出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/31 08:30 UTC 版)
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グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、英語: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから構成される立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。また、国際関係について責任を負う地域として、王室属領及び海外領土があるが、これらは厳密には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」には含まれておらず、これらを含む正式な名称は存在しない。
ヨーロッパ北西部の島国であるが、北アイルランドでアイルランドと国境を接している。国家体制は国王を国家元首とし、議院内閣制に基づく立憲君主制である。国際連合安全保障理事会常任理事国の一つである。公用語である英語は実質上世界共通語としての機能を果たしており、広大な英語圏を形成している。
大航海時代を経て、世界屈指の海洋国家として成長。西欧列強のひとつとして世界に植民地を拡大し、超大国として栄えた時代を大英帝国と呼んだ。19世紀には世界の過半を影響下におき、パックスブリタニカ(イギリスによる平和)と呼ばれる比較的平和な時代をもたらしたが、第二次世界大戦を機に植民地の大部分を失い衰退し、現在に至る。
国名
正式名称は、United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandである。United Kingdom、UKとも略される。
日本語では、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国あるいはグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国と表記される[1]。通称は、イギリスや英国(えいこく)が一般的だが、その語源はいずれもイングランド単体との関係が深い言葉であり、"UK"や「グレートブリテン」を表すには、相応しくないとも考えられる(詳しくは、同節の後述の内容を参照)。英と略されることもある。他に連合王国やブリテンとも呼ばれる。漢字による当て字は、英吉利と表記される[2]。
「イギリス」の語源については、ポルトガル語の Inglez に由来すると言われる[3]。江戸時代には「エゲレス」とも呼ばれていた(前掲ポルトガル語、またはオランダ語 Engelsch が訛ったもの[4])。当て字である「英吉利」という表記は、もともと先行する中国語に由来する[5]。徳川幕府との開国等に関する交渉の際には、猊利太尼亜(ぶりたにあ)や諳尼利亜(あんぐりあ)と呼称されていた。「グレートブリテン」はイングランドのほかに、スコットランド及びウェールズを含み、「連合王国」はこれにさらに北アイルランドが加わる。しかし、「連合王国」は、少なくとも国内法上は、王室属領(マン島及びチャネル諸島)や海外領土は含まない。
英語話者が"UK"を指して"England"と称することが(特に口語で)あるが、「政治的に正しくない」として公式な場では控えられる傾向にある。連合王国全体を指して「グレートブリテン」と呼ぶことも、その本来の意に含まれない北アイルランドのユニオニストから批判されることがあるが、連合王国政府は連合王国全体を指す語として「グレートブリテン」を使うことがある(例えば、自動車に使われているEUのナンバープレートの加盟国略号やISOの国コードでは"GB"が用いられる)。またスコットランド人やウェールズ人には、民族的アイデンティティを無視した単語として"British"と呼ばれることを嫌う人もいる(もちろん彼らを"English"と呼ぶのはタブーである)。国全体、個々の地域、またそこに暮らす人々をどう呼ぶべきかという問題は、個々人の政治的価値観や歴史観を含むため複雑であり、個々人やマスコミによって様々な見解がある。BBCがスコットランド人やウェールズ人を"British"という単語で表さない原則を表明した直後、「タイムズ」は社説でBBCの決定を批判し、その後も"British"という単語をスコットランド人やウェールズ人に対して用いている。
歴史
詳細は「イギリスの歴史」を参照
1066年にウィリアム征服王 (William the Conqueror) がイングランドを制圧し、大陸の進んだ封建制を導入して、王国の体制を整えていった。人口、経済力に勝るイングランドがウェールズ、スコットランドを圧倒していった。
1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれ、1536年には正式に併合した。1603年にイングランドとスコットランドが同君連合を形成、1707年、スコットランド合併法(1707年連合法)により、イングランドとスコットランドは合併しグレートブリテン王国となった。さらに1801年には、アイルランド合併法(1800年連合法)によりグレートブリテン王国はアイルランド王国と連合し、グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国となった。ウィンザー朝のジョージ5世の1922年に北部6州(北アイルランド; アルスター9州の中の6州)を除く26州が、アイルランド自由国として独立した。1927年に現在の名称へと改名した。
1897年の帝国植民地・自治領。このほかにもブラジルなどに
非公式帝国があり、
1920年には史上最大の帝国になった。
イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し、19世紀始めのナポレオン戦争後は七つの海の覇権を握って世界中に進出し、カナダからオーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営し、奴隷貿易が代表するような交易を繰り広げイギリス帝国を建設した。しかしイギリスの世界覇権は第一次世界大戦までで、二度の大戦を経てその後はアメリカが強大国として台頭する。
第二次世界大戦直後、労働党のクレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げたが、階級社会の伝統が根強いこともあって経済の停滞を招き、1960年代以降は「イギリス病」とまで呼ばれる不景気に苦しんだ。
1980年代にマーガレット・サッチャー首相が経済再建のために急進的な構造改革(民営化・行政改革・規制緩和)を実施し、大量の失業者を出した。地方経済は不振を極めたが、ロンドンを中心に金融産業などが成長した。1990年代、政権は保守党から労働党のトニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正した第三の道への路線に進むことになった。このころからイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべくクール・ブリタニアと言われるイメージ戦略、文化政策に力が入れられるようになった。