大隈重信とは?

おおくましげのぶ おほくま- 【大隈重信】 ○

(1838~1922) 政治家佐賀藩士。幕末尊攘派として活躍維新後財政面で尽力1888年明治21),外相として条約改正にあたる。翌年玄洋社社員に襲われ,片足を失う。98年板垣退助とともに憲政党結成し,最初政党内閣組織1914年大正3),再び組閣第一次大戦への参戦決定東京専門学校(現,早稲田大学)の創立者。

大隈重信

作者童門冬二

収載図書日本復興者たち
出版社光人社
刊行年月2003.2

収載図書日本復興者たち
出版社講談社
刊行年月2006.1
シリーズ名講談社文庫


大隈重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/24 18:35 UTC 版)

大隈 重信(おおくま しげのぶ、天保9年2月16日1838年3月11日) - 大正11年(1922年1月10日)は、日本武士佐賀藩士)、政治家教育者位階勲等爵位従一位大勲位侯爵




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注釈

  1. ^ 事件直後、現場を通りかかった高木兼寛により最初の処置が行われ、その後に駆け付けたドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ佐藤進、伊東方成、岩佐純、池田謙斎らと高木による協議で右足の切断が決定された[1]。その右脚切断手術は佐藤やベルツにより行われ、その後の大隈は義足を着用した。この際に大隈が失った右脚は、アルコール漬けにされ大隈邸にて一時保管後、消費されるアルコール代が高額で手間がかかるため赤十字中央病院に寄付された。更にその後日本赤十字看護大学にて由来不明となったままでホルマリン漬けで保存(経年のため変色が認められるものの生きているかのようであったという)されていたが、1988年(昭和63年)由来判明後に早稲田大学で保管され、1999年(平成11年)に故郷である佐賀市の大隈家菩提寺の龍泰寺にて安置(保存のための樹脂加工済)されている。
  2. ^ 大隈は「留任の大命を受けた以上は自分の意志で進退を決めるわけにいかない。とやかく言うのはほとんど君主権を犯すもの」と当時述べた[5]
  3. ^ ただし、大隈が元老に加えられたとする文献がまれにあるほか、元老同様に次期首相について天皇の下問を受けたこともある[6]。また、死去するまで貴族院侯爵議員であった。
  4. ^ 「大隈が口舌の徒であるという評価は、明治・大正の人には常識だったようである。大隈は、しばしば、その演説を『我が輩は』で始めて、『あるんである』、時としては『あるんであるんである』で結んだ。ただの口癖と言えばそれまでであるが、少なくとも、言葉を節して、一言半句無駄なことを言うのを忌む人には、とうていできないことである」とある[8]

出典

  1. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)60頁
  2. ^ 幸運社 (2002, p. 249)
  3. ^ 有馬 (1999, pp. 111-113)
  4. ^ 和田清美『明宝寒水史』78-79頁
  5. ^ 岡 (2001, p. 109)
  6. ^ 百瀬 & 伊藤 (1990, pp. 13f)
  7. ^ 『官報』第1188号、大正5年7月17日。
  8. ^ 岡崎 (1987, p. 195)
  9. ^ 『大日本帝国憲法と日本国憲法』石渡隆之(主任公文書専門官)『北の丸』第14 号(昭和57 年1 月刊行)より (国立公文書館デジタルアーカイブ)
  10. ^ 織田 (1943)
  11. ^ a b 大隈をめぐる人々 早稲田大学公式サイトより
  12. ^ 木村 (2000, p. 113)
  13. ^ 知ってるつもり?!』「大隈重信」(日本テレビ放送網/1998年2月15日放送)
  14. ^ “伊藤博文、西園寺公望、大隈重信ら重鎮に協力求める…失敗すべてかぶる覚悟で”. 産経新聞. (2015年6月8日). http://www.sankei.com/west/news/150608/wst1506080002-n1.html 2016年1月15日閲覧。 
  15. ^ a b 特集・広がるネットワーク~国内協定校との学生交流~”. 早稲田大学. 2016年1月15日閲覧。
  16. ^ 成瀬仁蔵 その生涯 ─"永劫(とわ)"に生く”. 日本女子大学. 2016年1月15日閲覧。
  17. ^ 写真で見る日本女子大学の110年”. 日本女子大学. 2016年1月15日閲覧。
  18. ^ カトリック長崎大司教区 Home 教区の歴史 大浦天主堂の建立 信徒発見 浦上四番崩れ
  19. ^ “【ボースの遺骨を守ってもう一つの日印交流】(3)「日印協会」の変遷”. 産経新聞 (産経新聞社). (2008年9月28日) 
  20. ^ 木村 (2000, p. 237)
  21. ^ a b c d e f g h i j k l 大隈重信』 アジア歴史資料センター Ref.A06051165900 
  22. ^ 『官報』第1156号「叙任及辞令」1887年5月10日。
  23. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
  24. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  25. ^ 『官報』第4491号「叙任及辞令」1898年6月21日。
  26. ^ 『官報』第7077号「宮廷録事 - 恩恵」1907年2月4日。
  27. ^ 『官報』第8054号「叙任及辞令」1910年4月30日。
  28. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  29. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
  30. ^ 『官報』第2830号「叙任及辞令」大正11年1月11日。
  31. ^ 『官報』第1754号「叙任及辞令」1889年5月8日。
  32. ^ 『官報』第4166号「叙任及辞令」1897年5月25日。
  33. ^ a b 『官報』第4509号「叙任及辞令」1898年7月12日。
  34. ^ 『官報』第4528号「叙任及辞令」1898年8月3日。
  35. ^ a b 『官報』第4583号「叙任及辞令」1898年10月7日。
  36. ^ 『官報』第7992号「叙任及辞令」1910年2月16日。
  37. ^ 『官報』第1159号「叙任及辞令」1916年6月13日。
  38. ^ 『官報』第1034号「叙任及辞令」1916年1月15日。
  39. ^ 国民リーダー大隈重信, p. 97, - Google ブックス
  40. ^ 片岡 (2009, p. 97)
  41. ^ 大園 (2005, p. 178)
  42. ^ 大隈和英. “おおくま 和英”. facebook. 2015年1月11日閲覧。
  43. ^ a b c 平瀬礼太、「夫人像の建設巡り紛糾「大隈重信像」」(銅像はつらいよ十選 5)、日本経済新聞、2013年12月19日







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