志賀義雄とは? わかりやすく解説

志賀義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 13:52 UTC 版)

志賀 義雄(しが よしお、1901年明治34年)1月12日 - 1989年平成元年)3月6日)は日本政治家共産主義運動の活動家。衆議院議員日本共産党中央委員、「日本共産党(日本のこえ)」委員長などを務めた。ソ連共産党から資金援助を受けていた[1]


注釈

  1. ^ 中学生のときに1918年米騒動を経験している[3]
  2. ^ ただし、志賀は福本イズムからは事実上離反した[3]
  3. ^ 1月12日に徳田が主導する日本共産党政治局が出した、論文『“日本の情勢について”に関する所感』のこと。
  4. ^ 所感派はモスクワからの支持と引き換えに武装闘争路線へ転換し、日本共産党は五全協で51年綱領を採択した。
  5. ^ この賛成投票から除名に至る時期、当時は朝日新聞の政治部記者だった石川真澄は志賀の自宅をたびたび訪れ、この投票行動についての見解や従来の活動に関する回顧を聞くとともに、「明らかにロシア人と思われる」と石川自身が感じた欧州系の人物の姿を目にした。この模様は志賀の死後に出版された『人物戦後政治――私の出会った政治家たち』(岩波書店1997年岩波現代文庫2009年)の中で叙述されている。

出典

  1. ^ アンドレイ・イーレシュ『KGB極秘文書は語る』
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 兵本 2008, pp. 44–45.
  3. ^ a b c d e f g "志賀義雄". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年2月5日閲覧
  4. ^ a b のページ赤馬通信(5)市川正一碑前祭参加のことなど”. 下山房雄のページ. 下山房雄 (2002年4月). 2022年2月5日閲覧。
  5. ^ 徳田・志賀ら十六人釈放、予防拘禁所(昭和20年10月7日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p317
  6. ^ 松村史紀「強制と自主独立の間 −日本共産党「軍事方針」をめぐる国際環境(1949 〜55)−(2)」『紀要論文』第48号、宇都宮大学国際学部、2019年9月1日、103-124頁、ISSN 1342-0364 
  7. ^ 昭和毎日:共産党中央委員を公職追放 - 毎日jp(毎日新聞) - ウェイバックマシン(2009年5月1日アーカイブ分)
  8. ^ a b 「日共本部へ返り咲き 非合法活動に暗躍 国際派の幹部志賀義雄」『日東新聞』1954年8月2日。 
  9. ^ a b c 警備研究会 編『わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集』(5訂)立花書房、2017年、31頁。ISBN 978-4-8037-1541-5OCLC 971478360 
  10. ^ しんぶん赤旗』嶋田昇 2007年1月4日(木)「しんぶん赤旗」 崩れ出した「解同」タブー
  11. ^ 渡辺為三『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  12. ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社, 1982 p100
  13. ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社, 1982 p220
  14. ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社, 1982 p362
  15. ^ 『戦後期左翼人士群像』増山太助、つげ書房新社、2000、p267-271
  16. ^ Wi-Fiスポット”. 萩市観光協会公式サイト. 山口県萩市. 2022年2月5日閲覧。


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