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たなか-ぎいち 【田中義一】
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田中義一 たなか ぎいち
山口生まれ。陸軍軍人、政治家。父は萩藩士。明治25年(1892)陸軍大学校卒業。日清戦争に従軍。31年(1898)ロシア留学。日露戦争では満州軍参謀として活躍。42年(1909)陸軍省軍事課長。帝国在郷軍人会を創設。44年(1911)軍務局長に昇進、二個師団増設を企図。大正4年(1915)参謀次長となり、シベリア出兵に関与。以後、原、第2次山本各内閣陸相を歴任した。10年(1921)陸軍大将。退役後、立憲政友会総裁、貴族院勅選議員となる。昭和2年(1927)首相に就任。山東出兵を推進。4年(1929)張作霖爆殺事件の責任を取り総辞職した。
| キーワード | 陸軍軍人, 政治家, 首相 |
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- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 地方ト軍隊トノ関係ニ就テ / 田中義一述 ; 田家秀樹編 帝国在郷軍人会本部, 明44.10 <YDM51120>
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田中義一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/04 11:29 UTC 版)
田中 義一(たなか ぎいち、元治元年6月22日(1864年7月25日) - 昭和4年(1929年)9月29日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。
陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)、拓務大臣(初代)などを歴任した。
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- ^ 『田中義一伝記』などはこれを否定するが、古島一雄の回想録によれば、軍人出身の田中がどこから票を集めるのかと問い質したところ、「俺は在郷軍人300万を持っている」と応えたと記していること、また政友会総裁就任に伴う和歌山県での在郷軍人会副会長退任演説で政友会が主張していた両税委譲の必要性を説くなど、遠回しに政友会へ支援を求める発言も行っている。
- ^ 当初は前内閣が任じた出淵勝次次官が留任していた。
- ^ 以上いずれも、原田熊雄著『西園寺公と政局 第一巻』岩波書店、1950年。
- ^ 田中が死亡したのが別宅であったことから、妾宅で腹上死したのではないかという憶測がある。『田中義一伝記』によるとこの女性は、入籍はしていないが田中を長年支えてきた女性であるという。
- ^ 「この事件あつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持つてゐても裁可を与へることに決心した」『昭和天皇独白録』(文藝春秋、1995年(平成7年))
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