義和団の乱とは? わかりやすく解説

義和団の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 23:07 UTC 版)

義和団の乱(ぎわだんのらん、中国語: 義和團運動; 拼音: Yìhétuán Yùndòng満洲語ᠴᡳᠣᠸᠠᠨ
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[1] 転写:ciowan sere ehe hūlha i facuhūn)は、1900年1899年[2])に起こった、朝末期の動乱である。義和団事件義和団事変北清事変[3](ほくしんじへん)・清国事変などの呼び方もあり、中国では戦争が起こった年の干支から庚子事変(こうしじへん)とも言われるが、本項では「義和団の乱」で統一する。


注釈

  1. ^ 毓賢、? - 1901。漢軍正黄旗の人。字は佐臣。買官(金銭によって官位を買う事)によって山東曹州の知府となったのを皮切りに、1888年按察使布政使を歴任した。1899年には張汝梅の後を受け山東巡撫となり、義和団対策に臨んだ。この時義和団に対し、融和的な施策を取ったことにより、義和団の勢力が増し、アメリカ公使コンガーの強い要請によって更迭され、袁世凱が後任の巡撫となった。ただ毓賢は罷免されたわけではなく、山西巡撫に就任。これは罷免を求める西欧列強に対する清朝の精一杯の抵抗であったといわれる。辛丑条約後、列強によって罪を問われ、この時点に罷免となった。その後新疆へと流される途上、蘭州で処刑された。『清史稿』巻465・列伝252より。
  2. ^ この場合の「洋」にはアメリカと日本も含まれている。
  3. ^ 董福祥、1839(あるいは1840) - 1908。甘粛省固原(現在の寧夏)の人。字は星五。1862年陝西省と甘粛省に起きた 回民起義において反乱軍に参加した。しかし左宗棠の軍に投降して以後は、その配下として働き提督まで上り詰めた。1897年には北京防衛を任され、栄禄の配下となる。翌年に起きた戊戌政変の際には西太后を支持した。1900年の義和団の乱時には外国公使館を包囲し攻撃した。この時の攻撃は栄禄に比べると激しかったという。やがて北京が八カ国連合軍によって陥落すると、西太后が逃げるのを助けた。後に連合軍から戦犯の一人と名指しされて罷免され、失意の内に病死した。『清史稿』巻455・列伝242。
  4. ^ 列強への宣戦布告諸説。「宣戦布告」の真の理由については諸説あり、どの要素を最も重視するかという点で4つ説がある。一、「照会」説-偽造された列強からの「照会」に重きを置くもの。二、義和団の圧力があったとする説。三、天津において直隷総督裕禄が偽って列強に勝利したと上奏したことを信じ宣戦したという説。四、列強の度重なる帝国主義的圧力に堪忍袋の緒が切れたためとする説がある。
  5. ^ 端郡王載漪、1856 - 1922。愛新覚羅氏、つまり清朝の宗室出身。西太后の姪を妻とし、関係が深かった。そのため光緒帝を廃位しようとする計画、すなわち「己亥建儲」のときには、彼の子溥儁(ふしゅん)が大阿哥(=皇太子)に立てられることになった。しかし列強の反対などでこの計画は頓挫し、彼は列強を深く恨むに至り、それが義和団支持に結びついた。北京議定書締結後は、乱の責任を問われ流罪となり、子の溥儁も大阿哥の称号を奪われた。1917年頃北京に戻ったが、貧窮に苦しみつつ5年後に逝去。『清史稿』巻221・列伝8。
  6. ^ 聶士成、? - 1900。安徽省合肥の人で李鴻章とは同郷。字は功亭。1862年淮軍に参加し、李鴻章のもとで太平天国や捻軍鎮圧に従事した。この後はフランス軍や日本軍と戦い戦果を挙げ、1897年に直隷提督に昇進した。翌年配下の軍隊は武衛前軍と改称したが、この軍は袁世凱の新建陸軍同様、近代化を図った軍隊であった。1900年、この軍を率いて天津防衛に当たるも、砲弾に当たり戦死。常に兵たちの先頭に立ち、「腹破れ腸出ずるもなお軍を指揮して前進させた」という。『清史稿』巻467・列伝254より。
  7. ^ 裕禄、1844 - 1900。満洲正白旗の人、ヒタラ(喜塔臘)氏。字は寿山、号は寿泉。栄禄から高い信頼を得る。30歳を少し過ぎたばかりで巡撫に抜擢され、以後湖広総督軍機大臣礼部尚書を歴任、エリート街道を歩む。1898年栄禄の後任として直隷総督兼 北洋大臣となった。『清史稿』巻465・列伝252より。
  8. ^ 計画では歩兵大隊六個、騎兵中隊、野戦砲兵大隊、工兵中隊の五千人規模の予定だったが、各国の動向に合わせて減らされ歩兵大隊四個、騎兵中隊、野戦砲兵大隊等の四千人規模で始まった。そしてさらに各国が削減したので1901年11月には歩兵大隊四個、騎兵隊、野戦砲兵中隊の千三百人程度に減らされた。

出典

  1. ^ https://www.da.mofa.go.jp/DAS/viewer/304-000013
  2. ^ 日本国語大辞典,デジタル大辞泉, 日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社世界史事典 三訂版,旺文社日本史事典 三訂版,精選版. “義和団事件とは”. コトバンク. 2021年9月7日閲覧。
  3. ^ a b 森山康平 著、太平洋戦争研究会 編『図説 日中戦争』(初版)河出書房新社、2000年1月25日、6頁。ISBN 978-4-309-72629-8 
  4. ^ a b 猪木正道『軍国日本の興亡―日清戦争から日中戦争へー [中公新書 1232]』中央公論社、1995年3月25日、18-19頁。ISBN 4-12-101232-1 
  5. ^ a b c d 梅本可奈子 (2008年6月20日). “【今日は何の日】1900年:義和団、独公使を殺害”. Searchina. 2011年6月21日閲覧。
  6. ^ 島崎晋『名言でたどる世界の歴史』PHPエディター・グループ、2010年6月、294-295頁。ISBN 978-4-569-77939-3 
  7. ^ a b c d e 鈴木(1969)pp.435-437
  8. ^ a b 飯塚(2016)pp.42-43
  9. ^ a b 佐々木(2002)p.215
  10. ^ 佐々木(2002)pp.240-242
  11. ^ 山縣有朋『『北清事変善後策』』(レポート)。"今回ノ北清事変ヲ機トシ、朝鮮全部ヲ挙ケテ我カ勢力区域ニ移サント欲シ、或ハ露ノ満洲経営ヲ妨ケルヲ約シ、以テ我レノ朝鮮経営ヲ諾セシメント欲スルアリ [読点は加筆者]"。 
  12. ^ 猪木正道『軍国日本の興亡―日清戦争から日中戦争へー [中公新書 1232]』中央公論社、1995年3月25日、18-25頁。ISBN 4-12-101232-1 
  13. ^ 櫻井良樹「近代日中関係の担い手に関する研究(中清派遣隊) ―漢口駐屯の日本陸軍派遣隊と国際政治―」『経済社会総合研究センター Working Paper』第29巻、2008年、1-41頁、doi:10.18901/00000407NAID 120005397534 
  14. ^ a b 中兼和津次. “日中関係学会研究会(2019年11月28日)講演者:中兼和津次先生(東京大学名誉教授、東洋文庫研究員)” (PDF). 日中関係学会. p. 6. オリジナルの2021年9月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210924032328/https://www.mmjp.or.jp/nichu-kankei/kenkyuukaiichirann/191128_headoffice_summery.pdf 
  15. ^ 日本外務省編『外務省の百年』原書房、1969、ISBN B000J9KFCA、日本外務省記録「各国ノ団匪賠償金処分関係雑件」。
  16. ^ Dominic Jellinek 2011.
  17. ^ Daisy Yiyong Wang 2013.
  18. ^ 桑原住雄 1967.
  19. ^ 故鶴彦翁「美術の秘庫」を一般公開『東京日日新聞』昭和3年10月16日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p26 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  20. ^ 渡辺安代「老舎『神拳』について:『義和団』「吐了一口気」との関わりの中から」『お茶の水女子大学中国文学会報』第7巻、1988年。 






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