建国神廟
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建国神廟(けんこくしんびょう)は、満洲国の建国の元神とされた天照大神を祀った宗教施設。満洲国皇帝の帝宮内にあった。1940年(康徳7年)創建、1945年(康徳12年)廃絶。
注釈
出典
- ^ a b 満洲国建国神廟創建ニ関スル件ヲ決定ス - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- ^ 岡部長章『ある侍従の回想記―激動時代の昭和天皇』朝日ソノラマ、1990年。
- ^ 児島襄『満洲帝国 II』文藝春秋、1983年。
- ^ 『満洲国史 総論』674頁
- ^ 『満洲国史 総論』674頁
- ^ 『満洲国史 総論』679頁
- ^ 『満洲国史 総論』679-680頁
- ^ 小笠原 2004, p. 477, 479-480- 元満洲国祭祀府奉祀官岡田實「建国神廟始末記」。
- ^ 康徳9年7月15日国務院佈告第13号・祭祀府佈告第1号による。
- ^ 『満洲国史 総論』675頁
- ^ 鉄道警護総隊 編纂「建国神廟祭祀令」『鉄道警護総隊法規類纂』第1編、満洲行政学会、1940年7月、182之2頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 国務院法制処 編纂「建国神廟祭祀令」『満洲国法令輯覧』第2巻、満洲行政学会、1943年、7-8頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 小笠原 2004, p. 465-466- 元満洲国祭祀府祭祀所長八束清貫「建国神廟創建の思ひ出」五.建国神廟の祭祀。
- ^ a b c 小笠原 2004, p. 466- 元満洲国祭祀府祭祀所長八束清貫「建国神廟創建の思ひ出」六.満洲国祭祀の特殊性。
- ^ 小笠原 2004, p. 467- 元満洲国祭祀府祭祀所長八束清貫「建国神廟創建の思ひ出」六.満洲国祭祀の特殊性。
- ^ 小笠原 2004, p. 470- 元満洲国祭祀府祭祀所長八束清貫「建国神廟創建の思ひ出」八.建国神廟創立後の状況。
建国神廟
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1940年(康徳7年)には皇宮内に建国神廟が創建された。詳細は当該項目参照。
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建国神廟
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建国神廟は1940年(康徳7年)7月15日に満洲国皇宮に創建されたが、2年後の1942年(康徳9年)7月15日に、新たに新京特別市浄月区並びにその付近の地域を建国神廟造営用地として治定した。 同年12月21日の「建国神廟造営関係地域ニ関スル件」(康徳9年12月21日勅令第249号)及び「建国神廟造営関係地域」(康徳9年12月21日国務院佈告第18号)で、浄月潭を中心とした新京特別市、吉林省長春、通陽両縣に亘る2万3千町歩(約230km2)の広大な地域を「神廟関係御造営地」と決定し、新京特別市長又は各縣長の許可無く工作物の新築・増改築を禁じたほか、土地の現状の変更、立木の伐採、広告物や看板に類する物件の設置を禁じた。 その後、1943年(康徳10年)6月1日には、長春、通陽両縣の建国神廟造営関係地域を新京特別市に編入し、勧農区及び春陽区が設置されている。
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