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東條英機

東條英機
総理在職期間
     昭16.10.18~昭19. 7.221,009日
総理就任時年齢:57歳


近代日本人の肖像

国立国会図書館国立国会図書館

東条英機 とうじょう ひでき

東条英機の肖像 その1
東条英機の肖像 その2
明治17年12月30日昭和23年12月23日 (1884~1948)

東京生まれ。陸軍軍人、政治家。父は陸軍軍人東条英教陸軍士官学校陸軍大学校卒業昭和12年(1937)関東軍参謀長翌年陸軍次官となり、能吏ぶりを発揮して「かみそり東条」といわれる航空総監航空本部長経て15年(1940)第2次、第3次近衛内閣陸相16年(1941)近衛文麿に代わって首相に就任し、陸相内相兼任した。対米英戦での初期作戦成功背景に、17年(1942)立候補推薦制度による翼賛選挙を行う。それにより議会形骸化し、独裁的戦時体制強化された。19年(1944)2月参謀総長兼務したが、戦局悪化に伴い重臣内部批判が高まり、7月には内閣総辞職となった。敗戦後、自殺を図ったが失敗極東国際軍事裁判A級戦犯として絞首刑となった。

キーワード 陸軍軍人, 政治家, 首相

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)


江戸人物事典

江戸net江戸net

東条 英機 (とうじょう ひでき)

1884〜1948 (明治17年昭和23年)
軍人政治家カミソリと言われた頭脳で、戦時下日本独裁的統制戦争犯罪人として刑死
昭和期軍人政治家東京都出身陸軍士官学校(一七期)・陸軍大学校卒。満州事変頃から統制派の有力メンバーとして頭角現しアメリカとの開戦主張第二三次近衛内閣では陸相務め1941年昭和1610月現役陸相のまま組閣し、対米開戦決定日本太平洋戦争突入した。国内戦時動員体制強化し、参謀総長併任したが、44年7月サイパン島陥落機に総辞職敗戦後、戦争犯罪人として極東国際軍事裁判A級戦犯として有罪判決をうけ絞首刑となった。

 年(和暦)
1889年 (明治22年) 大日本帝国憲法発布 5才
1894年 (明治27年) 日清戦争 10
1903年 (明治36年) 江戸開府300年 19才
1904年 (明治37年) 日露戦争 20才
1907年 (明治40年) 足尾銅山暴動 23
1910年 (明治43年) 韓国併合 26
1918年 (大正7年) 米騒動 34
1923年 (大正12年) 関東大震災 39
1928年 (昭和3年) ■初の普通選挙実施 44
1932年 (昭和7年) 五・一五事件 48
1936年 (昭和11年) 二・二六事件 52
1941年 (昭和16年) ■対英米宣戦布告 57
1945年 (昭和20年) ポツダム宣言受諾 61
1946年 (昭和21年) 日本国憲法公布 62


 人物
寺田 寅彦 1878年1935年 (明治11年昭和10年) +6
大河内 正敏 1878年1952年 (明治11年昭和27年) +6
吉田 茂 1878年1967年 (明治11年昭和42年) +6
有島 武郎 1878年1923年 (明治11年大正12年) +6
鏑木 清方 1878年1972年 (明治11年昭和47年) +6
永井 荷風 1879年1959年 (明治12年昭和34年) +5
大正天皇 1879年1926年 (明治12年昭和元年) +5
市川 左団次二世 1880年1940年 (明治13年昭和15年) +4
石井 柏亭 1882年1958年 (明治15年昭和33年) +2
福原 信三 1883年1948年 (明治16年昭和23年) +1
高村 光太郎 1883年1956年 (明治16年昭和31年) +1
鳩山 一郎 1883年1959年 (明治16年昭和34年) +1
石橋 湛山 1884年1973年 (明治17年昭和48年) 0
安田 靫彦 1884年1978年 (明治17年昭和53年) 0
三浦 環 1884年1946年 (明治17年昭和21年) 0
武者小路 実篤 1885年1976年 (明治18年昭和51年) -1
平塚 らいてう 1886年1971年 (明治19年昭和46年) -2
山田 耕筰 1886年1965年 (明治19年昭和40年) -2
谷崎 潤一郎 1886年1965年 (明治19年昭和40年) -2
松旭斎 天勝 1886年1944年 (明治19年昭和19年) -2
柳 宗悦 1889年1961年 (明治22年昭和36年) -5
古今亭 志ん生 1890年1973年 (明治23年昭和48年) -6
山川 菊栄 1890年1980年 (明治23年昭和55年) -6


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東條英機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 00:44 UTC 版)

東條 英機(とうじょう ひでき、1884年明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年昭和23年)12月23日)は、日本陸軍軍人政治家


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  1. ^ 戸籍上は12月30日
  2. ^ 学術誌、研究書、辞典類、文部科学省検定教科書における歴史人物名としての表記は「東条英機」、存命中の『職員録』など印刷物における表記は「東條英機」、御署名原本における大臣副書は「東條英機」である。
  3. ^ 誕生日は「明治17年7月30日」だが、長男・次男を既に亡くしていた英教は英機を里子に出したため、戸籍上の出生は「明治17年12月30日」となっている
  4. ^ 当時の陸軍は明治維新の元老たる山縣有朋を中心とする薩長軍閥が幅を利かせ、戊辰戦争では賊軍扱いとなった東北地方諸藩の出身者は様々な差別をうけたと言われることがある。もっとも八幡和郎『歴代総理の通信簿』(PHP研究所)によれば、予備役になった原因は日露戦争の作戦失敗という明確な理由があるという。また、陸軍大将を複数輩出した陸大31期までの首席31名のうち、大将にまで昇進した者は15名に過ぎないことから、首席が大将になれないことは珍しいことではない。ほぼ同世代の一戸兵衛弘前藩)、松川敏胤仙台藩)、柴五郎会津藩)は大将となっており、この世代(1855-60年生まれ)の大将計12名のうち、東北地方出身者3名を除くと、皇族、長野県、静岡県、福井県、兵庫県、愛媛県、高知県、福岡県、宮崎県それぞれの出身者が1名ずつであり、出身地によって大将への昇進に差別があった事実は認められない。
  5. ^ 須山幸雄『小畑敏四郎』芙蓉書房
  6. ^ 中西輝政2011「日本軍の敢闘とソ連の謀略・・・それは歴史の一大分岐点だった」『歴史街道』277」
  7. ^ 秦郁彦『現代史の争点』文春文庫254~255頁
  8. ^ 額田坦回想録23頁
  9. ^ 額田坦回想録79頁
  10. ^ 『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』、『木戸幸一日記』、『細川日記』など。
  11. ^ 当時、大将への昇進条件の一つに、中将で5年活動するというものがあった。内閣成立時の東條の中将在任歴は4年10ヶ月であった。海軍大臣嶋田繁太郎海軍大将であったため「首相の自分が中将では…」とそれを気にしたともいわれる。
  12. ^ 近衛文麿自身は後日近衛上奏文において操られて満州事変から戦争拡大の道を進んだという見方を持ったことを書き残している。
  13. ^ ただし、司馬遼太郎の『歴史と視点』では、この時点では明文化されたものではなく、1944年ごろになって配布されたものとされている。
  14. ^ 広橋眞光・伊藤隆・片島紀男『東條内閣総理大臣機密記録』480-481頁
  15. ^ 小室直樹『硫黄島栗林忠道大将の教訓』
  16. ^ 『海軍大学教育』「第三章 真珠湾作戦と海大」実松譲 光人社
  17. ^ 『明治百年史叢書 杉山メモ -大本営・政府連絡会議等筆記- 上下巻』参謀本部編 原書房
  18. ^ 11月30日 東条首相拝謁時 『(前略)海軍ノ一部ニ作戦ニ就キ不安ヲ懐キ居ル者アルヤニ拝謁セラルル御話アリシトノコト(布哇作戦ノ予想ニテ犠牲ノ多カルヘキ御話ナリシカト思ハル)ニテ、首相ガ拝謁ノ時首相ニ御下問アリシ (首相)少シモ聞及無之旨奉答』昭和天皇発言記録集成 下巻(芙蓉書房出版)p.96
  19. ^ 『東京裁判尋問調書』日本図書センター
  20. ^ 『小説太平洋戦争』
  21. ^ 児島襄『太平洋戦争 上』中公新書 (84) 312頁 『歴代陸軍大将全覧 昭和篇/太平洋戦争期』中公新書クラレ79頁
  22. ^ 広橋・伊藤・片島『東條内閣総理大臣機密記録』27頁
  23. ^ 『東條秘書官機密日誌』128-133頁
  24. ^ 歴代陸軍大将全覧 昭和編 太平洋戦争期』83頁 中央新書クラレ
  25. ^ 額田坦回想録148頁
  26. ^ 『杉山メモ(下)』資料解説27頁
  27. ^ 『杉山メモ(下)』資料解説32頁
  28. ^ 額田坦回想録149頁
  29. ^佐藤賢了回想録』
  30. ^ 細川日記180頁
  31. ^ 吉田裕『昭和天皇の終戦史』34頁
  32. ^ 赤松貞雄『東条秘書官機密日誌』p.160
  33. ^ a b c d 『額田坦回想録』
  34. ^ a b巣鴨日記
  35. ^ 『東條秘書官機密日誌』160-161頁
  36. ^ 広橋・伊藤隆・片島紀男『東條内閣総理大臣機密記録』556-557頁
  37. ^ 津野田忠重『秘録東条英機暗殺計画』
  38. ^ 『東条英機暗殺計画と終戦工作』(別冊歴史読本 17)新人物往来社
  39. ^ 保阪正康『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫550頁
  40. ^ 『加瀬俊一回想録』
  41. ^ 保阪正康『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫562~569頁
  42. ^ 来栖三郎 『泡沫の三十五年』 2007年3月25日 P168
  43. ^ 広橋・伊藤・片島『東条内閣総理大臣機密記録』559頁
  44. ^ 1946年9月16日朝日新聞
  45. ^ 『日本の100人 東条英機』
  46. ^ a b ロバート・J・ビュートー『東條英機(下)』第14章 名誉の失われし時(215-245頁)時事通信社 1961年
  47. ^ 『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫版590頁
  48. ^ 牛村圭『「戦争責任」論の真実』66頁
  49. ^ 『「戦争責任」論の真実』50頁
  50. ^ 『敗戦直後の政治と社会 第1巻』 粟屋憲太郎編集・解説、大月書店〈資料日本現代史 第2巻〉、1980年10月。ISBN 978-4-272-50093-2
  51. ^ 伊勢雅臣 (2005年4月3日). “人物探訪:昭和天皇を護った二人のキリスト者(下)”. 国際派日本人養成講座. 2011年6月2日閲覧。
  52. ^ 『「戦争責任」論の真実』52頁、74-75頁
  53. ^ 『東條英機と天皇の時代』(ちくま文庫 614ページ)
  54. ^ 秦郁彦『東京裁判 裁かれなかった人たち』『昭和史の謎を追う・下』
  55. ^ 「陸密第二九五三号 靖国神社合祀者調査及上申内則」1944年7月15日付、「陸密第三○○四号 靖国神社合祀者の調査詮衡及上申名簿等の調製進達上の注意」1944年7月19日付 いずれも「陸軍大臣東条英機」名で出されたもの
  56. ^ 『野砲四連隊史』
  57. ^ 『現代史の争点』229頁 秦郁彦 文春文庫
  58. ^ 毎日新聞社編『決定版・昭和史--破局への道』『毎日新聞百年史』に詳しい海軍側の証言『証言 私の昭和史』学芸書林、陸軍側の証言『現代史の争点』文藝春秋
  59. ^ 『高松宮日記 第7巻』522頁 1944年(昭和19年)7月補記欄 中央公論社
  60. ^ 秦郁彦『現代史の争点』文春文庫243頁
  61. ^ 『二等兵記』東海大学出版
  62. ^ 『ある華族の昭和史』146頁
  63. ^ 『陸軍大将全覧 昭和編/太平洋戦争期』中公新書クラレ 249-252頁
  64. ^ 纐纈厚『憲兵政治』p.97, 新日本出版社、2008年、ISBN 9784406051170
  65. ^ 吉松安弘『東條英機 暗殺の夏』
  66. ^ 歴代陸軍大将全覧 昭和篇/太平洋戦争期』中公新書クラレ85頁
  67. ^ 中日新聞2009年12月7日 朝刊「陸軍中将が太平洋戦争を批判 平林師団長、将校40人の前で演説」
  68. ^ 保阪正康『東條英機と天皇の時代 下』79頁
  69. ^ この検挙の理由をめぐっては、中野が昭和18年元旦の朝日新聞に執筆した『戦時宰相論』が原因との説もある
  70. ^ 但しこの時、特高警察を指揮する内務大臣は安藤紀三郎
  71. ^ 『日本憲兵正史』p.716下
  72. ^ 本来の取り調べは警視庁の担当で、陸軍の憲兵隊ではない。東郷は中野を26日からの第83回帝国議会に登院できないよう拘束しておくことを望んだが、検事総長と警視総監は拘束しておくだけの罪状はないとしたため、憲兵隊長が中野の身柄を引き取って流言飛語の「自白」を引き出させたのである。保阪正康『東條英機と天皇の時代 下』79-80頁
  73. ^ 秦郁彦『現代史の争点』210頁文藝春秋
  74. ^ 井上寿一『日中戦争化の日本』 P171-172
  75. ^ 『東條秘書官機密日誌』34-35ページ
  76. ^ 『黎明の世紀』28頁
  77. ^ 『歴代陸軍大将全覧 昭和篇 満州事件・支那事変期』312-313頁中央新書ラクレ
  78. ^ 『私の履歴書 反骨の言論人』2007年10月1日 P277
  79. ^ a b 『秘録・石原莞爾』
  80. ^ 阿川弘之『軍艦長門の生涯』
  81. ^ 『昭和天皇独白録』 文藝春秋社 --参考文献
  82. ^ 前出『昭和天皇独白録』P103-104
  83. ^ 小林よしのり『いわゆるA級戦犯 ゴー宣 special 』P192、幻冬舎 2006年6月 ISBN 4344011910
  84. ^ 徳富蘇峰『終戦後日記IV』25-27頁
  85. ^ 井上寿一『日中戦争化の日本』 P172 ,P186
  86. ^ 来栖三郎 『泡沫の三十五年』 2007年3月25日 P174
  87. ^ 『戦中派不戦日記』9月17日
  88. ^ なお、帝国陸軍内においてドイツとイタリアとの三国同盟締結を推進したのは当時陸軍次官の東條であった。
  89. ^ 『現代史の争点』
  90. ^ 昭和天皇独白録103頁
  91. ^ ただし田中は1965年(昭和40年)の「文藝春秋」において、東京裁判における自身の証言の真の目的は「天皇をこの裁判に出さずに無罪にし、国体を護持する」ことだったとしている。田中隆吉「かくて天皇は無罪になった」(40.8)『「文藝春秋」にみる昭和史 第二巻』文藝春秋 1988年
  92. ^ 『昭和陸軍の研究 下』438 - 439頁 保阪正康 朝日文庫
  93. ^ 保阪正康『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫62 - 63頁
  94. ^ 児島襄「素顔のリーダー」保阪正康『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫499頁
  95. ^ 平岩米吉『猫の歴史と奇話』
  96. ^ 映画「442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」より。なお、松岡洋右も日米開戦前に行ったハワイでの講演会において、同様の発言をしている。
  97. ^ 秘書官赤松貞雄の回想『東條秘書官機密日誌』39頁
  98. ^ 広橋・伊藤・片島『東條内閣総理大臣機密記録』492頁
  99. ^ 『世紀の遺書』巣鴨の章
  100. ^ 『昭和良識派の研究』保阪正康 光人社FN文庫 56頁
  101. ^ 処刑された戦犯者遺族の会。
  102. ^ 週刊朝日2005年7月20「東條英機(次男)輝雄氏が語る靖国」






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