イラク【Iraq】
読み方:いらく
アジア大陸南西部の国。正称、イラク共和国。首都バグダッド。メソポタミア文明の発祥地。宗教はイスラム教。英国の委任統治領から1932年王国として独立、1958年共和国となる。1980年代にフセイン政権が国境を巡ってイランと争った。1990年クウェートに侵攻するも、翌年米国を中心とする多国籍軍により撃退。2003年に大量破壊兵器保有の嫌疑を受けて米英などの攻撃を受けてフセイン政権が崩壊。イスラム教宗派間・民族間の対立が増すが2006年5月、民主選挙による初の政府が発足。チグリス・ユーフラテス両河流域の平原を中心に灌漑(かんがい)農業が発達。ナツメヤシの産地。油田も多い。人口2967万(2010)。
い‐らく【×怡楽】
い‐らく〔ヰ‐〕【慰楽】
イラク 【Iraq】
イラク
イラク(2003年凍結、2004年復活)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:16 UTC 版)
「世界の死刑制度の現状」の記事における「イラク(2003年凍結、2004年復活)」の解説
イラク戦争後のアメリカ軍を主体とする多国籍軍による占領時、アメリカ政府が派遣したブレマー行政官により凍結された。2004年6月30日イラク暫定政権のガーズィー・ヤーワル大統領は、アラブ有力紙のインタビューで、死刑復活を決定したと表明。適用範囲は、テロ行為や殺人、強姦に限られると述べた。2005年5月22日、イラク中部クートの特別法廷は、イラク警官の殺害、拉致などの20件の犯行に関与して訴追された、反米武装勢力「アンサール・スンナ軍」の男3人に死刑を言い渡した。死刑判決はフセイン政権崩壊後初めて。 サッダーム・フセイン元大統領に対し、死刑判決が下った。フセイン元大統領に対する死刑は死刑確定4日後の2006年12月30日に執行された(詳細はサッダーム・フセインの死刑執行を参照のこと)。この執行に対してはヨーロッパ連合各国や人権団体などから非難の声が上がっているほか、イラク国内でもスンナ派の一部住民が死刑に対するデモ活動を行い、また抗議の爆弾テロも発生し70名余りが死亡した。
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イラク
「イラク」の例文・使い方・用例・文例
- イラクは石油が豊富である
- 日本政府がついにイラクに自衛隊を派遣した
- 私達はそこにイラクサの木、桜の木と針槐を植えた。
- 私のイラク滞在予定は一週間です。
- 私はイラクには一週間の滞在予定です。
- 私はイラクに戻りたいです。
- アメリカは発表するたびに、イラク軍のゲリラ抵抗を「テロ」と呼んでおります。
- 日航のチケットがあまりにも高いので、国外在住者たちはイラク航空をつかった。
- 国境なき医師団を設立したベルナール・クシュネルはイラク戦争に反対しなかった。
- 「有志連合」とは、イラク戦争でイラクを相手に協力して戦った国々のことを指す言葉である。
- 庭からイラクサを取り除く.
- 彼らは今のイラクに住んでいた.
- ワシントンはイラクへの空爆を決行した.
- 今度のミサイル攻撃はアメリカが軍事力をイラクに顕示するためのものだ.
- クエートは北はイラクと国境を接している.
- 田中外務次官はイラク大使を外務省に呼んで, 抗議書を手交した.
- アメリカ空軍はイラク戦車部隊を総攻撃した.
- イラクを侵略することは、たやすいことではない
- イラク人は、交戦を開始した
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