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日露戦争 (にちろせんそう)

1904年明治37年日本ロシアの間で起きた戦争で、主に中国大陸戦場となりました。日本は有利に戦いをすすめましたが、犠牲多く、人も物資戦争続けていくのには限界があったため、翌年アメリカルーズベルト大統領はたらきかけにより、両国の間に条約が結ばれて戦争終わりました。

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日露戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/30 04:40 UTC 版)

日露戦争(にちろせんそう、英語: Russo-Japanese Warロシア語: Русско-японская война ルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー1904年明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国ロシア帝国[4]との間で朝鮮半島満洲南部を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。


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  1. ^ 靖国神社資料、靖国神社戦争別合祀者数による。日本長期統計総覧によれば死没84,435人(帝国書院[1])、(戦死戦病死は「日清戦争ヨリ満州事変ニ至ル日本外交ノ経済的得失」[2]によれば55,655人
  2. ^ 日本長期統計総覧による帝国書院[3]
  3. ^ Samuel Dumas, Losses of Life Caused By War (1923)
  4. ^ ロシアと同盟を結んでいたモンテネグロ(当時はモンテネグロ公国)も日本に対し宣戦を布告したという説もある。いずれにせよ実際の戦闘には参加せず。
  5. ^ NHK高校日本史・日清戦争 〜中国観の変化〜
  6. ^ 横手慎二『日露戦争史――20世紀最初の大国間戦争』(中央公論新社[中公新書], 2005年)、John W. Steinberg・Bruce W. Menning・David Schimmelpenninck van der Oye・David Wolf・横手慎二共著“The Russo-Japanese War in Global Perspective (History of Warfare)”BRILL; illustrated edition edition (February 28, 2007)
  7. ^ 徳富蘇峰編述『公爵山縣有朋傳 下』541ページ(原本の漢字表記は旧字)
  8. ^ 徳富蘇峰編述『公爵山縣有朋傳 下』539-540ページ(原本の漢字表記は旧字)
  9. ^ この項目、「マーチャント・バンク」山本利久(新潟産業大学経済学部紀要 弟29号)[4]より起筆した。
  10. ^ 「財務省今昔物語7」寺井順一(財務総合政策研究所主任調査官)[5][6]
  11. ^ 帝国書院・資料統計・歴史統計・戦争別戦費[7]
  12. ^ 日露戦争ではしばしば高橋による外債工面が注目されるが、金本位制においては正金は交換の媒体にすぎず、海外からの物資調達は日本からの交易品輸出により支弁され正金はその融通のための仮の穴埋め(ヴェール)にすぎない。高橋の外貨調達がなければ決済資金不足により海外との交易が途絶する可能性があったためロンドン金融街とシフらによる与信供与の重要さは特筆されるものであるが、彼らが日本人の為に費用を負担してくれたのかと言えばそうではなく、日本人を信用して資金を用立ててくれたという事である。最終的な戦費は(外債用の支払い利息を含め)すべて日本政府(すなわち日本人)が負担した。ポーツマス条約戦争賠償金が期待できないことが明らかになるとロンドンにおける日本国外債の評価は一時混乱した。
  13. ^ 戸高一成『海戦からみた日露戦争』2010年 角川書店(角川oneテーマ21新書)
  14. ^ 日本軍による戦闘行為は国交断絶後に開始されており当時は国際法上合法とされた。
  15. ^ 鎌田芳朗『海軍兵学校物語』「江田島移転のころ」(原書房)、アジア歴史資料センター「????三隻の被補者員数取調の件」(Ref:C04014276700 )
  16. ^ 北海道新聞「サハリンの日本兵慰霊碑再建を 苫小牧の梅木さん訴え」2008年10月14日
  17. ^ 捕虜も参照。
  18. ^ この内、東部シベリア狙撃第13連隊に所属していた「イグナティアン・ドレヴイチャセウイチ」の墓が熊本市のフランシスコ修道院の近くに現存する(熊本市教育委員会『島崎 -歴史と文化財-』1988年)。
  19. ^ 従来は、島国である日本本土の防衛を重視して海軍の充実が主唱されてきたが、アジア大陸最東部の満洲・韓国を支配圏に置いた以上は、日本も大陸国家としての備え(即ち強力な陸軍)が必要であるとする主張のこと。
  20. ^ 曹樹基著『中国人口史 第5巻』復旦大学出版社、2001年5月、704ページより。やや時間のとっているスパンが長いが、同時期の人口の急激な増加がうかがえる。
  21. ^ セルビア・モンテネグロから現モンテネグロが独立した際の、朝日新聞2006年6月5日付報道記事より。ただしその記事によると「宣戦布告に関する文書は見つからず、口頭だけのものであって、国家としての正式なものではなかったとの結論になった」とのこと。
  22. ^ “一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問主意書”. http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164069.htm 2011年3月19日閲覧。 
  23. ^ “衆議院議員鈴木宗男君提出一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問に対する答弁書”. http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164069.htm 2011年3月19日閲覧。 
  24. ^ 日英同盟の主旨のひとつは、日本とロシアが戦争に突入した際に、フランスなどロシアの友好国が参戦するのを牽制する事である。イギリスが簡単に参戦してしまっては、逆にロシアの友好国が参戦する呼び水になってしまう。
  25. ^ ネルー『父が子に語る世界史』
  26. ^ たとえばカナダサスカチュワン州のウクライナ系移民は自分達の町にミカドと名付けている。


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