日本グランプリ
日本で本格的に4輪のモータースポーツが始まったのは、1962年に、日本初のレーシングコースとして鈴鹿サーキットが誕生してからであり、63年に第1回日本グランプリ自動車レース大会が鈴鹿で開催された。64年には鈴鹿で第2回が、66年には富士スピードウェイがオープンして第3回日本GPが開催された。そのf去、F2またはプロトタイプスポーツカーによってそのタイトルを争ったが、76年の富士でのF1選手権開催を機してグランプリレース開催規定の検討がはじまり、79年に至って日本グランプリレースはF1選手権にすると規定された。その後、87年に10年ぶりにF1による日本GPが復活、以後はF1レースについてグランプリと称し、現在に至っている。
日本グランプリ
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日本グランプリ(にっぽんグランプリ、にほんグランプリ)
- 1 日本グランプリとは
- 2 日本グランプリの概要
日本グランプリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:25 UTC 版)
「トヨタ自動車のモータースポーツ」の記事における「日本グランプリ」の解説
トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年(昭和41年)の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前の2000GTで純粋なレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380に後れを取っていた。 トヨタは1967年の第4回日本グランプリを欠場して、翌1968年(昭和43年)に自社初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他のレースで勝利を収める。日産が日本グランプリ以外に消極的であったのに対して、トヨタは耐久レースに積極的に参戦したため「耐久のトヨタ」と呼ばれた。 翌1969年(昭和44年)には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本Can-Amも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたも涙を飲んだ。 翌年に向けてトヨタは日本初の5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したため、トヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降1980年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。
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「日本グランプリ」の例文・使い方・用例・文例
- F1世界選手権日本グランプリが先日,静岡県にある富士スピードウェイで開催された。
- この日本グランプリは,2007年のF1世界選手権シーズン中に行われる17レースのうち15番目のレースだった。
- しかし,1977年のグランプリ中に死亡事故が起こり,その後,日本グランプリは何年もの間開催されなかった。
- このことにより日本グランプリが富士スピードウェイで再び開催できるようになった。
- 来年の日本グランプリも富士スピードウェイで行われる。
- 2008年F1世界選手権日本グランプリに関連したバーチャルライブイベントが10月11日と12日に行われる。
- アロンソ選手がF1日本グランプリ優勝
- F1世界選手権日本グランプリが先日,静岡県にある富士スピードウェイで行われた。
- 日本グランプリは,F1世界選手権の2008年シーズンの18レース中16番目だった。
- 2009年日本グランプリは三重県にある鈴(すず)鹿(か)サーキットで行われる予定だ。
- 小林可(か)夢(む)偉(い)選手,F1日本グランプリで3位入賞
- フォーミュラ・ワン(F1)日本グランプリの決勝が10月7日に三重県の鈴(すず)鹿(か)サーキットで行われた。
- F1世界選手権の日本グランプリ(GP)決勝が,10月13日に三重県の鈴(すず)鹿(か)サーキットで行われた。
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