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しょうわ-てんのう せうわ―わう 【昭和天皇】
(1901-1989) 一二四代天皇(在位 1926-1989)。名は裕仁(ひろひと)。幼名、迪宮(みちのみや)。大正天皇の第一皇子。1921年(大正10)摂政となり26年即位。在位64年に及び史上最長。
歴代天皇陵一覧 |
昭和天皇 武蔵野陵
(しょうわてんのう むさしののみささぎ)
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昭和天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/18 14:07 UTC 版)
昭和天皇(しょうわてんのう、1901年4月29日 - 1989年1月7日)は、日本の第124代[1]天皇(在位:1926年12月25日 - 1989年1月7日)である。
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- ^ 世数は皇統譜による。
- ^ (昭和とは)別の元号(光文)を予定していたが、正式発表前に外部に漏れ、東京日日新聞に発表されてしまったので昭和に変更したとの説もある(光文事件)
- ^ 1929年(昭和4年)以降は皇居内で田植えを行った。
- ^ a b 日本記者クラブ[1]
- ^ 1989年2月23日 読売新聞「『昭和天皇』副葬品明らかに ご採集の貝標本、大相撲番付表、ご愛用顕微鏡」
- ^ 山階会『山階宮三代 下』P.291
- ^ 昭和46年(1971年)4月20日の記者会見(『陛下お尋ね申し上げます』P.175)
- ^ 昭和53年(1978年)12月3日、須崎ご用邸での記者会見(『陛下お尋ね申し上げます』P.266)
- ^ 昭和57年(1982年)9月7日、須崎ご用邸での記者会見(『陛下お尋ね申し上げます』P.330-331)
- ^ a b 1989年1月7日 読売新聞「昭和天皇のご生涯 戦争の暗い時代から平和の象徴へ多難な軌跡」
- ^ a b c d e f 『陛下、お尋ね申し上げます —記者会見全記録と人間天皇の軌跡』高橋絃著、文春文庫
- ^ 『本庄繁日記』昭和11年(1936年)2月27日付。
- ^ 『木戸幸一日記』一月六日(土) 下巻 一一六四頁。一月三十日(火) 下巻 一一六七頁によれば、近衛が木戸に斡旋を求めている。上巻 三一頁の「解題」(岡義武による序文)によれば、木戸と宮内大臣の松平恒雄とが協議し、重臣が個々に拝謁することになった。
- ^ 『侍従長の回想』「天皇の終戦秘密工作」P.43-P.54。木戸が参内を制限していたため、近衛文麿が運動して重臣との会談を実現させたという説があるが、藤田はこれを信じていない。
- ^ 「時局ニ関スル重臣奉答録」『木戸幸一関係文書』 四九五頁-四九八頁
- ^ 『侍従長の回想』「陽の目を見た近衛上奏文」P.55-P.67
- ^ 議論は午前10時半からの最高戦争指導会議から2回の閣議、御前会議を経て全て終了したのが翌10日午前2時20分であった。会議により出席者は異なるが、最高戦争指導会議では受諾賛成が鈴木(首相)、東郷(外相)、米内(海相)、受諾反対が阿南(陸相)、梅津(参謀総長)、豊田(軍令部総長)であった。御前会議ではこれに平沼(枢密院議長)が加わる。鈴木が六閣僚に意見を聞くと、平沼が軍代表に質問した後に賛成に回り、3対3となった。このとき平沼も天皇に御聖断を求めている。2時間にわたる会議の末に鈴木が行動を起した。
- ^ 『大日本帝国の興亡』5巻 平和への道「七部 耐え難きを耐え 1 ポツダム宣言受諾」P.203-P.213(章題 ページ番号はハヤカワ文庫版)
- ^ 『侍従長の回想』会議の経過については「聖断下る」P.118-P.136。昭和天皇の発言は「異例、天皇の心境吐露」P.207-P.208からの引用。
- ^ a b シロニー(2003)、312頁。
- ^ Amino & Yamaguchi, `The Japanese Monarchy and Women', p.57.
- ^ Kanroji, Hirohito, p.108.
- ^ 甘露寺受長『天皇さま』日輪閣、一九六五年、207頁。
- ^ シロニー(2003)、313頁。
- ^ ゴーマニズム宣言 SPECIAL 「天皇論」 著者・小林よしのり P153 - 173
- ^ 細川隆元『天皇陛下と語る』山手書房、 1982年
- ^ 靖国神社公式サイト内神社年表、三浦朱門監修『靖国神社 正しく理解するために』(海竜社)など。
- ^ 2006年7月21日東京新聞朝刊、他に靖国神社内の遊就館にも展示がある
- ^ a b c d e f 1988年9月29日 朝日新聞「陛下ご闘病で自粛ムード 派手な服もダメ 市民生活にも広がる」
- ^ 1988年12月31日 読売新聞「'88社会 冷えびえ流行語 自粛ムードもここまでにいたしとう…」
- ^ 1988年10月08日 朝日新聞「V竜にナゴヤ酔う 興奮と熱気が街包む ビールかけ合い中止」
- ^ 1988年10月15日 朝日新聞「京都国体が開幕 陛下ご闘病中の「自粛」、最小限にとどめ」
- ^ 1988年10月18日 朝日新聞「自衛隊観閲式と自衛隊音楽祭を中止 防衛庁」
全国の地方部隊にも、行事の中止・派手なイベントの自粛を通達している - ^ 1988年11月13日 朝日新聞「米ソも郷に従う 横田基地とソ連大使館(自粛の街を歩く)東京」
- ^ 1988年9月29日 朝日新聞「番組“自粛”に視聴者は複雑(アングル・あんぐる) 」
- ^ 1988年10月06日 朝日新聞「大学祭、天皇陛下のご病状配慮の自粛は少数 」
中止したのは大妻女子大学(校舎が皇居近くにあるため)、防衛医科大学校(防衛庁からの行事自粛通知) - ^ 1988年12月27日 朝日新聞「印刷業界が見慣れぬ年賀状(自粛の街を歩く) 東京」
代わりに「謹迎新年」「清嘉新春」が使用された - ^ 1989年1月7日 読売新聞「歌舞音曲控えて 協力要請を閣議決定/天皇陛下崩御」
- ^ 1989年1月9日 読売新聞「[SEE・SAW]昭和天皇“崩御編成”に各局苦心 音楽会中止、舞台は手直し」
- ^ 1989年1月10日 読売新聞「昭和天皇崩御で戸惑う各地の成人式 「晴れ着は?」など電話殺到」
- ^ 1989年1月8日 読売新聞「昭和天皇崩御 『お供』と87歳男性が後追い自殺/和歌山」
- ^ 1989年1月9日 毎日新聞「『一兵士としてお供』と昭和天皇の後追い自殺-茨城」
- ^ 1989年1月13日 読売新聞「また昭和天皇の後追い自殺 38歳男性が割腹し/福岡・博多」
- ^ 1989年3月4日 朝日新聞「昭和天皇の後追い自殺 東京・大塚で短銃使い旧軍人」
- ^ 当時はもちろん現在でも、日本では癌などの重篤な病名を告知するか否かが医療現場で問題となっている→インフォームド・コンセント等を参照
- ^ 崩御時の新聞号外にこれらの断り書きが記されている。毎日新聞ほか。
- ^ 皇太子の外遊の初例は、明治40年(1907年)の嘉仁親王(後の大正天皇)による大韓帝国訪問である。この当時の大韓帝国は日韓協約により、事実上大日本帝国の保護国であったが、正式にはまだ併合前の「外国」であった。
- ^ これ以前に実現しなかった理由には、国事行為の臨時代行に関する法律が整備されていなかったという事情もあった。なお、1973年(昭和48年)、1974年(昭和49年)にも訪米が計画されたが、調整不足もあって実現には至らなかった。
- ^ 東アジア反日武装戦線など
- ^ #吉田比叡p.254
- ^ #吉田比叡p.208
- ^ 1945年3月6日に皇太子へあてた手紙。橋本明『昭和抱擁』(日本教育新聞社、1998年)より。
- ^ 『昭和天皇』p.p.108-143
- ^ 中曽根康弘『自省録 ―歴史法廷の被告として―』 pp.71-72 ,新潮社 (2004年) ISBN 4-10-468701-4
- ^ 『芦田均日記』第二巻・1947年7月18日、1947年7月22日
- ^ 伊勢雅臣. “JOG(136)復興への3万3千キロ”.
- ^ 2007年5月1日・同2日 日本経済新聞「富田メモ抜粋」
- ^ 『昭和の母 皇太さま』光文社、p.99
- ^ a b c 毎日グラフ緊急増刊「崩御 昭和天皇」P136-137
- ^ 『昭和の母 皇太さま』光文社、p.138
- ^ 1990年1月17日 読売新聞「[天皇への道]5 誕生(中)万感の思い込め『よかったね』」
- ^ 昭和62年(1987年)4月21日、吹上御苑での記者会見(『陛下お尋ね申し上げます』P.383-384)
- ^ 1987年9月28日 読売新聞「麻酔からさめ、陛下最初のお言葉 『良宮は…』 手順後順調な回復」
- ^ 1977年11月17日放送 フジテレビ「おはよう!ナイスデイ」における、厚子内親王(池田厚子)の回想(毎日グラフ緊急増刊「崩御 昭和天皇」P147)
- ^ 河出書房新社「河出人物読本・天皇裕仁」
- ^ 1987年9月24日 読売新聞「[よみうり寸評] 天皇陛下の好物」
- ^ 阿川弘之「軍艦長門の生涯」
- ^ #日本海軍のこころp.224
- ^ #日本海軍のこころp.228
- ^ 山澄中将の回想記 東京新聞 特集記事
- ^ 半藤一利・御厨貴・原武史『卜部日記・富田メモで読む 人間・昭和天皇』。
- ^ 「われらが遺言・五〇年目の二・二六事件」(『文藝春秋』1986年3月号)。
- ^ 河出書房新社「河出人物読本・天皇裕仁」
- ^ 自分がコロンボだったことも忘れ… ピーター・フォークさん、アルツハイマーかなり悪化していた+(2-2ページ) - MSN産経ニュース 昭和天皇もコロンボのファンで、75年に訪米された際は、実現こそしなかったがフォークさんが昼食会に招待されたこともあった。
- ^ 毎日新聞社『天皇とともに50年』
- ^ 永積寅彦『昭和天皇と私』学習研究社、1992年
- ^ 『昭和天皇語録』講談社学術文庫 p332
- ^ (1989) Hirohito: The War Years. Bantam Dell Pub Group. ISBN 0553347950
- ^ (2003) Gold Warriors: America's Secret Recovery of Yamashita's Gold. Verso. ISBN 1859845428
[続きの解説]
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昭和天皇に関連した本
- 昭和天皇独白録 (文春文庫) マリコ・テラサキ・ミラー 文藝春秋
- ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論 小林 よしのり 幻冬舎
- 昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書) 古川 隆久 中央公論新社
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