大藪春彦(おおやぶ・はるひこ)
1935年(昭10)、京城生まれ。終戦直後は難民生活を送る。帰国してからも脊椎カリエスに罹り、闘病生活を送る。ワセダミステリクラブ出身。
早稲田大学在学中の1958年(昭33)、文芸同人誌「青炎」に掲載した「野獣死すべし」が千代有三に認められ、江戸川乱歩によって「宝石」に転載される。後日、乱歩邸をはじめて訪れた際、乱歩を応接間で待っているうちに横になり、眠ってしまい、横になったまま挨拶をするという逸話を残す。
1960年(昭35)、多岐川恭が代表を務める探偵作家の団体「他殺クラブ」に入会するが、「火制地帯」がロスマクドナルドの「ブルーシティ」の盗作という疑いをかけられ、脱退。さらに日本探偵作家クラブを除名される。
1965年(昭40)、米軍キャンプで行われたナショナルライフルアソシエーション極東選抜射撃大会で、ファーストマークスマンとなる。
1965年(昭40)、拳銃不法所持で逮捕。
1971年(昭46)、「チームマグナム」が第7回日本グランプリで総合六位となる。
日本ハードボイルドの生みの親。
1994(平6)、日本冒険家クラブの「功労賞」受賞。
1996年(平8)、肺腺維症、肝腺維症により死去。
大藪春彦
大藪春彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/08 08:28 UTC 版)
「伊達邦彦」シリーズ、『蘇える金狼』、遺作となった『暴力租界』など犯罪に手を染める主人公の荒唐無稽なアクションを描いたものがある。
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