満州国とは?

満州国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/14 14:03 UTC 版)

満州国(まんしゅうこく、旧字体: 滿洲國拼音: Mǎnzhōu Guó)は、1932年大同元年)から1945年康徳12年)の間、満洲(現在の中国東北部)に存在した。帝政移行後は「大満洲帝国(大滿洲帝國)」あるいは「満洲帝国(滿洲帝國)」などと呼ばれていた。




満州国
滿洲國
中華民国の歴史
東北最高行政委員会
1932年 - 1945年 ソビエト連邦
ソ連占領下の満州
満州国の国旗 満州国の国章
国旗 国章
国の標語: 五族協和の王道楽土
国歌: 満洲国国歌[1]
満州国の位置
公用語 満語[2]モンゴル語日本語ロシア語
首都 長春[3](1932年3月1日 - 1932年3月14日)
新京[4](1932年3月14日 - 1945年8月9日)
通化(1945年8月9日 - 1945年8月18日)
満洲国執政(1932年 - 1934年)
満洲国皇帝(1934年 - 1945年)
1932年 - 1934年 愛新覚羅溥儀
1934年 - 1945年 康徳帝
国務院総理(1932年 - 1934年)
国務総理大臣(1934年 - 1945年)
1932年 - 1935年 鄭孝胥
1935年 - 1945年 張景恵
面積
1,133,437km²
1933年 1,191,000km²
人口
1933年 33,697,920人
1937年 36,933,206人
1942年10月1日[5] 44,242,000人
変遷
建国宣言 1932年3月1日
皇帝即位・帝制実施 1934年3月1日
皇帝退位宣言 1945年8月18日
通貨 [6]
時間帯 UTC +9[7]
  1. ^ 1942年から1945年まで。それ以前は同名の別の曲だった。詳細は満州国の国歌を参照。
  2. ^ 北京官話のことで満州語とは異なる。
  3. ^ 正式には1932年3月10日の国務院佈告第1号で国都と定められた。
  4. ^ 1932年3月14日の国務院佈告第2号により長春から改称。
  5. ^ 満洲帝国治安部警務司『康徳八年十月一日 満洲帝国現住人口統計』による。
  6. ^ 1圓=10=100=1000
  7. ^ 1937年以降。1936年まではUTC+8。
  1. ^ 満洲国指導方針要綱」、昭和8年8月8日閣議決定
  2. ^ a b 日ソ中立条約,声明書”. 日本外交主要文書・年表 (1), 52ページ. 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 (1941年4月13日). 2011年4月5日閲覧。
    「大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ千九百四十一年四月十三日大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス」
  3. ^ 姜念東・解学詩ほか『偽満洲国史』(吉林人民出版社、1980年)など
  4. ^ 満洲国については、「日本ないし関東軍の傀儡国家と規定するものも少なくない」(山室信一『キメラ-満洲国の肖像-』中公新書1138、1993年、p.6、1993年吉野作造賞受賞)
  5. ^ 「傀儡国家であった満州国」(加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』岩波新書1046、2007年、pi)[要ページ番号]、「満州事変ののち、関東軍によってつくられた傀儡国家である」(並木頼寿 2008, p. 70)
  6. ^ なおこの点については学術的に議論があり、また現代における国際政治的焦点でもある。詳しくは中国朝鮮関係史及び東北工程を参照
  7. ^ 小林秀夫「〈満州〉の歴史」講談社現代新書
  8. ^ 荒武達朗「1870-90年代北満州における辺境貿易と漢民族の移住」アジア経済2005.8、P.2,PDF-P.1[1]
  9. ^ Chen Nai-Ruenn1970"Labor Absorption in a Newly Settled Agricultural Region:The Case of Manchuria"Economic Essays(国立台湾大学経済学研究所経済論文叢刊)、直接の引用は荒武2005.8
  10. ^ 荒武達朗「1870-90年代北満州における辺境貿易と漢民族の移住」アジア経済2005.8、P.2,PDF-P.1
  11. ^ ヴェンセスラウ・デ・モラエス『日本通信』 京都外国語大学付属図書館
  12. ^ モーゲンソー日記によれば、ルーズベルト大統領は「結局、イタリアと日本が宣戦布告せず交戦する技術を進化させてきたとすれば、なぜ我々は同様の技術を開発できないのか」と語ったとされる。「経済封鎖からみた太平洋戦争開戦の経緯」高橋文雄(戦史研究年報2011.3)[2][3] PDF-P.12
  13. ^ 当初は「啓運」を予定していたが、関東軍の干渉によって変更
  14. ^ リットン報告書9章「問題の複雑性」
  15. ^ 紛爭解決ニ至ラサルトキハ聯盟理事會ハ全會一致又ハ過半數ノ表決ニ基キ當該紛爭ノ事實ヲ述へ公正且適當ト認ムル勸告ヲ載セタル報告書ヲ作成シ之ヲ公表スヘシ
  16. ^ 聯盟理事會ノ報告書カ【紛爭當事國ノ代表者ヲ除キ】他ノ聯盟理事會員全部ノ同意ヲ得タルモノナルトキハ聯盟國ハ該報告書ノ勸告ニ應スル紛爭當事國ニ對シ戰爭ニ訴ヘサルヘキコトヲ約ス(報告書が当事国を除く理事会全部の同意を得たときは連盟国はその勧告に応じた紛争当事国に対しては戦争に訴えない)
  17. ^ a b 森島守人 1984, p. 86.
  18. ^ ヤルタ協定』 米国国務省、1945年2月11日
  19. ^ 塚瀬進 1998, p. 147.
  20. ^ 児島襄 1983, 3巻、p283-292.
  21. ^ 楊海英 『墓標なき草原 : 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』 岩波書店、2009年ISBN 9784000247719
  22. ^ モンゴル自由連盟党とは? モンゴル自由連盟党
  23. ^ 満洲国国務院統計処『大同元年末 現住戸口統計』、1933年(大同2年)
  24. ^ 満洲帝国治安部警務司『康徳八年十月一日 満洲帝国現住人口統計』、1943年(康徳10年)
  25. ^ a b 森島守人 1984, p. 83.
  26. ^ a b c d 国務院総務庁統計処・国務院治安部警務司『満洲帝国現住人口統計(職業別編)』、1942年(康徳9年)
  27. ^ 住民台帳を利用して人口を算出したもの
  28. ^ 調査票を集計して人口を算出したもの
  29. ^ 『満洲帝国現住人口統計(職業別編)』凡例、1942年(康徳9年)
  30. ^ 「満州国小学校教員募集ニ関スル件」1938年1月14日秋田県学務部長通牒。「師範学校「特別学級」について」逸見勝亮(北海道大学教育学部紀要1978.11)[4][5]PDF-P.3
  31. ^ 朝鮮人移住対策ノ件』 アジア歴史資料センター Ref.A03023591400 (1934年10月30日)
  32. ^ 権逸
  33. ^ 「(関東憲兵隊は)民族共和どころか民族間の反目、離間をはかることを統治手段とみていたことがうかがえる」(山室信一『キメラ—満洲国の肖像』中公新書1138、1993年、p.282)、菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』(講談社、2005年、p.313)、宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』(PHP新書387、2006年、p.220)。
  34. ^ 『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』ハインツ・E・マウル 芙蓉書房出版 P.54
  35. ^ 『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』ハインツ・E・マウル 芙蓉書房出版 P.55
  36. ^ 当時の独裁者マルティネス個人の意向によるところが大きい
  37. ^ JCA-NET
  38. ^ 塚瀬進 1998, p. 155.
  39. ^ 今尾恵介「失われた地名を手がかりに東京町歩き」 特集・東京の地名 町それぞれの物語 『東京人』(都市出版株式会社)第20巻第5号、平成17年5月3日発行
  40. ^ たとえば満洲国領内には奉天・ハルピンにはアメリカとイギリスの総領事館、ハルピンにはソ連とポーランドの総領事館など13の未承認国の総領事館が設置されていた。
  41. ^ 「「満洲国」の対ヨーロッパ外交(二)」森田光博(成城法学第76、2007年)[6]
  42. ^ 塚瀬進 1998, p. 154.
  43. ^ バチカンの福音宣教省が派遣する教皇使節はバチカンとの外交関係がない国々にも派遣される派遣される例がある(上野景文、『バチカンの聖と俗』、かまくら春秋社、2011、pp91-92)
  44. ^ 『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』 文藝春秋 1991年
  45. ^ 中国語では「紀念」と表記するが、「建国一周年記念」切手は日本語の「記念」表記となっている
  46. ^ 満州写真館[7][要高次出典]
  47. ^ 満州国の放送とラジオ
  48. ^ 満州文化物語(2)
  49. ^ 山下幸生『花も嵐も わが一代記』(文芸社)117ページ。
  50. ^ 満州国の国技は“蹴球”-読売新聞記事より、蹴球本日誌
  51. ^ 入江克己「近代日本における植民地体育政策の研究(第2報)」(『鳥取大学教育学部研究報告. 教育科学』No.36、1994年 P86~87)(1) _69 (1).pdf。本内容は『満洲建国十年史』からの引用。
  52. ^ 高嶋航「「満洲国」の誕生と極東スポーツ界の再編」、『京都大學文學部研究紀要』第47号、京都大學大學院文學研究科、2008年3月、 131-181頁、 NAID 40018917923
  53. ^ 劉らの動きに関わりなく満洲国側は大日本体育協会の支援を受けて参加に向けた活動を続けたものの、最終的に断念した。断念理由について、上記高嶋論文には二つの説が挙げられている。
  54. ^ 18.東京高等師範学校教授末松直次満州視察 昭和十一年十二月』 アジア歴史資料センター Ref.B05015686200 
  55. ^ 千田萬三『満洲事典』満鉄社員会、1939年(昭和14年)
  56. ^ 「建国後三年間の堅実な歩み 満洲国の重要記録」、『満洲日報』1935年(昭和10年)3月1日付







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