奨励会員
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坂東(ばんどう) 作中における最初の対局相手。二段。 残り1勝をすれば昇段する好成績だったが、氷室との対局に敗れて自信喪失。その後はまったく勝てなくなり、将棋を指すのが怖くなった。 関崎勉(かんざき つとむ) 演 - 阿部サダヲ 坂東に次ぐ対局相手。三段リーグのランク1位。1973年生まれ。神奈川県出身。 口が悪くお調子者。氷室の試験相手となったが、無残な詰みを食らった。氷室に負けた棋士や奨励会員は自身の才覚の無さを思い知らされて絶望する者もいる中、したたかに将棋界に生き残り続ける。第14回三段リーグでは氷室と幸田に負けた。また、おかめの仮面をかぶった滝川との目隠し将棋でも負けたが、その後も度々登場し、10年後にはA級棋士になっており、佐伯を破っている。 モデルは先崎学で、作中の関崎よりも先崎本人の方がプライドが高いと評されている。 村森聖(むらもり さとし) 演 - 伊東努 奨励会において強さを発揮する実力者。異名は「地獄からの使者」。大阪府出身。 かつて奨励会で連戦連勝を続ける滝川に初黒星をつけた。持病がなければ間違いなくA級と言われているが、病がたたって実力以下の段位に甘んじている。氷室との対局に死を覚悟し、剃髪と白スーツで挑むが敗北する。負けた直後は鮮やかな決まり手に敗北ながら納得の表情だったが、そこで負けを認めたことを後々悔いていた。氷室を追うかのようにプロになりB級2組六段まで進むも、病状が悪化し入院生活を強いられ、氷室との再戦はかなわなかった。氷室戦での敗戦以降、氷室に勝つための将棋人生を始め、病床中も氷室戦の対局の打開策をひたすら模索した。残った人生の時間全部を持ち時間に使って次の一手を考え、勝ちの一手を浮かんだのは死の直前であった。最終段位は七段(生前に取得した段位であるのか逝去による贈七段であるのかは不明)。なお、父親もプロ棋士を目指す将棋指しだったが、聖と同じ病気で死んでいる。 モデルは村山聖。 鈴本永吉(すずもと えいきち) 演 - 高嶋政伸 年齢規定を控えた壮年棋士。1962年12月生まれ。北海道美唄市出身。刈田升三九段門下。既婚者。 14歳の時に、弟子を取らないと公言していた刈田に弟子入りを志願して対局をし、座興ではあったものの当時棋界最高峰だった刈田に勝利し、唯一の弟子となる。19歳で三段昇格。三段リーグで滝川と対戦し、全勝同士の勝負だったが、滝川が遅刻をして不戦勝。直後に滝川から夫人が流産したことを告げられる。その日を境に残りの三段リーグの対局に1つも勝てなくなり、プロ入りを逃す。11年間三段に甘んじた。年齢制限のためプロ入りできなければプロ断念となる第14回三段リーグ第5戦では幸田戦で負けを確信した時に勝ち筋があると氷室に教えられて勝ち筋を見つけるが、将棋は1人の力で闘うものとして投了して敗戦。第17戦の氷室戦では相入玉で持将棋模様となるが、駒数の点数で上回ったため勝利し、氷室に公式戦で初めて勝利した棋士となる。最終戦の相手である木川純之は過去得意としていた相手で、勝てば自力でプロ入りが決まったが、氷室戦の後遺症で将棋盤が見るのも怖くなり不戦敗したため、自力プロ入りを逃し16勝2敗。一方で15勝1敗氷室が最終戦の幸田戦で負ければ、順位規定で鈴本が2位通過でプロ入りできたが、氷室が幸田に勝ったため3位に終わり、年齢制限により三段止まりで奨励会を退会。三段リーグ最終日で念願の子供が生まれ、「永介」と名付ける。その後、地元の北海道に戻ってコンビニで働く一方で将棋を続け、アマチュア名人になる。氷室の棋風とは対照的な、負かした相手が清清しさを感じるような嫌味のない棋風。将棋同様に性格もお人よしでユーモラス。北海道から東京までジョギングしながらで来てしまう等、その行動もなかなか突飛。熾烈な戦いを続ける氷室を影で案じており、しばしば登場する。氷室が名人位を獲得した翌年から、将棋連盟職員となっている。 モデルは、奨励会退会後アマ棋界で活躍した 鈴木英春。 幸田真澄(こうだ ますみ) 演 - 細川茂樹 氷室の同期。大原巌十五世名人門下。1975年生まれ。京都府出身。関西奨励会所属。 棋士に似つかわしくない長身のイケメン。滝川以来のスピード昇格を果たした有望株。「将来の名人」と期待され、最初のうちは氷室をライバル視していた。三段リーグでは、氷室戦を除き全勝でプロ入り。その後、王竜戦では3回戦で敗退、C級2組順位戦の岬戦で敗戦、氷室戦でも「タコの投了図」で完敗している。 C級2組で廃業して以降、大阪で荒れた生活を送っていた。プロ棋士に未練があり、坂口に特例でのプロ復帰を懇願していたが、「棋士への復帰よりも氷室の敗北」が望みだったのではないかと推測されている。
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奨励会員
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2011年2月15日、第37期女流名人位戦で清水女流六段の挑戦を退け2連覇。同年3月20日、第4回大和証券杯ネット将棋・女流最強戦の決勝戦で中井女流六段に敗れ準優勝。同年、第22期女流王位戦で白組優勝(5戦全勝)するも、4月1日の挑戦者決定戦で紅組優勝の清水女流六段に敗れ、甲斐智美女流王位への挑戦権を逃す。 同年5月に奨励会「編入」試験を受験した。初戦で加藤桃子2級(平手後手番)に敗れたが、残る2局で伊藤沙恵2級(平手後手番)、西山朋佳4級(里見香落)に連勝し、5月21日に奨励会1級での奨励会入会を決めた。これに伴い、女流枠での男性参加棋戦への出場はできなくなった。 同年10月18日、第33期女流王将戦で石橋女流四段の挑戦を退け初防衛。この結果、「タイトル通算7期」(女流名人2期、女流王将2期、倉敷藤花3期)の規定を満たし、2011年10月18日付で女流五段へ昇段。19歳7か月での女流五段は史上最年少。同年11月27日、第19期倉敷藤花戦で清水女流六段の挑戦を退け4連覇。 2012年1月7日の関西奨励会の例会で、「12勝4敗」の、1級から初段への昇段規定を満たし、奨励会初段に昇段した。初段となった女性奨励会員は、現行規定では里見が最初である。女性初の奨励会初段を達成した里見には、報奨金(100万円)が贈呈された。 2012年2月15日、第38期女流名人位戦で清水女流六段の挑戦を退け3連覇。十代女流棋士の女流名人3連覇は、林葉直子が1982年度 - 1984年度に達成して以来、史上2人目、30年ぶりの記録。 同年3月20日、地元の島根県出雲市で、里見の後援会が発足し、出雲市役所内のホールで設立総会を開いた。発足時の会員は、地元将棋ファンや、里見の母校・島根県立大社高等学校OBら279人。後援会事務所は日本将棋連盟出雲市役所支部に置かれる。
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奨励会員
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鏡州 飛馬(かがみず ひうま) 第6巻時点で29歳。奨励会三段。宮崎県出身。奨励会員ながら新人戦で優勝した経験がある。 三段になったのは八一よりも早かったものの、未だに三段リーグを抜けられていない。奨励会の年齢制限(26歳)を超過しているが、「勝ち越し延長」で残留している。しかし、10巻で開幕した第63期三段リーグ終了後に30歳の誕生日を迎えるため、この三段リーグがプロ入りへのラストチャンスとなる。 八一曰く「奨励会で一番お世話になった人」で、関西将棋会館でのルールは全て鏡州に教わったという。八一以外にも、創多や銀子など、彼を慕う奨励会員は多い。 長年奨励会にいる関係で、アマチュア棋戦にも多く関わっており、天衣の父親とも親しかった。天衣に贈られた天衣の父親の書体の駒は、鏡州が苦労して集めた生前の手書きの棋譜から書体を起こしたものである。 泣いても笑っても最後となる第63期三段リーグでは中盤でトップになり、14勝2敗で創多、銀子との最終例会に臨む。どちらか一局でも勝利すれば自力での四段昇段が決まっていたが、激闘の末に連敗を喫する。連敗でも次点が1つあるため結果次第では昇段可能性があり、結果、14勝4敗で坂梨に並んだが、坂梨の方が順位が高かったため次点になれず、年齢制限により奨励会退会となった。例会終了後にその事実を知った創多に泣きつかれるも、既に自分の限界を知っていた鏡州は、彼に自分の夢を託し、未練なく奨励会を去った。 椚 創多(くぬぎ そうた) 第6巻時点で11歳(小学5年生)。2006年7月19日生まれ。第4巻では奨励会初段、6巻では二段、7巻では三段。奈良県生駒市出身。 将棋以外の様々な才能に恵まれていたが、故に、才能についていけなくなった周囲の人が離れ孤独になってしまっていた。将棋でもネット将棋では「ソフトを利用している」と疑われ、アカウント停止にされてしまう。ならば直接指すしかないと訪れた将棋会館で八一と鏡州に出会い、何度自分に敗れても挫けない鏡州に興味を抱き、奨励会入りを決める。 昇段が驚異的に速く、史上5人目の中学生棋士どころか、史上初の小学生棋士になる可能性すらあると言われ、傲岸不遜な天衣をして「化け物」と言わしめた恐るべき才能の持ち主。あいが八一と同居する前に八一のアパートをたまり場にしていた若手の一人で、八一のことを非常に尊敬し慕っている。 年相応に可愛らしい顔つきをしているが、天衣との対局ではそこからは想像できないような毒を吐いたほか、対局前の誘導尋問で、本来ミスとしか思われず警戒される「初手3八金」をただの挑発に見せかけるなど、小学生とは思えない狡猾さを見せる。 第6巻では互いの昇段をかけ銀子と対局する。創多が勝てば史上初の「小学生の奨励会三段」、銀子が勝てばやはり史上初の「女性の奨励会三段」が誕生する注目の一戦で、終始優位に対局を進めたのは創多だったが、苦し紛れに指した銀子の一手により逆転負けを喫した。しかしその後昇段を果たし小学生にして三段となる。 マイナビ女子オープン五番勝負の第三局では記録係を務めたが、検分の時にマスコミに対し、「次は銀子に普通に勝てる」と銀子が近くにいるにもかかわらず言い放っている。「頭の中に将棋盤が浮かばない」「読み筋が符号で浮かぶ」など、まるでコンピューターそのものであるかのような人物。銀子との対戦の後にそう発言し、勝利した銀子を恐怖のどん底に陥れたほか、そのスタイルは奨励会員からも畏怖されている。 第63期三段リーグでは10戦終了時点で10連勝でトップに立っていた。第11回戦で銀子と再び対局。武器である人間には到底思いつかないような奇手の連撃で銀子と激闘を繰り広げるも、銀子が「将棋星人」の領域に足を踏み入れたことで互角の勝負に持っていかれる。さらに終盤に僅かにミスを犯して攻めを受け切られ、自玉を最奥まで逃がすも「逃げるなら追いかけるまで」と開き直った銀子に詰まされ、再び敗北を喫する。 この対局では、銀子の実力を他の奨励会三段が完全に認めると同時に「コンピューターのような椚創多でさえも終盤にミスをする」という事実が示されることになり、それまで創多の棋力を前に諦めを見せていた奨励会員達に火をつけ、結果創多は畏怖される立場から一転、他の奨励会三段同様、獲物として狙われる側になった。 小学生であるが故のメンタル面と才能を絶対視しすぎる傾向に課題があり、終盤ではそこを突かれて辛香らに敗れ、2敗を喫する。しかし、最終例会では見事に立ち直り連勝、15勝3敗の2位で四段昇段となり、史上初の小学生プロ棋士となった。その後、例会前に交わした約束を守れず、年齢制限で奨励会を去ることになった鏡州に対し、わがままで罵り泣きじゃくるも、彼に諭され、彼の夢と共にプロの世界を戦う決意をした。 プロ入り後は順調に白星を重ねており、竜王戦ではこのまま勝ち進めば6組決勝で祭神雷と当たる予定。 セリフにハートマークが多い(特に八一に対し)。 辛香 将司(からこ しょうじ) 元奨励会三段。「辛香理論」と呼ばれる、関西奨励会の粘り強さの基礎を築いた人物。生石とは奨励会の同期で、14歳にして三段まで昇段したものの、三段リーグを抜けられず退会した。 退会後は、中卒であった為に低賃金の単純労働を転々とし、一時は将棋盤を見たり将棋の話を聞くのも嫌がり、当時の仲間とも音信不通となっていた。そんな中、ある清掃業者で働いていた時に、履歴書を見た上司の計らいで、入院中の子供達の間で将棋が流行っていた病院に配属される。配属された病院では、難病の子供達と将棋を楽しむが、一人を除いてみな亡くなり、それに耐えられなくなった彼はその仕事を辞職し、別の仕事に移る。しかし、その「一人」であった銀子がプロ棋士を目指して奮闘している姿をテレビで見て、再び将棋への熱意を燃やし、プロへの道を目指すことを決断。その後アマチュア三冠を達成し、奨励会編入試験の資格を得る。銀子が試験官となったその対局に勝利し、再び奨励会三段に復帰した。 この時の出来事から、「二番目に辛いのは将棋の話題が出てくる職場、一番辛いのは人が死ぬ職場」という考えに至り、そのうち二番目に辛い職場の考えを生石に語っている。 将棋を愛する思いは非常に強く、勝つ為には露悪的な盤外戦術や星勘定も辞さない。一方で明石や生石程ではないものの銀子の事を心配しており、第63期三段リーグ戦最終戦の中継についても本人は顔に出さないが、それなりの配慮を見せた。 奨励会退会時に贈られた「退会駒」をアマチュアの間ずっと使い続け、編入試験の時にも使いたいと申し出た。 登龍 花蓮(のぼりょう かれん) 関東所属の女性奨励会員で、5巻では2級、9巻では1級、12巻では初段、14巻では二段、16巻では三段。16巻時点で19歳。一人称は「僕」。八一の視点では「健康的な美少女」である。東京都八丈島出身。 マイナビ女子オープン本戦1回戦で天衣と対局するも、奨励会員にまともに挑むのは不利と見た天衣が敢えて上座に座るという挑発を試みたことに気分を害し、「僕の席がありません」と不満をあらわにする。結局天衣の思惑通り挑発に乗って平静を失い、実力を発揮できずに敗れる。しかしその後すぐに奨励会で昇級・昇段し、女性としては銀子以来2人目の奨励会有段者となる。マイナビ女子オープン五番勝負第二局では志願して記録係を務め、第三局は自宅で観戦していた。 女流棋士ではなく奨励会を選んだのは、2歳年下の銀子の後を追ったからである。銀子のことは「空先生」と呼び心から尊敬している一方、女流棋士は「しょせんはアマチュア」と見下していたが、天衣との対局及び彼女の女王戦第三局を見て認識を改めた。 12巻では三段リーグ最終戦を戦う銀子と出会い、女性であるが故に居場所も相談相手もなく、男性からは「退会しても女流棋士になれる」と半ば見下されることもある中、正棋士を目指して努力する同じ女性奨励会員としてエールを送った。 16巻では銀子の休場に伴う女流タイトル返上によって空位となった女流玉座及び女王決定五番勝負に登場し、天衣との対局に臨む。 坂梨 澄人(さかなし すみと) 関東所属の奨励会三段。25歳。月夜見坂の兄弟子でもある。 第62期三段リーグではプロ入りした者と同じ勝ち星を挙げるも、順位の差でプロになれなかった。10巻で開幕した第63期三段リーグでは優先順位一位となり、プロ入り最有力候補として臨む。一方でプロ棋士を目指す道のりに半ば空しさも抱いており、第63期三段リーグで昇段を逃したら、勝ち越し延長をせずに退会する予定。 第57期三段リーグでも、最終局で勝てばプロ入りという場面で、終盤までは勝勢だったが、そこからまさかの大逆転負けでプロ入りを逃し、次点(3位)にもなれなかった。実はその時の相手は八一であり、プロデビュー直後から華々しく活躍する彼の姿を見て、「もしあの時勝っていたらあそこに立っていたのは自分かもしれない」と鬱屈した感情を抱く。 銀子の開幕戦の相手となり、「サメ(強者)とイワシ(弱者)」の比喩で、銀子を「ピカピカ光って外見が目立つだけのイワシ」と見定める。上述の過去を話して彼女を揺さぶりに掛かり、奨励会特有の戦術も合わせて中盤でリードを奪うも、八一への鬱屈した感情とプロ入りに懸ける思いが強すぎるあまり、焦って繰り出した悪手を銀子に咎められ敗北。女性の奨励会三段に敗れた初の男性奨励会三段となる。これを引きずったのか、次の対局でも敗れて連敗を喫し、帰り道の道路の中央で人目もはばからず泣きながら立ち尽くしていた。 更に、次の例会でも連敗を喫して事実上プロの道が閉ざされた事で緊張の糸が切れ、就職に必要な自動車免許取得の為に、妹弟子の月夜見坂が紹介した教習所に通い始める。だが、それによって逆に力みが取れて好循環を生み、4連敗で他奨励会員からの警戒が薄れたのもあって怒涛の14連勝をマーク。本人は最後の片付けを終えて奨励会を去るつもりだったが、そこに駆け付けたスポーツ新聞記者の後輩(元奨励会員)から、上位陣が尽く崩れた事で次点となったことを知らされる。結果、第62期三段リーグで獲得した次点と合わせて次点2回獲得の規定により、四段に昇段。フリークラス編入ではあるがプロ棋士となった。 神鍋 馬莉愛(かんなべ まりあ) 歩夢の妹。10巻時点で小学5年生。10巻で行われた小学生名人戦の優勝者。猫耳を模した髪型と、兄と同じ独特な喋り方が特徴的。 女流棋士に興味はなく、奨励会入りを宣言してプロ棋士を目指している。コンピューターネイティブ世代らしい隙の無い将棋が持ち味で、花立と鹿路庭からは「小学5年生とは思えない完成度の高さ」と評されている。 兄と同じく釈迦堂門下だが、釈迦堂は奨励会で揉まれることによるスタイルの変化で才能が潰れるリスクを考え、彼女を弟子にせず、「教え子」扱いにしていた。 それを知らない彼女は、実績ある将棋大会で優勝することで弟子入りを認めてもらおうと考え、「なにわ王将戦」に参加。小学生名人戦の県代表や綾乃らをあっさりとねじ伏せ決勝まで勝ち上がり、決勝でも地力の差を見せつけて澪を追い詰めるも、澪のとった入玉戦術に惑わされて敗北。だが、負けることの意味と悔しさを知ったこととそれでも戦い続ける姿勢を釈迦堂に認められ、弟子入りおよび奨励会受験を許される。12巻で奨励会を受験し、二次試験全勝で見事に合格、関東所属の女性奨励会員となる。16巻時点では4級に在籍。
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