三冠
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三冠(さんかん、英: Triple Crown)またはトリプルクラウンとは、1人もしくは1チームで、多くの場合同一年または同一シーズンに三つの賞を得ること。大会の優勝や団体競技の個人成績最上位といった賞に対してよく用いられる。「〜冠」といえば単にその数の賞を得ることであるが、この「三冠」については主要な三つの賞を独占したといった意味にもよく使われる。この場合、該当する賞三つを指す意味でも「三冠」という言葉は使われる。
注釈
出典
- ^ “東福岡、公式戦52戦無敗で全国総体、選手権、高円宮杯の3冠達成”. サッカーキング. (2015年6月30日) 2021年7月14日閲覧。
- ^ “小嶺忠敏 高校サッカー3冠の国見高校総監督 時事用語事典 - イミダス”. 2021年7月14日閲覧。
- ^ 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 (2019-01-29). 高校サッカー100年. 講談社. p. 216. ISBN 978-4-06-220356-2
三冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:15 UTC 版)
皐月賞では単勝1番人気に推され、先行策をとると直線の入口で先頭に立ち、猛追するアスカに4分の3馬身差をつけ6連勝でまず一冠目を獲得した。競走後、武田は東京競馬場の調教師である中村広の自宅で、競馬記者の井上康文に「ひょっとするとクラシック三冠馬を取れる」と語った。 クラシック二冠目の東京優駿(日本ダービー)を前に、調教では仕上がらないと考えた武田はオープン競走に出走させた。皐月賞よりも10キログラム重い体重で参戦したが、逃げたヤマニンシロをクビ差捕らえることができず2着となり、初の敗北を喫する結果となった。 本番の東京優駿では皐月賞と同様に1番人気に推され、レースが早いペースで推移するなか、中団を進んだシンザンは最後の直線コースで外から仕掛け、内から追い込んだウメノチカラに一時交わされるも、鞭を入れられるとふたたび差し返して優勝した。優勝タイムの2分28秒8は前年のメイズイのレコードから0.1秒遅れの競走史上2位(当時)のタイムであり、のちに三冠馬となるミスターシービーや、シンボリルドルフのタイムを上回るものであった。ウメノチカラに騎乗していた伊藤竹男は、「理想的なレースをして負けたんだから、シンザンは本当に強い馬だ」と語った。 菊花賞へ向け、武田はシンザンを夏場の避暑のために北海道などへ移送することをせず、京都競馬場で調整することにした。しかしこの年の夏は40年ぶりの猛暑となり、シンザンは7月の下旬に重度の夏負けにかかった。武田は扇風機で馬房を冷やす、氷柱をつり下げるなど対策を講じた、8月の下旬にシンザンの体温はもとに戻った。 夏負けの影響から、シンザンは10月に入るまで本格的な調教を行うことができず、武田はシンザンをレースに使いつつ鍛える方針を立てた。まずオープン競走に出走(結果は2着)したが競走後も調子は上がらず、京都杯ではバリモスニセイの2着に敗れた。 11月に入りようやく体調は上向き、菊花賞直前の調教ではかつてない好内容の走りを見せた。しかし競馬ファンの間には体調に関する懸念が残り、菊花賞での人気はウメノチカラに次ぐ2番人気であった。 このレースは大きな注目を集め、有料入場者数40660人(推定全入場者数45000人超)は、京都競馬場のそれまでのレコードを大幅に更新した。売上も3億9402万4200円に達し、それまでの菊花賞レコードを27%更新するものだった。 レースはカネケヤキが大逃げを見せ、一時は20馬身以上の大差を付けた。武田から「早く追うな」と指示を受けていた栗田は、レースを実況していた小坂巖が「シンザン、どうした。三冠はもうだめだ」と発するほど仕掛けのタイミングを遅らせ、直線で一気にスパート。一時先頭に立ったウメノチカラを残り200メートルの地点で抜き去り、戦後初、セントライト以来23年ぶりの三冠を達成した。 三冠達成後、疲労が抜けずシンザンは休養に入った。回避を表明していた有馬記念でのファン投票は3位で、ウメノチカラ(ファン投票2位)より低かった。
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三冠
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「メジャーリーグベースボールの三冠王一覧」の記事における「三冠」の解説
詳細は「三冠 (野球)」を参照 一般に「三冠」とは打撃指標を指す。1シーズンで首位打者(打率トップ)、最多本塁打(本塁打王)、最多打点(打点王)を全て達成した選手が「三冠王」と呼ばれる。この用語は投手と区別する場合をのぞき、打撃成績を示す「打者三冠」と言う呼び方はされない。 三冠は、高く安定した打率を維持し、長打力があり、走者が塁にいる時の勝負強さを持っている。その打者が打撃技術において総合的に優れていることを現している。しかしそのような選手であっても簡単には得ることが出来ない珍しい記録であり、100年を超える歴史の中で17回しか達成されていない。最新の達成者は2012年のミゲル・カブレラであるが、これは1967年のカール・ヤストレムスキー以来45年ぶりの記録だった。ESPNの野球記者ティム・カークジャンは打率や長打率に特化した選手が増えたことにより三冠達成が困難になったのではないかと分析している。 これまでの三冠の最多獲得の記録は2回で2人が達成している。ロジャース・ホーンスビーが最初の達成者で、ともにセントルイス・カージナルス在籍時の1922年と1925年に三冠王となった。テッド・ウィリアムズが2人目の達成者で、1942年と1947年に三冠王となっている。チーム別で見るとセントルイス・カージナルスが4回で最多となっている。 ホーンズビーの2回に加え、セントルイス・ブラウンズ時代のティップ・オニールが1887年に現在消滅したアメリカン・アソシエーションで三冠王となった。最新ではジョー・メドウィックが1937年に獲得している。「引退して5年経過」の条件を満たしていない現役選手のミゲル・カブレラを除き、三冠王となった14人のうち12人がアメリカ野球殿堂入りを果たしている 。
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「三冠」の例文・使い方・用例・文例
- 三冠を達成した
- 1919年に三冠を勝ち取ったサラブレッド
- 1930年に三冠王を獲得したサラブレッド
- 1935年に三冠王を取ったサラブレッド
- 1937年に三冠王を獲得したサラブレッド
- 1941年に三冠王を獲得したサラブレッド
- 1943年に三冠王を得たサラブレッド
- 1946年に三冠に勝ったサラブレッド
- 1948年に三冠王を獲得したサラブレッド
- 1973年に三冠王を得たサラブレッド
- 1977年に三冠王を得たサラブレッド
- 1978年に三冠王を得たサラブレッド
- プロ野球である選手が三冠王を取ったシーズン
- 松井選手,三冠王にますます近づく
- 読売ジャイアンツの強打者,松井秀喜選手が三冠王になる可能性が非常に高い。
- 彼は,16年ぶりの三冠王となるかもしれない。
- 打率が2位に落ち,彼は惜しくも三冠王を逃した。
- 落合氏は3度三冠王を獲得し,日本野球史上最大の打者の1人である。
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