密教とは?

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 宗教 > 仏教 > 密教 > 密教の意味・解説 

みっ きょう -けう [1] [0] 【密教】

大日如来が自らの悟りのなかで,自らの悟りを楽しみながら説く奥深い絶対真理教え。「大日経」「金剛頂経」などがその代表的経典仏教の中で特に祈禱重視し,そのため呪文儀式整備している。日本には空海伝え真言宗系の東密と,最澄伝え天台宗系の台密がある。 ↔ 顕教(けんぎよう)真言宗

密教

読み方:ミッキョウ(mikkyou)

大乗仏教の中の一系統で、大日如来本尊とする真言密教教え


密教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/21 20:30 UTC 版)

密教(みっきょう)とは、「秘密の教え」を意味し[出 1]、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し[出 2]、「秘密仏教」の略称とも言われる[出 3]中国語圏では一般に「密宗」(ミイゾン)という[1]




  1. ^ 何を以って優れているとするかはその教派によって異なり、小乗・大乗より上位に位置づける異例の教義解釈を持つ宗派もある。また、正しい儀式に則った灌頂と、その儀式のなかで小乗戒と呼ばれる三帰依戒、在家五戒八斎戒や、と呼ばれる出家のための沙弥戒・具足戒と、大乗戒に属する菩提心戒・十善戒菩薩戒、密教の各種の三昧耶戒を必ず儀式の中で段階的に授かり、その上でそれらを守ることを忘れ、インド密教から中国密教や日本密教、あるいはチベット密教への先人たちの努力と文化の継承、伝統戒律等々をないがしろにして、いわゆる奇跡や超能力を売り物にしてしまうような誤った解釈がオウム真理教の教義に影響を及ぼしたとみられる。
  1. ^ この言葉は唐代の恵果阿闍梨以前に遡る用語であり、空海の著作の中にも見える。日本でも江戸時代には普通に使用されていた。一例として、明治18年に東京・宝泉寺発行の『大聖歓喜天順世随願記』には、こう書かれている - 「上品の供と云うは、浴油供と称して、この尊最極の秘法なり。此れは在家の者の修すべきにあらず、密宗阿闍梨に請いて、其の供養を奉るべし」。また、大正年間から昭和の始めまで、真言宗京都大学で栂尾祥雲や小田慈舟が主幹を務めた機関紙の名は『密宗学報』といい、このことからも戦前までは日本でも「密宗」の名が使われていたことが分かる。
  2. ^ 原語で「スートラ」は縦糸を意味し、主に仏陀に帰着する仏典である「小乗経典」や「大乗経典」を指しており、「タントラ」は横糸を意味し儀軌類の総称であり、広く中期・後期の「密教経典」(秘密儀軌)を指している。どの経典を密教経典に分類するかは、日本密教、中国密教、チベット密教で差異があり、チベットでは『金光明経』等の大乗期の経典、『初会金剛頂経』のようなスートラと名づく中期密教の経典を含めて、密教経典である「タントラ」(チベット語で「ギュー」)と呼称する。
  3. ^ 大意としては、師匠から弟子へと直接的な伝授を行なうことで、個別の伝授を指す。基本的には一対一の伝授が望ましいが、現在の日本では学校形式の伝授も行なわれている。チベット密教では現在でも、無上瑜伽タントラに属する四大タントラの灌頂は25人以下、特別な灌頂や伝授は5人以下、口訣は一対一とされている。類義語に「面授口訣」や、「一子相伝」がある。
  4. ^ 恵果阿闍梨と空海に見るような師と弟子の出会い、ある意味で偶然とも言える機会のこと。「一期一会」の貴重な出会い。
  5. ^ ここで「与奪は」とは、師から「密教の教えを授かるか否かは」の意味。後段で述べるように、教えを授かる行為は、師の問題ではなく、弟子の問題だとしている点に注目される。
  6. ^ 『性霊集』の巻第十には同じく「秘蔵(密教)の奥旨(おうし:奥義)は、文字を得ることを貴しとせず。唯(ただ)、心をもって心に伝うるにあり、文はこれ糟粕(そうはく)、文はこれ瓦礫(がれき)なり。糟粕と瓦礫とを受くれば、則ち粋実至実(すいじつしじつ:純粋な真実の教え)を失う。真を捨てて偽を拾うは、愚人の法なり。愚人の法には、汝は随うべからず。」と、重ねてはっきりと、密教が文字によらない教えであることについて述べている。
  7. ^ 灌頂や伝授に伴う尊挌の印契の諸相や、その真言を書き記したもの。
  8. ^ 密教が文字によらない教えであることに対しては、奈良仏教においては、当時の中国()で梵語(サンスクリット)から漢文に翻訳された「翻訳仏教」の経典に基づき、文字によって仏教を理解し、教えを伝承しようとした「筆授」(ひつじゅ)の伝統があった。これに対し空海は、梵語により直接インド直系の大乗仏教として密教を学び、弟子にも梵語に基づいた仏典を読むことを勧め、また、密教は仏の言葉とする真言(マントラ:真理を表す梵語の呪文)や声明を唱え、「面授口訣」を基とする直接的な伝授によるところから、当時、顕教である法華・律・禅と、密教との四教の併設を朝廷に申請していた最澄をして、空海は日本の伝統である「筆授」をないがしろにしていると思わしめた。このことが平安仏教を代表する二人が袂を別つ大きな原因ともなった。
  9. ^ ここでいう「小乗戒」とは、三帰依戒・五戒八斎戒等を指す。
  10. ^ ここでいう「大乗戒」とは、十善戒・菩提心戒・菩薩戒等を指す。なお、大乗と密教の「菩提心戒」は当初の条項は同じでもその解釈と口伝は異なるため、大乗戒の場合は、日本では受戒後に『心地観経』や『菩薩瓔珞本業経』に基づく「四求誓願」を唱え、チベットでは世俗の菩提心である「慈悲」を説く。密教戒の場合は、日本では受戒後に仏の五智に基づく「五大願」を唱えたり、「発菩提心」(ほつぼだいしん)の印信を与え、チベットでは世俗の菩提心に加えて「勝義の菩提心」を説く。
  11. ^ ここでいう「三昧耶戒」とは、十四根本堕・八支粗罪戒等を指す。
  12. ^ 無上瑜伽タントラでは、阿闍梨戒・五智如来の三昧耶戒・身口意三業三昧耶戒・各タントラ経典に説く戒律(例:「大幻化網戒」)・師事法五十頌等の「無上瑜伽戒」が説かれる。
  13. ^ 中国訳では「無上密戒」と表記される。
  14. ^ チベット密教では、四大宗派のうちインド伝来であるニンマ派サキャ派カギュ派においては、この「密教の三原則」のうち3則〜1則を説くが、チベットで創始されたゲルク派においては説かない。そのため、今までの日本の密教学では、文献研究や、限られた資料であるゲルク派の宗学(しゅうがく:宗派の学問や学説)を通してのみチベット密教を研究していたため、後期密教では「密教の三原則」を説かず、歴史上の空海だけが「密教の三原則」を説くものと考えられていた。しかし現在では、ニンマ派をはじめとする他派の教えや中国密教(唐密)の教えを直接チベット人や中国人から学んだ日本人が多数いるため、そうした考えは見直されてきており、「密教の三原則」は中期密教や後期密教にも適用して考えられるようになっている。[この項、チベット密教については『チベット文化研究所会報』(T・C・C)・『大輪金剛手灌頂法会』(ダライ・ラマ法王日本事務所)・『無上ヨガ・タントラ灌頂法会』(蓮華堂)、中国密教については台湾の『總持寺雑誌』・『台中大山寺雑誌』等を参照した。]
  15. ^ 出家・在家にかかわらず、いわゆる女性が優れた信仰と修行を通じて、覚りを開いて仏となること。
  16. ^ 意味は「瓶から瓶へ水を漏らさず移しかえたようだ」となる。
  17. ^ 「血脈」(けちみゃく)とは、簡単に言うと密教における伝承系統を意味する。瑜伽行者にとっては、教えの血肉の如き法脈を意味するため「血脈」と名付けられている。特に無上瑜伽タントラでは、この「血脈」をたどって法の加持(かじ)が行者に届くとされており、水道に譬えるとその蛇口に当たる自身の「根本ラマ」(師僧)は、仏にも等しい存在と考えられている。ただし、色々な宗派や流派から沢山の教えを授かったとしても、自身の心臓が一つであり、本当の両親は二人しかいないのと同様に、瑜伽行者自身の覚醒を直接促してくれたラマと、覚醒に関係する種々の戒律を正しく授けてくれたラマのみを「根本ラマ」とする。ちなみに、日本密教では師僧は得度に当たっての後見人であり、教えの上におけるパトロンのような存在なので、やはり生涯において一人となる。
  18. ^ チベット語で「ツァエ・ラマ」といい、中国訳は「根本上師」と表記する。また、通常は僧侶のことを「ラマ」と呼ぶ。かってのチベットでは、口減らしのためにお寺に来た子供に対して、僧侶の見習いとして衣食住の面倒をみて、読み書きを教え、一人前に成長した段階で還俗させて、職業につけるように仕事を斡旋した。いわゆる親以上の世話をやいた中から、才能のある者や信仰心に篤い者だけを寺に残して、更に僧侶としての教育を施した。基本的にその行為は無償で見返りを求めないものであるため、師僧は弟子にとって恩義を感じる対象となっていて、その関係は還俗するしないに関係なく、お互いの交流は一生涯続く。それ故、根本ラマへの祈願は命がけともいえる渇望と、感謝とに満ちて行なわれるのである。
  19. ^ この『四分律』は、中国仏教と日本仏教に伝わる戒律の系統である。戒律を正しく守る際には、これは出家戒であるから出家者に対して適用され、在家者の場合はこれに該当しない。また、漢訳の『梵網経』に説かれる「菩薩戒」は、出家のための「菩薩戒」であるから同じく在家者には適用されない。この漢訳『梵網経』に説かれる「菩薩戒」を出家の戒とするのは、次の二つの理由による。一つには、中国密教における伝戒によるものである。文献上だけでなく、実際に戒律を受けると授者は『戒牒』を授かり、その『戒牒』には戒脈と戒歴が書かれているのでその理由が理解できる。また、中国では寺院ごとに『護戒牒』として戒脈と由来を掲示しているところもある。日本に漢訳の『梵網経』の「菩薩戒」が伝わったのは、歴史上では鑑真によるものであるが、鑑真自身はその伝記資料である『唐大和上東征伝』やその他の資料にもあるように、漢訳の『梵網経』に基づく「菩薩戒」と、『瑜伽師地論』に基づく瑜伽の「菩薩戒」と、在家の『優婆塞戒経』に基づく在家の「菩薩戒」を伝えていたが、『唐大和上東征伝』にあるように、出家のための体系的な諸戒律を伝える必要性と、当時の密教を伝授することを目的としたためか、漢訳の『梵網経』に説く「菩薩戒」のみを日本で伝戒したので、「菩薩戒」に三つの系統があることは日本では研究者以外にはあまり知られてはいない。もう一つの理由としては最澄の発願による日本天台宗の立宗にある。最澄は漢訳の『梵網経』に説く「菩薩戒」を拠所として、『大乗戒壇』による「菩薩戒」のみによる出家を主張し、死後に弟子達の努力によってそれが朝廷に認められた。さらには、『梵網経』による「菩薩戒」には、「十重禁戒」として「殺生」と「女犯」と「酒の売買」とを禁止し、「妻帯」と「飲酒」の因となる全ての行為を禁止し、また、「殺生」については、生き物を殺すことを許さず、さらに「殺生」の因となる全ての行為を禁止しているので、たとえば食肉畜産調理や魚肉製品の流通等の全てを禁止し、たとえ害虫であっても殺してはならないことになる。これらを行った際には全ての資格を剥奪し、資産を放棄させ、あらゆる仏教教団から排斥される。このような内容をもつ漢訳の『梵網経』による「菩薩戒」が内容から言って在家戒律とは考え難く、もし、出家の戒でないとしたなら『大乗戒壇』は成立し得ないことになり、最澄の理解や当時の朝廷の判断が間違っていることになる。無論、このようなことはありえないので、この点からも漢訳の『梵網経』に説く「菩薩戒」は出家の戒であることが理解できる。また、チベット密教において、インド伝来の宗派であるニンマ派・サキャ派・カギュ派の三派は『瑜伽師地論』に基づく「菩薩戒」を伝承し、そして、中国仏教では『優婆塞戒経』に説かれる「在家菩薩戒」を今も伝承している。ちなみに、通常の場合在家が受戒するには『小乗戒』の「三帰依戒」・優婆塞の「五戒」・「八斎戒」(大乗では月に6日間、密教では月に10日間守る)に加えて、『大乗戒』の「菩提心戒」・「十善戒」・「菩薩戒」を授かることになるが、これらの諸戒と共に漢訳の『梵網経』に説く十重禁四十八軽戒(全部で58の戒律)を、鑑真の時代の在家者が重ねて授かり、授戒者として毎月二度の『布薩会』(ふさつえ:懺悔と受戒の法会)を実修することは非常に困難であり、なおかつ現代の日本でもこれらを実際に守り行なうことは一般人には難しいといえる。現在の日本では戒律を伝承しておらず、今のところチベット密教中国密教等における密教の諸戒律の詳しい資料の参照は困難を伴う。
  20. ^ この項は、「皈依灌頂儀軌」・「梵網經菩薩戒本」・「在家菩薩戒本講解」(普方金剛大阿闍梨 著)を参考とした。
  21. ^ 戒律には戒脈(かいみゃく)と呼ばれる系統があり、密教の血脈と同様に系統によって全く異なる趣(おもむき)があるため、先の『四分律』を守る者は、この『十誦律』を守る必要がなく、『十誦律』を守る者は『四分律』守る必要はない。その関係は茶道表千家裏千家のようなもので、参考にはなるが両者を混ぜることはしない。一方、『十誦律』は部派仏教の「説一切有部」において継承された戒の系統である。
  22. ^ 歴史上の釈尊とその時代の弟子たちに始まる「護身呪」の系統上にある密教経典も多数伝えられており、大正大蔵経21巻に収められている『除一切疾病陀羅尼経』(一巻、唐・不空訳)、『能除一切眼疾病陀羅尼経』(一巻、唐・不空訳)、『仏説療痔病経』(一巻、唐・義浄訳)、『仏説呪時気病経』(一巻、失訳人名)、『仏説呪歯経』(一巻、東晋・曇無蘭訳)、『仏説呪目経』(一巻、失訳人名)、『仏説呪小児経』(一巻、失訳人名)等がよく知られている。密教はもともとこうした釈尊の時代の教えに立ち返って、現世利益を否定しない正直な祈りの心から「護身呪」が口をついて出ることはよくあり、日常的な陀羅尼として蛇をよけるための「孔雀呪」(避蛇呪)と呼ばれる陀羅尼は、現在の日本密教でもよく知られる孔雀明王の「孔雀明王真言」となって密教にも残っている。また、先に挙げた経典に見られるように、同時代の遊行者としての出家者は医者にかかることも困難であり歯医者の技術もなかったため、歯の痛み止めとしての「止痛陀羅尼」を唱えて気を紛らわせ、精神力をもって痛みを堪えることを常としていた。この呪は岩山の山頂に寺を構えた中国の禅宗においても重宝されたが、日本では高野山においても江戸時代まではよく唱えられていた。現在でも高野山には古い時代の僧侶の墓が多く残されているが、昔のものは若くして亡くなった方々が多く、その中には歯の病気で亡くなった僧侶の墓も多数見かけることができる。このように、呪は勉強や修行として改まったものだけではなく、日常のものとして行住座臥である「四威儀」として密教僧の生活に息づき、それは今も釈尊の時代の生活を肌で感じさせる一因ともなっている。
  23. ^ 大日如来を中心とした五仏(五智如来)。
  24. ^ 密教という潮流にあっても、当時のインド仏教界では伝統的な部派仏教のひとつである正量部の勢力が強かったという見解もある。
  25. ^ 方便と智慧とが一体となった菩提心が完成された状態からもたらされる密教の智慧。日本の密教では「法界体性智」や、「金胎不二」とも表現される。仏教学的には唯識でいう難しい問題を含む内容でもある「境識倶眠」(きょうしきくみん)の状態を指す真理に対して用いられる 「性相即融」(しょうそうそくゆう)や、「性相不二」(しょうそうふに)の境地から来る、仏としての智慧を表したものと考えられる。唯識学における顕教の法相宗が主張する、「性相永別」(しょうそうえいべつ)とは全く異なる見解を指すもので、「二而不二」(ににふに)ともいう。
  26. ^ 現在、そうした生理的なヨーガは一般に「クンダリニー・ヨーガ」(中国語では「軍荼利瑜伽」あるいは「軍荼利密」)の名で知られるが、これは本来、ヒンドゥー教のシヴァ教を背景としたハタヨーガの用語であり、「クンダリニー」ないし「クンダリー」は蛇形の女神で象徴される潜勢力(シヴァ神の力たる女神シャクティ)を表す(このクンダリーを明王の威神力になぞらえたのが密教の軍荼利明王であるとも言われる。〔佐藤任 『密教の神々』 平凡社ライブラリー、p.308 参照〕)。仏教の文脈においてクンダリニー・ヨーガに相当するのはチャンダーリー・ヨーガであり、チベット密教では「トゥンモ・ナルジョル」(中国語:拙火瑜伽)という究竟次第系の瑜伽行のひとつである。「チャンダーリー」(チベット語風にはツァンダリー、漢訳:賛拏梨)は母タントラ系の仏教タントラの用語であり、原義は「チャンダーラ種の女」であるとも言われる(チャンダーラはインドのアウトカースト)。クンダリニー・ヨーガについては、日本では神秘主義やオカルト的なイメージが先行するが、これは19世紀以降にインド内外に広まったヒンドゥー教のヨーガの知識によるものである。近代のヒンドゥー・ヨーガは主にヴェーダーンタ思想を所依としており、肉体の常住と実我(真我)を否定する仏教を背景とした密教の生理的な瞑想の瑜伽行とは異なる世界観を背景とするものである。また日本密教では、その一部が古密教の『覧字観』(らんじかん)における「正法輪」(チベット密教では大楽輪)や「五輪観」の各輪(チャクラ)における智火による浄化、五大明王の「軍荼利明王」として登場する。
  27. ^ 密教の僧侶や瑜伽行者が必ず守るべきものとして「三昧耶戒」がある。その中でも、中期密教で成立していた戒律として「十四根本堕」と、「八支粗罪戒」とが挙げられるが、後者の「八支粗罪戒」は8世紀から10世紀には既に成立していたと見られ、その条項の第1条には「密教の諸戒律灌頂とを欠いて、明妃を得ることをしてはならない」とあり、第3条には「世俗の女性と甘露とを、自力で得ることをしてはならない」というのがある。第1条にある「諸戒律」とは、小乗・大乗・金剛乗の全ての戒律を指し、無論、侶の場合には具足戒をも含める。これらの戒律を破れば密教の「波羅夷罪」に相当し、全ての資格や地位を剥奪されて、あらゆる仏教教団から追放される。また、ここでいう「明妃」とは、密教の女尊(仏母・空行母)や女性のパートナーを指すことは言うまでもない。更には、第3条において「世俗の女性」とは、在家信者や戒律を守らない女性の瑜伽行者を指し、これらを「自力で得てはならない」とは、自分の判断で勝手に選んで、なにも知らない女性を密教や日常生活のパートナーとしてはならないということである。今日、中国密教ではこの「八支粗罪戒」についての龍樹阿闍梨(龍猛菩薩、密教の龍樹菩薩)の口伝を伝えているところから、密教では、比較的早期において修行に性的な問題を持ち込まないように配慮されていたとも考えられうる。また、後期密教においても、無上瑜伽タントラ三昧耶戒である「身口意三業三昧耶戒」の「身業戒」において、出家者には「不淫」(異性や同性との性交渉の禁止)を説き、在家者には「不邪淫」(不倫の禁止)を説いていることからも、そうした傾向は、決して一時的なものではなかったことが分かる。日本密教では、鎌倉時代と明治時代における廃仏毀釈の二度にわたって具足戒菩薩戒をはじめとする諸戒律を失った歴史的な経緯があり、現在はこれらの密教における「三昧耶戒」の教えや、口伝を伝えてはいない。
  28. ^ 例えば「ナーローの六法」の「チャンダーリーの火」では、3本の主要な脈管の下端(秘密処:会陰部ないし下丹田に当たる)にある「生法宮」に内的な火(拙火)を起こし(臍のチャクラにて点火する説もある)、「智火」を中央脈管に入れて上昇・下降させる。完成段階の「智火」をチベット密教では「チャンダーリーの火」という。なお、「生法宮」(しょうほうきゅう)とは「智慧の火」を生み出す空行母(ダーキニー)の宮殿のことで、日本風にいうと宝楼閣。『ヴァジュラバイラヴァ』の儀軌やクンダリニー・ヨーガ等ではチャクラともされるが、本来はそれぞれ別のものをいう。また、「智火」(ちか)をプラーナとする説もある。チベット密教における内的な瑜伽行には段階があり、最初に左右の脈管から中央にルン(風:サンスクリットでプラーナ)を通して浄化を行い、中央の脈管が通じるようになった後にチャクラ(輪:日本密教では「胎蔵界法」における五輪観などで知られる)を稼動させる。それができて初めて中央の脈管や左右の脈管が完全に浄化され、次に「生法宮」において「智火」(智慧の火)を起こす。智慧はサンスクリットで女性名詞に当たるため空行母として表現されるが、この「智火」を何度か中央の脈管を通すことができれば、チャクラにおける脈管の結び目が解けてくるので、最後に大きな「智火」を起こして中央の脈管に通すことで内的な瑜伽行が完成するとされる。
  29. ^ たとえば、『密教とマンダラ』(NHKライブラリー), 頼富本宏, 2003年4月, ISBN 978-4140841617
  30. ^ チベット語の「サンガク・ニンマ」を現在は「古密教」と訳すが、日本の古密教とは別のもの。いわゆる11世紀以降のチベットの「新訳密教」よりは古いが、日本に伝わった密教よりは新しいとされる密教を指す。
  31. ^ 漢名:蓮華生大師、その行跡の多くは伝説と謎に包まれているが、西暦810年にサムイェー寺の建立に立会い、主に密教経典の翻訳に深く関わった。一応の目安としては、800〜834年頃までチベットに滞在したとする説がある。
  32. ^ 通常は『金剛界曼荼羅』の呼称に倣って「胎蔵界曼荼羅」と呼ばれているが、『大悲胎蔵曼荼羅』には種々の系統があり、ここでは直接的には『西院曼荼羅』の「胎蔵界曼荼羅」を指す。一般に知られているのは真言宗では東寺の『現図曼荼羅』と、天台宗では三十三間堂の「胎蔵界曼荼羅」であるが、尊挌の移動が見られる。また、江戸時代以降の「胎蔵界曼荼羅」は表現そのものや、尊挌自体が違っているものもあるので、専門的にいうと一様に扱うのには問題があると思われる。なお、今日「胎蔵界曼荼羅」の名称として『大悲胎蔵生曼荼羅』とされる場合もあるが、これは『大日経』の「具縁品第二」以下に説かれる曼荼羅で、白描の断片的な写本類を除けば正確にはこの曼荼羅は現在の日本密教には存在せず、チベット密教にのみ伝わるものである。恵果阿闍梨の監修になる「胎蔵界曼荼羅」は、石田尚豊らの報告にもあるように複数の経典を参考としている。チベット密教では『大日経』が作タントラに配されるため、その曼荼羅や修行法が無上瑜伽タントラに劣るとされるが、既に「胎蔵界曼荼羅」に見え、『金剛界曼荼羅』もこれに準じているように、弘法大師空海の請来した密教には、必ずしもその定義は当てはまらない。また「胎蔵界曼荼羅」には、当時は未訳であったと思われる『大幻網タントラ』の先行経典の諸尊も描かれ、事相面でも古密教を伝える「小僧次第」等の古次第にはチベット密教で不明とされている事相の重要な部分への記述もみられるので、曼荼羅研究と共に今後も比較検討が必要である。
  33. ^ 「卻瘟神呪」(ぎやくおんじんしゅ)の中に沙羅佉(サラハ)の名前が三回登場し、呼びかけられる。チベット密教にはサラハに類する真言は伝わっていないので、当時、直接インドから中国へと伝わった真言の一つと見られる。
  34. ^ 戒律復興に勤めたために、密教の「阿闍梨」としてより、戒律を授ける「律師」の名で呼ばれる。出身地の九州では、北島雪山(1636-1697)や秋山玉山(1702-1764)と共に「肥後三筆」に数えられ、数多くの書の作品を残している。
  35. ^ 『準提懺摩法 全』は、準提仏母(準提観音)を主尊とする「懺法」(さんぽう、ぜんぽう)の次第書。歴史上の釈尊以来の教えとして、小乗・大乗・金剛乗(密教)に共通して、正式な仏教徒になるためには戒律を授かる必要があり、また、更に仏教徒となって戒律を授かった人々は、その戒律を維持するために毎月2回、普通は新月と満月の時か、旧暦の1日と15日に集まって懺悔(さんげ)のための『布薩会』(ふさつえ)という法要を行なわなければならない。中国ではこれを「懺法」と呼んで、中国仏教では禅宗等を中心として現在でも民間に広く行なわれている。日本では、大正時代までは行なわれていたが、現在は戒律が失われたため民間信仰としての「地蔵講」や「庚申講」などに形をとどめている。チベット密教では現在も新月をダキニの日、満月をデワ(護法)の日と呼んでプジャ(法要)を行って、お寺の正式な法要では各本尊の「懺法」を実施している。この豪潮律師が伝えた『準提懺摩法 全』は江戸本郷街にあった喜福寺の蔵版によるもので、名古屋地方でも同本が使用されていた。他に現存する資料としては、豪潮律師の密教の伝授に基づき、弟子の亮照が記した『仏母準提供私記』(四度立ての供養法次第)等がある。
  36. ^ その著作の『普通真言蔵』は、サンスクリットの研究が進んだ今でも、マントラ(真言)を唱える参考資料として真言宗で用いられている。
  37. ^ 叡尊によって空海と並ぶ日本の密教者として祭り上げられた聖徳太子だが、例えば、法隆寺に現在も伝えられている聖徳太子の念持仏であった如意輪観音像(重要文化財)は、そうされることの一因ともなった歴史的な意味をもつ優れた資料である。
  38. ^ 平安時代に中国の唐に渡って、経典や密教を日本に伝えた僧侶。最澄空海常暁円行円仁恵運円珍宗叡の八人を言う。
  39. ^ 現在、真言宗では中院流と伝法院流の一部、天台宗では穴太流の傍流に細々と伝わっている。中院流のものは口伝を文字にして相伝してしまったため既にその意味を喪失し、いわゆる「余話」として伝わっている程度となってしまった。伝法院流と穴太流のものは、伝承者が高齢のためもう相伝されることはないと思われる。古密教の特徴は伝統の声明と同じく、伝授に際しては次第の閲覧や、録音やノートを一切許さず口伝のみで、今日でも華道や日本武道のように「巻物」の次第や「折紙」を使用する。また、巻物のサイズも決まっていて、弘法大師空海の著作に倣って縦約32センチの長尺の「巻物」を使用しているので、古密教のそれとすぐ分かるようになっている。また、東大寺興福寺に伝った古密教は、平安末期の南都焼討によって失伝したと見られる。
  40. ^ 現在の日本密教では烏枢沙摩明王と異名同体として同じ尊挌とされるが、中国密教では異名異体として別々の尊挌とされる。重要な資料としてはこの尊挌の修法を記した空海による録外の請来品の一つである「金剛童子随心咒」(巻子本、重文)がある。この資料は長く加賀の前田家に秘蔵されていたため、書道の分野では有名な資料にも関わらず密教の事相家には全く知られていない。伝来では空海の直筆とされていたが、調査によって空海以前の唐僧の手によるものと鑑定されて、国宝に認定された。この資料の中には、クンダリニー・ヨーガの智火の起源に関係する「火頭金剛」の咒法等も説かれ、後の「三宝荒神」の起源の一つともなった。
  41. ^ 今日、中国密教で「准胝法」と呼ばれる修法の基本テキストとされている。そして、明代福州市にあった准胝観音を祀った寺院「準提堂」からの伝が、当時の日本と、現在の台湾や香港に伝わっている。内容は東密とチベット密教に通じる修法と観想法を含みインド密教を源流とするが、直接の指導を受けなければ、ただの「礼讃法」と誤解するものとなっている。事実、台湾で一般に広く知られているものは中国密教と呼ぶが、中国禅の「礼賛法」である。
  42. ^ この書は、日本の豪潮律師が残した『準提懺摩法 全』の原典に当たる。現在の中国禅では、原題のまま「懺悔文」として唱えられているが、中国密教では『準提大曼荼羅法』と呼ばれ、同じ文章のテキストではあるが口伝に基づき「布薩会次第」、「葬儀次第」、「大曼荼羅供養次第」として内容を差し替えて別々の法要に用いられる。そのため、文献上で調べてもその違いや実際の修法は全く分からないようになっている。文字によらない教えとされる密教の特徴はこのようなところにも顕われている。
  43. ^ 『顕密圓通成仏論』ともいう。中華電子佛典協會 《顯密圓通成佛心要集》(2012年8月26日閲覧)
  44. ^ 修道上において、浄土の思想や方法を併せて理解し兼修すること。日本では、禅の立場からは「念仏禅」といわれる黄檗宗の一派、浄土の立場からは浄土宗の藤吉慈海らが知られている。
  45. ^ 法輪功問題を契機に終息した中国本土の気功ブーム華やかなりし頃、チベット密教の行法を信仰から切り離して気功法として行う「蔵密気功」が各地で宣伝されたが、本物のチベット密教ではなく、イメージ先行のはったりに過ぎない場合も多かったとの批判がある(学研 『実践 四大功法のすべて』 理論編 p106 参照)。
  46. ^ たとえば『図説古代密儀宗教』(ジョスリン・ゴドウィン、吉村正和訳 平凡社 1995年)。
  1. ^ 中村元三枝充悳 『バウッダ』 小学館〈小学館ライブラリー〉、1996年 p.394
  2. ^ 『岩波 仏教辞典 第二版』 p.964
  3. ^ 天台寺門宗のHP解説
  4. ^ 宮坂宥勝監修 『空海コレクション 1』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、p.412
  5. ^ 中村元、三枝充悳 『バウッダ 佛教』 小学館〈小学館ライブラリー〉、1996年、395頁。
  6. ^ 立川武蔵 『聖なるもの 俗なるもの』 講談社〈講談社選書メチエ〉、pp.175-176
  7. ^ 『岩波 仏教辞典 第二版』 p.351
  8. ^ 『哲学・思想事典』
  9. ^ 爾時婆伽婆。在舎衛国祇樹給孤独園。時有六群比丘尼。誦種種雑呪術。或支節呪、或刹利呪、鬼呪、吉凶呪、或習転鹿輪卜、或習解知音声。(…)若比丘尼誦習世俗呪術者波逸提。(…)世俗呪術者、支節乃至解知音声也。比丘尼誦習世俗呪術乃至音声、若口受若執文誦、説而了了波逸提、不了了突吉羅、比丘突吉羅、式叉摩那沙弥沙弥尼突吉羅、是謂為犯。不犯者、若誦治腹内虫病呪、若誦治宿食不消呪、若学書若誦世俗降伏外道呪、若誦治毒呪以護身故無犯。「もし比丘・(比丘)尼が世俗の呪術を習い誦すならば、波逸提罪である。世俗の呪術とは、支節呪、刹利呪、鬼呪、吉凶呪、転鹿輪卜呪、解知音声(など)を言う。比丘・(比丘)尼にして、(これらの)世俗の呪術や、乃至は音声を習って、もし口にし、(それらの教えを)受け、もし、文執して誦えるならば、説き終われば波羅提罪となり、説き終わらなければ突吉羅罪となる。比丘が突吉羅(の罪に当るもの)は、式叉摩那や沙弥・沙弥尼は(同じく)突吉羅罪となり、(所)謂(いわゆる)是(これら)を(罪を)犯すと為す。(…)(戒律を)犯すことが無いものとは(以下の場合を言う)。もし、腹の中の虫の病(を鎮める)呪(を唱える者)。もし、宿食(食べたもの)が不消(化の場合に消化する)呪(を唱える者)。もし、書を学ぶ(暗記するための呪を唱える者)。もし、世俗(において)外道を降伏(ごうぶく:調伏する)呪を誦える(者)。もし、毒を治(癒する)呪(を唱える者)。これらは、(すべて)護身のためであるゆえに、(戒律を)犯すことは無い。」(『四分律』・巻二十七)
  10. ^ 爾時有迦羅比丘尼、先是外道、棄捨経律阿毘曇、誦読種種呪術。是中有比丘尼、少欲知足行頭陀。聞是事心不喜。種種因縁呵責。云何名比丘尼。棄捨経律阿毘曇。誦読種種呪術。種種因縁呵已向仏広説。仏以是事集二部僧。知而故問迦羅比丘尼、汝 実作是事不。答言、実作世尊。仏以種種因縁呵責(…)種種因縁訶已語諸比丘、(…)若比丘尼読誦種種呪術波逸提。波逸提者、焼煮覆障。若不悔過能障礙道、是中犯者。若比丘尼読誦種種呪術、若是偈説、偈偈波逸提。若是章説、章章波逸提。若別句説、句句波逸提。不犯者、若読誦治歯呪・腹痛呪・治毒呪、若為守護安隠不犯。「その時、迦羅(カーラ)比丘尼という(名前の者が)有り。是(この比丘尼は)、先(以前)に外道であり、(仏教の出家であるにも関わらず)経・律・アビダルマを捨てて、種々の呪術を読み誦えていた。また、比丘尼の中に少欲知足であり頭陀行を行じている比丘尼がいた。(彼女は)この事を聞いて心喜ばず、種々の因縁をもって、(迦羅比丘尼を)呵責した。ここで云う(ところの)以前には外道であり、経・律・アビダルマを捨てて、種々の呪術を誦読する比丘尼は、種々の因縁について呵責され終わると、仏(の住する処)に向かい、詳細に(事情を)説明した。仏はこのことを以って(比丘と比丘尼からなる)二部のサンガを集めて、(ことの次第を)知った(上で)迦羅比丘尼に(皆の前で再び)問われた。汝(なんじ)は本当にこのような事を為したか、為さなかったか、と。(迦羅比丘尼は)答えて言った、世尊よ(私は)本当に(このようなことを)為しました、と。仏は種々の因縁をもって(迦羅比丘尼を)呵責した。(…)(仏は)種々の因縁をもって叱った。(そして)諸々の比丘に語った。(…)(それゆえに)もし、比丘(・比丘)尼が種々の呪術を読み誦えるならば、波逸提罪である。波逸提(罪)とは、(比丘や比丘尼の身を)焼き、煮る(がごとき苦しみを伴い)、(仏道修行においてその身を)覆う障害となる。もし、懺悔することなく、障礙の道(を歩むものは)、是(これ)を(比丘・比丘尼の)中にあって(罪を)犯す者とする。もし、(比丘・)比丘尼にして種々の呪術を読み祷えるならば、是(これ)偈を説える場合は偈波逸提罪とし、是(これ文)章を説える場合は(文)章波逸提罪とし、別に句を説える場合は句波逸提罪とする。(…)(戒律を)犯すことが無い(者)とは(以下の場合を言う)。もし、歯(を)治(療する)呪(を唱える者)。腹痛(を鎮める)呪(を唱える者)。毒(を)治(癒する)呪(を唱える者)。もしくは、(その身を)守護し、安隠(を得る)ために(呪を)誦読するならば、(戒律を)犯すことは無い。」(『十誦律』・巻四十六)
  11. ^ 大乗経典『梵網経』について:女犯とその原因となる全ての行為を禁止する戒については、『梵網菩薩戒経』(四季社)、pp25-27と、『梵網経』(大蔵出版)、pp88-89。酒の売買の原因となる全ての行為を禁止する戒については、『梵網菩薩戒経』(四季社)、pp30-31と、『梵網経』(大蔵出版)、pp99-100。殺生とその原因となる全ての行為を禁止する戒については、『梵網菩薩戒経』(四季社)、pp21-23と、『梵網経』(大蔵出版)、pp75-76を参照のこと。これらを含む「十重禁戒」に違反すると、大乗戒壇円頓戒)における波羅夷罪となる。
  12. ^ 平川彰 『インド仏教史 下』 春秋社、pp.310-315
  13. ^ 平川彰 『インド仏教史 下』 春秋社、p.316
  14. ^ 『密教の理論と実践 講座密教第1巻』春秋社、1978年、pp.42-43
  15. ^ 慈経 - 日本テーラワーダ仏教協会
  16. ^ 8章 仏教における殺しと救い
  17. ^ 平川彰 『インド仏教史 下』 春秋社、p.317
  18. ^ 松長有慶 編著 『インド後期密教(上)』、pp.166-169。
  19. ^ 津田真一 「タントリズム瞥見」(『反密教学』所収)
  20. ^ 田中公明 『性と死の密教』 春秋社 pp.59-60
  21. ^ 田中公明 『図説 チベット密教』 春秋社 pp.25-26
  22. ^ a b 『密教の理論と実践 講座密教第1巻』 春秋社、1978年、p.62
  23. ^ 立川武蔵 『密教の思想』 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、1998年、pp.183
  24. ^ 立川武蔵 『密教の思想』 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、1998年、pp.168-173
  25. ^ 立川武蔵・頼富本宏編 『シリーズ密教第3巻 中国密教』 春秋社 p.196
  26. ^ 田中公明 『図説 チベット密教』 春秋社、p.6
  27. ^ 佐藤 任 『密教の秘密の扉を開く―アーユルヴェーダの秘鍵』 ISBN 978-4915497254
  28. ^ 『岩波 仏教辞典 第二版』 p.964







密教と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

カテゴリ一覧

全て

ビジネス

業界用語

コンピュータ

電車

自動車・バイク

工学

建築・不動産

学問

文化

生活

ヘルスケア

趣味

スポーツ

生物

食品

人名

方言

辞書・百科事典

すべての辞書の索引

「密教」の関連用語

密教のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング

画像から探す

特色

掃海艇「うわじま」型

巌敬竹

アカシア マンギュウム

オオクワガタ

タンゴ・エクスプローラー

ニップル回し

殺菌





密教のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
三省堂三省堂
Copyright (C) 2001-2016 Sanseido Co.,Ltd. All rights reserved.
株式会社 三省堂三省堂 Web Dictionary
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの密教 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2016 Weblio RSS