敗北とは? わかりやすく解説

はい‐ぼく【敗北】

読み方:はいぼく

[名](スル)

戦い負けること。「ライバルとの決戦に—する」⇔勝利

戦い負けて逃げること。敗走

「みなもって—せずといふ事なし」〈平家・五〉

「敗北」に似た言葉

敗北

作者柴田錬三郎

収載図書柴田錬三郎選集 17 後期短篇集
出版社集英社
刊行年月1990.7

収載図書毒婦千年
出版社講談社
刊行年月1994.9
シリーズ名講談社文庫


敗北

作者酒井忠博

収載図書抛物線
出版社近代文芸社
刊行年月1993.11


敗北

作者菊池寛

収載図書菊池寛全集 第3巻 短篇集 2
出版社高松市菊池寛記念
刊行年月1994.1


敗北

作者大藪春彦

収載図書名の無い男
出版社双葉社
刊行年月1996.12

収載図書名のない男
出版社光文社
刊行年月2007.1
シリーズ名光文社文庫


敗戦

(敗北 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/10 14:05 UTC 版)

敗戦(はいせん)は、争いごと・勝負・スポーツの試合などに負けること。


  1. ^ 金田は400勝、ヤングは511勝。


「敗戦」の続きの解説一覧

敗北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 03:07 UTC 版)

キンブリ族」の記事における「敗北」の解説

紀元前103年キンブリ族テウトネス族イベリア半島転進し広範囲略奪繰り返したその間ガイウス・マリウス軍備整え紀元前102年にはローヌ川テウトネスとアンブロネスを迎え撃つ準備整ったテウトネスとアンブロネスは西からイタリアに向かう経路をとったが、キンブリとティグリニは北からライン川渡ってアルプス越えをする経路をとった。 イゼール川の広い河口テウトネス族とアンブロネス族がマリウス遭遇したが、ローマ側の陣が強固だったため通過できなかった。そこで彼らは迂回し、これをマリウスの軍が追った結局アクアエ・セクスティアエ戦闘となり、ローマ側2度戦闘に勝ち、テウトネス王テウトボドを捕らえた一方キンブリ族アルプス越えて北イタリア侵入した執政官クィントゥス・ルタティウス・カトゥルスはこれに立ち向かうことなくポー川背後まで退却したこのため北イタリアキンブリ族蹂躙されるままとなったキンブリ族は先を急がなかったため、アクアエ・セクスティアエ勝利したマリウスの軍に追いつかれたセージア川ポー川合流点あたりでウェルケラエの戦いとなり、紀元前101年キンブリ族長い旅もここで終わりとなった。 この敗北は壊滅的で、リーダールギウスボイオリクスは共に亡くなった女性たち奴隷となることをよしとせず、子供道連れに自らの命を絶ったキンブリ族全滅したが、上述たように紀元1世紀ユトランド半島キンブリ族名乗る人々がいたとする文献があり、一部母国戻った可能性がある。 また、カエサルガリア戦記によると、キンブリ族テウトネス族イタリアローマ属州に来る前に自分たちの財産のうち運びきれなくなった分をライン左岸残し見張りの者も六千人ほど残したという。彼らはキンブリ族テウトネス族滅亡後生き延び、後にベルガエ人のアトゥアトゥキ族と呼ばれるようになったとされている。

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敗北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 08:49 UTC 版)

アルブレヒト・アルキビアデス」の記事における「敗北」の解説

アルブレヒトパッサウ和約ルター派容認する和約)の受諾拒否したため、ザクセン選帝侯モーリッツ最高司令官として参集した、bundesständische Heer呼ばれる諸侯連合軍(その中にはカール5世の弟で後に帝位に就くローマ王フェルディナント1世含まれる)は1553年、ジーフェルスハウゼンの戦いでアルブレヒト下したが、モーリッツはこの戦いで銃撃を受け亡くなりヴォルフェンビュッテルハインリヒ2世2人の息子戦死している。 アルブレヒト故郷であるフランケン蹂躙されバイロイトホーフクルムバッハ1553年までに焼き討ちされた。フランケンホーエンツォレルン家居城防衛施設でもあったプラッセンブルク城は1554年6月まで包囲された。クルムバッハ侯領首都クルムバッハ1553年11月26日徹底的に破壊され尽くした

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敗北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 00:28 UTC 版)

ピエール・ロスタン」の記事における「敗北」の解説

1945年5月1日から2日にかけての夜は、保安省の建物内部にいるアンリ・フネSS義勇大尉フランスSS突撃大隊生存者にとって静かな夜であった。彼らは総統官邸移動したノルトラント師団1個中隊の戦区確保し警戒続けていた。 しかし、夜明け頃、彼らは前線航空省(Luftfahrministrerium)近辺迫っていることを察知し航空省まで後退した。そして、フランス人義勇兵たちが航空省内部ドイツ空軍部隊陣地引き継いで間もなく白旗掲げた自動車前線から現れた。 その車に乗っていたドイツ国防軍将校ソビエト赤軍将校は、航空省内部降伏について話し合った航空省内の部隊指揮していたドイツ空軍少佐投降決意していたが、フネはじめとするフランスSS突撃大隊生存者総統官邸様子確認するため、航空省立ち去った大勢市民非武装ドイツ軍兵士ベルリン市街の道路埋め尽くす中、フネ一行廃墟内を伝って移動した。この時、ロスタン移動するフランスSS突撃大隊後衛務めていたが、物思いふけっていたため、1人赤軍兵が近く迫っていることに気付いていなかった。赤軍兵はロスタン武器捨てろ命令したが、ロスタン答え戦友たちの方向走り出すことであった赤軍兵からの発砲無くロスタンフネたちと再び合流して廃墟内の移動続けた。 やがて通気口経てフランスSS突撃大隊生存者Uバーン構内地下鉄トンネル入った。そこは生き延びる最適の場所であると同時に発見されることなく総統官邸まで向かうことが可能な場所であった。そして、総統官邸向かい側にあるUバーン駅に到着した後、大隊長フネ地上様子を探るために、地上道路換気口まで続く梯子を登っていったロスタンをはじめ、駅構内待機している者たちはフネ知らせ待ちわびていた。やがて、フネ梯子降りて戻ってきたため、彼らはフネを囲むようにして集まったフネは、いたるところロシア兵がおり、総統間違いなく死んでいる、と伝えた。 この知らせ聞いたフランス人義勇兵たちは静かにうなだれた絶望した若い下士官ロスタン対し、我々は民間人服を着るべきでは、と尋ねた。するとロスタンは「俺たち変装するためにここまで来たわけじゃない」と、プロ軍人らしい答え返した戦争敗北したという事実は涙となってロスタンの頬を濡らしていたが、ロスタン闘志消えていなかった。ロスタン言葉続けた。「まだやるぞ」 その後大隊長フネは、地下鉄線路利用して行けるところまで行き、夜を利用して休息をとり、ヴァルター・ヴェンク装甲兵大将ドイツ第12軍がいるはずのポツダムまで突破試み計画示したフランスSS突撃大隊生存者全員がこれに同意し、彼らはベルリン・ミッテ区のポツダム広場まで静かに移動した。 しかし、5月2日正午頃ポツダム広場において斥候もたらした報告により、地下鉄線路地上繋がっていることが判明した身を隠しながらベルリン市街を脱出するフランス人義勇兵たちにとって、これは日中移動続けることを不可能にした。それゆえ、彼らは夜になってからの移動備え、小グループ分かれてそれぞれ次々と姿をくらましたロスタンフネグループその他のグループ別れ16名のフランス人義勇兵と共に潜伏開始した

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敗北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:18 UTC 版)

張作霖」の記事における「敗北」の解説

1928年4月南京国民政府蔣介石改め国民革命軍改編し、北伐開始した。この時は他の軍閥勢力である馮玉祥閻錫山なども自らの勢力下に加え万全な態勢取っていた。張は防戦するが、欧米からの支持失った日本政府も張を扱いかねており、山東出兵第2次)によって済南蔣介石軍と衝突するものの(済南事件)、蔣介石から「山海関以東満洲)には侵攻しない」との言質を取ると、張を積極的に支持しなくなった同年6月4日国民革命軍との戦争敗れた張はついに北京脱出した当時日本の首相田中義一はなおも張の利用価値認め東三省再起させることを考えていたが、既に満州国建国計画進めていた関東軍は張の東三省復帰を望まなかった。

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敗北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 07:05 UTC 版)

7月20日事件」の記事における「敗北」の解説

その少し前の午後6時30分頃ベルリンにいたヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相は、反乱派の命により出動したレーマー少佐宣伝省呼んだ。彼はレーマーヒトラー直接電話会話させ、味方引き入れたヒトラーその場レーマー大佐昇進させ、反乱鎮圧ヒムラー到着するまでの間、現場責任者任命したレーマー配下将校ベルリン市内の要所配備させ、市内へ向かう各部隊事情説明し国内予備軍司令部から発令されヴァルキューレ発動に伴う命令従わないよう伝えて回ったこのように反乱派は自ら軍部隊をベルリン市内の現場で直接指揮せず、自分らに対しシンパシー持たない将校レーマー少佐)が指揮する一個大隊兵力市内制圧委ねる、という致命的ミス犯し放送局ゲシュタポ本部宣伝省など重要拠点の確保失敗更にはその将校ヒトラー側に抱き込まれ自衛のための部隊すら喪失逆にその部隊によって掃討されることになる。 午後7時45分頃、反乱派は放送局放送内容否定し発令され命令実行改め指令した。さらに西部方面軍司令官クルーゲ元帥にはベック直々に連絡し反乱への参加呼びかけたが、クルーゲは言を左右に応諾しなかった。彼は自ら総統大本営のシュティーフ少将連絡してヒトラー生存確認。それ以後反乱派と連絡絶った午後8時すぎ、パリ軍政長官カール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル大将と、シュタウフェンベルク従兄弟ツェーザー・フォン・ホーファッカー(de:Caesar von Hofacker)空軍中佐が、クルーゲの元を訪れて説得したが、彼はそれに応ぜず逆に逃亡潜伏薦めている。 午後8時10分、反乱派の軍事的最高位ヴィッツレーベン元帥国内予備軍司令部到着するが、司令部混乱ぶりと指揮する軍部隊が居ない事を知りシュタウフェンベルクらの不手際批判する一方総統大本営から各軍管区カイテル元帥から、総統生存とヴィッツレーベン、ヘプナーからの命令には従わないよう指令が伝わる。各軍管区司令部ベルリン放送カイテル指令真実であると認識しヴァルキューレ発動中止ヒトラー忠誠誓ったウィーン第17軍等は大管区指導者親衛隊関係者逮捕する動き出ていたが、すぐに中止している。 午後8時50分頃、ヴィッツレーベンはクーデター失敗悟り国内予備軍司令部出てベルリン郊外友人別荘行った午後9時30分頃、ベルリン防衛軍司令官ハーゼ中将降伏したという知らせ入りシュタウフェンベルクさすがに疲労落胆隠せなくなった

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敗北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 16:20 UTC 版)

リチャード・ニクソン」の記事における「敗北」の解説

アイゼンハワーからの説得受けてケネディ陣営対す告発取りやめたニクソンは、最終的に得票率差がわずか0.2ポイントケネディ49.7パーセント/3422984票、ニクソン49.5パーセント/34108157票)という、歴史上に残るほどの僅差であった勝った州はケネディ24州、ニクソン26州。しかし獲得した選挙人数は全選挙人数537人でケネディ303獲得しており、ニクソン選挙人219人の獲得終わりケネディ選挙人の多い州を重点に回る選挙戦略の成果であったとも言われている が、やがてケネディの不正が明らかになった。 なおケネディ民主党党員ではあるものの、前記のように友好的な関係を築いていたこともあり、ニクソンアイゼンハワー政権副大統領候補者に選ばれた時、ニクソンを祝う一番の友人のうちの1人だった。

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敗北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 00:46 UTC 版)

三悪 (タイムボカンシリーズ)」の記事における「敗北」の解説

タイムボカン初期はボカンメカの攻撃倒されるケースもあったが、途中から三悪専用メカ性能能力向上し、ボカンメカを圧倒するまでになる。それは後のシリーズに於いて受け継がれ正義側を苦しめる事になるにも関わらず結局は負けてしまうが、それには複数要因があり、主なものとして以下のパターン分けられる

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敗北

出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 11:50 UTC 版)

名詞

はいぼく

  1. 負けること。

発音(?)

は↗いぼく

対義語

動詞

活用

サ行変格活用
敗北-する

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