疑問
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 18:14 UTC 版)
「1RXS J160929.1-210524」の記事における「疑問」の解説
惑星が母星から非常に遠くにあるというのは、現在の惑星系形成理論に反している。なぜならば、核への降着の過程でこの距離に惑星が形成されるのにかかる時間は、推定される母星の年齢よりも大幅に長くなってしまうからである。これを回避する一つの可能性としては、惑星は母星にもっと近い位置で形成された後、原始惑星系円盤や他の惑星との相互作用によって、遠い軌道へと移動した、ということが考えられる。惑星が現在の位置で、重力不安定性によって形成されたという仮説もあるが、そのためには質量が異常に大きい原始惑星系円盤が必要となる。 1RXS 1609 bの発見後、上部さそり座グループの年齢が高く修正されたことにより、1RXS 1609 bの質量もより大きく、木星の14倍程度とされた。1RXS 1609星系の年齢が上がることで、低質量褐色矮星の進化理論に基づく推定質量が大きくなった。このことで、1RXS 1609 bは褐色矮星で、連星系の形成と似たような経緯で形成された可能性がでてきた。その後の観測と分析でも、1RXS 1609 bの質量は木星の12倍から16倍と、惑星と褐色矮星の境界付近の値が求められている上、1RXS 1609 bには母星よりもずっと大きい減光がみられ、星周円盤の存在が予想されている。これは、惑星では考えられないことである。
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「アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム」の記事における「疑問」の解説
「 「ヒトラーが倫理的な意味でベジタリアンであったはずがない」とベリーは断言し、ナチスの領袖は肉を絶っていたと信じる学者達への反論として、見逃すことのできない事実があるという。「非ベジタリアンたちは菜食主義そのものを窄めるためにナチスの問題を持ち出す傾向にある」。 」 —Deborah Rudacille ベジタリアンであり動物の権利を擁護している作家のリン・ベリー(英語版)は、ヒトラーが食事の肉を減らしたことがあったからといって、その後の長い人生でまったく肉を食べなかったわけではないと主張している。ベリーがいうには、歴史家が「ベジタリアン」というときはたいてい単に肉の消費量を減らした人間のことであり、それは言葉の正しい使い方ではない。 1991年にアイザック・バシェヴィス・シンガーが亡くなると、シンガーの死亡記事をめぐって議論が起こる。まずこの作家がベジタリアンであったことが省かれているという批判があり、ついにそれはヒトラーをベジタリアンだと断定するにいたった。ニューヨーク・タイムズに一連の手紙を投稿したキャロル・ヤノヴィッツはこう書いている。「『美食家のための料理読本』(1964年)の89ページでは、ドイツのハンブルクでホテルのシェフをしていたディオンヌ・ルーカスが第二次世界大戦前のつらい倹約を回想しています。『ひな鳥の詰め物なんかみせて食欲をなくした人がいたらごめんなさい。でもヒトラー氏がとても好きなメニューだったといえば興味ももつでしょう。よくホテルに食事をしにきたんですよ。それで立派な料理にこだわらなくてもいいって言ってくれたんです』。 作家のロバート・ペイン(英語版)はその伝記「アドルフ・ヒトラーの生と死」(1973)のなかで、禁欲的なベジタリアンというヒトラーのイメージは、宣伝大臣であったゲッベルスによって周到につくりあげられたものだという仮説を述べている。 「禁欲主義はヒトラーがドイツに投影していたイメージを形成するために重要な役割を果たした。広く信じられている伝説のなかのヒトラーは、煙草も酒もやらない人間で、肉も口にせず女性とは関係をもたないことになっていた。最初のものだけが正しい。ヒトラーはビールを飲んだし、薄めたワインもよく嗜んだ。バイエルン・ソーセージをことのほか喜んだし、愛人だって手放すことはなかった…。彼の禁欲主義はゲッベルスが総合的な敬意を高めるためにつくりだしたまやかしである。自制心や他者との距離などもそうだ…実際のところヒトラーは禁欲のこころなどかけらも持ち合わせておらず、自分をいたずらに甘やかしていた。その上やたらと太ったヴィリー・カンネンベルク(ドイツ語版)というコックは、すばらしい料理もつくれば宮殿お抱えの道化役もこなせる男だった。ヒトラーはあまり肉は好まなかったが、ソーセージのかたちをしていれば話は別だった。魚も身は食べずにキャビアを楽しんだのである…(p. 346)」 またOSSの精神分析家が著した『アドルフ・ヒトラーの精神(英語版)』には、「もし彼[ヒットラー]が肉やアルコールを口にせず、煙草も吸わないというのならば、それは無意識にある種の抑制がはたらいていたせいではなく、それが健康増進につながると信じていたからだ。肉などを控えたのは、偉大なドイツ人であるリヒャルト・ワーグナーに倣ってのことである。あるいは摂生することで新たなドイツ帝国をつくりあげることができるだけの気力や体力を取り戻すことができることに気づいていたからだ、といえる」とある。 1996年4月14日のニューヨーク・タイムズ日曜版では、ヒトラーの食事について書かれた記事(初出は1937年3月30日の「総統とお家で」)が紹介された。「ヒトラーがベジタリアンで、酒も煙草もやらないというはとても有名です。ですから昼食も夕食も、ほとんどがスープ、鶏卵、野菜、ミネラルウォーターといったものになります。たまにはハムを一切れ口に運んだり、味気ない食事をキャビアのようなごちそうで紛らわすこともありました…」 1942年にヒトラーの秘書となったトラウデル・ユンゲは彼が「いつも肉を避けていた」と記しており、さらにオーストリア人のコック、クリューメルはブイヨンにわずかな肉や脂をくわえ、ヒトラーの食事に出すことがあったという。「ほとんどの場合総統はそのごまかしに気づいて、ひどくいやがり、お腹を気にしていました。けっきょくスープはそのまま片付けさせ、マッシュポテトだけ食べたのです」。 1943年にヒトラーの栄養士になっているマレーネ・フォン・エクスナー(ドイツ語版)はそれと知らずにスープに骨髄を足したといわれている。マレーネが菜食を「見下していた」ためだという。 1936年から1945年にヒトラーが自殺するその直前まで、そのかかりつけ医であったテオドール・モレルは動物性の成分をふくむ「いんちきなサプリメント」を処方していた。動物由来のグルコノムなどをふくむ市販の強壮剤をモレルは毎日注射してもいる。注射可能物質にはビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC、心臓、副腎、肝臓、膵臓が含まれていた。ほかにも胎盤やウシ由来のテストステロン、精嚢、前立腺を含む調合薬が抑鬱を治療するために注射されている。当時は動物の腺から抽出されたものは「若さのエリクシル」になると一般に信じられていたのである。 ヒトラーの政策がベジタリアニズムよりだったかどうかについてはいまも疑問が残る。英国ベジタリアン協会は、ヒトラーはドイツにおけるベジタリアンの団体を弾圧し、解散させたと主張している。たとえば「Vegetarier-Bund Deutschlands」(ドイツ・ベジタリアン同盟)はナチスによって1936年に解散させられている。また、フランクフルトで出ていた主要なベジタリアン雑誌も発売禁止となった。しかし集会の禁止は全ての独立系組織に対して適用されており、ヒトラーが個人的に支持していたベジタリアニズムに敵意が向けられたという証拠にはならない。先の「Vegetarier-Bund Deutschlands」の活動がやっと合法となるのはナチスが第二次世界大戦で敗れる後の1945年になってからのことだった[要検証 – ノート]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:19 UTC 版)
古ノルド語との類似性から、古英語において疑問文を形成するためには基本的に語順をSVOからVSOに変化させたのだと一般的に考えられている。一方で古英語の語順はより自由であったという主張も多く、節の主語、目的語、動詞の位置に対する慣例も存在する。 "I am..." が "Am I..."となり、 "Ic eom..." が "Eom ic..."となる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/09 14:25 UTC 版)
「西暦10000年問題」の記事における「疑問」の解説
この問題に対しては次のような疑問がある。 西暦10000年まで人類は生き残ることができるのか。 西暦10000年まで西暦を使用するのか。 西暦10000年まで現在のプログラムを改善や改良をせずにそのまま使用するのか。 西暦10000年までに起こる様々な年問題に対処できるのか。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 08:16 UTC 版)
Aが行方不明となった当日、阪原は知人宅で酒を飲み、そのまま翌朝まで寝込んでしまったというアリバイを主張するも、取り調べの警察から「殺害を認めないと(結婚予定の娘の)嫁ぎ先をガタガタにしてやる」という脅迫をされたり、反抗するなと刑事達数人がかりで殴る蹴るや、束ねた鉛筆で突かれる暴力を受けたり、「殺害したことを認めたら早く出られる」と言われたりしたこと(≒拷問。憲法第36条で禁止)で、嘘の自白をしたと阪原は主張している。これらの主張を裏返す物的証拠は未だに発見されていない。 阪原の自白には、秘密の暴露が一切ない。 阪原は警察に手で被害者の首を締めたと自供しているが、遺体は舌骨右大角部の骨折があり、右顔面にも損傷があり、鑑定では直接手で締めたのではなく、紐などを使って締めた結果が出ている。 次々と浮かぶ疑問に対して大津地裁は、逮捕に至るまで3年間が経過したことによる記憶違いであると主張するのみで、阪原が犯人だという決定的な証拠が皆無であること。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/19 03:20 UTC 版)
「ジャスパー・マスケリン」の記事における「疑問」の解説
一般的なマスケリンの評価は軍事歴史家であり奇術師でもあるリチャード・ストークスによって批判的な分析を受けている。オーストラリアの奇術雑誌「Geniis Magic Journal」に1993年から1995年にかけて掲載された21回に及ぶシリーズ記事において、ストークスは多くの時系列的な間違いや実証されていない出来事を指摘し、戦時中のマスケリンの手柄は架空のものが多く、とくにゴーストライターによって書かれた『Magic: Top Secret』からの影響が大きいと結論付けている。 またストークスはマスケリンの血統が2種類存在することを指摘し、奇術師としての血統が天文学者のネヴィル・マスケリンの子孫であるという説に疑問を投げかけている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 17:18 UTC 版)
しかし救出部隊が突入した病院にイラクの民兵組織「フェダーイーン・サッダーム(英語版)」はおらず、イラク人の病院職員の証言やジェシカの不自然な記憶喪失などから、人質救出作戦を疑問視する声があがった。また、救助された病院にイラク軍が居なかったことから、イラク兵からの取調べの際に殴打などの暴力を受けたとの証言も疑問が投げかけられた。 2003年5月18日に放送されたBBCのドキュメンタリー番組"War Spin"ではこの出来事は演出された戦時プロパガンダであると報じたが、国防総省はこれを否定している。 後の取材で明らかになったところでは、イラク側は負傷したジェシカをナシリヤの病院に搬送していた。ただし、ジェシカの身体には強姦や拷問の痕跡もあった。脊髄や手足の複雑骨折を負っていたが、これが拷問によるものか、戦闘負傷によるものかは不明。イラク人医師の中には、踏みつけられるか、銃床で殴打された時の傷と似ていると指摘する者もいた。こうして病院に運びこまれたジェシカは、救急救命措置を受けなければ、確実に死亡していた状態だった。その後、民間のサダム・フセイン病院に移送される。看護婦のフラット・フセインがつきそい、医師達も最大限の努力をした。イラク側は、ジェシカを米軍向けプロパガンダとして役立てるか、人間の盾にするつもりだった可能性がある。 救出された時のリンチは、脊髄の手術をしなければ歩行困難となる状態だった。そして彼女が手術を受けている間、美談を求める政府とマスコミの相乗効果により、神話は創られていった。彼女の兄は米陸軍に所属するが、一連の報道と人々の熱狂を「起こるべくして起こったことだ」と述べた。 当初の報道では救出時の彼女は銃創やナイフによる切り傷を負っていたとされたが、後にジェシカの父親であるグレゴリー・リンチはこれを否定している。彼は自分の娘がドイツのラントスツール米軍病院で外科処置を受けた際に妻とともに彼女に話しかけ、その時の様子を記者会見で語った。その中で、「複数の銃創とかナイフの刺し傷があるとされていたが、皆無だった」「特に問題となるような負傷はしていない」と語られ、米軍当局による「銃創を受けながらもイラク兵相手に発砲を続けた。」という報道とは異なる証言が出された。また、「医者は娘の背中に一ヵ所だけ外科処置を施した。神経が圧迫されていたのでそれを解放し、椎間板全体の矯正を行いギブスをあてた。」「娘は両足と右前腕の骨折を治す手術を受ける。」とも語った。 2007年4月24日に開かれた公聴会において、ジェシカは、「報道は真実ではない。なぜ軍当局がうそをついて私を英雄に仕立て上げたのか、いまだに分からない」「戦争における真実は単純ではない。常に真実が語られるべきだ。米国民は、英雄のあるべき姿を判断する能力を持っており、念入りに作り上げられた嘘など必要ない」と述べ、自身に関する誤った報道を非難した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 15:20 UTC 版)
『皇明祖訓』は、歴史的な故事を踏まえて、丞相職の禁止や親王や後宮の干渉を制限するものであったが、歴史的に夥しい弊害をもたらしてきた宦官の政治干渉を禁止する項目が一つもない。これについては、原本には含まれていたものを、宦官が密かにその条目を削ったということが噂されていたという。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 04:09 UTC 版)
果たして彼女たちは女性だったのか?という疑問がある。実際彼女たちの性別に対してのチェックは行われなかったといわれている。両性具有者という者も、またある者は男性ホルモンを注射していたためという。「プレス兄弟」と中傷したものもいた。すべての国際的なスポーツ大会で性別検査が義務化されるようになったのは1968年からである。(2000年シドニーオリンピックでは廃止)彼女たちはスポーツの舞台から姿を消した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 06:03 UTC 版)
安田浩一らは、「在特会をはじめとする“保守界隈”の人間がしばしば使用する用語であるが、GHQ等の公的な組織による資料での「朝鮮進駐軍」という用語の出典を示しておらず、写真のキャプションはデマである」と主張している。 安田の説明によると、最低4,000人の日本人が殺されたとする「GHQの資料」の出典は明かにされておらず、朝鮮進駐軍を写したと主張する2枚の写真は、毎日新聞社が1949年に撮影した、在日本朝鮮人総聯盟(朝連)の本部を捜索する日本の警察官が写る写真に「武装集団在日朝鮮人集団」「短銃を所持する在日朝鮮人警備隊」といったでっちあげのキャプションをつけたものである。朝鮮進駐軍が起こした凶悪事件として例に挙げられているものには、1946年の首相官邸デモ事件と1948年の阪神教育事件のような確認できるものもあるが、どちらも在日朝鮮人を中心とする大規模なデモ行進における騒擾事件である。首相官邸デモは「在日朝鮮人生活権擁護委員会」、阪神教育事件のデモは「在日本朝鮮人総聯盟」が開催したもので、朝鮮進駐軍なる組織ではない。この2つの事件の犠牲者に関しては、首相官邸デモ事件で死者は出なかったが、阪神教育事件では朝鮮人の少年1名が死亡した。
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疑問
出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 23:24 UTC 版)
名詞
- 疑い問うこと。知らないことやわからないことに気づき、関心を持つこと。また、そのことがら。
- ここに茶わんが一つあります。中には熱い湯がいっぱいはいっております。ただそれだけではなんのおもしろみもなく不思議もないようですが、よく気をつけて見ていると、だんだんにいろいろの微細なことが目につき、さまざまの疑問が起こって来るはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を観察し研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見物です。(寺田寅彦『茶わんの湯』)
- 廓の外寄りのおはぐろ溝の岸には、一つ一つ、廓の内から架かつて来る橋板を受け留める台があつた。この台の設備なり仕組みが疑問だつたのである。/―然し、いくら古老の口で聞いてもよくわからず、考へて見ても無論一向わかる筈のなかつたものも、それを写された「絵」で見れば、一目瞭然とするのはありがたいことだつた。実は昔のその実地の写生画が見付かつたので、忽ちこの疑問は近ごろ解けたのだつた。(木村荘八『刎橋の受け台について』)
- 疑わしいこと。また、そのことがら。うたがい。疑念。
- 脇腹は背肉からみて非常に脂肪に富んでいて、すこぶる美味いものだ。ただし、肉がかたいから、園公は生で食っておられるかどうかは疑問だ。(北大路魯山人『西園寺公の食道楽』)
- 我国の批評家を見廻す時、その少しの例外を除いては、彼等が果して作家ほど深い倫理的試練を経ているかどうかに就いては、私は随分疑問を持っている。(豊島与志雄『作品の倫理的批評』)
- 君主、家長の絶対権力をより維持しやすくする考え方や行動が善であり、その反対に、支配者の絶対権に何かの不安や疑問をさしはさむことは、最もはなはだしい悪とされていた。(中略)「聖戦」に対して、いくらかでも疑問をもち、侵略行為の人類的悪についてほのめかしでもしようものなら、憲兵と警察と密告者の餌じきにされた。(宮本百合子『地球はまわる』)
- そのやうに僕には、超現實主義は少くとも藝術の見方を一歩進ませるやうに見えるが、それにも拘らず、それを藝術の一方法として取りあげようとするなら、僕は躊躇しない訣にはいかない。/僕は、超現實主義的方法によつて、どこまで新しい詩が創造されるかどうか、疑問に思つてゐるからだ。(堀辰雄『詩人も計算する』)
- 田中君は、その相手の変にでっぷりと肥えた身体や顔のあたりにチラと疑問の眼を向けた。(橋本五郎『小曲』)
- 農業を支配する最大の要素が天候であることには疑問の余地が無い。(中谷宇吉郎『農業物理学夜話』)
発音(?)
- ぎ↗もん
関連語
「疑問」の例文・使い方・用例・文例
- 2, 3の疑問点
- 疑問が持ち上がってきた
- 彼がその仕事に一番ふさわしいかどうか少し疑問だ
- 彼が約束を守るかどうかは疑問だ
- 君の論文は2,3の疑問点はあるが採用できる
- 彼が成功するのは疑問の余地がない
- 彼の能力にはやや疑問がある
- 修辞疑問文
- 彼の誠実さが疑問を持たれることは決してなかった
- 予算に関する疑問を提起する
- 彼女には文を疑問形で締めくくる癖がある
- Xではないかとつくづく疑問に思う
- 私がXをつくづく疑問に感じます
- どんな商売をしている人なんだろうと疑問に思われる
- Xには大いに疑問が残る
- 相談室のスタッフがあなたの疑問に答えます
- 彼がふと疑問をいだきました
- 彼は魂の非物質性に疑問を呈した。
- 疑問文
- その疑問が昼も夜も彼の心を奪った。
疑問と同じ種類の言葉
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