第1次大隈内閣とは? わかりやすく解説

第1次大隈内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/12 20:31 UTC 版)

第1次大隈内閣(だいいちじ おおくまないかく)は、伯爵大隈重信が第8代内閣総理大臣に任命され、1898年明治31年)6月30日から1898年(明治31年)11月8日まで続いた日本の内閣


注釈

  1. ^ a b 就任後、1898年(明治31年)8月10日施行の第6回衆議院議員総選挙で当選。
  2. ^ この時、明治天皇は伊藤内閣が存続し、大隈と板垣が入閣するものと勘違いして裁可を行った[6]。またこの際明治天皇は、伊藤に「自由党のみ」を用いるわけにはいかないかと聞いており、大隈と進歩党系に不信感を持っていた[7]
  3. ^ 板垣は伊藤に対して、大隈が後継内閣を引き受けるのであれば自身は隠居することが本来の願いであること、伊藤の辞任は意外であり、自身は首相の器ではないと繰り返し述べた。(中元 2020, p. 195)
  4. ^ 首相は1名であるので大命降下は原則1名に対して行われるが、この時点で結党直後の憲政会は正規の党首を決めておらず、大隈・板垣のどちらが党首になるかわからなかったため、両名セットで大命降下を受ける前例のない形になった。
  5. ^ 大日本帝国憲法上、政党員は軍部大臣に就任できないと解釈されている(伊藤之雄 & 2019上, p. 489)
  6. ^ この反省により、所謂「キャリア官僚」制度が誕生、官僚の人事は政党内閣でも容易に介入できないようになった(倉山満 & 自民党の正体, p. 59)。

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