インド【India】
読み方:いんど
アジア南部、インド半島の大部分を占める共和国。首都ニューデリー。北は中国・ネパール、東はバングラデシュ、西はパキスタンに接する。住民の多くはヒンズー教でカースト制度が残存する。農業のほか、資源にも恵まれ工業も成長している。インダス文明が栄えたのち、アーリア人がベーダ文化を形成、前3世紀ころアショカ王のマウリヤ朝によって仏教が興隆、10世紀にイスラム教徒が侵入、16世紀ムガル帝国のアクバル帝により統一。18世紀初頭から英国が植民地化を進め、1858年直轄領となる。ヒンズー教徒を主とするインド連邦とイスラム教徒のパキスタンとに分かれて1947年独立。英連邦加盟国。人口11億7311万(2010)。バーラト。
アジア大陸南部の地域名。インド半島全域とセイロン島をさす。現在ののほか、パキスタン・ネパール・ブータン・バングラデシュ・スリランカなどの領域が含まれる。
インド 【India 印度】
インド
インド
インド
インド(印度)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)
天正10年にローマに向けて出発した天正遣欧少年使節が、天正15年の帰路にポルトガル領インドのゴア植民地に立ち寄った際、副王から秀吉への書簡が託された。彼らはイエズス会巡察師ヴァリニャーノを伴って天正18年(1590年)に帰国。翌天正19年正月にヴァリニャーノは秀吉に謁見してこの書簡を渡した。副王の書簡はバテレン追放令が出されたことを知る前の内容で、秀吉に敬意を払ってキリスト教の布教と宣教師の保護に感謝して将来もつづく良好な関係を期待するものであった。ところが、7月25日、秀吉が発した返書はこの期待を裏切るものだった。承兌が起草したため内容は朝鮮国王に渡したものに似ていたが、秀吉は自らが国内の天下統一を成し遂げた偉大な人物であることを誇示し、今は明国を征伐せんとしているところであるが、印度にも行こうと思えば造作もないことで「遠近異同の隔たりはない」と印度遠征の可能性を壮語する一方、印度の仏教と中国の儒教と日本の神道は一体のもので、神道を知ればすべてに通じるという独自の宗教観を披露し、国民を魔道に引き入れようという邪法(キリスト教)の布教は今後は許さないので、以後は宣教師が入国するのを許さず厳しく罰することを警告していた。他方で通商目的の入港の安全を保障し、南蛮貿易を保護する意向を示してもいたが、ヴァリニャーノは痛烈な内容に驚愕し、前田玄以に仲介を頼み込んで何とか表現を穏やかにするように苦心した。 詳細は「天正遣欧少年使節」および「バテレン追放令」を参照 この書簡には恩賜品の武具一式が添えられていたが、これは軍事的威嚇の意味があったのではないかとも解釈されている。バテレン追放令は一時期緩和された後で、二度目の発令で強化され、組屋文書では、加藤清正と小西行長には天竺(印度)の領地の切り取り自由の許しが与えられていた。
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インド(およびネパール)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 13:10 UTC 版)
釈迦の生誕の地であるカピラバストゥは釈迦晩年に毘瑠璃王により破壊され廃城となった状態であったが、釈迦の死後数百年後には、仏教の僧によって釈迦生誕の地とされるカピラヴァストゥやルンビニ地域への巡礼が行われるようになっていたことが知られている。有名な僧ではたとえば5世紀に法顕、7世紀に玄奘などもカピラバストゥに巡礼で訪れそれを文書に残した。だが,やがて同地域で仏教にかわってヒンドゥー教やイスラム教が信仰されるようになった結果、仏僧による巡礼も途絶えるようになり、14世紀ころにはカピラヴァストゥの場所が分からなくなってしまい、(UNESCOの調査によると)15世紀ころにはルンビニ地域への巡礼も途絶えてしまったようだ、という。 (1956年にビームラーオ・ラームジー・アンベードカルらが始めた仏教復興運動(新仏教運動)によってインドに数十万人の仏教徒が登場し、その結果 仏教の巡礼が再び行われるようになっていった。) 現在の仏僧や仏教徒の巡礼地として有名なところとしては、ルンビニ(生誕地)、ブッダガヤ(成道、つまり悟りに至った地)、サールナート(説法を開始した地)、クシナガラ(入滅した地)の「仏教四大聖地」がある。熱心な仏教徒が世界各地からやって来る。またそれにさらに4カ所を加えた「仏教八大聖地」へ巡礼する人もいる。
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インド(仏教など)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:33 UTC 版)
古代インドでは、紀元前10世紀頃のアーリヤ人侵入以降、そのバラモン階級が伝統的に祭祀・思想の一切を取り仕切ってきたが、紀元前6世紀頃から、中心地であるガンジス川流域において、非バラモン階級の出家者(沙門)達が、従来のバラモン教的伝統に囚われない自由思想家として登場・活躍するようになり、唯物論も含む様々な思想が説かれるようになった。(参考: 六師外道) その内の1つであった仏教では、開祖であるゴータマ(釈迦)によって、人間は出自ではなくその行い(身口意の「三業」の善し悪し)によって判断されなくてはならないとして、カーストの階級による区別・差別が否定され、徹底した平等主義が説かれ、また実践された。 初期仏教では、僧伽(僧団)に属する出家者(比丘・比丘尼)が涅槃到達・解脱のための修行を行いつつ、在家信徒へ智慧・徳を与え、その見返りとして在家信徒が食物・物品を彼らに提供するという共存関係で成り立っていたが、この関係は在家信徒側に不満・疎外感を蓄積させていく格好となり、やがて衆生救済に励む「菩薩」信仰を派生させ、大乗仏教という仏教改革・革新運動成立の1つの要因・背景となった。そうして成立した大乗仏教の経典においては、『維摩経』『勝鬘経』のように在家信徒を題材として扱ったり、『法華経』『涅槃経』のように仏性・如来蔵思想が強調されるなどして、在家信徒を含む平等主義がより強調されるようになって行った。 (更に後の仏教においては、大衆的な宗教であるヒンドゥー教の台頭に伴い、それに対抗していくために、土俗の様々な呪術を取り入れたり、現世利益を強調する一方、そうした中で僧侶側の理論・行法の高度化・秘術化、大衆との差異化の探求も進み、それらが結合して密教が成立していくことになった。)
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インド(作法)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:30 UTC 版)
植民地時代にイギリスの影響を受けて独自の喫茶文化を発達させた。チャイと呼ばれる非常に甘い煮出し式ミルクティーを飲む習慣がある。
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インド
出典:『Wiktionary』 (2021/06/20 11:09 UTC 版)
語源
- 古くから仏教関係で使用される印度を、ヨーロッパ諸語と音が通じるため外来語風にカタカナ表記したものであろう。
- なお、「印度」は玄奘著『大唐西域記』において、この領域を呼称するのに用いた語で、インダス川を意味するサンスクリットसिन्धु等を音写したもの。
名詞
- (国家)南アジアの国。首都はニューデリー。
- (歴史・地域)語義1の国の他、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、ブータン、スリランカなどを含む文化圏。隣接するイラン、アフガニスタン、チベット、ミャンマー(ビルマ)の文化圏は含まない。概ね、インダス川・ガンジス川流域を発祥とするバラモン教・ヒンズー教の影響を強く受けた地域ということができるが、この領域に含まれる人種・民族・言語系統・宗教・習俗は種種雑多で一般的に共通する性質があるわけではなく、あえて言えば、1937年ビルマが分離された後のインド帝国の領域である。
関連語
翻訳
- アムハラ語: ህንድ (Hənd)
- アラビア語: الهند (al-Hind)
- アルメニア語: Հնդկաստան (Hndkastan)
- イタリア語: India 女性
- イディッシュ語: אינדיע (Indie)
- インターリングア: India
- インドネシア語: India
- ウルドゥー語: بهارت (Bhārat), انڈیا (I.n.diyā), ہندوستان (Hindustān)
- 英語: India
- エストニア語: India
- エスペラント: Barato, Hindujo, Hindio, Bharato, Hinda Unio
- オランダ語: Indië
- カタルーニャ語: Índia 女性
- カンナダ語: ಭಾರತ (Bhārata)
- ギリシア語: Ινδία (Indía) 女性
- グジャラート語: ભારત (Bhārat), ઈન્ડિયા (Īn.diyā), હિંદ (Hi.nd)
- グルジア語: ინდოეთი (Indoeti)
- 古典ギリシア語: Ἰνδία (Indía) 女性
- シンド語: ڀارت (Bharatu), هندستان (Hindustānu), هند (Hindu)
- スウェーデン語: Indien
- スペイン語: India 女性
- スロヴェニア語: Indija
- セルビア語: Индија 女性
- タイ語: อินเดีย
- タミル語: இந்தியா (Intiyā)
- 中国語: 印度 (Yìndù)
- 朝鮮語: 인도 (Indo)
- ディベヒ語: އިންޑިއާ (Inḋi’ā)
- テルグ語: ఇండియా (Indiyā), భారత దేశము (Bhārata Dēšamu)
- デンマーク語: Indien
- ドイツ語: Indien 中性
- トルコ語: Hindistan、Hint
- ノルウェー語: India
- ハンガリー語: India
- パンジャブ語: ਭਾਰਤ (Bhārat), ਹਿੰਦ (Hi.nd), ਹਿੰਦੁਸਤਾਨ (Hi.ndustān)
- ヒンディー語: भारत (Bhārat), इंडिया (I.n.diyā), हिन्दुस्तान (Hindustān)
- フィンランド語: Intia
- フランス語: Inde 女性
- ブルトン語: India
- ヘブライ語: הודו (Hodu)
- ペルシア語: هند (Hend), هندوستان (Hendustan)
- ポーランド語: Indie
- ボスニア語: Indija 女性
- ポルトガル語: Índia 女性
- マラーティー語: भारत (Bhārat)
- マレー語: India
- ラテン語: India 女性
- ルーマニア語: India 女性
- ロシア語: Индия (Índija) 女性
「インド」の例文・使い方・用例・文例
- 重役会はインドネシアに支店を開設することに合意しなかった
- 我が国の首相は昨日インドの首相と会見した
- コロンブスはインド到達を決してあきらめなかった
- ブラインドを降ろす
- ブラインドを下ろしてくださいますか
- ショーウインドーのドレスに私の目が留まった
- インドからの訪問客のためにパーティーを開いた
- インドゾウ
- 彼女と私はウインドーショッピングをして1時間をつぶした
- インドネシアの勤務地に行くときには家族はあとに残した
- わたしはインドに行こうと考えている
- これはインドについての本である
- 彼女は窓のブラインドを下ろした
- 彼女は彼にブラインドを下ろしてくれるように頼んだ
- インド亜大陸
- 英国によってインドに押しつけられた政策
- 我々は今インド洋にいます
- 「原宿でウインドウショッピングしようよ」「それはいい」
- 窓のブラインドを巻き上げる
- ウインドーショッピングに行く
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