スポーツハンティング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/26 15:04 UTC 版)
スポーツハンティングとは、娯楽のために行われる狩猟行為のこと。
歴史
近世まで
本来、狩猟行為そのものは農村部や山間部などでは生活に必要な生産手段である。のち都市に住む貴族や王族の欲求不満の解消や社会的優越性を示す象徴として行われるようになった[1]。のち中世から近世にかけて産業資本主義が興隆するに従い、有産階級・商人階級も、貴族への象徴的近接の手段として、特権的な行為であったスポーツハンティングを嗜むようになる。これは社会学者ノルベルト・エリアスのいう「世俗化の過程」の一事例でもある[2]。
植民地主義とスポーツハンティング
アフリカ大陸に入植する西洋人が増えるにつれ、現地で行われる狩猟は野蛮なものであるとして峻別されるようになり、スポーツハンティングのための猟獣保護区を設置するために現地の住人の狩猟は強制的に禁止され、植民地政府によって立ち退きが行われた。
オーストラリアに入植した白人による人間のスポーツハンティング
サフル大陸(オーストラリア大陸)では、1788年よりイギリスによる植民地化がはじまるにつれ、動物のみならず、原住民であるアボリジニをスポーツハンティングするようになる。
1803年にはタスマニアへの植民が始まってからは[3]、同じくタスマニア島のアボリジニに対するスポーツハンティングが行われ、さらには、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成され[4]、島を一列で縦断し島民をすべて虐殺した。
禁止の流れ
スポーツハンティングを競技化した射撃競技も行われるようになり、生きた鳩を的にする「生鳩射撃[5]」は1900年パリオリンピックでも行われた。しかし残虐であるとして1度で競技から外され、鳩の代わりに素焼きの皿を飛ばすクレー射撃が導入された。
現在のスポーツハンティング
ワシントン条約は絶滅危惧種とされる動植物の輸出入などの国際的取引について禁止しているが、例外規定として国立公園などにおけるスポーツハンティングは認められている。スポーツハンティング料は各国により異なるが、ジンバブエでは象一頭あたり約95万円程度となっており、スポーツハンティング産業から得る税金やライセンス料は野生生物の保護に回されているとの主張が行われている。
また絶滅危惧種に対してもいまなおスポーツハンティングは行われている[6]。
脚注
- ^ ヴェブレン『有閑階級の理論』岩波文庫
- ^ エリアス『宮廷社会』法政大学出版局
- ^ 「世界差別問題叢書 5 増補 アボリジニー」明石書店1993年
- ^ 「世界差別問題叢書 5 増補 アボリジニー」明石書店1993年、p42
- ^ 小項目事典, ブリタニカ国際大百科事典. “生鳩射撃競技(いきばとしゃげききょうぎ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年7月26日閲覧。
- ^ リッカルド・カショーリほか 『環境活動家のウソ八百』 洋泉社 2008年8月 ISBN 4862483097
関連項目
スポーツハンティング
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「世界自然保護基金」の記事における「スポーツハンティング」の解説
WWF名誉会長エディンバラ公フィリップは、WWFの創始者の一人であり、大型動物の狩猟家グループ (Big-game hunter) としても知られている。イギリスでは、植民地時代のハンターのたまり場として知られるロンドンのシカール・クラブ(英語版)を支持基盤に持つ。WWFはトラ保護キャンペーンを行う一方で、フィリップなど幹部によるトラなどの野生動物のスポーツハンティングも行われている。野生生物の保護を謳いながら、スポーツハンティングなどの娯楽目的の狩猟は認めているため、PETAなどの極端な動物愛護団体から批判を受けている。これは、フィリップのようなWWF幹部にとって、本来、ハンティングとは上流階級の嗜みとして行われる崇高なスポーツであり、上流階級の特権とみなされてきた歴史がある。一方、アフリカ等での取り組みに対しては利己的で新植民地主義との指摘もある。
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