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三省堂 大辞林

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さいちょう 【最澄】

(767-822) 日本天台宗開祖。姓は三津(みつのおびと)近江の人。比叡山入り法華一乗思想傾倒し、根本中堂創建804年入唐翌年帰国し、天台宗開創。「山家学生式(さんげがくしようしき)」をつくって大乗戒壇設立請願したが、南都反対にあい、死後七日目に勅許がおりた。日本最初大師号伝教大師勅諡(ちよくし)される。書状久隔帖(きゆうかくじよう)」は名筆として知られる。著「顕戒論」「守護国界章」など。叡山大師山家大師根本大師


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最澄

読み方さいちょう(767~882)

日本天台宗の祖。伝教大師渡来人三津首(みつのおびと)氏の出身幼名広野といった。15歳得度したが、奈良時代以来官寺仏教疑問持ち比叡山に籠もり修行。その間、山中虚空蔵尾(こくぞうのお)で霊木を得、自ら薬師如来尊像刻み、まつった(根本薬師堂、後の根本中堂)。これが比叡山延暦寺始まりとなる。また根本経典を『法華経』に求め、これによって末法の世生きる人々を救おうと決心した。延暦23年(804)には唐に渡り天台山などで修行入唐求法)。帰国後、桓武天皇支持をうけて天台宗創設朝廷信仰を集めて延暦寺基礎を築いた。弘仁2年(822)没。




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最澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/25 01:48 UTC 版)

最澄像 能福寺
哭最澄上人 嵯峨天皇宸翰

最澄(さいちょう)は、平安時代の僧。日本天台宗の開祖である。近江国滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。

先祖は後漢孝献帝に連なる登萬貴王(とまきおう)で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。




  1. ^ a b なお、最澄自身の撰とされる『内証仏法相承血脈譜』では、13歳で弟子入りし、宝亀11年11月10日作成の「近江国府牒」に“三津首広野年拾五”との記述があり、天平神護2年出生説を採る学者もいる。
  2. ^ 当時は道鏡時代の僧侶の政治介入に対する反省から、僧侶の人数を抑制するために度縁の交付の制限を行っていた。
  3. ^ a b c d e 宮坂宥勝「風信帖と久隔帖」(「空海の風信帖」『墨』P.16 - 20)
  4. ^ 寺山旦中「弘法の展開と最も澄んだ書」(「空海の風信帖」『墨』P.54)


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