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まんしゅう-じへん まんしう― 【満州事変】

1931年昭和6)9月18日奉天(現在の瀋陽郊外柳条湖満鉄線路爆破事件契機として始まった日本軍中国東北への侵略戦争若槻内閣不拡大方針をとったが、関東軍東北三省占領翌年、「満州国」を樹立し、以後15年に及ぶ日中戦争発端となった。


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満州事変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/09 02:04 UTC 版)

満州事変(まんしゅうじへん、旧字体:滿洲事變、Manchurian Incident)は、1931年昭和6年、民国20年)9月18日中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍)が南満州鉄道の線路を爆破した事件[1]柳条湖事件、ソ連軍犯行説もある[要出典])に端を発し、関東軍による満州(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日塘沽協定成立に至る、大日本帝国中華民国との間の武力紛争事変)である。中国側の呼称は九一八事変[2]

関東軍はわずか5ヶ月の間に満州全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。

この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化した。満洲国の建国により中国市場に関心を持つアメリカら他の列強との対立も深刻化した。いわゆる、十五年戦争(中国での名称は、十四年抗日戦争)の発端は満州事変を基点としている。


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  1. ^ 石原莞爾板垣征四郎も否定しており、東京裁判田中隆吉の証言と、当時関与していなかったはずの花谷正の手記という形の原稿「満州事変はこうして計画された」(別冊『知性』昭和31年12月号)はあるが、満州事変における南満州鉄道の日本爆破説の真偽を確証できる資料はまだない(中西輝政北村稔『歴史通』2011年3月号『さきに「平和」を破ったのは誰か』)
  2. ^ 現在柳条湖の事件現場には九・一八歴史博物館が建てられている。この博物館には事件の首謀者としてただ2人、板垣と石原のレリーフが掲示されている
  3. ^ APAグループ特別対談 1928年の張作霖の爆殺事件はソ連の特務機関の犯行だおよび2006年2月28日‎産経新聞におけるプロホロフ紹介の肩書き(歴史作家)より
  4. ^マオ 誰も知らなかった毛沢東』によってコミンテルンが関与していると世界25ヶ国で紹介された。
  5. ^ 2010年現在のところ、この説が歴史学の専門誌である『史学雑誌』『歴史学研究』では採り上げられたことはない。
  6. ^ a b c d e f g 山口重次『消えた帝国 満州』
  7. ^ a b c d e f g h i j k 川田稔『満州事変と政党政治』
  8. ^ 宮脇淳子『歴史通』2010年3月号『中国人に「侵略」だと言われたら」
  9. ^ 歯科医の小沢開作は青年連盟長春支部を動員して、付属地の日本人に訴えるとともに、日本警察官の派遣を要請した(山口重次『消えた帝国 満州』)
  10. ^ 同人会ともいう。会員は、(14期)小川恒三郎、(15期)河本大作山岡重厚、(16期)永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、小笠原数夫、磯谷廉介板垣征四郎土肥原賢二、黒木親慶、小野弘毅、(17期)東条英機渡久雄、工藤義雄、松村正員、飯田貞固、(18期)山下奉文岡部直三郎、中野直三
  11. ^ 無名会ともいう。会員は、永田鉄山、岡村寧次、東条英機、関亀治、石原莞爾、坂西一良、鈴木貞一、横山勇根本博鈴木宗作村上啓作、澄田賚四郎、深山亀三郎土橋勇逸本郷義夫、高島辰彦、石井正美、山岡道武
  12. ^ 大砲の射撃の照準を指導した後藤亨の話によると、6発撃ったら、味方から敵が逃げ出したので撃つのをやめてくれと電話があったという。石原大佐は満州事変の功労重砲だったと述べている(山口重次『消えた帝国 満州』)。
  13. ^ a b c 川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』
  14. ^ 筒井清忠『昭和期日本の構造』
  15. ^ 7人の課長のうち、永田、岡村、渡、東条、磯谷の5人が一夕会の会員であり、重藤は桜会の会員で、今村は永田の意向で8月の人事異動で作戦課長に就任した
  16. ^ a b 岡崎久彦「百年の遺産-日本近代外交史(41)」”. 産経新聞. 岡崎久彦 (2002年5月20日). 2011年...閲覧。
  17. ^ 関東軍は、9月18日、事件直後、奉天総領事館やマスコミに発生地点名を意図的に柳条溝として流し、満鉄の記録でも9月19日から柳条湖を柳条溝に訂正した。しかし、本来の地名は柳条湖であり、しかも独立守備隊の「柳条湖分遣隊」の存在もあったので、関東軍内でもすぐに柳条湖に改め、1935年の参謀本部編『満洲事変史』では柳条湖とする。ただ軍部でも柳条溝がかなり使われていた。満州国では1936年以降新聞でも柳条湖に修正したが、日本国内ではマスコミの柳条湖への修正は1940年以降になり、やがて敗戦のためにこの修正の事実が忘れられた。戦後、1967年と1970年に基本資料に基づいて柳条湖であることを明言した島田俊彦の研究が、学会主流に無視され、その後、1981年に出た中国の研究に始まるとする説が流布したが、この説は創られた神話に過ぎない。事件名としては「柳条湖(溝)事件」とすべきもの。山田勝芳「満洲事変発生地名の再検討――『柳條溝』から『柳條湖』へ」(PDFでWeb公開)参照。
  18. ^ 石原はヨーロッパ戦争史の研究と日蓮宗の教義解釈から特異な世界最終戦論を構想、日米決戦を前提として満蒙の領有を計画した。
  19. ^ 戦後、現代史家の秦郁彦(元日本大学法学部教授)が花谷中将など関係者のヒアリングを実施し、柳条湖事件の全容を明らかにしたものである。花谷中将の証言は秦が整理し、後に花谷正の名で月刊誌『知性別冊 秘められた昭和史』(河出書房)で発表し大反響が出た。後に、秦が事件に係わった他の軍人の聴取内容からも花谷証言の正確性は確認されている。(詳細は秦郁彦『昭和史の謎を追う』上(文春文庫)参考。)
  20. ^ a b 『現代史資料7 満州事変』みすず書房
  21. ^ 借款による日本の利権鉄道である吉林・長春線の沿線にあり、出兵権上は一種のグレーゾーンと考えられていた(小林道彦『政党内閣の崩壊と満州事変』)
  22. ^ 「昭和6年9月18日夜生起セル事件ヲ事変ト看做ス」(昭和6年9月21日閣議決定)、国立国会図書館。
  23. ^ 朝鮮軍司令官・林銑十郎の行動を昭和天皇は嘉し(実際には軍隊の移動は天皇の専権事項であり、越権は死刑もあり得る重罪である)、西園寺公望の処罰進言を退けたばかりか、後に総理大臣に任命する。
  24. ^ 内務省警保局「出版警察概観」1931年度分、107頁
  25. ^ 横島公司「昭和初期における新聞報道の一側面――満州某重大事件と検閲問題――」「地域と経済」3号、札幌大学
  26. ^ 坂野潤治はスティムソンによる情報漏洩がなければ当面の戦線拡大は抑えられていたと見ている。坂野潤治・田原総一朗『大日本帝国の民主主義』小学館,2006年,101-109頁
  27. ^ 後に満州国立法院院長となる趙欣伯は、12月中旬に奉天で「東北人民はまた張学良と彼一党を怨むけれど、ただ日本の軍隊を怨まぬのみならず、日本軍隊が張学良とその他の軍隊を殲滅して、大悪人の手から東北人民を救い出してくれたことに対して、深く感謝しているしだいであります」と演説した(文藝春秋昭和7年3月号、大川周明『満州新国家の建設』)。
  28. ^ a b 谷田勇『実録・日本陸軍の派閥抗争』
  29. ^ 当時の首相には閣僚の罷免権はなく、閣議は全員一致を原則としており、閣内不一致は政策決定不可能になり、総辞職するほかなかった


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