ほり‐たつお〔‐たつを〕【堀辰雄】
堀 辰雄 (ほり たつお)
1904〜1953 (明治37年〜昭和28年) |
【小説家】 婚約者の死をもとに、「風立ちぬ」を執筆。純粋な愛と死をフランス文学的な叙情で描き上げた。 |
昭和期の小説家。東京都出身。東大卒。一高入学後肺を患い、軽井沢で療養中に関東大震災で母を失う。東京帝国大学に入ると、中野重治と同人誌「驢馬(ろば)」を創刊。1930年(昭和5)「聖家族」で文壇デビュー。軽井沢の療養所で婚約者を失った経験をもとに書かれた「風立ちぬ」では、純粋な愛と生命の美を描いた。ほか代表作に「美しい村」、「かげろふの日記」、「菜穂子」など。 |
年(和暦) | ||
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 | 0才 |
●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 | 3才 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 | 6才 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 | 14才 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 | 19才 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 | 24才 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 | 28才 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 | 32才 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 | 37才 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 | 41才 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 | 42才 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 | 47才 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 | 49才 |
・淺沼 稲次郎 | 1898年〜1960年 (明治31年〜昭和35年) | +6 |
・土方 与志 | 1898年〜1959年 (明治31年〜昭和34年) | +6 |
・溝口 健二 | 1898年〜1956年 (明治31年〜昭和31年) | +6 |
・近衛 秀麿 | 1898年〜1973年 (明治31年〜昭和48年) | +6 |
・吉野 源三郎 | 1899年〜1981年 (明治32年〜昭和56年) | +5 |
・田河 水泡 | 1899年〜1989年 (明治32年〜平成元年) | +5 |
・阪東 妻三郎 | 1901年〜1953年 (明治34年〜昭和28年) | +3 |
・小林 秀雄 | 1902年〜1983年 (明治35年〜昭和58年) | +2 |
・近藤 真柄 | 1903年〜1983年 (明治36年〜昭和58年) | +1 |
・古川 縁波 | 1903年〜1961年 (明治36年〜昭和36年) | +1 |
・美濃部 亮吉 | 1904年〜1984年 (明治37年〜昭和59年) | 0 |
・榎本 健一 | 1904年〜1970年 (明治37年〜昭和45年) | 0 |
・朝永 振一郎 | 1906年〜1979年 (明治39年〜昭和54年) | -2 |
・湯川 秀樹 | 1907年〜1981年 (明治40年〜昭和56年) | -3 |
・大岡 昇平 | 1909年〜1988年 (明治42年〜昭和63年) | -5 |
・黒澤 明 | 1910年〜1998年 (明治43年〜平成10年) | -6 |
堀辰雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 04:14 UTC 版)
堀 辰雄(ほり たつお、1904年(明治37年)12月28日 - 1953年(昭和28年)5月28日)は、日本の小説家[2]。
- ^ a b c d e f g h i j k l 「師・芥川龍之介の死を超えて」(アルバム 1984, pp. 14–25)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az 「略年譜」(アルバム 1984, pp. 114–108)
- ^ 中村真一郎「月報2 編集雑記」(全集2 1996)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 「数学志望から文学志望へ」(アルバム 1984, pp. 2–13)
- ^ a b c d e 「『ふるさと』信濃・大和」(アルバム 1984, pp. 84–96)
- ^ a b c d e f g 堀辰雄「花を持てる女」(文學界 1942年8月号)。『幼年時代』(青磁社、1942年)、全集2 1996, pp. 189–218に所収。[1]
- ^ 池内 1977
- ^ 佐々木 1983
- ^ 谷田 1997
- ^ 福永 1978
- ^ a b c d e f g h i 谷田昌平編「年譜」(別巻2 1997, pp. 407–422)
- ^ 堀辰雄「『青猫』について」(『萩原朔太郎全集 第2巻 詩集・下』第8回配本附録 小学館、1944年2月)。[2]
- ^ 堀辰雄が筋骨隆々であり、かつ関東大震災発生時には隅田川を泳いで渡ったことについては、堀田善衛の証言がある。(『座談会わが文学わが昭和史』筑摩書房。1973年)
- ^ 「五『驢馬』の人々との出会い」(佐多 1983, pp. 106–132)
- ^ a b 「川端康成」(多恵子 1996, pp. 43–53)
- ^ a b c d e 「ロマンへの意欲」(アルバム 1984, pp. 26–64)
- ^ 荒川じんぺい「高原のサナトリウムに足跡を残した著名人たち」『TBアーカイブ』第351巻、公益財団法人結核予防会、2013年7月。
- ^ a b 「立原道造」(多恵子 1996, pp. 77–84)
- ^ 中村真一郎「ある文学的系譜――芥川・堀・立原」(新潮 1979年5月号)。別巻2 1997, pp. 29–38
- ^ a b c d 「鎮魂の祈り」(アルバム 1984, pp. 65–77)
- ^ 堀をきっかけに軽井沢と縁ができた立原道造が、油屋旅館再建の資金集めに奔走した。
- ^ a b 「『菜穂子』の構想と実現」(アルバム 1984, pp. 78–83)
- ^ のち、堀辰雄や立原道造らの本の装幀も行った画家の深沢紅子夫妻の、夏のアトリエとして1964年以降の20年ほど使用された。
- ^ 現・堀辰雄文学記念館
堀辰雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
小説家。堀の文体を真似するなど影響を受けていた三島は、18歳の時に一度だけ堀宅を訪問した。堀から〈シンプルになれ〉と忠告され、〈シンプルにならうとしてそれに成功するなんで、さうおいそれと出来るものぢやない〉と三島はノートに記した。その後、肉体改造と文体改造をした三島は、次第に堀文学から離れていった。
※この「堀辰雄」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「堀辰雄」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。
「堀 辰雄」の例文・使い方・用例・文例
- その町は城壁と堀で囲まれていた
- 堀と城壁で囲まれていて、9つの門があります。
- 床堀
- 私は道路が混んでいたので近所の釣り堀に行った。
- その城で今日残っている部分は堀と石垣だけだ。
- 彼は堀にペンキの上塗りをした。
- 隠れ垣 《溝・堀などの底に沿って作った柵》.
- すばらしい堀り出し物をする.
- 排水用の堀を掘る.
- 柔らかい日差しに皇居のお堀の水もぬるみ, 春の息吹きが感じられる.
- 堀河天皇の治世は 11 世紀が 12 世紀に移る時期であった.
- 白バイに先導されて先頭走者が外堀通りにはいってきた.
- 堀を乗り越える
- 城のまわし堀を埋め立てる
- 堀を掘る
- 堀を埋めたてる
- 根堀り葉堀り聞く
- 根堀り葉堀り聞く人だ
- 城はまわし堀に囲まれている
堀辰雄と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 堀辰雄のページへのリンク