蘭領東インドとは? わかりやすく解説

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らんりょう‐インド〔ランリヤウ‐〕【蘭領インド】


オランダ領東インド

(蘭領東インド から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 14:16 UTC 版)

オランダ領東インド(オランダりょうひがしインド、蘭領東印度、オランダ語: Nederlands-Indiëインドネシア語: Hindia Belanda)、通称蘭印は、かつてオランダ宗主国として支配した東南アジア島嶼部に存在した植民地、あるいはその領域をさす名称である。その支配領域は、ほぼ今日のインドネシア共和国の版図にあたる。総督府はバタヴィア(現ジャカルタ)にあった。


  1. ^ 双方ともバタヴィアであるが、バタヴィアとは古代オランダに住んでいたゲルマン人の一部族、バターウィー族(Batavii)に由来するオランダ地方の古称である。
  2. ^ イギリス本国がオランダに植民地を返還するとき、ラッフルズはイギリスのジャワ島放棄に反対していた。
  3. ^ 強制栽培制度がジャワ農村を貧困化したとする議論に対して、強制栽培制度によって農民の生活水準は向上した、と主張する代表的な著作として、R.E.Elson, Village Java under the Cultivation System, 1830-1870, Sydney:Allen and Unwin, 1994.
    また、ホワイトやボームハールトは、当該期の生活水準の上昇,天然痘の予防接種の普及などを人口増加の原因として挙げている。
  4. ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳(1973)『インドネシアの独立と革命』176頁。
  5. ^ Multatuli, Max Havelaar, of de koffieveilingen der Nederlandsche Handel - Maatschappij, verzorgd en toegelicht door G. W Huygens, 17e druk, Donker, Rotterdam, 1983. 日本語訳は、2003年、『マックス・ハーフェラールもしくはオランダ商事会社のコーヒー競売』(佐藤弘幸訳)めこん、1942年、『蘭印に正義を叫ぶマックス・ハーフェラール』(朝倉純孝訳)として出版された。なお、以下も参照。渋沢元則訳注『マックス・ハーフェラール ムルタテューリ』、大学書林1989年
  6. ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳(1973)『インドネシアの独立と革命』178頁。
  7. ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳(1973)『インドネシアの独立と革命』32頁。
  8. ^ 深田祐介 『黎明の世紀―大東亜会議とその主役たち』P.86 文藝春秋、1991年
  9. ^ a b c 蘭領東印度事情 外務省通商局 1916年
  10. ^ a b 蘭領東印度事情 外務省通商局 1924年
  11. ^ a b c 蘭領東印度経済事情 熊田克郎 1935年


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蘭領東インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 02:15 UTC 版)

K XVI (潜水艦)」の記事における「蘭領東インド」の解説

1935年1月、K XVIはK XVIIと共にニーウェディープ港(英語版オランダ語版)を出航しオランダ領東インド(蘭領東インド)へ回航された。2隻はリスボンナポリアレクサンドリアアデンコロンボ経由して1935年26日パダン到着した1940年5月10日ドイツオランダに侵攻し5月17日オランダ政府亡命した1941年昭和16年11月18日、K XVIは「K XIV英語版オランダ語版)」「K XV英語版オランダ語版と共にスラバヤ出航し11月22日ボルネオ島北東タラカン到着した。蘭領東インド有数産油地であるタラカン到着したK XVIIは、同日から12月8日までの予定タラカン沖を哨戒した。しかし12月2日、K XVIはさらに東方セレベス海哨戒命じられた。

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蘭領東インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 04:58 UTC 版)

K XVIII (潜水艦)」の記事における「蘭領東インド」の解説

1934年11月14日、K XVIIIはオランダ領東インド回航されるためオランダ出航した。この航海単なる回航だけでなく、潜水艦装備品耐久試験砲艦外交便乗した地球物理学者フェリックス・ベニング・マイネスによる洋上での重力測定兼ねていた。K XVIIIはフンシャル英領セントビンセントダカールペルナンブーコリオデジャネイロモンテビデオブエノスアイレスマル・デル・プラタサイモンズタウンケープタウンダーバンポートルイスフリーマントル経て1935年7月11日スラバヤ到着した乗組員には「K XVIIIメダル」が授与された。 1938年9月6日、K XVIIIは姉妹艦と共にスラバヤ開催されウィルヘルミナ女王即位40周年記念観艦式参加した

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