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大日本帝国陸軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/16 14:21 UTC 版)
(日本陸軍 から転送)
| 大日本帝国陸軍 | |
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| 官衙 | |
| 陸軍省 参謀本部 教育総監部 航空総監部 外局等一覧 |
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| 主要部隊 | |
| 総軍 方面軍一覧 軍一覧 師団一覧 連隊等一覧 飛行戦隊一覧 |
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| 主要機関 | |
| 特務機関 機関一覧 学校一覧 軍管区一覧 |
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| 歴史・伝統 | |
| 日本陸軍の歴史 日本陸軍の軍服 |
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| その他 | |
| 階級一覧 兵科・兵種・各部一覧 兵器一覧 通称号 |
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大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年)から1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在した陸軍である。
目次 |
名称
通称・呼称は日本陸軍(にっぽんりくぐん、にほんりくぐん)・帝国陸軍(ていこくりくぐん)・陸軍(りくぐん)など。第二次世界大戦後の解体以降は「旧」を冠して旧日本陸軍・旧帝国陸軍・旧陸軍とも称される。
大日本帝国陸軍の名称は、国外からの呼称もしくは対外的な連絡文書、公文書等の一部に明治10年代から用いられた。例として、1918年(大正7年)に当時の陸軍大臣大島健一がイギリス国王ジョージ5世に充てた祝電「英国皇帝陛下ヘ陸軍大臣ヨリ祝電(一月二十五日午後一時三十分発電)」では、日本陸軍・帝国陸軍・大日本帝国陸軍の各名称が使用されている[1]。
英称はImperial Japanese Army、Japanese Armyなど。このうち「大日本帝国陸軍(日本帝国陸軍)」に相当するImperial Japanese Armyの名称・呼称は、1913年(大正2年)にイギリス陸軍省が駐日イギリス大使経由で外務大臣牧野伸顕に充てた、日本の新型カービン・四四式騎銃1挺の寄贈を依頼する英文などで使用されている[2]。
概要
大日本帝国憲法制定前はその位置づけが未だ充分ではない点もあったが、憲法制定後は軍事大権については憲法上内閣から独立し、直接天皇の統帥権に属するものとされた。したがって、陸海軍(日本軍)の最高指揮官は大元帥たる天皇ただ一人であり、帝国陸軍については陸軍大臣(大臣)・参謀総長(総長)・教育総監(総監)が天皇を除く最高位にあり(直隷)、これらは陸軍三長官と呼称された。なお、三長官には陸軍大将ないし陸軍中将が任命されるため、役職自体は帝国陸軍の最高位といえど階級自体は必ずしも最高位の者がなるものではなく、特に歴代の陸軍大臣と教育総監には少なくない陸軍中将が補職されている。
この三長官の補佐機関として、「省部」や「中央」と総称する陸軍省・参謀本部・教育総監部の3つの官衙(役所)が設けられており、陸軍大臣(陸軍省)が軍政・人事を、参謀総長(参謀本部)が軍令・作戦・動員を、教育総監(教育総監部)が教育をそれぞれ掌っていた。また、三機関の序列第2位の次席相当職として陸軍次官(次官、陸軍省)・参謀次長(次長、参謀本部)・教育総幹部本部長(本部長、教育総幹部)がある。
1938年(昭和13年)12月、航空戦力の拡張・独立および統率柔軟化のため陸軍航空総監部が新設。航空総監(総監)を長とし、主に航空関連学校など陸空軍の教育を掌った[3]。第二次大戦末期には航空関連学校(一部補充学校を除く)ともども軍隊化され航空総監部は廃止、航空総軍に改編された。
参謀本部は戦時・事変時に陸海軍の最高統帥機関(最高司令部に相当)として設置される大本営において大本営陸軍部となり、大元帥の名において発する大本営陸軍部命令(大陸令・大陸命)を作成する存在であるが、これをもって参謀総長がいわゆる陸軍最高指揮官(陸軍最高司令官・陸軍総司令官)となるわけではない。なお、教育総監(教育総監部)は帝国陸軍の教育を掌握する建前であるが、憲兵・経理・衛生・法務や機甲・航空、参謀・諜報といった特定職務に関係する学校等は、それぞれ陸軍省・参謀本部・航空総監部やその外局の管轄である。
意匠
軍旗
詳細は「軍旗#大日本帝国陸軍」および「旭日旗」を参照
帝国陸軍の前身である御親兵が発足するよりも前の1870年(明治3年)5月、新生帝国陸軍のシンボルとして十六条旭日旗を意匠とした陸軍御国旗を採用し、更に1879年(明治12年)に改めて陸軍御国旗の仕様を一部改正した旭日旗が軍旗として制定されている。
この軍旗は連隊旗として歩兵連隊と騎兵連隊のみに対し大元帥(天皇)から親授されるものであったが、旭日旗の意匠は「帝国陸軍の象徴」として軍民問わず広く認知・使用されていた。また、旭日の意匠を用いたいわゆる「旭日旗」を日本において初めて考案・採用したのは帝国陸軍である。
陸軍省制定行進曲
観兵式分列行進曲
詳細は「陸軍分列行進曲」を参照
1886年(明治19年)、シャルル・ルルーが兵部省の委託により作曲した行進曲。自身が作曲した軍歌『抜刀隊』と『扶桑歌』の2つの曲を基に『観兵式分列行進曲"扶桑歌"』として制作された。初演は陸軍教導団軍楽隊演奏にて鹿鳴館で行われた。本曲は1902年(明治35年)の第2回目の改定を経て現在の形となり、翌1903年(明治36年)に兵部省を改編・発足した陸軍省の制式行進曲に制定される(ルルー自身は1889年(明治22年)に帰国しており改定を知らなかったとも)。主に観兵式における分列式で奏楽された。また、各レーベルにおいてレコード化され、国民学校芸能科音楽の課題曲にもなっていた。"分列行進曲"や"陸軍分列行進曲"という名称でも知られるが、"陸軍~"の名称については、戦前から呼ばれていたという資料がない。警察庁が"扶桑歌"という名称で行進曲に制定している。英訳:Army Defile March "Fusouka"
観兵式行進曲
作曲者・作曲年不明。自動車化歩兵部隊・機甲部隊・機械化砲兵部隊・輓馬砲兵部隊・飛行部隊等の分列行進・分列飛行の際に奏楽された行進曲。
乗馬部隊行進曲
作曲者・作曲年不明。騎兵部隊の分列行進の際に奏楽された。ギャロップ(襲歩)式の行進曲。
帽章
帝国陸軍の建軍初期は旭日章を意匠としたものを「日章」と称し帽章に使用していたが、のちに一般師団(一般将兵)に属する者および陸軍軍属は「五芒星(五光星)」を意匠とした「星章」を、「近衛」の称呼を冠する近衛師団に属する部隊に属する者は「星章」の周囲を「桜葉」で覆ったものを帽章として使用した。しかしながら、旭日章を帽章とする「第一種帽」は将校准士官が正装時に着用する「正帽」として、また儀丈部隊でもある近衛騎兵連隊に属する下士官兵は騎兵将校准士官正衣(正帽)に準じる「供奉服」を、ともに第二次大戦期まで存続・使用している。
軍装
詳細は「軍服 (大日本帝国陸軍)」および「軍刀」を参照
- ^ 陸軍次官山田隆一 『英国皇帝陛下ニ付祝電並御答電ノ件』1918年2月26日、アジア歴史資料センター(JACAR)、Ref.C02030531300
- ^ 外務大臣牧野伸顕『15.英国ニヨリ四十四年式騎兵銃寄贈ノ件』1913年8月29日、アジア歴史資料センター、Ref.B07090270800
- ^ 航空総監以下、幹部は1910年代から存在する陸軍航空本部幹部を兼ねる。
- ^ 陸軍憲兵上等兵に関しては、警察官巡査との均衡から判任官待遇を受けている。
- ^ 卒業時に上等兵となる。
- ^ 1940年に新設された兵長のみ昭和15年制式。
- ^ 在学徴集猶予の制度、1943年に大学院特別研究生と理工系および教員養成学校在学者の入営延期に改められ文科系学生には猶予が撤廃された。
- ^ のちの方面軍は編成されておらず、総軍が軍を直接隷属した。
- ^ アメリカ陸軍省編 外間正四郎訳『沖縄 ― 日米最後の戦闘』光人社、2006年(新装版)
- 1 大日本帝国陸軍の概要
- 2 兵器
- 3 軍閥・軍国主義思想
- 4 参考文献
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