満州国とは?

満州国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/20 17:05 UTC 版)

満州国(まんしゅうこく、旧字体: 滿洲國拼音: Mǎnzhōu Guó)は、1932年大同元年[8])から1945年康徳12年)の間、満洲(現在の中国東北部)に存在した。日本では当用漢字字体表[9]に従い満洲国と表記されるが、「洲」が当用漢字表[10]に含まれていないため、教育用図書では同音の漢字による書きかえに基づき「満州国」と表記する。




  1. ^ 1942年から1945年まで。それ以前は同名の別の曲だった。詳細は満州国の国歌を参照。
  2. ^ 北京官話のことで満州語とは異なる。
  3. ^ 正式には1932年3月10日の国務院佈告第1号で国都と定められた。
  4. ^ 1932年3月14日の国務院佈告第2号により長春から改称。
  5. ^ 満洲帝国治安部警務司『康徳八年十月一日 満洲帝国現住人口統計』による。
  6. ^ 1圓=10=100=1000
  7. ^ 1937年以降。1936年まではUTC+8。
  8. ^ 元号は、 大同1932年3月1日 - 1934年3月1日)、康徳1934年3月1日 - 1945年8月18日
  9. ^ 1949年4月28日内閣告示
  10. ^ 1946年11月16日内閣告示
  11. ^ 満洲国指導方針要綱」、昭和8年8月8日閣議決定
  12. ^ a b 日ソ中立条約,声明書”. 日本外交主要文書・年表 (1), 52ページ. 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 (1941年4月13日). 2011年4月5日閲覧。
    「大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ千九百四十一年四月十三日大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス」
  13. ^ 姜念東・解学詩ほか『偽満洲国史』(吉林人民出版社、1980年)など
  14. ^ 山室信一『キメラ-満洲国の肖像-』中公新書1138、1993年、p.6。加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』岩波新書1046、2007年、p.i、(並木頼寿 2008, p. 70)
  15. ^ 1934年康徳元年)3月1日日施行された組織法第1条に「満洲帝国ハ皇帝之ヲ統治ス」(『政府公報日譯』による)。
  16. ^ 1934年(康徳元年)4月6日の外交部佈告第5号
  17. ^ なおこの点については学術的に議論があり、また現代における国際政治的焦点でもある。詳しくは中国朝鮮関係史及び東北工程を参照
  18. ^ 小林秀夫「〈満州〉の歴史」講談社現代新書
  19. ^ 荒武達朗「1870-90年代北満州における辺境貿易と漢民族の移住」アジア経済2005.8、P.2,PDF-P.1[1]
  20. ^ Chen Nai-Ruenn1970"Labor Absorption in a Newly Settled Agricultural Region:The Case of Manchuria"Economic Essays(国立台湾大学経済学研究所経済論文叢刊)、直接の引用は荒武2005.8
  21. ^ 荒武達朗「1870-90年代北満州における辺境貿易と漢民族の移住」アジア経済2005.8、P.2,PDF-P.1
  22. ^ 1823年文政6年)に著した『混同秘策』「凡そ他邦を経略するの法は、弱くして取り易き処より始るを道とす。今に当て世界万国の中に於て、皇国よりして攻取り易き土地は、支那国の満洲より取り易きはなし。」
  23. ^ 『幽囚録』にて「北は満洲の地を割き、南は台湾、呂宋諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」
  24. ^ ヴェンセスラウ・デ・モラエス『日本通信』 京都外国語大学付属図書館
  25. ^ モーゲンソー日記によれば、ルーズベルト大統領は「結局、イタリアと日本が宣戦布告せず交戦する技術を進化させてきたとすれば、なぜ我々は同様の技術を開発できないのか」と語ったとされる。「経済封鎖からみた太平洋戦争開戦の経緯」高橋文雄(戦史研究年報2011.3)[2][3] PDF-P.12
  26. ^ 当初は「啓運」を予定していたが、関東軍の干渉によって変更
  27. ^ リットン報告書9章「問題の複雑性」
  28. ^ 紛爭解決ニ至ラサルトキハ聯盟理事會ハ全會一致又ハ過半數ノ表決ニ基キ當該紛爭ノ事實ヲ述へ公正且適當ト認ムル勸告ヲ載セタル報告書ヲ作成シ之ヲ公表スヘシ
  29. ^ 聯盟理事會ノ報告書カ【紛爭當事國ノ代表者ヲ除キ】他ノ聯盟理事會員全部ノ同意ヲ得タルモノナルトキハ聯盟國ハ該報告書ノ勸告ニ應スル紛爭當事國ニ對シ戰爭ニ訴ヘサルヘキコトヲ約ス(報告書が当事国を除く理事会全部の同意を得たときは連盟国はその勧告に応じた紛争当事国に対しては戦争に訴えない)
  30. ^ a b 森島守人 1984, p. 86.
  31. ^ ヤルタ協定』 米国国務省、1945年2月11日
  32. ^ 塚瀬進 1998, p. 147.
  33. ^ 児島襄 1983, 3巻、p283-292.
  34. ^ 楊海英 (2014年11月15日), チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史, 文芸春秋 
  35. ^ 楊海英 『墓標なき草原 : 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』 岩波書店、2009年ISBN 9784000247719
  36. ^ モンゴル自由連盟党とは? モンゴル自由連盟党
  37. ^ 満洲国国務院統計処『大同元年末 現住戸口統計』、1933年(大同2年)
  38. ^ 満洲帝国治安部警務司『康徳八年十月一日 満洲帝国現住人口統計』、1943年(康徳10年)
  39. ^ a b 森島守人 1984, p. 83.
  40. ^ a b c d 国務院総務庁統計処・国務院治安部警務司『満洲帝国現住人口統計(職業別編)』、1942年(康徳9年)
  41. ^ 国務院総務庁臨時国勢調査事務局『康徳七年 臨時国勢調査速報』
  42. ^ 住民台帳を利用して人口を算出したもの
  43. ^ 調査票を集計して人口を算出したもの
  44. ^ 『満洲帝国現住人口統計(職業別編)』凡例、1942年(康徳9年)
  45. ^ 山室信一『キメラ』p.298
  46. ^ a b 遠藤正敬「満洲国草創期における国籍創設問題」早稻田政治經濟學誌No.369,2007年 10月,pp143-161
  47. ^ 「満州国小学校教員募集ニ関スル件」1938年1月14日秋田県学務部長通牒。「師範学校「特別学級」について」逸見勝亮(北海道大学教育学部紀要1978.11)[4][5]PDF-P.3
  48. ^ 朝鮮人移住対策ノ件』 アジア歴史資料センター Ref.A03023591400 (1934年10月30日)
  49. ^ 権逸
  50. ^ 「(関東憲兵隊は)民族共和どころか民族間の反目、離間をはかることを統治手段とみていたことがうかがえる」(山室信一『キメラ—満洲国の肖像』中公新書1138、1993年、p.282)、菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』(講談社、2005年、p.313)、宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』(PHP新書387、2006年、p.220)。
  51. ^ 『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』ハインツ・E・マウル 芙蓉書房出版 P.54
  52. ^ 『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』ハインツ・E・マウル 芙蓉書房出版 P.55
  53. ^ (枢)のついている国は第二次世界大戦時の枢軸国(その後離脱した国を含む)(連)のついている国は連合国
  54. ^ 当時の独裁者マルティネス個人の意向によるところが大きい
  55. ^ JCA-NET
  56. ^ 塚瀬進 1998, p. 155.
  57. ^ 今尾恵介「失われた地名を手がかりに東京町歩き」 特集・東京の地名 町それぞれの物語 『東京人』(都市出版株式会社)第20巻第5号、平成17年5月3日発行。在日本大使の一覧も参照されたい。
  58. ^ 「「満洲国」の対ヨーロッパ外交(二)」森田光博(成城法学第76、2007年)[6]
  59. ^ 塚瀬進 1998, p. 154.
  60. ^ バチカンの福音宣教省が派遣する教皇使節はバチカンとの外交関係がない国々にも派遣される派遣される例がある(上野景文、『バチカンの聖と俗』、かまくら春秋社、2011、pp91-92)
  61. ^ 『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』 文藝春秋 1991年
  62. ^ 中国語では「紀念」と表記するが、「建国一周年記念」切手は日本語の「記念」表記となっている
  63. ^ 橋本敬之氏の新京地下鉄調査談」『土木建築工事画報』第15巻第10号、1939年10月
  64. ^ 大阪市電気局高速鉄道部編『奉天市地下鉄道計画書』、今尾恵介原武史監修『日本鉄道旅行地図帳 歴史編成 満洲樺太』(新潮社刊、2009年)
  65. ^ 満州国の放送とラジオ
  66. ^ 満州文化物語(2)
  67. ^ 院令第2号(1932年3月25日公布)「各学校課程ニハ四書孝経ヲ使用講授シ以テ礼教ヲ尊崇セシム凡ソ党義ニ関スル教科書ノ如キハ之ヲ全廃ス」
  68. ^ 高級中学師範科もこれとほぼ同様の教育内容であった。
  69. ^ 山下幸生『花も嵐も わが一代記』(文芸社)117ページ。
  70. ^ 満州国の国技は“蹴球”-読売新聞記事より、蹴球本日誌
  71. ^ 入江克己「近代日本における植民地体育政策の研究(第2報)」(『鳥取大学教育学部研究報告. 教育科学』No.36、1994年 P86~87)(1) _69 (1).pdf。本内容は『満洲建国十年史』からの引用。
  72. ^ 高嶋航「「満洲国」の誕生と極東スポーツ界の再編」、『京都大學文學部研究紀要』第47号、京都大學大學院文學研究科、2008年3月、 131-181頁、 NAID 40018917923
  73. ^ 劉らの動きに関わりなく満洲国側は大日本体育協会の支援を受けて参加に向けた活動を続けたものの、最終的に断念した。断念理由について、上記高嶋論文には二つの説が挙げられている。
  74. ^ 18.東京高等師範学校教授末松直次満州視察 昭和十一年十二月』 アジア歴史資料センター Ref.B05015686200 
  75. ^ 千田萬三『満洲事典』満鉄社員会、1939年(昭和14年)
  76. ^ 「建国後三年間の堅実な歩み 満洲国の重要記録」、『満洲日報』1935年(昭和10年)3月1日付







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