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たいへいよう-せんそう ―やう―さう 【太平洋戦争】
航空軍事用語辞典++ |
【太平洋戦争】
東南アジア・西太平洋における、枢軸国側の日本と連合国側のアメリカ・イギリス・オランダなどとの戦争。
1941年、石油禁輸など度重なるアメリカの経済封鎖に耐えかねた日本が、安全保障上の必要に迫られて1941年12月8日(アメリカでは7日)、ハワイオアフ島の真珠湾を奇襲攻撃(真珠湾攻撃)し、開戦に踏み切った。
日本は開戦当初に次々と連合国の部隊を壊滅させ、また欧米諸国に支配されていた東南アジア植民地の独立運動を加速させて味方につけたため、一方的な勝利を収め続けた。 1942年には、ビルマ、ニューギニア、ウェーキ島まで戦線は拡大していた。
しかし、1943年ごろからアメリカが体勢を立て直し新型兵器を相次いで投入し始めると状況は一変し、日本の戦線は次第に縮小。 1944年にサイパン、グアムが奪われると、日本本土がB-29爆撃機の攻撃圏内に入り、日本本土の軍需施設や住宅地に対して度重なる爆撃が加えられた。
1945年には硫黄島・沖縄が陥落して本土爆撃が激化し都市部は焦土化、原子爆弾も投下使用され、さらにソビエトが対日宣戦布告したため、日本は1945年8月14日にポツダム宣言を受託して連合軍に対して無条件降伏し、翌15日に天皇陛下直々にラジオで国民に降伏を表明し、終戦となった。
初めて航空母艦が海軍の主力となった戦争であり、真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と殆ど艦船同士が撃ち合うことのない、航空機を主力とした戦いが続き、それまでの戦艦を中心とした大艦巨砲主義を過去の物とし、空母機動部隊と航空機を中心とした航空主兵主義へと移行した。
太平洋戦争という呼称は the Pacific War を日本語に訳したものであり、戦時中日本では大東亜戦争と呼称されていた。だが戦後GHQがその呼称を禁止し、太平洋戦争の呼称のみを使用させたため、今日では太平洋戦争のほうが一般的である。
現在においてわが国や他国でも太平洋戦争は日本軍の侵略的行為であるとの見方は決して少なくは無い。しかし戦後、西洋の植民地であった多くのアジア諸国が独立したのは日本軍による「解放」であると、日本に感謝する国が多いことも事実である。
関連:第二次世界大戦 日華事変
防府歴史用語辞典 |
太平洋戦争 (たいへいようせんそう)
ウィキペディア |
太平洋戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/05 10:13 UTC 版)
| 太平洋戦争 | |
|---|---|
真珠湾攻撃で炎上中の米戦艦ウェストバージニア |
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| 戦争:第二次世界大戦 | |
| 年月日:1941年12月8日(日本時間) – 1945年9月2日(または8月15日)[1] | |
| 場所:太平洋、アリューシャン諸島、東北アジア、東南アジア、インドシナ、インド洋、オセアニア | |
| 結果:連合国の勝利。日本のポツダム宣言受諾 | |
| 交戦勢力 | |
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| 指揮官 | |
| 損害 | |
| 軍人1,740,955
民間人 393,000 |
アメリカ合衆国 354,523
イギリス 86,838 その他 300,000 |
太平洋戦争(たいへいようせんそう、英: Pacific War、中: 太平洋战争)は、第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国(日本)など枢軸国と、連合国(主にアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダなど)との戦争である。
太平洋から東南アジアまでを舞台に日米両軍を中心とした戦闘が行われたほか、開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告したことにより、1937年以来中国大陸で続いていた日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。
なお当時日本政府は大東亜戦争と呼称していたが、敗戦後連合国に使用を禁じられた。この名称についての詳細は「大東亜戦争」を参照のこと。
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