相手の大駒を攻めている間に自分の玉を攻められてしまうパターンもある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 03:25 UTC 版)
居飛車党。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 03:43 UTC 版)
昔は、相振り飛車が苦手だったので、相手が振り飛車なら居飛車にしていた。今は相振り飛車でも構わない。先手では中飛車、後手では四間飛車を良く指すが、後手の中飛車も勉強中。棋風は攻め将棋。受けには少々恐れがあるとのこと。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 03:39 UTC 版)
攻めっ気たっぷりの棋風。 またアマチュア時代には石川県在住のアマチュア強豪、鈴木英春の指導を受けており、鈴木のオリジナル戦法として有名な「かまいたち戦法」を得意にしていた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 03:27 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 02:08 UTC 版)
プロ入り後、再び穴熊を多用し、相手が居飛車党である場合は必ずと言っていいほど振り飛車穴熊戦法を用いた。また居飛車穴熊についても田中寅彦と共に先駆者として知られる。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 14:32 UTC 版)
振り飛車党で、特に四間飛車を得意とする。「新・振り飛車党宣言!」という共著もあり、大和証券杯ネット将棋のエキシビション対局では新鋭振り飛車の一人として小林健二と対戦した。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 07:44 UTC 版)
得意戦法はノーマル三間飛車。プロ入り時には「しばらくは三間飛車で頑張ってみて活躍したい」との抱負を述べている。上述の三段リーグ藤井聡太戦では三間飛車の穴熊対策戦法トマホークを用いて勝利している。『三間飛車新時代』でもトマホークの章を執筆している。 先手番ではしばしば、初手7八飛戦法を採用している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 14:01 UTC 版)
本人は「得意戦法は特にない」とのこと。 詰将棋作家として著名であり、『将棋世界』2017年4月号から「詰将棋サロン」の選考・執筆担当。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 14:11 UTC 版)
得意戦法は中飛車。強気な攻めとバランスの良い受けを持ち味とする。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 02:28 UTC 版)
矢倉囲いの採用率が高い居飛車党であるが、大駒の捌きよりも小駒を効率的に使った攻め(棒銀など)を活かして勝利することが多い。終盤の受けに大駒の性質を活用するのも特長である。その一方で、攻め難い局面に持ち込まれると序中盤の段階で早々と投了することも多い。 将棋の奇襲戦法のひとつである「金沢流」の考案者として知られる 。 現役最後の対局は、居玉で戦う趣向で定跡に拘らない金沢らしさを最終局まで見せた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:13 UTC 版)
オールラウンダー(居飛車・振り飛車の双方を指しこなす)を目標としている。 2018年2月時点では、さばきを重視する振り飛車党。相振り飛車も得意である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:00 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 08:41 UTC 版)
居飛車党の棋士で、相掛かりや後述の横歩取りなど激しく攻め合う戦法を好む。 ただし、持ち時間の短いテレビ棋戦などで後手番となった場合は、飛車を振ることもある。 横歩取り8五飛の産みの親は中座真、育ての親は野月浩貴といわれ、まだ同戦法が流行していない頃、この戦法を連採して高勝率を収めた。 優勝した早指し新鋭戦(1998年度)の対・飯塚祐紀戦では、対局前のインタビューで「秘策を考えてきた」と語った。その「秘策」とは、初手▲1六歩と突いて、先手番で無理矢理、横歩取り8五飛の形にするというものであった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 15:26 UTC 版)
居飛車・振り飛車両方の戦型を指しこなすオールラウンダータイプの棋士。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 04:15 UTC 版)
居飛車党で、矢倉、相掛かり系の将棋が多く、鈍重な手を指さない棋風。たまに振り飛車も指した。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 03:54 UTC 版)
振り飛車も居飛車も指す。特に四間飛車と矢倉が多い。 四間飛車を指すときの囲いとしては、美濃囲いも穴熊囲いも採用する。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 15:25 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 09:11 UTC 版)
得意戦法は雁木。三段の頃から始めた。「最初は上手く指しこなせなかったが、現在は一番自信のある戦法。雁木とは病める時も健やかなる時も共に生きていきたい!笑」と言うほどの愛情を持っている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 04:33 UTC 版)
振り飛車党の棋士で、中飛車・四間飛車・三間飛車など振り飛車全般を差しこなし、最新形に明るい「振り飛車のオールラウンダー」。対抗形の場合は居飛車を持つ事もある。久保利明は将棋世界のインタビュー内で、同じ振り飛車党で期待している後輩に佐々木慎の名を挙げている。手厚い受けが得意で着実な棋風でありつつ、独特でユニークな理論にも定評がある。
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棋風
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居飛車党。
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棋風
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対石田流を得意としており、先手の三間飛車に対し、後手が6筋を攻める「山本流石田封じ」と呼ばれる定跡を開発した序盤重視派の棋士である。 初手☗6八玉、☗7八金、☗3八銀、☗9六歩などの変化球を見せることがある。後手のときも、2手目☖1四歩、☖3二金などがある。
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棋風
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:27 UTC 版)
振り飛車を主戦場としつつ、相手が振り飛車党の場合は居飛車にする。本人曰く「対抗形党」。得意戦法はゴキゲン中飛車。 攻め将棋で終盤巧者。長時間・長手数の対局が得意で、「粘り強い」と評される事が多い。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 03:09 UTC 版)
序盤巧者として知られ、相居飛車・対抗形・相振飛車すべて指しこなす。序盤の本や記事を多く書いている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 06:30 UTC 版)
相居飛車・対抗型・相振飛車すべて指すオールラウンド・プレイヤー。特に飛車先の歩を突いてから、飛車を振る独特の振飛車を見せた。 終盤巧者として有名で、華麗な寄せに定評があった。また、詰将棋も得意だった。 清野が得意とした玉飛接近の元祖右玉、端歩突き越しからの端攻め(一間飛車・九間飛車)や単純棒銀、角桂香飛を集中して美濃囲いを攻める岐阜戦法、飛車と金を交換する横歩取りの変化は現代将棋でも指されている。縦歩取りやガッチャン銀などで魅せる型破りの序盤展開でも話題になったという(「将棋世界」1977年、「新人王戦」観戦記、「王将戦」大盤解説など)。 弟子に土佐浩司がいる。天王山とよばれる5五の位取りと玉を含め自陣を上段にのばし厚みで勝負する棋風や、多彩かつ才気あふれる戦法選択は土佐にも受け継がれている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 23:41 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 06:28 UTC 版)
珍形、変形、手損等は気にしない棋風で、「悪力の金高」の異名があった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 15:30 UTC 版)
△持駒 なし ▲持駒 歩 図は△4七歩まで室岡新手△4七歩 △持駒 銀香歩 ▲持駒 香歩2 図は▲3三角まで室岡新手▲3三角 振り飛車党の棋士であり、特に四間飛車の「藤井システム」を指すことが多い。 後手の藤井システムに対して、先手の居飛車が持久戦ではなく4筋からの急戦で来た場合、飛車と金の焦点に△4七歩(32手目)と打ち捨てる手を室岡が開発。これは「室岡新手」と呼ばれ、藤井システムに新たな命を吹き込んだ。室岡新手は、たとえば、2006年の名人戦七番勝負第4局で谷川浩司が指しており、藤井システムの本家である藤井猛も採用している。 対ゴキゲン中飛車#▲5八金右超急戦で、図の▲3三角は室岡が最初に指した手で公式戦1号局は2002年2月21日の銀河戦▲室岡克彦六段-△勝浦修九段戦。1号局は持ち時間の短い棋戦だったということもあり全く注目されなかったが、2006年の名人戦で森内俊之名人が指したことで一躍注目を浴びることになった。▲3三角からは△4四銀▲同角成△同歩▲6六香△7二銀▲8二銀と進むのが定跡化されている手順で、多くの実戦と研究を重ねて終盤まで定跡化が進んでいる。室岡流▲3三角に対して1号局は△8九馬と桂馬を取った。▲6三桂成からの馬の巣抜きを避けて自然な指し手だが、▲4三桂成△7二玉▲5二成香△同金右▲5五香と進んで61手で先手が快勝。▲4三桂成に△5六飛は▲5七香で飛車を捕獲して先手が良い。▲3三角には次に▲6三桂成と王手で成り捨てて9九の馬を巣抜く狙いがあるので、後手はこの筋を避けるために△4四銀と打って角筋を遮断するが、▲同角成とあっさり交換してしまうのが狙いの一手。先手は駒損になり損をしているようだが、△5四銀と受けに投入される手を消していたり、△4四歩と突かせたことで将来▲1三竜と引いた手が、後手の玉頭まで直通するなどプラスになる要素が大きいと見ている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 10:04 UTC 版)
居飛車・振り飛車を指しこなすオールラウンダー。 2020年2月に順位戦C級2組の井出隼平戦で右銀急戦を採用して快勝したことをきっかけに出版の依頼が舞い込み、同年12月に初の著書『黒田尭之の新研究 よみがえる右銀急戦』を出版している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 05:59 UTC 版)
プロデビュー当時は振り飛車党で、特に三間飛車、四間飛車を好んで指していた。特に三間飛車については、「後手番での石田流を成立させる」というコンセプトに基づいた2手目△3二飛戦法を2007年12月11日の竜王戦6組で佐藤天彦を相手に公式戦で初めて採用し、後述の棋書を出した程である。しかし、奨励会時代は居飛車党だった。現在では横歩取り、角換わりなどの最新形を好んで指す居飛車党である。 序盤の戦術に精通しており、羽生善治も一目置く程。著作多数(後述)。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 10:03 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:46 UTC 版)
幻惑力に優れており、一見すると悪い手に見えるが後々10手ほど進めると、気づいたら相手は負けの局面になっている。相手のミスを誘導する。 図形認識力:全局面を「写真」のように記憶し、普通のプレイヤーは検討する際、1手目から進めるが、福地は途中盤面からでも全ての石の配置を完璧に記憶できている。 集中力:福地は一旦考え始めると、一手に20分もかける場合もある。 高梨悠介曰く、福地は「未知の怪物」と述べた。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 19:47 UTC 版)
銀河戦(2007年)第10手 △3一角まで△飯島栄治 持駒:なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 金 王 金 角 桂 香 一 飛 銀 銀 二 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 三 歩 歩 四 五 歩 歩 六 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 七 角 銀 飛 玉 八 香 桂 金 金 銀 桂 香 九 ▲鈴木大介 持駒:なし 居飛車党で、相居飛車戦では、相矢倉・横歩取り・角換わり・相掛かりといった主要戦法を一通り指す。特に、先手番での相掛かり6八玉型を得意とする。振り飛車相手の場合は、穴熊や後述の引き角戦法といった手堅い駒組みをすることが多い。 攻めの棋風で、いわゆる‘足を止めてのパンチの応酬’や、自分の大駒を早めに見切るなどの華々しい指し手が、しばしば見られる。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:49 UTC 版)
デビュー時のインタビューで、「居飛車党」、「斬り込むのが好き。激しい戦いを見てほしい」、「詰みがある局面では詰まし、最短の勝ちを狙う」と語っている。電王戦での二つ名は「詰将棋の若大将」。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 16:20 UTC 版)
居飛車党であるが、相居飛車戦においては、ひねり飛車、陽動振り飛車といったやや変則的な戦法を多用する。横歩取りもレパートリーの一つ。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 04:29 UTC 版)
振り飛車も指すが、基本的には居飛車党で、矢倉の将棋が多い。玉を深く囲う前に戦うことが多い棋風である。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:46 UTC 版)
居飛車党だが後手番を持つと振り飛車を採用することもある。 序盤研究家として知られ、居飛車穴熊と横歩取り先手番で、それぞれ「松尾流」と呼ばれる戦型を考案し、他の棋士にも広く使用されている。羽生善治、森下卓らと合同で定期研究会を主催したこともある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:14 UTC 版)
基本的には居飛車党である。棋士デビュー直後は矢倉も好んで指していたが勝ちにはあまり恵まれず、その後角換わり、相掛かりと得意戦法を変えていく。 早指しで力を発揮し、前述のNHK杯の他、早指し新鋭戦・叡王戦・JTプロ公式戦等、早指し棋戦の優勝が多い。また、「将棋フォーカス」で行われた1分切れ負けの特別対局では、深浦康市に敗れるまで7連勝している。本人によれば一番好きな持ち時間は2時間とのこと。 工夫を凝らした独創的な序盤戦術で、相掛かり先手の▲6八銀からの指し方など、「山崎流」と呼ばれる指し方がある。中終盤でも、低段時代から独特の感覚を持ち、他の棋士とは違う読み筋を披露することが多々ある。 本人によれば定跡を追い求めていくことは余り好きではなく、新しい将棋を好む。2013年のインタビューでは、独創的な棋風となった要因として、かつて関東ではトップ棋士が奨励会員と研究会を行う様な研究会花盛りの時代に、山崎の所属していた関西の棋界が「研究暗黒の時代」、「研究会など恥ずかしい」と言った風潮があったような状態であったことを挙げている。そのため特に山崎が意識をした訳ではないが、「互いに悪路を行く様な将棋」を指す様になったと語っている。 2013年現在は「自由度の高い」相掛かり、特に引き飛車棒銀を好んで指すが、二筋からの攻めにはこだわらない。さまざまな所で戦いを起こす駆け引きが楽しいとのことである。なお、後手番では2013年現在、一手損角換わりを得意とする。 2013年に佐藤康光が評した所によれば、「山崎将棋は独創と信念を感じる。彼くらい人まねをしない人も珍しい。よほど感性が豊かなのでしょう」とのことである(『 NHK杯伝説の名勝負 次の一手』 p.184より引用)。第1期電王戦での二つ名は「独創の叡智」および「独創のプロ棋士」。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:36 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:12 UTC 版)
居飛車党で、矢倉の将棋が多い。いったん開戦すると攻め合いが止まらない棋風である。その一方で、序中盤で攻めが見込めなくなる、形勢が大差になるなど不利な局面になると、早々と見切りを付け短手数で投了する傾向もある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:51 UTC 版)
相掛かりの将棋が多い居飛車党であったが、1970年前後からは中飛車、三間飛車などの振り飛車も多用するようになった。 早くから穴熊戦法を研究して実戦で応用しており、加藤治郎名誉九段に「穴熊戦法の中興の祖」と評された。 自陣の整備、攻め、受けのいずれにおいても手厚い指し回しの棋風で、攻めが切れて負けることはほとんどない。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:22 UTC 版)
藤井システム、ゴキゲン中飛車、対居飛車穴熊を得意とする振り飛車党だったが、2013年頃からは、横歩取りや角換わりなど相居飛車の将棋を多く指している。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:39 UTC 版)
右四間飛車、横歩取り3三桂戦法、相横歩取りなど、他のプロはあまり指さない戦法も時々採用する。1999年度前期のNHK将棋講座で、右四間飛車の講座の講師を務めた。 飛車先の歩(先手なら2筋、後手は8筋)を、最後まで突かずに勝利した事がある。 研究家として知られ、子供時代から親交のある行方尚史の評する所、広い局面より、狭くて深い局面、いわゆる「局地戦」で強さを発揮するという。羽生から棋聖位を奪った際は相掛かりの序盤で飛車を2八まで引いた(引き飛車)。それまでは飛車の位置を2六(浮き飛車)とするのが一般的であったが、三浦が採用したことによってプロ間で引き飛車が見直された。 革新的な振り飛車戦法である藤井システムによって、対する居飛車側が穴熊に堅く囲うのが困難となった。そこで、三浦は穴熊に代わる新しい堅い囲いを創案し、実戦でも好成績を残す(ミレニアム囲い、トーチカ、三浦囲いなどと呼ばれる)。これにより2000年度将棋大賞の升田幸三賞を受賞。 自分が先手番のときでも千日手になることを嫌わない、珍しい棋士である。 将棋ソフト不正使用疑惑騒動で出場停止処分を受ける前の最後の対局となった順位戦の対渡辺戦において角換わりの4五桂跳ね急戦を採用し、途中で桂を何度も押し売りして強引に飛車交換に持ち込んでいく作戦が竜王戦1局でも採用されたことから話題となった。 以下の図はすでに銀損の三浦がさらに自陣の桂を捨ててまで飛車交換に持ち込もうとする局面である。 2016年10月3日 A級順位戦 第58手 △5二角まで(この次の一手が▲8五桂)△渡辺 持駒:銀桂 ▲三浦 持駒:桂歩4
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:31 UTC 版)
振り飛車党であり、藤井猛、鈴木大介と共に振り飛車御三家(令和になり振り飛車党総裁とも)と呼ばれる。 また、対抗型を自らの土俵としていることもあり、振り飛車党相手には居飛車側を持って戦うことも多い(いわゆる大山康晴の棋風タイプである。かつては相振り飛車を指していたが、勝率があまりよくなかったため、40代になってから居飛車対抗型を指すようになった)。 「捌いて(さばいて)勝つ」で、駒の軽い捌きを常に重視する棋風であり、「捌きのアーティスト」「カルサバ流」「カルサバ日本一」などの異名を持つ。大野源一の振り飛車を学んだ。 居飛車穴熊に対して後手居玉三間飛車から△9五歩や7三歩を早くに指す藤井システム調の指し方のほか、一連の先手ゴキゲン中飛車、新・石田流超急戦といった角交換振り飛車、また石田流本組みで棒金退治の▲7九銀型など、独特の戦術は久保システムとも称され、そして早石田を蘇らせた棋士の一人でもある。特に対棒金に見せる、桂馬を跳ねるタイミングを遅らせることで飛車の自由な動きを確保する戦術は久保流と呼ばれ、定跡化している。 また、今泉健司の考案した「2手目△3二飛」を発展させるなど、三間飛車へのこだわりが強い。第66期(2016年度)王将戦の七番勝負第2局では、1手目7八飛戦法を採用し話題となった。 メンタル面では、タイトルを取った頃から「楽しむ」、「将棋を通じて真剣勝負を楽しむ」をモットーとしている。以前は勝たねばならない、完璧に指さねばならないと自分を追い込んでいたが、プレッシャーを強く感じたり、負けた自分を許せなくなったと言う。「楽しむ」を実践してからは自然体で対局に臨めるようになり、変に肩に力が入りすぎることもなくなった。 「カルサバ流」と呼ばれる一方で形勢が不利になってからの「粘り」にも定評があり、タイトル戦での活躍の原動力となっている。久保は「粘っているのは形勢が悪いからで、ほめられたものじゃない」と説明しながらも、泥臭く、強い人でも狂わされる将棋は好みであると述べている。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:20 UTC 版)
棋風は居飛車の攻め将棋。相掛かりガッチャン銀戦法は二上定跡として有名である。守りが薄い状態で攻め込むため、展開の早い勝負になりやすく、終盤の力で勝負した。木村14世名人は二上のスピードの早い将棋を評価した。塚田は、自身の師匠である花田長太郎と塚田を足して2で割った棋風と語った。大山によれば振り飛車を嫌っていたとされるが、自身では対大山で経験を積んだため振り飛車の相手が苦にならなくなったという。 上の世代の棋士は対局中につぶやいたり、歌を歌う等、相手を惑わせることを日常的に行ったが、二上は盤上での勝負にこだわり盤外戦を行わなかった。二上だけでなく戦後の棋士達はそうした行為をしない傾向があった。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:51 UTC 版)
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:19 UTC 版)
デビューから居飛車党で、2014年ごろからは先手番では角換わり、後手番では横歩取りを主力戦法とし、特に後手番の横歩取りでは非常に高い勝率を誇った。終盤での粘り強い受けの手を得意とし、トップ棋士を相手に何度も逆転勝ちを収めた。名人位を獲得したあとは矢倉や相掛かり、さらに力戦も積極的に指すようになり戦法の幅を広げた。第75期名人戦七番勝負第二局(2017年4月20-21日)では、最後まで居玉で戦い、稲葉陽に72手で勝利した。2020年の王将戦挑戦者決定リーグ・藤井聡太戦で中飛車を採用して以降は、公式戦で振り飛車も多用するようになっている。 対局中は、相手の離席時に体を前や横に倒したり、脇息に体を投げ出すなど独特の仕草を見せる事がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:00 UTC 版)
生粋の居飛車党で、矢倉を指すことが多い。後手番では、相手の出方によって、角換わり、相掛かり、横歩取り8五飛なども指す。対振り飛車には急戦、居飛車穴熊。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:45 UTC 版)
居飛車党で、得意戦法は矢倉。受けの棋風で、劣勢になってからの終盤の粘りに定評がある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:24 UTC 版)
振飛車穴熊を駆使して「怒濤流」と呼ばれた。邪道視されていた穴熊をプロの戦法に昇華させ、「穴熊党総裁」との呼び名がある(なお、副総裁と呼ばれたのは西村一義)。
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棋風
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居飛車党で、指し方は序盤から様々である。 終盤の入口から敵玉をまっしぐらに攻める棋風で、勝局には鮮やかに寄せたり、あるいは、際どく余したりするなどきれいな勝ち方が多く、その中には大山康晴や升田幸三から挙げた勝利もある。
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:45 UTC 版)
居飛車、振り飛車のどちらも指しこなすオールラウンドプレイヤーである。振り飛車穴熊戦法、中でも四間飛車穴熊を最も得意とし、初めてタイトル戦に登場した第51期王位戦では、指し直し局を含めた8局中6局で四間飛車穴熊を用いた。そのため、「穴熊王子」「振り穴王子」の異名を持つ。2012年頃からは矢倉、角換わりなど居飛車の将棋が増え、振り飛車の採用数は減っている。
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棋風
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振り飛車党。中でも振り飛車穴熊が一番好み。引退が決まった最後の対局も四間飛車だった。終盤巧者であり、詰将棋も得意である。詰め将棋は作家としても著名で、1985年に、自身初の詰将棋作品集『水平線』を刊行。 『将棋世界』誌で「あっという間の3手詰」というコーナーを担当しており、超短手数(主に5手以下)の問題集を多数出版している。将棋教室のカリキュラムにも必ず詰将棋を採り入れており、「こつこつ詰将棋を解くことが将棋上達につながる」というのが持論。実際に門下からは数多くの棋士を輩出している。特に3手詰については「必ず類問2問をセットにした形で1作品として発表する」のがポリシー。 初めて自分で買った将棋の本が清野静男の著作「将棋入門」と答えている。当時、清野は詰将棋創作の第一人者としても知られており、多数の詰将棋研究の書籍を著した棋士である。
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棋風
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棋風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:14 UTC 版)
振り飛車党で、特に中飛車を好んで指す。居飛車は全く指さないわけでなく稀に見せる。また飛車先の歩を突く居飛車の進行から別の筋に振りなおす変化(左玉の振り飛車)もある。 中飛車その最たる将棋が2007年3月13日の順位戦C級1組最終局の豊川孝弘との一局で、先手の豊川の初手2六歩に対し、昇級が絡んでいた後手の近藤は5二飛と指し、二手目にして堂々と中飛車を宣言したが途中から作戦負けし敗れた。
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棋風
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基本的には居飛車党で、矢倉、角換わり、相掛かり系を指すが、四間飛車、中飛車などの振り飛車も指した。 終盤での切れ味に特徴がある棋風であった。
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棋風
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振り飛車党であり、藤井猛、久保利明と共に振り飛車御三家と呼ばれる。 攻める振り飛車で、豪快な棋風と形容される。ゴキゲン中飛車戦法に力戦を織り交ぜた戦法を豪快中飛車と名づけ、結果的にゴキゲン中飛車をタイトル戦で使われるほどの本格戦法に育て上げたと言われている[誰によって?]。 好きな戦法は四間飛車だが、自らの個性を出すために藤井システムは指さない。 早石田の序盤で従来は悪手とされていた手を見直し、実戦で指した。それは、初手から▲7六歩△3四歩▲7五歩△8四歩▲7八飛△8五歩▲7四歩という進行であり、7手目の▲7四歩が鈴木の研究手である(詳細は、新・石田流 を参照)。それが高く評価されて2004年度将棋大賞の升田幸三賞を受賞している。 相振り飛車での勝率が高い。 2010年頃からは一手損角換わりや横歩取りなど、居飛車の将棋も指すようになった。これについて鈴木は「ゴキゲン中飛車の研究が行き届きすぎてつまらなくなった」、「藤井九段が矢倉で実績を残したのも大きい」と語った[要出典]。 駒の並べ方は、大多数を占める「大橋流」ではなく、数少ない「伊藤流」の並べ方である。
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棋風
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棋風
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棋風
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元来振り飛車党で、目標にしている久保利明を彷彿とさせる、捌きを重視する棋風であった。2013年あたりから相矢倉を中心として居飛車も指すようになり、2014年頃は、序盤で趣向を凝らした相矢倉を好んで指していた。2015年に入るとノーマル四間飛車も多用している。 序盤研究に定評があり、「菅井流」「菅井新手」と呼ばれる数々の戦法や新手を編み出していることでも有名で、対局相手にとっては的が絞りづらい棋風である。菅井流や菅井新手にはこれまで、後手角交換振り飛車#3三金型三間飛車、ゴキゲン三間飛車(うっかり三間飛車)や後手番4手目△3二飛、石田流▲7六飛早浮き型、対△3三角型左美濃▲7七角型石田流に▲9六歩~▲9八香の手待ち、先手ゴキゲン中飛車対△6四銀対抗型に▲7七銀-8八飛型、対超速3七銀のうち▲4六銀に対する△4四歩、対超速3七銀▲5八飛型に対する△4二銀-3二金型~△2四歩、対超速3七銀▲4五銀に△3一銀、対ゴキゲン中飛車#▲5八金右超急戦の△5七歩、対ゴキゲン中飛車#丸山ワクチン ▲2二角成に△同飛、▲6六歩に△4四角(6六の歩取りを受けさせての△2二飛から2筋逆襲)、中飛車左穴熊・左玉の対三間で浮き飛車保留、中飛車左穴熊の対向かい飛車に2手損居飛車戻し作戦(5八に振った飛車をまた2八に振り戻す)、相振り飛車後手3四飛型三間:先手右矢倉に対し腰掛銀にして△4五歩~△6五歩の矢倉崩し、矢倉3七銀等から▲4六銀・3七桂型に対する▲4六銀に△4五歩▲3七銀△5五歩、横歩取り3三角+8四飛型で△2三歩(持ち歩を手放すが△4二銀の活用が可能)、横歩取り3三角+8四飛型で△2三銀型から△2四飛のぶつけ狙いなど多数ある。 早見え早指しの傾向があり、同時に勝敗にかかわらず時間を大きく余す傾向がある。
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棋風
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筋や定跡とは異なる、奇抜な手を使った指し回しが多かったため、「異常感覚」あるいは「新感覚」の持ち主といわれた。 詰将棋の名手でもあり、その独特な感覚を用いた作品が特徴的である。
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