成実宗とは? わかりやすく解説

じょうじつ‐しゅう〔ジヤウジツ‐〕【成実宗】

読み方:じょうじつしゅう

成実論」に基づく仏教一派412年鳩摩羅什(くまらじゅう)が成実論漢訳後流布して研究され(りょう)代に隆盛となった。のち、日本伝えられ南都六宗の一とされたが、のち三論宗の付宗とされ、独立した一宗とはならなかった。


成実宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 01:28 UTC 版)

成実宗(じょうじつしゅう)は、仏教宗派の1つで、『成実論』を研究する論宗(を所依とせず、を所依とする宗派)である。


  1. ^ 南都六宗(なんとろくしゅう)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年8月3日閲覧。


「成実宗」の続きの解説一覧

成実宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 14:58 UTC 版)

多聞部」の記事における「成実宗」の解説

多聞部の『成実論』は中国仏教高い人気獲得し中国の仏教において独自の宗派成実宗(拼音: Chéngshí-zōng)が412年生み出されることにもなった。南懐瑾(英語版)が以下のように概説している: 中観派三つの論に基づく宗派、『倶舎論』に基づく宗派、『成実論』に基づく宗派といった様々な宗派生まれてきた。これらは皆互いに優劣競い多くすばらし副産物生み出しそれぞれ独自の理論体系生み出した。 成実宗は『成実論』の教えに基づき悟りを開くための二十段階発展説く。成実宗は訶梨跋摩インドにおける自派創設者とみなし、鳩摩羅什中国における自派創設者みなした。成実宗は唐代仏教十派一つ数えられる中国から日本へは625年に成実宗が伝わり日本では成実宗(じょうじつしゅう)として知られた。日本の成実宗は奈良時代(710年-794年)の南都六宗一つとして知られる

※この「成実宗」の解説は、「多聞部」の解説の一部です。
「成実宗」を含む「多聞部」の記事については、「多聞部」の概要を参照ください。

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