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おおくま-しげのぶ おほくま― 【大隈重信】
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大隈重信
近代日本人の肖像 |
大隈重信 おおくま しげのぶ
佐賀生まれ。政治家。父は佐賀藩士。尊皇攘夷派志士として活躍。維新後、外国事務局判事などを経て、明治3年(1870)参議となる。6年(1873)大蔵省事務総裁、ついで大蔵卿に就任。征韓論争後、財政の責任者として大久保利通を補佐した。明治14年の政変で失脚。15年(1882)立憲改進党を組織、東京専門学校(早稲田大学の前身)を創立。第1次伊藤、黒田両内閣の外相として条約改正に関与。第2次松方内閣の外相兼農商務相。31年(1898)憲政党を組織、首相に就任した。40年(1907)政界を引退したが、のち復帰。大正3年(1914)再び首相となる。
| キーワード | 政治家, 首相 |
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映画監督・出演者情報 |
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大隈重信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/02 15:20 UTC 版)
大隈 重信(おおくま しげのぶ、天保9年2月16日(1838年3月11日) - 1922年(大正11年)1月10日)は、日本の武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。
政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農商務大臣(第13代)、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。早稲田大学の創設者であり、初代総長である。
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- ^ 幸運社 『意外と知らないもののはじまり』 PHP文庫、2002年、p.249。ISBN 4-569-57841-1。
- ^ 有馬学 『日本の近代4 「国際化」の中の帝国日本 1905-1924』 中央公論新社、1999年、111-113頁。
- ^ 岡崎久彦「陸奥宗光」上巻、PHP文庫、初出1987年、P195に「大隈が口舌の徒であるという評価は、明治・大正の人には常識だったようである。大隈は、しばしば、その演説を『我が輩は』で始めて、『あるんである』、時としては『あるんであるんである』で結んだ。ただの口癖と言えばそれまでであるが、少なくとも、言葉を節して、一言半句無駄なことを言うのを忌む人には、とうていできないことである」とある。
- ^ 織田萬 『法と人』 春秋社教養叢書、1943年
- ^ 木村時夫 『知られざる大隈重信』113頁
- ^ 『知ってるつもり?!』「大隈重信」(日本テレビ放送網/1998年2月15日放送)
- ^ カトリック長崎大司教区 Home 教区の歴史 大浦天主堂の建立 信徒発見 浦上四番崩れ
- ^ 木村時夫 『知られざる大隈重信』 集英社 2000年、237頁
- ^ 国民リーダー大隈重信 - Google ブックス
- ^ 大園隆二郎 『大隈重信』 西日本新聞社 2005年、178頁
固有名詞の分類
大隈重信に関連した本
- 円を創った男―小説・大隈重信 (文春文庫) 渡辺 房男 文藝春秋
- 大隈重信関係文書(7) せい―とく みすず書房
- 教科書が教えない歴史人物―福沢諭吉・大隈重信 (扶桑社文庫) 久保田 庸四郎 扶桑社
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