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ヨルダン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/04 07:06 UTC 版)

ヨルダン・ハシミテ王国
المملكة الأردنيّة الهاشميّة
ヨルダンの国旗 ヨルダンの国章
国旗 国章
国の標語: 国王は幸運と加護を祈る
国歌: As-salam al-malaki al-urdoni
ヨルダンの位置
公用語 アラビア語
首都 アンマン
最大の都市 アンマン
政府
国王 アブドッラー・ビン=フセイン
首相 アウン・アル=ハサウネ
面積
総計 92,300km2110位
水面積率 0.4%
人口
総計(2008年 6,316,000人(104位
人口密度 61人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 142億[1]ヨルダン・ディナール
GDPMER
合計(2008年 200億[1]ドル(96位
GDPPPP
合計(2008年 311億[1]ドル(97位
1人あたり 5,314[1]ドル
建国
 - 宣言
イギリス国際連盟委任統治領より
1946年5月25日
通貨 ヨルダン・ディナールJOD
時間帯 UTC +2(DST: なし)
ISO 3166-1 JO / JOR
ccTLD .jo
国際電話番号 962

ヨルダン・ハシミテ王国(ヨルダン・ハシミテおうこく)、通称ヨルダンは、中東西アジアに位置する立憲君主制国家。首都はアンマンイスラエルパレスチナ暫定自治区サウジアラビアイラクシリアと接する。イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川死海が境である。

立憲君主制をとり、イスラームの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファーティマの夫妻にさかのぼるハーシム家出身の国王世襲統治する王国である。

国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。

目次

国名

正式名称は المملكة الأردنيّة الهاشميّة(ラテン文字転写 : al-Mamlakah al-ʾUrdunīyah al-Hāshimīyah; アル=マムラカ・アル=ウルドゥニーヤ・アル=ハーシミーヤ)。通称الأردن(al-ʾUrdun; アル=ウルドゥン)。

公式の英語表記は Hashemite Kingdom of Jordan。通称 Jordan。

日本語ではヨルダン・ハシミテ王国。通称はヨルダン

ハシミテは、預言者ムハンマドの曽祖父ハーシムの子孫の家系であるハーシム家を指す英語をカタカナ化したもので、ヨルダン・ハシミテ王国は、ハーシム家の王国ヨルダンを意味する。

ヨルダンの名称は、国土の西を流れるヨルダン川の名に由来する。ヨルダン川はヘブライ語起源の河川名で聖書に名が現われ、アラビア語ではウルドゥン、ヨーロッパ諸言語ではヨルダンあるいはジョルダンとなる。ヨルダン川の名前が国名となったのは、この国が第一次世界大戦後に成立したイギリス委任統治領トランスヨルダン(ヨルダン川の向こうの意)を前身とするためである。

日本語によるヨルダンの正式名称については、最も古くから用いられてきた「ヨルダン・ハシミテ王国」とするのが一般的であるが、学術的文献などでは「ヨルダン・ハーシム王国」と表記するものも少なくない。日本外務省では省内の用語として、かつては英語発音に倣った「ジョルダン」または「ジョルダン・ハシェミット王国」と表記していたが、わかりづらいとの批判を受け、2003年に「ヨルダン」または「ヨルダン・ハシェミット王国」とした。

日本ではこのように、「ヨルダン・ハシミテ王国」と「ヨルダン・ハーシム王国」及び「ヨルダン・ハシェミット王国」の3つの表記方法が混在している。

「例」

愛知万博での公式名:「ヨルダン・ハシミテ王国」
ブリタニカ国際百科事典:「ヨルダン・ハーシム王国」

歴史

ヨルダンの国土は、およそ50万年前の旧石器時代から人類が住み着いていたことが知られ、紀元前8000年紀には人類最古級の農業が営まれた。西アジアに文明が発達すると交易の中心地として栄え、紀元前13世紀頃からはエドム人が住み着き、アンマンには旧約聖書に登場するアンモン人の国があった。紀元前1世紀頃には南部にペトラ遺跡を残したナバテア王国が発展するが、紀元1世紀から2世紀ローマ帝国に併合された。

7世紀にはイスラム帝国の支配下に入りアラビア語イスラム教が浸透してアラブ化・イスラム化が進んだが、ダマスカスに都したウマイヤ朝が滅びイスラム世界の中心がシリア地方から離れると、その辺境として都市文明も次第に衰えていった。

19世紀に入ると、当時この地方を支配していたオスマン帝国は、ロシアから逃亡してきたチェルケス人をシリア地方の人口希薄地帯に住まわせるようになり、次第に活気付き始めた。第一次世界大戦後の1919年イギリス委任統治領パレスチナに組み入れられ、1923年ヒジャーズ王国の王族アブドゥッラー・ビン=フサインが迎え入れられてトランスヨルダン王国が成立した。この政府に対するイギリスの代表者は最初はT・E・ロレンス、ついでジョン・フィルビーであり、パレスチナの高等弁務官の管轄下にあった。

トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名をヨルダン・ハシミテ王国に改めた。1950年にはエルサレムを含むヨルダン川西岸地区を領土に加えたが、1967年第三次中東戦争イスラエルに奪われる。中東戦争はイスラエルに占領された地域から大量のパレスチナ人の流入をもたらし、加えて1990年代以降には民主化に伴い王室の近代化主義に反対する保守派やイスラム主義派が台頭して国内の不安定要因となっている。




  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]


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